医学界新聞

 

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クリニカル・エビデンス  《番外編》

浦島充佳(東京慈恵会医科大学 臨床研究開発室)


前回2522号

新興感染症SARS

21世紀という時代

 20世紀に誰が「世界貿易センターが自爆テロによって倒壊する」と想像したでしょうか? 昨年の今ごろ,誰が「重症急性呼吸器症候群:Severe Acute Respiratory Syndrome: SARS」の緊急事態を予言したでしょうか? しかし冷戦が終結し,国際化が進む21世紀において,「文明の衝突」は必然であると考えた学者はいました。また,そろそろインフルエンザの新しいタイプが出現するかもしれない,と感じていた研究者は少なくなかったでしょう。
 世界人口の約3/4は発展途上国に住んでおり,先進国と発展途上国の経済格差は人々の移動を促進します。現在日本の人口と同じ1億2千万人が母国以外の国で生活し,何百万という人々が新天地を求めて移動しています。そして,移民は感染症を運びます。日本に居ると感じがたいのですが,世界の人々は大きく入り混じりつつあるのです。また,今回のSARS流行にみるように旅行者も感染症を運びます。ある伝染力の強い感染症に対して免疫を持たない人々が暮す大都市に,その感染症が1人の感染者によって持ちこまれるとどうなるでしょうか? 昔ヨーロッパ人がアメリカ大陸に移動した時,戦闘ではなく同時に持ち込まれた天然痘と麻疹によって多くの原住民が命を落とし,その人口は数十分の1にまで減少したといわれています。過去の大きなデザスターを顧みた時,地震や水害よりも感染症の流行による死亡者の数の方がけた違いに多いことに気がつきます。私たちは今感染症の新しい時代にいるのです。

世界感染拡大は1人の旅行者からはじまった

 2002年11月頃より,中国広東省では変な肺炎が流行しつつありました。少なくとも2003年2月11日の時点で305人が同様の肺炎に罹患し,5人が死亡したということでした。2月18日,中国CDCが剖検結果よりクラミジア肺炎が原因であったと宣言したため,本当の恐さがわからないまま被害は拡大していきます。
 2月15日,すでに広東省でSARSを発病していた男性が,2月21日家族と会うため香港のメトロポールホテルに宿泊しました。彼は翌日プリンスオブウェールズ病院に入院し,死亡しています。2月21日の晩,同ホテルに宿泊していた他の10名は,ベトナム,シンガポール,カナダ,アイルランド,アメリカに感染を拡大させてしまったのです。どこで接触があったのでしょうか? エレベーターのボタンでしょうか? 人は無意識のうちに目をこすったり,よだれをこすったりしているものです。その手で握手をして,相手も目をこすればウイルスは感染し得ます。

ベトナムへの飛び火

 この10人の1人であった47歳のビジネスマン(アジア系アメリカ人)はベトナムに立ち寄り,2月26日にSARSを発症,医療従事者を中心として36名に感染を広げました。しかし,ベトナム保健省は患者家族の見舞いを禁止し,診療医師も病院に寝泊りするなどして徹底的な隔離を行ないました。さらに,SARS疑い例に対して発症24時間以内に最近の行動に関して詳細な聞き取り調査を行なっています。
 また,死亡患者名までも含めて徹底的な情報公開に踏み切ったのです。もちろん,海外からベトナムに入る人たちも入念にスクリーニングされます。難しい点は,SARS患者は発症して病院にくるまで,つまり診断される前に周囲の人を感染させてしまう可能性のある点です。このリンクを断ち切らないと,一度国内に根づいてしまった感染症を撲滅できません。そして,感染者の侵入を防ぐことが第一なのは言うまでもなく,初期の対策がその後の成否を分けるといっても過言ではないでしょう。
 4月8日以降ベトナム国内感染例を認めず,4月28日SARS終息宣言が出されました。近代的感染隔離室がなければ,感染拡大を防げないわけではありません。
 しかし,その背後ではCarlo Urbani博士(46歳)の献身的な犠牲があったのです。博士はイタリア人医師でカンボジア,ラオス,ベトナムのパブリックヘルスを改善するWHO専門官で,ハノイに駐在していました。彼のSARSに対する警鐘が発信されたのがきっかけで,世界のサーベイランスシステムが強化され,ベトナムでいち早く終息宣言を出すことができたのです。しかし,博士はバンコクの地でSARSのため永眠しました。

