漢方水先案内
医学の東へ

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臨床の海で「シケ」に巻き込まれたら教科書を見ればよい。では原因がはっきりせず、成果もあがらない「ベタなぎ漂流」に追い込まれたら? 最先端の臨床医がたどり着いたのは、《漢方》というキュアとケアの合流地点だった。病気の原因は様々でも、それに対抗する生体パターンは決まっている。ならば、生体をアシストするという方法があるじゃないか! どんなときでも「アクションが起こせる」医療者になるための知的ガイド。

*「ケアをひらく」は株式会社医学書院の登録商標です。
シリーズ シリーズ ケアをひらく
津田 篤太郎
発行 2015年02月判型:A5頁:238
ISBN 978-4-260-02124-1
定価 2,200円 (本体2,000円+税)

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●『シリーズ ケアをひらく』が第73回毎日出版文化賞(企画部門)受賞!
第73回毎日出版文化賞(主催:毎日新聞社)が2019年11月3日に発表となり、『シリーズ ケアをひらく』が「企画部門」に選出されました。同賞は1947年に創設され、毎年優れた著作物や出版活動を顕彰するもので、「文学・芸術部門」「人文・社会部門」「自然科学部門」「企画部門」の4部門ごとに選出されます。同賞の詳細情報はこちら(毎日新聞社ウェブサイトへ)

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はじめに  -海図のない旅

 近代内科学のパイオニアであるウィリアム・オスラー(一八四九-一九一九)に、「患者を診ずに本だけで勉強するのは航海に出ないに等しいが、本を読まずに医学を学ぼうというのは、海図を持たずに航海するようなものだ」という有名な一節があります。

 要は、「医師諸君よ、教科書を読め!」ということなのですが、私のようなナマケモノはついつい教科書を読むのをサボってしまいます。なぜサボってしまうかというと、時間がない、面倒だということもありますが、その手間をかけて読んでみたところで、自分が抱えている疑問に答えてくれなかったり、役に立たないことばかりであった、という経験をしばしばしてきたからです。

 私の研修医時代の同級生に、英語の教科書をバリバリ読み込んで、自信に満ちあふれているとびきり優秀な人がいました。彼が心房細動の患者を受け持ったときのことです。心房細動では心臓の中に血液の固まりができやすいので、血液が固まらないようにする薬剤(ワーファリン)を使うことになりました。洋書仕込みの知識をバックに、彼は自信たっぷりにワーファリンを5mg処方しました。そのあと大変なことが起こりました。

 三日後の採血で、血液の固まりにくさを表す指標(プロトロンビン時間)が、振り切れてしまうほど延長したのです。彼は指導医たちにこっぴどく叱られました。実は日本人は欧米人に比べ血液の固まりにくい体質の人が多いため、ワーファリンを初めて投与するときは1~2mg程度で慎重に経過を見るのが指導医たちの“常識”だったのです。

 「自分は悪くない。教科書どおりに投与したのだ。日本人と欧米人でそんなに薬の効きめが違うなんてふつうは知らないだろう!」と彼は自己弁護していましたが……。

 ここまで教科書が役立たないというか裏切られる例は少ないでしょうが、私は彼の失敗を教訓に、なるたけ慎重に振る舞うようにしました。「教科書に載っていたから間違いない」と決めてかかって行動するより、「教科書も想定していないようなことがあるかもしれない」とオドオドするほうがよいときもあるのです。こういう教訓は意外と臨床で役立ち、何度も救われたことがありますが、こういうことこそ教科書には載っていなかったりします。

 オスラー先生が海図にたとえた教科書には、現在明らかに動いている「事態」(しかも、しばしば患者にとって不幸なこと)についての記述が多く、長いあいだ安定していて動きのない「状態」についての記述はあまりありません。教科書に載っている事態はいつも明確な特徴を持っています。さらに「そんなときはこうする」という正しい対応法が示されています。たとえば咳や痰、発熱などの症状がどんどん悪化していくとき、臨床家は教科書にしたがって種々の検査を行って肺炎球菌の感染であることを知り、「ペニシリンが有効」という記載が役に立つわけです。

 しかし、症状があっても明確に原因やメカニズムが把握できないとき、症状が悪くなっているのか良くなっているのかも分からず、動いていいのかジッとしていたほうがいいのかさえ分からないとき、あるいは教科書に書いてある解決策が副作用や何らかの事情で適用できないとき、私たちは海図の役立たない領域に投げ出され、暗い水面を漂流しはじめることになります。

 私は大洋を漂流したことはないのですが、そういう経験をした人によれば、シケよりも凪〈なぎ〉が続くほうが精神的に追い込まれるといいます。

 臨床のシケに巻き込まれると、時間の経過とともに事態はどんどん動いていきます。これまでにないような症例に出会い、予想もしなかったような展開をみせるので、ついていくのは大変ですが、それによって新しい知見を手に入れるなどエキサティングな体験であるともいえるでしょう。

