決められない患者たち

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悩む患者。主義を貫く患者。いつまでも決められない患者。医療上の決断に際して、患者は何を考えているのか? 心理学、統計学などの研究を紹介しながら、患者の内面を分析していく。ハーバード大学医学部教授による患者と医師に密着したルポルタージュ。
原著 Jerome Groopman / Pamela Hartzband
堀内 志奈
発行 2013年03月判型:四六頁:396
ISBN 978-4-260-01737-4
定価 3,520円 (本体3,200円+税)
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序章
Introduction



 We are drowning in information,
 while starving for wisdom.
 我々は、知恵に飢えると同時に情報に溺れている。
 ── エドワード・O・ウィルソン


 毎日、多くのひとびとが薬を新しく始めるかどうか、医療処置を受けるべきか頭を悩ませている。それは健康でいるための予防的な治療をどうするかという問題のこともあるし、病気の治療に複数の選択肢があってそのうちどれかを選ばなければならないという悩みのこともある。こうした決断をするのはかつてないほど難しくなっている。だが、情報が足りないわけでは決してない。医師、インターネット、テレビ、ラジオ、雑誌、自己啓発本、と情報のソースには事欠かない。専門家からの「どうすべきか」のアドバイスはいたるところにある。ある専門家はより多くの検査を、より多くの治療を受けるべきだと言う。別の専門家は検査や治療はそんなに必要ないと言う。いったい自分にとって誰の言うことが正しいとどうしたら判断できるのだろう? 多くの場合、その答えは専門家の側にあるのではなく、あなた自身の中にある。


 デーブ・サイモンはここ何ヶ月にもわたってサーブの特訓をしてきた。彼は最近仕事をリタイアしたが、まだ引き締まった体を保ったスポーツマンで、自分のテニスのレベルを一段上げようと頑張っていた。さあ、マッチポイントだ。絶対勝つぞ、とデーブは意気込んでいた。ワイドにサーブを打つと、ローボレーを返すためにネットへ突進する。そしてラケットにボールが当たったその時だった。彼は冷たいクレーコートの上にくずおれてしまったのだ。彼は立ち上がろうとしたが、右手と右脚が動かないことに気がついた。パートナーが、大丈夫か、と声をかけるのが聞こえる。頭の中には答える言葉があるのに、口が動かない。
 そうか、これが脳卒中ってやつか。医者が、起こすかもしれないから気をつけろ、って言ってたな。

 そのとき、ドアがカチャッと開くと、循環器科医が診察室に入ってきた。その音にデーブはその恐ろしい白昼夢からはっと我に返った。彼が今いるのはテニスコートではなく、病院の診察室だった。彼は右手と右脚を伸ばして、現実には何も起こっていないことを独り確かめた。
 「おはようございます、サイモンさん」と医師が声をかけた。
 「薬について考えてみましたか? 今日から治療を始めることにしますか?」
 数週間前の定期検診で、デーブの主治医は彼に不整脈があるのを見つけた。心電図から、よく見られる心臓の異常リズムである心房細動が疑われた。デーブは心臓の専門医に紹介されたが、再検された心電図には異常は見られなかった。そこで、医師は二四時間心臓のモニターをつけることを勧めた。その結果、本人に自覚症状がないときにも不整脈がやはりまだ出現していることがわかったのだった。医師の説明によると、こういう状態では心臓内に血栓ができることがある、という。そして、その血栓が剥がれ脳に飛び、脳卒中を起こすかもしれない。が、そのリスクは低い。血栓の形成を抑制する薬もある。ただし、そういった薬には出血をはじめとした重大な副作用もある、というのだ。
 実はデーブには近所に住むこの手の薬を飲んでいる友人がいた。数年前、ヨーロッパへの飛行機の中で彼は大量の血を吐き始め、命も危ない状態となったことがあった。飛行機はグリーンランドに進路を変えて緊急着陸し、ショック状態となった彼は病院に救急搬送された。緊急手術の結果、彼は一命をとりとめたのだった。
 彼の心は、脳卒中を起こした自分という身も凍るような想像と、友人が出血のためにほとんど死にかけたイメージの間を行ったり来たりした。デーブは医師に向き直ると言った。
 「まだ決心がつきません」
 デーブはどの選択肢を選んだらよいか決められない、心理学者が言うところの「決断葛藤」の状態に陥っていた。彼はこの決断の重要性を認識していたし、どちらの選択についても後悔するような結果を想像して恐れを抱いていたのだった。