シンガポールへの飛び火

 シンガポールでも,香港帰りの3人の旅行者が流行のきっかけでした。この3人は,3月22日の時点で20人の友人家族,そして21人の医療従事者に感染を広げます。どの国でも似たパターンです。
 これを受けてシンガポール政府は,即日次のようなSARS対策を打ち出しました。
 (1)疑い例,可能性例ともに2つの病院に集める,(2)逆にこの病院ではSARS関連外の新患を救急であっても受けない,(3)慢性疾患の外来受診を制限,(4)ICUを必要とする手術を延期,(5)見舞いの禁止,(6)SARS対応医療スタッフはSARS以外の患者と接触しない,(7)医療スタッフは全員マスク,手袋,ガウン着用。
 それにもかかわらず,3月23日と27日にまたもや,旅行者が香港からSARSを持ち帰るなど,感染拡大の兆しがありました。政府は,彼らの行動をつぶさに開示しています。そして,予防策をWHOの推奨以上に強化したのです。
 (1)空港の防疫強化,(2)患者収容病院の一本化,(3)患者と接触した者の自宅隔離(抜き打ちで連絡をとり遵守していることを確認する),(4)医療スタッフの健康チェック,(5)学校の閉鎖,(6)国民に対する啓蒙,(7)病院前テント設営による発熱患者トリアージ:熱がなければ病院内へ,熱があればテント内でレントゲン撮影を施行し,SARSの疑いが強ければSARS指定病院へ直接搬送する。
 それにもかかわらず,すべての人をコントロールするのは難しいものです。マーケットで働く72歳の男性が,発熱を主訴に近医を受診。その開業医は,ただちにSARSを疑い救急車を呼び,男性とその家族にはマスクをして別の部屋で待つよう指示しました。しかし,ちょっとした隙に,その男性は恐怖のあまりマスクを脱ぎ捨て,マーケットに逃げ込んでしまったのです。似たような事件が続きました。4月22日,ある男性は熱があるにもかかわらず,市場で3日間働き,5つの医療機関を転々としました。その結果,市場は閉鎖となり,2,400人が隔離となったのです。
 この一連の状況を理由に,首相自ら4月23日,法整備を「Dear Fellow Singaporeans and Residents」と題した形でプレス・リリース。翌日にはSARS感染予防のルールに従えない者に対する罰金・禁固刑などが明示されたのです。時系列でみていくと,政府は「問題である」と認識してから,遅くとも5日,早ければ翌日に対応策を打ち出しています。シンガポールには凛としたリーダーシップがあり,国民はリーダーへの絶大な信頼をよせているのがわかります。その結果,SARSは終息傾向にあります。
 ワクチンなどのない現状で私たちにできることは,感染拡大を阻止することです。何も対策を講じなければ,平均1人のSARS患者が2人にうつすとします。対策を講じて2人を1人未満に減らせば,感染拡大は終息に向かうはずです。隔離の期間は10日間が原則です。国はむやみに海外にSARS対策として投資するよりは,隔離者や可能性例のでた宿泊施設,旅行会社,医療従事者などに十分な補償をするべきです。生活や経営が苦しければ,SARSのリスクを否定しきれなくても仕事を優先してしまうでしょう。逆に患者側の心理としては,SARSと診断されるのが恐くて医療機関を受診しないかもしれません。
 SARS流行地域の医療従事者も,命をはって仕事をしても,何の見返りもないのが現状です。ですから感染者の早期隔離が重要ですが,経済補償を含めた人権尊重で裏打ちされたものでなくてはなりません。