 逆に、命が危険にさらされるようなことはないけれども、原因がはっきりしない症状に長年苦しめられ生活に支障をきたしている、そしていろいろ治療を試しているけれども成果があがらないときは、患者も医者もベタ凪が長く続いている漂流者の気分を味わうことになります。教科書を開いてみても、そこにあるのはシケのような「事態」の記述ばかりで、凪のような「状態」の記述はありません。

 私のように慢性疾患を専門に選ぶと、こういうベタ凪漂流の中で必死に島影を探すような思いをすることは日常茶飯事です(しかも、突然シケて難破することもあり……)。そして、モチベーションを長いあいだ維持することに苦労している人も少なくないでしょう。

 さて、上に掲げたのは大航海時代の海図です(本サイトでは省略)

 こういった海図は、オスラー先生が念頭に置いているものとは、その目的も描かれ方も大きく異なっていると思われます。

 綿密な測量にもとづいて作成されたオスラー先生の海図は、出港してから何日目に海峡を通り過ぎ、次の日に島影が見え、さらに三日後には岩礁に気をつけなければならないといった情報が盛り込まれているはずです。つまり、疾患の診断治療という航路の中で起きる出来事や想定されるリスクが、豊富なデータによって裏付けられている教科書が医療者を導いてくれるわけです。

 他方、この大航海時代の海図は、今よりずっと性能の悪い羅針盤や望遠鏡で、精密な測量もなしに、船乗りたちの断片的な観察をつなぎ合わせて作成されたものであろうと想像します。

 コロンブスたちの航海はたび重なるシケではなく、大西洋の西の果てには大きな悪魔が口を開けて待っていると信じる乗組員たちの反乱で最大の危機を迎えました。目的地がはっきりしないときほど、士気やモチベーションは保ちにくいものです。そんなときは、いくら詳細で精密な周辺海域の海図を持っていても仕方ありません。ズームインではなくズームアウトする“引き”の視野でとらえた海図が必要だったわけです。

 最近は都会のど真ん中でも、スマホを持っていれば人工衛星を使ったナビゲーションが簡単に利用できる時代ですから、大航海時代の海図など歴史好きの好事家の興味しか惹かないでしょう。しかし、医学の世界ではまだまだこの古めかしい海図を眺める必要があるのではないかと私は思っています。特に慢性疾患でベタ凪漂流が続くときは、いま何が問題になっているのか、どこへ向かうべきなのかを見失うことがあります。そのようなときには、精密に細部まで書き込まれた海図が意外に役に立たず、大航海時代の大雑把な認識が記された海図からヒントを見出すことがしばしばあるのです。

 私は本書で、東洋医学を軸に、最近忘れられつつある大昔の海図の見方・書き方を論じていきたいと思います。伝統医療を振り返ることで、昔の医療者が身に付けていて今の医療者が失ってしまった能力や、次の時代の医療を拓く鍵が浮かび上がってくることでしょう。

 では、古い海図を紐解く航海に、みなさまをご案内しましょう。

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はじめに 海図のない旅

第一部 講義篇
 1 漢方のイメージ
 2 漢方に出会うまで
 3 私の漢方ことはじめ
 4 最新の医学と漢方のはざまで
 5 漢方から科学を考える
 6 漢方は一枚岩ではない
 7 「触れる」思想
 8 四診と恋愛
 9 「方法」の医療と「作法」の医療
 10 見えない世界の治療論-諦める・振り回される・祈る
 終章 私のスタイル

第二部 質疑応答篇
 Q1 やせる漢方?
 Q2 がん漢方?
 Q3 漢方はインチキ?
 Q4 サプリメント依存?
 Q5 漢方薬処方のコツ?
 Q6 文句ばかり言う患者?
 Q7 代替療法で何がよい?
 Q8 漢方薬を指定する患者?
 Q9 信者に囲まれたドクター?
 Q10 漢方診療をしていると焦る?

あとがき
付録◎ふたりでやるツボ押し&お灸講座

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今こそ,東洋的価値で看護したい!
書評者: 山田 雅子 (聖路加国際大教授・在宅看護学)

 津田先生の謙虚なところが良い。というのは,今年に入って初めて津田先生にお会いした際の私の第一印象です。何が,ということではないのですが,その存在から醸し出される雰囲気全体についてそう感じたように思います。

 縁あって,津田先生と一緒に仕事をすることになりました。と思っていたら,さらなる縁を頂戴し,この書評を書いているわけです。人生は出会いだと申しますが,行先が定まらない人生の船を漕いでいると,出会うものが不思議とその水先案内をしてくれたりするものです。この本は本当にそうした感じの出会いとなった1冊です。

漢方は日本の伝統医学だった
 古く江戸時代の日本の医学は,古方〈こほう〉派と呼ばれる,今で言う基礎医学よりも臨床を重んじた一派によって発展したのだそうです。そして,その一派によって編まれた医学体系が「漢方医学」であり,それは日本で発展したので「日本漢方」とも呼ばれるのだそうです。

 私はこれまで,漢方医学は中国の医学を学ぶのだと思っていましたが,それは間違いで,漢方を学ぶとは,日本の伝統的な医学を学ぶことだったのかと気付かされました。そういう意味で,この本は漢方医学の解説本であり,日本医学の歴史書でもあるわけです。

