第2538号 2003年6月9日


〔連載〕続 アメリカ医療の光と影 第19回

Conflict of Interest(利害の抵触)(5)
組織レベルでの利害の抵触
(Institutional conflict of interest)

李 啓充 医師/作家(在ボストン)


2536号よりつづく

医学研究に厳しいルールを設ける動き-社会的信頼失墜を危惧

 遺伝子治療の臨床治験を巡る問題を例として,これまで4回に渡って,医学研究における「利害の抵触(conflict of interest)」の問題について考えてきた。ペンシルバニア大学での遺伝子治療治験の被験者,ジェシー・ジェルシンガー少年の死亡事件がきっかけとなって,米国では,遺伝子治療研究にとどまらず,医学研究一般における「利害の抵触」について厳しいルールを設ける動きが高まっている。特に,被験者(患者)の生命・健康に重大な影響を及ぼしうる臨床研究においては,基礎研究よりも厳しいルールを設ける必要があることで,識者の意見は一致している。
 さらに,「利害の抵触」のルールを定める際に一番重要なのは,「利害の抵触」が研究者の判断に影響を与える可能性そのものを事前に排除することにある,ということでも識者の意見は一致している。なぜなら,個々の事例で,研究者の判断が実際に「利害の抵触」の影響を受けたか否かを事後に検討したとしても,研究者自身が「自分の財政的利害を考えて患者の生命を危険に曝した」などと認めることはありえず,何の意味も持たないからである。
 カリフォルニア大学サンフランシスコ校医療倫理部門部長のバーナード・ロー教授が2000年に行なった調査によると,調査対象となった医学研究施設のすべてで教職員に企業との財政的つながりを当該部局に報告する義務を課していたものの,臨床治験の被験者に対して「利害の抵触」の存在を告知する義務を負わせていた施設は少数派であったという。
 ロー教授は,単に「利害の抵触」の存在を患者に告知する義務を課すにとどまらず,「大学に籍を置く研究者は,企業との関わりが自身の携わる臨床研究に影響を及ぼす可能性がある場合,その企業の株,ストックオプションを保持してはならないだけでなく,当該企業において意思決定の権限を有する役職に就いてはならない」とする厳格なルールを採用することを提案している。「利害の抵触」に対し,医学界自身が厳しく身を律することを怠れば,医学研究そのものに対する社会の信頼が失われると危惧するからに他ならない(ニュー・イングランド・ジャーナル・オブ・メディスン 243巻,1616頁,2000年)。

研究者の判断に「組織」が影響

 さらに,最近は,研究者個人のレベルでの「利害の抵触」だけでなく,「研究施設の組織レベルでの利害の抵触(institutional conflict of interest)」が問題となっている。例えば,前回(2536号),ジェフリー・イスナー教授がセント・エリザベス医療センターで行なった遺伝子治療治験の問題について触れたが,セント・エリザベス医療センターそのものが治験のスポンサーとなったバスクラー・ジェネティクス社の大口出資者だった。「自分が関わる臨床研究の結果が,勤務先の組織の財政的利害に直結する」という立場に置かれた研究者の判断に,「組織レベルでの利害の抵触」が影響を及ぼさないとする保証はないのである。
 また,研究者自身ではなく研究者の上司が企業との財政的関係を有している場合も,「組織レベルでの利害の抵触」が問題となる。例えば,昨(2002)年,イムクローン社というバイオ・ベンチャー企業が,自社の抗癌剤臨床治験のデータをめぐるインサイダー取引で大きなスキャンダルを引き起こしたが,MDアンダーソン癌センター所長ジョン・メンデルソーンは同社の取締役に名を連ねていた。当時,MDアンダーソン癌センターでは,イムクローン社が開発していた抗癌剤の臨床治験を行なっていたが,メンデルソーン所長がイムクローン社の重役であるという事実が治験を担当する研究者に影響を与える可能性が指摘され,問題となったのである(ちなみに,メンデルソーンは,空前絶後の企業犯罪の舞台となったエンロン社の監査担当取締役にも就いていたが,企業監査のプロでもないのに安易に「名誉職」に就いた結果が企業犯罪の手助けにつながったと,厳しい批判を受けた)。

問題意識希薄な日本の現状

 「利害の抵触」に関して医学界自らが厳しく身を律しようとしている米国と比較して,残念ながら,日本では「利害の抵触」に対する問題意識は著しく希薄であると言わなければならない。例えば,ある国立大学の教官が,自身が出資,設立した企業をスポンサーとした遺伝子治療臨床治験を,自らが勤める医学部附属病院の患者を対象に行なっている事例だが,「利害の抵触」が問題とされるどころか,逆に,企業を設立してまで「先端医療」を追求する教官はすばらしいと,まるで「美談」のように扱われている始末である。
 さらに,この大学の教授の1人はこのスポンサー企業の出資者に名を連ねているが,臨床治験の実施承認に際して,「組織レベルでの利害の抵触」に対する危険について配慮された形跡はない。この大学は,日本でも有数の研究施設だが,国を代表する研究施設に「組織レベルでの利害の抵触」に対する問題意識がまったく欠落していたとしても,実は,日本では驚くべきことには当たらないのかもしれない。
 なぜなら,現在,株式会社による病院経営を認めよと強く主張している総合規制改革会議を設立した際,その議長・副議長に,医療でのビジネス展開を積極的に推進している株式会社の代表者を据えたことでもわかるように,日本では,利害が抵触する立場にある人々を公政策の立案・実施から遠ざける,本来とるべき姿勢とは正反対に,利害が抵触する立場にある人々を責任ある役職に就けてその利益が追求しやすいよう便宜を図ることが,国のレベルで堂々とまかり通っているのだから……。