カナダ・トロントへの飛び火

 カナダ・トロントの初期感染拡大に関しても詳細に報告されています(N Engl J Med 2003; April 18)。香港出身トロント在住のある大家族の夫婦は,旧正月のため2月の13日から2月の23日まで香港の親戚宅に滞在していました。
 しかし,2月18日から2月21日までメトロポールホテルに宿泊していたのです。中国からのSARS患者が,2月21日にこのホテルに宿泊しており,この日に何らかの感染経路でうつってしまったのです。その日,夫婦はほとんど息子宅で過ごしたため,ホテルに滞在したのは夜だけでした。そして,2月23日にトロントのアパートに帰国しました。ホテルにどのような感染経路があったのかはいまだに不明です。
 2日後,妻(78歳,糖尿病と冠動脈疾患あり)が発病,3日後近医を受診し,咽頭発赤程度の所見しか認められず,経口抗生剤を処方されて帰宅となっています(患者(1))。2日して咳の回数が増え,呼吸困難もひどくなり,翌日彼女は自宅で死去しました。最初は風邪と区別がつきにくいのですが,ある日ある時より突然状態が悪化するようです。彼女は夫に加え,息子2人,義理の娘1人,5か月の孫と一緒に暮らしていました。息子の1人が2月27日に発病(患者(2):43歳男性),5日後解熱はしたのですが,咳の回数は増え,胸痛,呼吸困難なども加わっていたため,病院を受診。その時点で酸素飽和度が82%にまで低下。最初は通常の肺炎として入院し,抗生剤の投与を受けていましたが,結核かもしれないとの判断により,接触に関しては注意するようになっていました。この時,残りの家族(大人5人,子ども3人)も検査を受けています。祖父と子ども3人は症状もなく,レントゲン写真も正常でした。
 他の大人3人はみな熱,咳,呼吸困難を呈していましたが,胸部レントゲン写真に影を認めるところまでは悪化しませんでした。この3人は疑い例にあたるわけですが,実際のところSARSの可能性はきわめて高いと言えます。このような疑い例がどの程度感染力をもつかは不明ですが,SARS疑い例の対応については日本国内で発生した時のことを想定して事前に検討する余地があります。
 しかし,患者(2)の病態は悪化し3月15日に死去。患者(2)とその妻の様態を診察した37歳の女性医師は,3月9日にSARSを発症し内科病棟に入院,リバビリンなどの投与を受けて退院となっています。患者(8)は非アジア系移民の76歳男性で,糖尿病,冠動脈疾患,高血圧を持ち,心房細動のため急患室を受診中でした。患者(8)はこの急患室で,患者(2)とカーテンで1-2メートルの空間を境に一晩隣り合わせてしまったのでした。患者(8)は一端帰宅したものの,今度はSARSの症状で再入院し3月21日死去。
 最近,日本を旅行した台湾人医師が台湾でSARSを発症し問題となりました。彼が台湾で当直をしていた際,急患室で診察した患者さんの隣にSARS患者さんがいたのです。そのため,台湾側の認識は「この医師はSARS患者と接触していない」でした。しかし,カナダの例でも,後で述べる香港の例でも,急患室で直接接触なしに感染している場合があることを十分認識するべきです。つまり,一端SARS患者が流行の兆しを示し始めたら,SARS患者の流れと非SARS患者の流れを空間および人ともに分離する必要があるのです。
 患者(9)は62歳の非アジア系移民でした。彼は3月上旬東南アジアを旅行し,3月14日にトロントに帰国しています。そして,SARS可能性例として治療を受けました。患者(10)はバンクーバーに住んでいる健康な55歳男性で,妻と2月20日より3月6日までバリ,香港を旅行していました。そして,2月20日から24日まで例の香港のホテルに宿泊してしまったのでした。

