第2529号 2003年3月31日


〔連載〕続 アメリカ医療の光と影 第15回

Conflict of Interest(利害の抵触)(1)
ボランティアの死

李 啓充 医師/作家(在ボストン)


(前回2526号

先天性疾患を持つジェシー

 ジェシー・ジェルシンガーは先天性代謝異常オルニチントランスカルバミラーゼ欠損症(OTCD)の患者だった。OTCDは,遺伝性の尿素サイクル異常症の中では最も頻度が高く,米国では4万人に1人の頻度で起こるとされている。X染色体劣性遺伝で,患児の大部分は男児である。通常,出生直後に高アンモニア血症を呈し,患者の半数は生後1か月内に死亡する。出生直後の高アンモニア血症を生き延び,その後,食餌・薬物治療を続けたとしても,精神遅滞などの障害を残す頻度が高いとされている。ジェシーのOTCDは幸い病型が軽く,食餌・薬物療法のおかげで,彼は正常な発育をとげた。
 思春期の少年が束縛を嫌うのは発育過程としてはきわめて正常なことだが,17歳になったジェシーも例外ではなかった。毎日32錠の薬を服用しなければならないなど,厳格な食餌・薬物療法を続けることはジェシーにとって「うっとうしい」ことだった。治療を「さぼった」ことがたたって重症の高アンモニア血症を起こしたジェシーは,17歳のクリスマスを病院で過ごすことになった。

遺伝子治療の臨床試験

 高アンモニア血症から回復したジェシーが大きな関心を寄せたのがOTCDの遺伝子治療だった。きっかけは,ペンシルバニア大学医学部小児科(当時)のマーク・バトショー教授が患者団体のホームページに寄稿した記事を読んだことだった。バトショーは,食餌・薬物治療の開発に貢献するなど,OTCDの権威の1人である。ジェシーが正常に育つことができたのも,バトショーらがOTCDの食餌・薬物療法を進歩させてきたからだと言ってよい。バトショーが寄稿した記事の内容は,ペンシルバニア大学ヒト遺伝子治療研究所が行なっていたOTCD遺伝子治療の臨床試験について紹介し,第一相試験の被験者となるボランティアを募るものだった。
 バトショーはOTCDの遺伝子治療治験を次のように説明した。
 「OTCDはオルニチン・トランスカルバミラーゼ(OTC)という肝臓の酵素の遺伝子に異常があることが原因だ。だから,もし,OTCDの患者の肝臓で正常なOTC遺伝子が永久に働くようにできたとしたら,それは,この病気を治すことに他ならない。外から入れた遺伝子を永久に働かせることは難しいが,正常なOTC遺伝子を一時的にでも働かせることができたならば,患者は命に関わる高アンモニア血症のエピソードを生き延びることが可能になる。この病気で生まれてきた赤ん坊の半分が高アンモニア血症のせいで生後1か月以内で亡くなってしまうが,遺伝子治療を行なうことでそういった赤ん坊が死なずにすむようにできるかもしれない。ペンシルバニア大学では正常のOTC遺伝子をアデノウイルスという風邪のウイルスに組み込み,患者の肝臓で一時的に働かせる方法を研究しているが,この方法を赤ん坊の治療に使う前に,大人で安全性を確認する必要がある。ついては,安全性の確認試験にボランティアとして協力してくれる患者を募集している。ボランティアが集まって安全性確認試験が早く終われば,赤ん坊の治療も早く始めることができる」と。

治験ボランティアへの志願

 ジェシーは,「自分と同じ病気を持って生まれる赤ん坊の命を助ける」という考えに魅了された。ペンシルバニア大学の治験に参加したとしても,自分の病気の改善にはまったく役立たないことは理解していた。しかし,自分や家族を苦しめてきた病気に対して一矢報いたかったのだった。家族に相談すると,父親は「すばらしいことだ」と大賛成してくれた。父親の強い支持を受けたジェシーは,ボランティアとなることをペンシルバニア大学に申し出たが,「プロトコールは,18歳未満の患者は被験者としないと決めている」と断られてしまった。
 18歳の誕生日に,ジェシーは,治験参加の手続きを行なうために,アリゾナからペンシルバニア大学があるフィラデルフィアを訪れた。臨床試験の被験者となるためには「健康」でなければならず,血中アンモニア濃度が高い患者は治験に参加できないと言われ心配したが,その日測定された血中アンモニア検査は正常で,ジェシーは晴れて被験者となることが認められた。
 自宅に戻ったジェシーは高校を卒業,ペンシルバニア大学からの連絡を待った。「自分と同じ病気を持つ赤ん坊たちの命を救うことに貢献できる」と胸を躍らせたジェシーが再度フィラデルフィアを訪れたのは,最初の訪問から4か月後のことだった。

ジェシーを襲った悲劇

 1999年9月12日,肝動脈に入れられたカテーテルから,OTC遺伝子を組み込んだアデノウイルスがジェシーに投与された。4時間後に高熱が出現したのが始まりとなり,ジェシーの状態は急激に悪化した。翌日には,呼吸不全となり意識状態も低下した。治験に参加した健常ボランティアを死なせるようなことがあってはならないと,医師たちはジェシーを救うために,ありとあらゆる手だてを尽くした(最後には人工心肺による体外循環も行なわれた)。しかしその甲斐もなく,アデノウイルス投与4日後の9月17日,ジェシーは,多臓器不全により,その短い生涯を閉じた。