医学界新聞

 

連載(10)

    新医学教育学入門

教育者中心から  
学習者中心へ
  

学習者は何を求めているか

  
大西弘高 国際医学大学(マレーシア)・医学教育研究室上級講師


2540号よりつづく

 カリキュラム開発の基盤となる考え方で,忘れてはならないことは,教育の対象となる予定の学習者が何を求めているかという点です。教育者が理想を追い求めているうちに,学習者不在のカリキュラムに至っているということは絶対に避けなければなりません。

カリキュラム「診断入門」

 淡路大学医学部の病理学教授である賢持先生は,昨年から臨床前教育のカリキュラム責任者となり,診断推論能力を高めるためのさまざまな取り組みを行なう「診断入門」というプログラムを3-4年次に組み込むことで特色を持たせようと目論んでいました。これは,淡路大学で2-3年に症例を元にして基礎医学的知識を蓄えようとするテュートリアル学習セッションが行なわれるようになったのに合わせ,より臨床的に患者の問題解決能力を高めたいという大学の5か年目標に沿って始められたカリキュラムです。
 賢持先生のところに数名の学生がよく出入りしていましたが,特に本多さん,考野さん,深井さんの3人は4年次で他の教員からの評判も非常によく,テュートリアル学習の時にも鑑別診断を考えられるほど十分な知識をそなえていました。賢持先生は学生時代に英文雑誌の症例検討に関する記事で勉強会をしていたこともあり,同様の内容を4年生に向けて実施しようと考え,その内容が難しすぎないかどうか本多さん,考野さん,深井さんの3名に尋ねました。すると,

本多:「時々刻々と症例が進んでいく感じで,この記事の症例に関していろんな先生の意見を聞いてみたいと思いました」
考野:「そうだよね。僕も,この内容を英語でやってみたら,すごくいろんな刺激があると思います」
深井:「他の大学の友人も,違う雑誌の症例検討を生理学の先生とやっていると聞きました。難しすぎるということはないんじゃないでしょうか」
賢持先生:「よーし。じゃあ,ちょっと大変だと思うけど,やってみようか」

 というふうに,肯定的な意見が出て,このカリキュラムを実現に移すことにしました。より議論が進むように,まずはこの記事に出ている内容について病歴だけ知らせ,鑑別診断について各自が調べるだけの時間を持たせる工夫をしました。
 さて,賢持先生の授業では,100人のクラスを6~7名ずつに分け,それぞれのグループでまず病歴から考えられる病態についていろいろと話し合ってもらいました。次いで,鑑別に必要な情報に関する質問をクラス全体で受けます。そして,最後に診断について討論してもらうことになりました。
 熱意ある学生は3名以外にも何人かおり,それなりに討論が盛り上がったグループもありました。しかし,16グループのうち,9グループでは語句の意味がわからないというようなレベルで討論が停滞し,90分の授業で診断過程を追うような経験には至りませんでした。

どの学習者の意見を反映するか

 さて,賢持先生の授業がいまひとつに終わったのはなぜでしょうか。私は,ニーズ評価の際,対象となる学習者の選び方に問題があったと思います。学習者に尋ねるという質的な方法自体が悪いというわけではなく,一部の優秀な学習者からのみ情報を集めたところに問題があったのです。
 図を見れば,Overachievers(一定以上の成績の者)だけではなく,Underachievers(一定以下の成績の者)やIn-between learners(中間的な成績の者)のことも考慮しなければ,授業の対象となる学習者全体の意向を反映できないことが理解できるでしょう。学生から情報を集めて予定しているカリキュラムが受け容れられそうかどうかを決定するには,In-between learnersの意見を最大化させることが全体像を反映させやすいでしょうし,Underachieversの意見をいかに汲み上げるかも重要です。
 このような失敗に陥るのは,賢持先生が「この授業はきっと多くの学生が喜んでくれるだろう」と思い込んでいたという側面もあります。他の少し醒めた教員に相談すればよかったかもしれません。
 なお,この授業の教育的アウトカムに関しては,In-between learnersやUnderachieversの語学能力,医学的知識に適合しなかったと考えられ,クラス全体としての教育効果は不十分だったと結論づけられるでしょう。

学習者側のパワー

 以前は,個々の大学医学部内で独自の卒前教育,卒後臨床研修が行なわれており,それぞれのカリキュラムについて他の大学医学部の仲間と簡単な比較はしてみても,学生同士の横のつながりが医学教育に大きな影響を与えているという印象は持っていませんでした。しかし,ここ数年,インターネットを通じた情報交換や仲間集めが非常に容易になり,活発化してきました。一部の教員は,そういった情報交換の場から学生や研修医のニーズを汲み取って次世代の教育に活かそうと考えているようです。
 医学生の中には,「現状の医学教育を変えたい」という強い願いを持っている人もますます増えている印象があります。学生の立場であっても包括的で偏りのないニーズ評価を実施すれば,医学教育に変化を与えうるようなデータが出せる(むしろ教育者側が集めたデータよりも信憑性が高い面もある)と言えます。日本医学教育学会にも,そのような学生からの働きかけを歓迎する雰囲気が生まれてきたと感じます。

ニーズ評価の重要性

 社会や患者,各教員が医学教育にどのようなニーズを感じているかを調べ,それが学生にとって受け容れられるかどうかを吟味するというプロセスを経て,カリキュラム開発は最大のヤマ場である「教育目標の設定」に移ります。教育目標は教育内容,方法,評価を大きく規定するため大変重視されますが,その前の段階として問題の明確化や一般的ニーズ評価,対象となる学習者のニーズ評価が忘れられてはなりません。