その後の香港

 その頃,香港でも医療機関を中心にSARS患者が多発しました(N Engl J Med 2003; April 18)。中国南部に勤務する腎臓専門医(64歳男性)は,2月16日頃より症状があったにもかかわらず,2月21日香港の義兄を訪ね旅行に来たのです。当日,約10時間も街を買い物して回るほど元気はあったのですが,翌日には呼吸不全のため病院のICUに収容され,3月5日には死亡しています。SARSは急に症状が悪化する傾向にあるようです。
 そして,一緒に買い物をした義兄も2月24日に発病し,3月20日に死亡。この患者をICUで6時間看護した56歳女性は,2日後発症しましたが生存。一方,3番目の患者は,1番目の患者の運び込まれた病院看護師(56歳)でした。彼女は1番目の患者が2月22日,急患室に運ばれた際に同じ急患室に居たという接点はあったものの,直接看護を施してはいませんでしたし,外科用マスクを着用していました。でも,患者(1)の粘液のついた何かを素手で触っていたかもしれません。2日半程で発病しましたが,幸いにも回復。4番目の患者(72歳男性)は,1番目の患者と同じホテルに滞在したことが唯一の接点でした。彼は中国系カナダ人でしたが,旧正月で実家に帰省していたのです。約1週間後に発病し回復していますが,患者(1)にどこかで会ったか覚えていませんでした。この4番目の患者は,一般病院に6日間入院して肺炎の治療を受けます。その際,ひどい下痢を伴っており,便の処理にあたった3人の看護師(38歳,47歳,54歳)が発病しています。さらに,患者(4)を見舞いにきた甥(50歳),患者(4)と同室だった腎癌患者(56歳男性,患者10)にSARSをうつしています。この部屋は6人部屋で,患者(4)と患者(10)の間には空きベッドが1つありました。
 この10名の報告を受けて,WHOは3月15日,事態の重大かつ緊急性からWHOは本病態を「Severe Acute Respiratory Syndrome(SARS)」と命名し,世界に注意を呼びかけたのです。本当は少なくとも3月1日の時点で,北京最初のSARS患者が市内病院に入院。SARSの原因が,新種のコロナウイルスであることが判明する4月15日の時点で,SARS患者が北京市内の病院,軍関係の病院にあふれ返っていたにもかかわらず,中国当局は情報を開示しませんでした。また,WHOの調査・介入も拒み続けてしまったのです。このことが,SARSを国内だけではなく世界に広げてしまう根源となったのは明らかです。
 今回のSARS感染拡大から学ぶべき点は,国の対応が結果の大きな違いを生んだ点です。はたして,日本はどうでしょうか?
 幸い,日本でSARS感染の確認されたものはいません(5月20日現在)。しかし,過去からめんめんと繰り返されてきたこの疫病の伝播は,人の流れの国境がなくなった今,迅速かつ強力な国家レベルの施策によってしか,食い止めることはできないのです。