 私たちがスーザン・パウエルに会ったとき、彼女はすでに心を決めていた。高コレステロールに対して、スタチンは飲まないつもりだった。
 高コレステロールやそのために起こる病気について無知であったわけではない。あるいは医師がよく言う、「否認の状態」にあったわけでもない。五一歳の彼女は看護助手として日々様々な年齢とバックグラウンドの患者の介護をしていたが、その疾患はうっ血性心不全から癌まで多岐にわたっていた。スーザンの主治医は、コレステロール値が高いと心臓病や脳卒中を起こす危険があるのでスタチンを飲み始めたほうがよい、と彼女に勧めていた。スーザンにとってリピトール、クレストール、ゾコールなどといった名前で売られているこのタイプの薬はなじみ深いものだった。担当している患者にも飲んでいるひとはいたし、テレビや雑誌で広告も目にしていた。
 「私の父もコレステロール値が高かったのですが、薬を飲まずにずっと健康で長生きして亡くなったんです」
 自分自身の健康が問題になったとき、自分は治療に対して懐疑的な態度をとるタイプの患者だ、と彼女は語った。
 「自分の体に入れるものについては気を配っていますし、薬は好きじゃないんです」
 「頭痛がしても薬を飲まずに何とかしてます。すぐにタイレノール(解熱鎮痛剤)に手をのばすようなことはしません」

 つまり、スーザンは「疑うひと」だ。あなたも彼女と同じような考えの持ち主かもしれないし、あるいは友人や家族にスーザンのようなひとがいるかもしれない。

★主にLDLコレステロールを下げる脂質異常症(高脂血症)治療薬
★いずれもコレステロールを低下させる薬剤。ゾコールは日本では使用されていない



 一方、ミッシェル・バードのように治療に対して全く違うアプローチをとるかもしれない。ミッシェルはボストン近郊の大学職員だ。彼女も五〇代で、毎日運動を欠かさず、二九分以内に二マイル歩く「パワーウォーク」ができるのがご自慢だ。彼女は栄養学の学位を持っており、食生活には注意を払っている。その彼女に数年前の定期検診で、軽度の高血圧が見つかった。
 「すぐに薬を始めましたよ」とミッシェル。「自分のために、自分ができる最善のことをするように心がけています。つまり積極的に行動する、ってこと」
 彼女の両親ともに血圧が高かったが、どちらも脳卒中や心臓発作、腎臓病といった高血圧に起因する病気を一切患ったことはなかった。「私もそんな病気になるのはごめんです」
 ミッシェルは薬を始めたが、最初の薬では血圧は下がらず、二番目の薬では副作用が出現した。それでも躊躇なく次の降圧薬を飲み始め、今度は特に問題は出現していない。
 毎日朝晩ミッシェルは自宅で血圧を測定して記録表をつけている。
 「何か問題が起こったときにはできるだけ完璧に近い解決を得るために、自分がやれることは全てしますよ」
 彼女の現在の収縮期血圧は一二〇台前半だが、その数値に満足しているか尋ねたところ、彼女はちょっと考えてこう答えた。
 「まずまずというところでしょうか」。そして、しばらくの間をおいて言い直した。
 「いえ、やっぱりいまひとつですね」
 一二〇は正常のカットオフ値と見なされることをわかってはいるが、「一一〇くらいにしておきたい」という。そこで彼女は主治医に現在の薬の量を増やすか他の薬を加えるよう頼んだ。医師はその必要はない、と答えたが彼女はそれでも粘った。ミッシェルが希望するのは最大限の治療だ。
 「私はそういうタイプなんです。目標をいったん決めたら妥協しません」

