医学界新聞

 

連載(3)

    新医学教育学入門

教育者中心から  
学習者中心へ
  

教育とは何か

  
大西弘高(佐賀医科大学 総合診療部)


2531号よりつづく

A先生の嘆き

 まず,ある教官,A先生の嘆きに耳を傾けてみましょう。「せっかく準備して講義したのに,学生の大半は寝ていて全然理解しようともしていない。これだったら,講義の準備時間を次の学会のまとめに使ったらよかった」。この教官の気持ちを知っているのだろうかと思いながら,一方,学生にも意見を聞いてみると,「A先生の講義は声も小さくて,それにプリントも何かごちゃごちゃしていて見にくいし,内容を見てもあまりパッとしないし,出席を取らないんだったら絶対休んだのに」。これでは,どっちもどっちという感じですね。本人の談によると,A先生は学生時代に非常に真面目で,講義も一番前でノートを欠かさずとっていたそうです。「近頃の学生は学ぼうという姿勢が足りない」とこぼしておられました。

学生に人気のB先生

 一方,B先生の講義は学生に人気があります。「授業がおもしろい」「わかりやすい」との声が聞かれました。B先生は,学生時代は運動部のクラブ活動に忙しく,講義にも出席の最低限程度しか出ず,留年ギリギリで試験に通ることが多かったそうです。B先生の講義に対する考えは,「とにかく学生を盛り上げて,寝かせないこと。内容は,学会講演とは違うので,一言一句間違わないということよりは,学生に肝腎な考え方を理解してもらえさえすればいいかな」ということでした。

A先生とB先生の教育効果

 ここで,A先生とB先生の教育効果について比較を試みることにしましょう。両方の先生の講義に出席した50名の学生に,(1)授業に集中できていたか,(2)授業内容が把握できたかについて1-5の5段階で評価してもらいました。すると,A先生の評価は(1),(2)の平均がそれぞれ2.5,2.5,B先生は3.8,3.0でした。学生全体に対する教育介入の効果に関してはB先生に軍配が上がったようです。
 さて,A先生の講義の問題点を打開するためには,A先生自身が変わるべきでしょうか。それとも,学生が変わるべきでしょうか。私は,A先生が変わらなければならない,あるいはこの先生に講義をしてもらうように決めた教務委員会などが改善のために取り組まなければならないと考えます。教育効果の調査結果から判断して,A先生とB先生の講義に対する学生たちの反応は納得できるものだからです。A先生とB先生は性格や考え方が違うと捉えることもできますが,B先生のほうが時代背景や学生の感性の変化についていっているのかもしれません。また,B先生は学生にとってもっとも肝腎な点だけをきちんと理解させようと努めており,クラス全体への授業の効果という視点を持っているようにも見えます。
 一番重要なのは,授業の内容がよかったとしても,個々の学生が学習しなければその教育介入はあまり効果,影響力がないということです。学生はノートをとっているので,授業中に理解していなくても,テスト前にノートを見返して勉強するだろうという考え方もあるかもしれません。しかし,急に覚えたことはあっという間に記憶から消え去ってしまいがちです。もっとも重要なのは,その学生が将来医師として活躍する時に役に立つ考え方や知識,技能を身に付けたかどうかだと思います。

学習と教育

 学習とは,「情報や経験を通じて知識,技能などを獲得しようとする活動」です。一方,教育とは「能力を持った人が,学習しようとする立場の人にその内容を引き継ぎ,さらに発展させるための力を育てようとする活動」と言えます。教育がないところにおいても学習がなされることはあり得ますが,学習を重ねてより深い理解に至った師の導きがあれば学習はより効率的になるでしょうし,師の理解度を超えた領域に達することもより簡単になるでしょう。
 教育者にとって重要なのは,学習者を動機づけること,そして成長を温かく見守ることだと思われます。よく,「教育者はほめるべきだ」という議論も聞かれますが,学習者との間に信頼感が生まれてくれば,ほめるべきか叱るべきかについては,どちらが動機づけや長期的成長という意味で得策かを考えることによってケース・バイ・ケースと言えるかもしれません。
 ところが,教育者には陥りやすい落とし穴があります。1つは,自分が誰かに教わり,学んでいた時に抱いていた教師への苛立ちや不満を,自分が教える立場になったときには忘れがちであることです。上で述べたA先生がいくら真面目な人だったとしても「この授業はおもしろくない」と思っていた授業があったはずなのですが,教員として大学に残ってきた過程でそういうネガティブな記憶は消えてしまったか,自らの授業については客観的な評価ができていない可能性があります。もう1つは,自分が教わり,学んでいたときの姿を,すべての学生に重ねてしまうことです。A先生は,すべての学生に教室のなるべく前で授業を受けてほしいと思っていますし,要領よく勉強するという価値観は認めたくない可能性が高いでしょう。
 以前は,「大学は学生が自主的に学ぶところなんだから,教えるための工夫は不必要」という価値観が根付いていたかもしれません。しかし,国や自治体がA先生とB先生のいずれに多額の教育補助金を出すべきかという観点からは,「学生によりよく学習してもらうための方法論」が重視されるべきでしょう。
 次週は,この方法論の中で「動機づけ」について述べたいと思います。