香港・淘大花園(Amoy Gardens)にみるSARS集団発生

 WHOがSARS緊急事態を告げる中,香港の高層団地においてSARSの集団発生がありました。
 3月14日に既にSARSを発症していた33歳男性は,香港の九龍湾の牛頭角道にある高層住宅「淘大花園(Amoy Gardens)」E棟の兄弟宅を訪ねました。この高層住宅には15,000人以上の人々が暮らし,19の建物によって構成されていました。いわゆる巨大団地です。特にE棟での被害が著しく,淘大花園全体におけるSARS入院患者数が213人であったのに対してE棟からは107人(47%)の感染者発生が集中していました。さらに,E棟の両隣のD棟,F棟にも被害が及んでいます。この話だけ聞くと,SARSは接触感染というよりは空気感染なのではないかと思ってしまうかもしれません。
 しかし,住民を10日間他の宿泊施設に移動させている間調査した結果によると,各フロア同一位置にある部屋をつなぐ下水管に問題が検知されたのです。1つはバスルーム掃除を,水を使用せずに掃除するためU字管水トラップに水貯留がなく,他の部屋の下水のしぶきなどが,他の部屋に逆流・侵入した可能性が指摘されました。そのため,バスルームに臭いにおいが立ち込めることも多かったようでした。また,バスルームの換気口は外部に開通,さらにE棟4階の下水管内パイプに割れ目が見つかっていました。
 また,SARSウイルスはネズミの糞やゴキブリからも発見されています。SARSでは呼吸器症状だけではなく,しばしば下痢を伴います。そして,このようにSARS感染拡大の事例を検討していくと,下痢のある患者がしばしば感染を拡大しているようにも見えます。SARSウイルスは,ドアのノブやテーブルなどで少なくとも24時間,感染者の排泄物中に4日間生存するという検査結果が出ています。このことは,直接接触がなくても,感染が蔓延する可能性を示しています。人は知らず知らずのうちに口を拭ったり,目をこすったりしています。ウイルスが付着した手でこれをすれば,感染する危険が高まるわけです。
 ただ,どれくらいのウイルス量が体内に入ると,感染症として発症するかまではわかっていません。また,SARSウイルスは下痢患者の便中で4日以上ですが,健常人の便中では6時間,乳児では3時間とされています。その差は酸からくるのかもしれません。今,熱,酸,アルコールなど,何がSARSウイルス抹消に効果的か検討されています。さらに,SARSウイルスは37度で不活化されていきますが,4度など低い温度では長く生存するといった結果も報告されています。よって,夏に近づけば終息の兆しがみえるかもしれません。しかし,シンガポールは冬とはいえ,寒くはありません。「インフルエンザと同期して,SARSが流行したら?」と考えると,かりにSARSが終息傾向にあっても,今から用意周到に準備をすすめていかなくてはなりません。

香港医療機関で感染拡大

 このアウトブレークは,後に香港の病院を中心に感染が拡大し,2月26日から3月26日までの間に50人がSARSを発症しています(Lancet 2003; 361:1319)。全員中国人で,平均年齢42歳(23-74歳),女性1に対して男性1.3,症状を呈してから平均5日で入院していました。28%が医療従事者,10%はSARS患者の多く入院する病院に見舞いに行っており,26%は家族からの感染,24%は医療活動や家族以外の社会的接触,8%は最近中国を旅行しているものたちでした。熱や息切れはほとんどの,咳や筋肉痛を半数以上の患者に認めました。
 一方,鼻炎症状は4人に1人,咽頭痛は5人に1人と,単純な風邪とは様相を異にしていました。胸部レントゲン写真の所見の割には症状が軽い傾向にありました。また,高齢者,血液検査でリンパ球減少を認めるものは予後不良例が多く,さらに肝機能障害の所見にも注意するべきです。
 実際この調査を受けて,彼らのSARS診療指針の中に血液検査も盛り込まれています(http://image.thelancet.com/extras/03cmt89web.pdf)。
 さらに注目するべき点は,50名中死亡が1名だけであった点です。大量ステロイドとリバビリンが,49名の患者に7日間使われています。リバビリンは,乳児に細気管支炎を起こすRSウイルスや,C型肝炎に有効性が報告されている抗ウイルス薬です。一方,ステロイドは肺の炎症を緩和するのに有効かもしれません。もちろん,この治療がどの程度有効であるかを判定するためには,臨床試験というきちんとしたプロセスを経なくてはなりません。