 ミッシェルは「信じるひと」である。つまり、最大限の治療が健康でいるための最良の方策である、と確信しているのだ。


 同じく五〇代になるアレックス・ミラーに会ったのは、スーザン・パウエル、ミッシェル・バードの話を聞いてから間もなくのことだった。アレックスは会計士で、日々数字を扱う、几帳面できちっとした男性である。彼は(スーザンのように)コレステロール値が高く、また(ミッシェルのように)軽度の高血圧を指摘されている。スーザン・パウエルが高コレステロールのためにスタチンを飲む意味はない、と確信しているのに対して、アレックス・ミラーはこの薬を飲むことで健康を保てると信じて毎日服用している。そう聞くとアレックスはその正常域より高い血圧に関しても、ミッシェル・バードのようなアプローチをとっていると思うかもしれない。しかし、彼は高血圧に関しては自分にとって薬を飲むことは妥当ではない、という結論に至った。
 アレックスのコレステロール値は受診の度にほぼ変わらない値だった。だが、血圧は変動があり、正常値より若干高いという程度におさまっていた。主治医と一年以上話し合った結果、アレックスは降圧薬を始めることにしぶしぶ同意した。ところがその薬によってひどい副作用が出たのだ。「実に嫌な気分で、とにかく具合が悪くて」とアレックスは語った。医師は、その副作用はすぐにおさまるはずだし、もし改善がなければ他にもたくさん使える薬はある、とアレックスに請け負った。が、副作用を経験した後も新しい薬を積極的に受け入れたミッシェル・バードと違い、アレックス・ミラーはそれ以上の服薬を拒否したのだった。
 アレックスは、医師が言うところの「健康について無学」、すなわち治療のリスクと利点の理解不足の状態、というわけではない。数字に長けている彼は、高血圧やそのために引き起こされうる疾病について医師が示した統計学的な数値をよく理解していた。しかし、高血圧の正常値の定義は何年にもわたって専門家によって改訂されており、かつては許容範囲とされた値が今や高リスクと見なされるようになったことをアレックスはインターネットで知っていたのだ。
 「まるでゴールポストを始終動かしているようなものですよ」とアレックスは言った。
 アレックスは高血圧の合併症だけではなく、治療がはらむ多くのリスクについても理解していた。
 「薬の副作用のリストをどれだけの患者さんが実際ちゃんと見ているでしょうね。だって、もし目を通していたら、何も薬は飲めなくなってしまうかもしれませんよ」
 そこで彼に尋ねてみた。「それだけしっかり知識を得た結果、自分の決断により自信が持てるようになりましたか? それともかえって不安が強くなりましたか?」
 「両方ですね」と彼は答えた。


 スーザン・パウエルとミッシェル・バードの治療の選択に対する姿勢は大きく異なっている。スーザンは治療に対して非常に懐疑的であり、「少なければ少ないほどよい」との信条から、治療は必要最小限にとどめたいと考えている。一方ミッシェルは、「積極的」であることで「抜きん出た」 健康管理ができると信じて、最大限の治療を望んでいる。そして、アレックス・ミラーの姿勢にはこの二つのアプローチ両方の要素がある。
 しかし、治療の選択について、彼らそれぞれにとって唯一無二の正しい答えというものは存在しないのだろうか?
 科学的には大いに進歩してきたが、残念ながら医学の世界の多くはいまだグレーゾーンにあり、いつ、そしてどのように治療するかについて白黒はっきりつけられないこともある。リスクと利点がそれぞれある複数の治療戦略が考えられることも珍しくない。あるひとにとっての最良の選択、というのは単純明快からはほど遠いこともあるのだ。

 多くの患者が、ある薬を飲むことや医療処置を受けることに「気がすすむ」あるいは「すすまない」ということを自分の治療方針の選択理由に挙げる。そして、たいがいそこで会話は終わってしまう。だが、ある特定の治療法の何に、あるいは何も治療しないという選択の何に「気がすすんだ」り、「すすまなかった」りするのだろう? 治療に関するこうした見方、考え方は何に由来するのだろうか? 心の内外にあるどんな力が患者に働いて、そのひとの見方を形作るのだろう? そして、この力を理解することは、患者がよりよい決断をするための助けになるだろうか?
 三〇年以上臨床に携わってきた私たちも、こういった根本的な問いに対して患者や自分自身にはっきり提示できる答えを持ち合わせていない。医学部とレジデント研修で厳しい教育を受け、アカデミックな医療機関で働いてきたが、どのように、あるいはなぜ患者が特定の治療法を選択するに至るか、ということについて教わったことは一度もなかった。
 その答えを得るために、まず初めに医療における決定分析法を考えてみた。これは経済学から転用された方法で、保健医療政策立案者や保険会社にも使われている。この分析法によれば、ある疾病に罹患するという経験は容易に数字に落とし込むことができる、としている。そしてこの数字を使って計算し、唯一「最良」の、すなわち「合理的な」治療を導き出すのだ。こうして難しい決断も単純な数学の問題へと変わる。こういう考え方は確かに魅力的ではある。だが、実はそれは誤った前提に基づいたものであり、期待されたほどの成果をあげていない、とする注目に値する研究の存在も指摘しておかねばならない。
 答えを探し続けているとき、心に思い浮かんだのは前世紀の高名な医師、ウィリアム・オスラー卿の有名な言葉だった。「問題が複雑で、診断をつけるのに難渋したときは患者の話を注意してよく聞きなさい、なぜなら彼の言葉の中に答えがあるのだから」。そこで私たちは洞察を求めて、実際選択に迫られたひとびとに話を聞くことにした。
 私たちは長い時間をかけて、多くの患者と話をした。彼らは年齢も、住んでいる場所も、経済的地位も様々で、抱えている病態も違えば、民族、人種、宗教も色々なひとたちである。私たちは彼らに話を聞かせてくださいとお願いした。初めて具合が悪くなったのはいつだったのか、診断がどのようにしてついたのか、医師がアドバイスしたこと、その他治療の方針を決定するのに影響を及ぼした情報などについて教えて欲しいと頼んだのだ。医学的な側面だけではなく生活環境の細かなこと─健康や病気への家族の考え方、将来自分が向き合うかもしれない決断を実際下す状況にあった友人や知人はいたか、人間関係や仕事、宗教から得られたどんな知識が道標として役に立ったか、など─までさらに掘り下げて聞こうと、再び話を聞きに足を運んだこともしばしばだった。そうした患者の心を探る旅がこの本になった。一つ一つ、患者が回想するのを聞くにつれ、私たちの理解は深まっていった。さらに、意思決定に関する心理学と認知科学の新しい知見に照らして彼らの話を考えることで、提起した問いへの答えが浮かび上がってきたのである。
 私たちが耳にした全ての話をここで再現するのは不可能であろうから、誰もが患者として直面する医療上の決断に影響を及ぼすものを、最もよく例証するいくつかの話を選び出すことにした。この本には教師、ビジネス・コンサルタント、フィットネス・トレーナー、美術商、主婦、心理学者、図書館司書、他にもたくさんのひとびとが登場する。心を開いて率直に、自分が決断を下したときの成功と失敗の両方をすすんで語ってくれた彼ら全員に感謝したい。