東の「気のせい」には意味がある
 さて,西洋医学と対比する中で,私が「なるほど!」と思ったことを2つ挙げてみます。

 まずは,西洋医学的な「気のせい」と東洋医学的な「気のせい」とは全く異なる意味であることです。「西洋の気」は実体のないものであり,「東洋の気」は生きるためのエネルギーという実体を持つといいます。ですから西洋的には「気にするな」が治療になり,東洋的には「気の巡りを良くする」ことが治療であって,そこから漢方薬とかツボの話につながるのですね。

 もう一つは,目が痛いと訴えてきた患者さんにもお腹に触れて診察する「腹診」を行うのが東洋的ということです。体全体が疲れていれば,目の具合も悪くなるとはよくあることで,本人が目の痛みだけを訴えたとしたら,目薬だけを処方されても根本的な解決にはならないのですね。

人間を置き去りにしない医学へ
 考えてみれば当たり前かもしれませんが,臓器別,疾患別,術式別に患者を区別して,その一側面からしか看なくなってしまった今の看護は,効率性は達成したかもしれませんが,人間個々の体や心は置き去りにされています。そう感じている私にとってこの本は,もう一度,日本医学の祖が築いたことに回帰すべきだという道を示してくれたように思います。この本の副題は「医学の東へ」とありますが,「医学は東へ」としてもよいのではないかと極東日本人の一人として思いました。

 人体をなす臓器はみな似通っていますが,それが統合されて,さまざまな環境の影響を受けながら一人の人間として生きています。そう考えると,多くの人に効果があったとか,繰り返し同じ結果となったという「エビデンス」という文脈では語りつくせない神秘性を否定することはできません。

 西洋医学では解決しきれない「かゆみ」「冷え」「痛み」といった症状に根気よく付き合い,あの手この手を模索する漢方医学では,謙虚であることが基本姿勢なのだということがよくわかりました。


膠着状態からの突破口を理屈で教えてくれる本
書評者: 舛本 真理子 (武蔵野赤十字病院腫瘍内科)

 まず,この本は題名通り「水先案内」です。通読しても,残念ながら手っ取り早く漢方が使いこなせるようにはなりません。しかし読後は,漢方に対するイメージの変化と,新鮮な発見があると思います。

 できれば,「漢方ってちょっと邪道だ!」などと思っている理屈っぽい若人にこそ,読んでほしい本だと感じました。理屈で応えてくれる本ですので。

何をやってもダメなとき
 私たち日本の医療者が学校で習ってきた知識は,ほとんどが「西洋医学」をバックボーンとしていたと思います。すなわち疾病とは「本来オーガナイズされた人体の機能の破たん」に由来し,それを是正すれば治るという理論です(ちょっと乱暴ですが)。大学の講義室の中では,西洋医学の知の蓄積にのっとり適切に問診・診察・検査をして,患者さんの不具合を客観的に洗い出し,それを解決することが治療である——というあらすじが,いつでも通用するかのように見えました。少なくとも素直な医学生であった私には。

 私のようにナイーヴでなくとも,臨床現場において,こうした枠組みが通用しない状況に遭遇し困ったことは,誰にもあるのではないでしょうか。すなわち「診察上は異常ない」のに,患者さんは苦しみ続けている。効くはずの薬が無効な上に,薬を変えるたびにまれな副作用が次々出て,泥沼化。とにかく「何をやってもダメ」。

漢方なら「向き合いよう」がある
 他科から「漢方でなんとかなりませんか?」とコンサルトを受けるのはまさにそういう状況が多いんですよね……というところから津田先生のこの本は始まります。西洋医学の枠組みでは「どうにもならない」と担当医を悩ませる状況に,漢方の文脈からならばアプローチできる(と思わせる)のは,なぜなのでしょうか?

 私たちの日常臨床の中にある,「治そう,良くしよう」という熱意が空回りする息苦しさをどうしたらいいのか? そのヒントが漢方(あるいは広義の東洋医学)の中にある,とこの本は教えてくれました。

 簡単に言えば,西洋医学的な視点とは異なった何らかの「もう一つの科学的な視点」による複眼視によって,浮き出して見えてくる糸口がある。そして,もし糸口がないならないで,「向き合いようがある」ということです。

二者択一から「複眼の思想」へ
 繰り返しますが「漢方で一挙に解決!」といった華々しい話ではないのです。おそらくは同じことを,いろいろなたとえを使いながら著者は記述しています。その中で西洋医学と東洋医学を同じ平面に置いて,軽やかに行ったり来たりしています。どっちが良いとか悪いとかの二者択一ではなく。

 察しの良い読者の方には,回りくどく冗長に感じる部分もあるかもしれません。ただ結論を急がずに読むと,じわり,と東洋医学の「考え方」が染み込んでくるように思います。「患者さんに振り回されちゃえば?」「再現性にこだわらなくていいんじゃない?」なんて視点を頭のどこかに持てたなら,自分に対して,またもしかすると患者さんに対しても,膠着状態の突破口になるかも……。そんな予感がします。

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