SARSの7不思議

 SARSに関していろいろなことがわかってきました。その反面,わからない部分も多いのです。
 I:SARS感染の予後に関して,もう1つ注目するべき点は年齢です。小児発症例はきわめて少なく,高齢者でSARSが発症するとその予後が悪いのが特徴です。疾患によっては,年齢が高いほど重症になるウイルス性疾患があります。しかし,これほど顕著なのもめずらしいように思います。麻疹は成人で重症ですが,乳幼児でもしばしば重症化します。通常では小児期に罹患して免疫を持つ(あるいはワクチン)ので,成人期の罹患は皆無だとします。そうであれば,大きな問題にはなりません。
 ただ,今回のSARSは新興感染症であり,誰も免疫を持っていません。そのため,年配者に多くの死亡がでるのかもしれません。もしも,世界中の人々がSARSに感染し,生存者はSARSに対する免疫を獲得したとします。罹るとしたら,新たに生まれてきた子どもたちです。小さな子どもが目立った症状を示さないとすれば,いつしかSARSも一般のコロナウイルス同様風邪程度ですむ病気になるかもしれません。
 II:SARSの遺伝子配列が解読されました。このことはワクチン開発に有力な武器になります。SARS感染者では回復期ペア血清で抗体価の上昇をみるため,ワクチン効果は十分期待できます。
 教科書的には,第I相,第II相臨床試験の後,ランダム化二重盲検臨床試験を行なうのが筋ですが,臨床試験は患者発生地域でないと効果をみることができず,パニックを起こしているような地で,はたして臨床試験を行なうことができるかどうか…?
 III:被害が中国に集中している点も不思議です。マレーシアにニパ脳炎,香港の人に感染する鳥型インフルエンザなど,家畜と人の接点が新興感染症の発生源になり得ます。その点でこのSARSが,人畜一体で生活する中国広東省から始まったとしても何ら不思議はありません。しかし,感染拡大が中国と特に強いリンクのある地域に限られている点が不思議です。
 IV:パニックはどのような状況で発生しますか? 日航機がオスタカ山に墜落する時,機内はパニックにはならずに平穏であったと言われています。一方,マレーシアのニパ脳炎,香港の鳥型インフルエンザの際,多くの豚や鳥が焼き払われました。
 目に見えない恐怖,未知なる微生物,高い死亡率,「何か努力すれば助かるかもしれない,その場から逃げ出したい」,そう思った時,人々はパニックに陥るのかもしれません。情報操作はかえって人々に疑心暗鬼の気持ちを植えつけます。リスクをアセスメント,マネジメント,そしてコミュニケーションすることが必要です。
 V:隔離は人権無視につながるでしょうか? もちろん,SARSと関係のない人が,SARS感染病棟に入院させられるようなことがあっては問題です。しかし,10日間という自宅隔離であれば,感染拡大というリスクと対比すれば,十分耐えられる範囲ではないでしょうか?
 ただ,先にも述べた通り,みなが遵守して効果がでる措置なので,隔離の際に人として尊重されることと,経済補償に裏打ちされた法的制約が必要かもしれません。
 VI:SARSを撲滅することはできるでしょうか? かりにSARSが人にしか感染しないウイルスだとしたら,撲滅できます。天然痘は確かに致死率30%であり,強力な感染力をもつ恐ろしい感染症でした。しかし,人にしか感染しない,症状が出てから感染するという弱点を持っていました。つまり,十分な隔離措置と接触者にワクチンを接種することにより撲滅できたのです。一方,症状が顕著でないのに周囲に感染させたり,症状がでる前から周囲に病原微生物をばらまきだしたりする感染症において感染拡大を阻止することは困難です。
 VII:一般に向けては「SARSは症状のない状態では感染しない」と報道されていますが,本当なのでしょうか? 症状を発する前から感染するか,不顕性感染はあるのか,といった疑問はいまだ十分検討されていないように思います。
 しかし,疑い例の段階で十分な隔離を行なえば流行を終息できることがいくつかの国によって示されました。このことは,運良くSARS患者の発生をみていない日本にとって,将来に備えて学ぶべき教訓なのではないでしょうか?
 今,国の力量が問われています。