医学界新聞

 

〔連載〕続 アメリカ医療の光と影 第26回

神の委員会(7)
「実験か治療か」

李 啓充 医師/作家(在ボストン)


2554号よりつづく

【前回までのあらすじ】
1969年4月4日,ベイラー医科大学のクーリー教授は,世界で初めての人工心臓置換手術に成功した。


 クーリーが行なった世界で最初の人工心臓置換手術は,当初こそメディアの賞賛を浴びたものの,やがて,多くの批判に曝されるようになった。

「ルール違反」と疑義を呈したNIH

 真っ先にクーリーの手術に疑義を呈したのは,ヒトを対象にした医学実験を管轄する立場にあるNIH(米国立保健研究所)だった。NIHは,当時すでに,ヒトに実験的治療を実施する場合は,当該施設の内部委員会による事前承認を得ることを義務づけていた。ベイラー医科大学の場合も,人工心臓の臨床試験を実施する場合は,ドゥベイキーを長とする内部委員会の承認を得ることが要件とされていたが,クーリーが内部委員会の承認を得ずに人工手術置換手術に踏み切ったことは,重大なルール違反に相当した。
 NIHから呈された疑義に対し,クーリーは,自分はNIHの研究補助金を得ていないからNIHのルールには拘束されないと反論した。さらに,カープに対する手術は「実験」が目的ではなく「治療」が目的であったから内部委員会の承認を必要としないし,仮に必要であったとしても,緊急事態だったので委員会に諮っている時間もなかった,と主張した。しかし,クーリーの共同研究者リオッタはドゥベイキーがNIHから得た補助金で研究を実施していただけに,NIHの補助金は使っていないというクーリーの主張は説得力を欠いた。

「実験の犠牲」と家族が訴訟に

 カープが死亡した2日後,ベイラー医科大学内に,クーリーが実施した人工心臓置換手術の是非を調査する委員会が設置された。委員会は,クーリーが使用した人工心臓は基本的にはドゥベイキーの研究グループが開発したものであるだけでなく,クーリーはその使用に当たって内部委員会の承認を得るという手順をも無視したと裁定,クーリーは同大学の教授職を辞任せざるを得なくなった。
 「世界最初の人工心臓手術に成功した外科医」という栄誉を得たいがためにドゥベイキーの研究を横取りしただけでなく,実験的治療を実施する際に踏むべき手順を無視して無理矢理手術に踏み切ったと,手術直後の賞賛の嵐とは打って変わって,クーリーに対する批判が強まることになったのだった。クーリーに対する批判はアカデミズムの中だけにとどまらなかった。当初はクーリーに感謝していたカープの未亡人が,「夫は功名心にはやった外科医の実験の犠牲にされた」と,クーリーを医療過誤で訴えたのだった。

訴訟での争点

 訴訟で最大の争点になったのは,インフォームド・コンセントの適切性だった。カープが手術前にサインした「インフォームド・コンセント」には,当初予定していた心室形成手術が失敗した場合には「人工心臓に置換することもあり得る」と明記されていた。しかし,カープがサインした「インフォームド・コンセント」は,動物実験の成績やヒトでの成功の確率・予想されるリスクなど,人工心臓についての重要な情報は一切記載されないままクーリーに手術実施の権限を与える内容のものだった。今ほど基準が厳格でない当時としても,「実験的治療」への同意を求めるインフォームド・コンセントとしては,お粗末な内容のものだったのである。
 「夫も自分も説明の意味を理解できなかったし,夫は,読まずに,インフォームド・コンセントにサインした」とカープ夫人は裁判で主張したが,テキサスの法律では「サインしたということは,書類を読み理解した証拠」とみなされるため,夫人の主張は裁判では認められなかった。さらに,カープ夫人は,人工心臓の手術が「実験」であることを知らされていなかったと主張したが,クーリーは「実験ではなく治療。何もしなければ患者は死んでいた」と反論,法廷は,クーリー側の主張を全面的に容れたのだった()。
 一方,自分が開発した人工心臓を「横取りされた」ドゥベイキーは,患者側の証人として裁判で証言する意向を示唆したが,結局,証言台には立たなかった。もし,ドゥベイキーが証言台に立っていたならば,裁判の結果が著しく異なったものとなっていたろうことは想像に難くない。

***

 カープの手術から12年が経った81年7月23日,クーリーは2例目の人工心臓置換手術を実施した。患者は36歳のオランダ人男性だった。手術後,クーリーは,「冠動脈バイパス手術中に心筋梗塞発作を起こしたため,人工心臓に置換する以外,患者を救う手だてはなかった」と説明,「心臓移植のドナーが現れなければ患者は死んでしまう」と,メディアを通じて全米にアピールした(3日後心移植が行なわれたが,患者は移植の7日後に死亡した)。「緊急の事態だったため,病院の内部委員会の事前承認を得る時間などなかった」のは,カープの手術の時と同じだった。

)1976年,American Heart Associationの倫理委員会は,左心室補助装置の臨床使用に関するガイドラインで,「患者を救う手段が他にないという理由は,実験的装置を患者に使用することを正当化しない」と明記した。