 この本は高コレステロールや軽度の高血圧といった、それほど緊急性の高くない、定期検診でよく見つかるような問題に関する決断の話から始まる。その後、手術や心臓病、癌など、より緊急性の高い状況へと話を進める。最後に、命そのものが崖っぷちの状態で決断がすぐになされなければならない場合や、決断が家族や医師に委ねられなければならないような状況について考察する。
 私たちは、それぞれの例において、患者の心理の内外に存在する影響力について検討した。これらは、はっきり意識されず、見過ごされることも多いが、非常に大きなインパクトを持ち、患者の思考を左右し、その判断を歪めてしまうこともある。こうした影響力を明らかに認識できれば、よりしっかり自信を持って医療上の決断が下せるようになる、というのが私たちの結論だ。そう、たとえ相反するアドバイスを得ても、道に迷うことなく、「正しい」論理で「正しい」治療にたどり着けるのだ。

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序章 Introduction

1章 私は数値でいうとどのあたり?
   Where Am I in the Numbers?
2章 信じる者と疑う者
   Believers and Doubters
3章 でも、それは私にとってベストなのだろうか?
   But Is It Best for Me?
4章 後悔
   Regret
5章 隣人のアドバイス
   Neighborly Advice
6章 自主性と対処
   Autonomy and Coping
7章 現実世界での意思決定分析
   Decision Analysis Meets Reality
8章 人生の終焉
   End of Life
9章 患者が決定できないとき
   When the Patient Can’t Decide

結論 Conclusion

謝辞 Acknowledgments
付記 Notes
参考文献 Selected Bibliography
訳者あとがき

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「患者にとってよいこととは?」をハーバード大学の教授らが分析
書評者: 日野原 重明 (聖路加国際病院理事長)
 今般医学書院から,アメリカでベストセラー作家といわれてきたJerome Groopman医師とPamela Hartzband医師合作の“Your Medical Mind : How to decide what is right for you”という著書が,札幌医科大学卒業後米国留学の経験をもつ堀内志奈医師によって日本語に訳され,『決められない患者たち』という邦題で出版された。

 これはハーバード大学医学部教授と,ベス・イスラエル病院に勤務する医師の二人が,患者とその主治医に密着して得た情報を行動分析して,一般読者にわかりやすく書かれた本である。

 何が本当に病む患者のためによいのか。『決められない患者たち』と和訳された原書のタイトルは“Your Medical Mind : How to decide what is right for you”となっている。「何が本当に自分にとってよいのか」に迷っている患者の側に立った本としてすばらしい本だと思い,私はこの書を推薦する次第である。

 患者の持つProblemを有効に解くための手段が果して患者のためになっているのか,医師の指示通りに薬を服用すればよいのか,それは無駄なのかなど,迷っている患者の心情をとてもよく理解し,感心してしまうほどのデータを出して分析しているのがこの本といえよう。

 病気にいつかかるかわからない自分や自分の親しい家族に「病気は人間の属性である」といみじくもニーチェが言った。まさにその内容を知らせてくれる名著だと思う。

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