「ヒトの設計図」の概要版が完成
――医療・医学,創薬への応用が現実化ヘ
1980年代からさまざまに検討が重ねられ,1991年に発足した「国際ヒトゲノム計画」の概要版が,6か国(米・英・日・仏・独・中)による国際協力のもと,ついに完成した。この偉業を成し遂げたのは,1996年に結成された国際共同チーム「国際ヒトゲノムシーケンス決定コンソーシアム(以下,国際コンソーシアム)」と米国の企業「セレラ・ゲノミックス社(以下,セレラ社)」。前者は2月15日に「nature」誌に,後者は2月16日に「science」誌にこの成果を発表した(本紙9面参照)。
全ゲノムの約90%を解析
国際コンソーシアムは,ヒトゲノム約32億の約90%にあたる27億2450万塩基を解析し,その精度は,99.99%と高精度である。これは「階層的ショットガン法」で解析した結果で,全体の0.6%のゲノム上の位置が不確定であるという。一方,セレラ社は解析手法に「全ゲノムショットガン法」を用い,26億5400万塩基を平均精度99.96%で解析。そのうち8.7%のゲノム上の位置が特定されず,ギャップも多い。同社は,ゲノム情報の条件つきでの公開を発表しており,条件を満たさない場合は有料でゲノム情報を販売する。すでに日本の大手製薬会社との契約が成立したとされ,ヒトゲノムの解析が産業社会に与えるインパクトも大きい。
これに対し,国際コンソーシアムは「ヒトゲノム情報は人類の共有財産であり,誰もが自由に入手できるべきだ(「nature」David Swinbanks氏)」というスタンスから,すべての論文を無料で公開する。日本独自のデータベースとして,理化学研究所ゲノム科学総合研究センター(GSC)と東京大学のヒトゲノム解析センター共同運営の「HGREP:Human Genome Reconstruction Project」および,国立遺伝学研究所の「日本DNAバンク(DDBJ:DNA Date Bank of Japan)」もウェブ上で公開している(URLは文末を参照)。
ヒトの遺伝子数は約3万個
解析結果から,ヒトの遺伝子の総数は,3万-4万個と予測された。ショウジョウバエの約2倍程度の数にもかかわらず,ヒトが複雑な生物体である理由として,榊佳之氏(GSC)は,「遺伝子の多さではなく,慎重にタイミングを計って実施される遺伝子発現,遺伝子産物の処理,そしてタンパク質の修飾が複雑に組み合わされた結果である可能性が高い」と解説。スプライシングやタンパクのプロセッシング,修飾など,限られた遺伝子から多様の機能を生み出すプロセスの重要性がクローズアップされた。また,ヒトゲノムの45-50%が,繰り返し配列であることが明らかにされ,他種と比較して極端に多いことから,進化の過程でこれらが重要な意義を果たしているのではないかと示唆。さらに,発見された遺伝子のうち特筆すべきものとして,223個のヒト遺伝子が細菌由来のものである可能性があげられ,「脊椎動物に感染した細菌の遺伝子をとりこんで,うまく利用しているのでは」と清水信義氏(慶大)は予測する。細菌から取得した遺伝子は,神経伝達物質の代謝に関与している酵素などをコードしているという。
医学・医療,創薬へのインパクト
コメンテータとして会見に列席した大石道夫氏((財)かずさDNA研)は,今回のプロジェクトが社会に与えるインパクトとして,(1)「人間とは何か」を知る第1歩,(2)ゲノム情報を蓄積することによる新しい研究の方法論の創出,(3)国際協力のもと,人類に寄与する大きなプロジェクトに挑むという,新しいサイエンスの研究システムのモデルができたこと,などをあげた。その上で,今回の論文でもっとも注目されることとして,医学・医療や創薬への応用の現実化をあげた。今回の解析から,約140万個のSNPが発見された他,30以上の疾患原因遺伝子が同定された(表)。清水氏は,「疾患原因遺伝子は毎週のように発見されている。メンデル式単一遺伝型の疾患原因遺伝子は,今後3年のうちに5000個近く発見される可能性があり,これらを踏まえたオーダーメイド医療や高度な遺伝子治療が10-20年後には可能になるかもしれない」と展望を述べた。
ヒトゲノム計画は終わっていない
セレラ社が一様のヒトゲノムシーケンスは終わったとし,解析作業にピリオドを打つ一方で,国際コンソーシアムの会見の出席者は口を揃えて,「ヒトゲノム計画はまだ終わっていない」と主張する。「今回の結果はあくまで概要版。将来の基盤情報としてはまだ不十分。コンピュータによる予測解析だけでは見つからない小さな遺伝子がある可能性があるし,遺伝子を発見するだけでなく,その機能や具体的な発見が必要である。また,その推進にあたっては,生命倫理を含めて地球人類のすべての民族・国民に恩恵をもたらすべく配慮するなどの検討も必要」(清水氏)。これを踏まえて,国際コンソーシアムは2003年春をめどに全ヒトゲノムの完全解析をめざす。マウスやフグゲノム,完全長のcDNAのデータなどを加え,遺伝子とたんぱく質のすべてもリスト化する予定。日本チームは,データ生産量では全体の5-6%と米・英につぐ3位だったが,全解読を終了した第21番・22番染色体の解析など,質的に高い貢献をした。現在,第11番・18番染色体の完全解読に着手している。榊氏は「今やらなければ誰もやらない。未来の人類への責任である」と意気込みを表した。今回の成果の上に立って,ヒトゲノム解析は一段と加速し,深まりを増すものと見込まれ,今後の医療・医学,創薬のあり方を一変させる可能性を秘めている。
◆ヒトゲノムドラフトシーケンスのデータが 閲覧できるウェブサイト
・Nature=http://www.nature.com ・Nature Japan=http://www.naturejpn.com ・HGREP=http://hgrep.ims.u-tokyo.ac.jp ・DDBJ=http://www.ddbj.nig.ac.jp |
表:ヒトゲノムシーケンスを使ってポジショナルクローニングされた疾患原因遺伝子 (「nature」2月15日号「表26」より) | ||||
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