続 アメリカ医療の光と影
バースコントロール・終末期医療の倫理と患者の権利

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患者の権利の中核をなす「自己決定権」が確立された歴史的経緯を、気鋭の著者が古典的事例を交えて詳述。延命治療の「中止・差し控え」に適応すべき原則を考える。さらに、セイフティ・ネットが切れ始めた米国の医療保険制度を明日の日本への警告としてとらえるとともに、笑いながら真剣な問題を考える「医療よもやまばなし」、患者の権利運動の先駆者である池永満弁護士との対談も収載。
李 啓充
発行 2009年04月判型:四六頁:280
ISBN 978-4-260-00768-9
定価 2,420円 (本体2,200円+税)

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まえがき

 本書の中心をなすテーマは「患者の権利」、それも「自己決定権」である。
 私が、なぜこのテーマについて論じなければならなかったかというと、それは、ここ数年、「日本では患者の権利が守られていない」ことを如実に示す事件が立て続けに起こったからに他ならない。
 たとえば、患者の人工呼吸器を取り外した医師が「安楽死させた」と殺人罪で取り調べを受ける事件が繰り返されたのはその最たる例である。「延命治療の中止」と「安楽死」が混同されること自体に、日本が「医療倫理後進国」である現実が象徴されているのだが、アメリカで人工呼吸器を取り外した医師が殺人罪に問われる事件が起きたのは一九八二年の一回きりであることを考えると、日本の状況は四半世紀以上遅れていると言わなければならないのである。
 本書第1部では、延命治療中止にまつわるルールの根幹をなす原則が「患者の自己決定権」にあることをご理解いただくために、米国で延命治療中止のルールが確立されるにいたった歴史的経緯を解説する。医療倫理の分野では「古典」とされる事例について詳述、「ケース・スタディ」を通じてルールの基本を説明する形式とした。
 第2部では、患者の自己決定権が、いわゆる「プライバシーの権利」に由来するものであることをご理解いただくために、ピルの開発とバースコントロール普及運動の歴史について振り返る。同時に、ピルの開発に関わることになった個性的な人物達にもスポットライトを当てたので、医学研究に関する「歴史読み物」としてお読みいただくことも可能だろう。
 第3部では米国医療保険の現状について触れる。ここ数年、日本でも規制改革や新自由主義を標榜する人々が、米国式に「公を減らして民を増やした」医療保険制度への変革を主張しているので、「(日本の医療が将来)行き着くかも知れない姿」としてお読みいただければ幸いである。いわば、市場原理に基づく米国の医療保険制度は「医療は基本的人権ではなく特権(=金で買うもの)」とする精神に基づいて形成されたものであるが、日本の新自由主義派も、医療について、国民に保証された権利としてではなく「自立・自助・自己責任」を言い立てるのが好きなので警戒を怠ってはならない。
 第4部は趣を変えて、「笑える」話題ばかりを集めたが、個々のエピソードの内容自体は笑ってすませるものではないと自負している。ただ、第3部まで重い題材ばかりを扱っているので、「お口直し」としてお読みいただきたい。
 第5部では、あとがきに代えて、日本における患者の権利運動の現状を、この分野の先駆者である弁護士池永満氏との対談形式で総括する。たとえば、延命治療の中止などがメディアで問題にされるとき、日本ではややもすると「人工呼吸器を外したら死んでしまうのはわかっていたはずだ。人の命は地球より重いのに何ということをするのだ」などと、情緒的議論がなされる傾向が強いのだが、これからの議論を深める上で「人の権利(患者の権利)も地球より重い」ことを思い起こしていただければ幸いである。

 二〇〇九年二月
 マサチューセッツ州ニュートンにて
 李 啓充

【付記】本書は「週刊医学界新聞」(医学書院)の同名連載「続アメリカ医療の光と影」(二〇〇四年十月四日号―二〇〇七年六月一八日号)及び同紙二〇〇九年三月十六日号に掲載された著者と弁護士池永満氏による対談「患者の権利はどこまできたか」に大幅な加筆修正を行い、全体を再構成したものである。

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第1部 医療倫理-延命治療の中止から小児の癌治療まで
 I 延命治療の中止を巡って
  1 殺人罪
  2 遷延性植物状態
  3 異例の裁判
  4 歴史的判決
  5 母の願い
  6 クルーザン家の悲劇
  7 終末期医療における患者の権利
  8 パターナリズムの呪縛
  9 殺人罪に問うことの愚かしさ
 II 「医学的無益」を巡って
  1 評決
  2 安楽死との混同
  3 家族と意見が対立する時
  4 家族との意見対立を解消する努力
 III 小児の癌治療を巡って-ケイティ・ワーニッキー事件
  1 実の娘を「誘拐」した母親
  2 小児におけるインフォームド・コンセント
  3 パーカー・ジェンセンの「誘拐」事件
  4 「勝者」のいない結末

第2部 ピル-医療と性と政治
  1 抗議の辞任
  2 反中絶テロ
  3 活動家
  4 大富豪
  5 生殖学者
  6 化学者
  7 医師
  8 治験
  9 認可
  10 教会
  11 政府
  12 副作用
  13 「性の乱れ」と権力者たち
  14 「プライバシーの権利」

第3部 転換期を迎えたアメリカの医療保険制度
 I 先端医療の保険給付(メディケアに学ぶ)
  1 カリスマ主婦の入獄と夢の新薬
  2 新規抗癌剤の値段
  3 企業のサボタージュ
  4 民主的な保険適用審査制度の構築を
 II メディケイド危機
  1 安全網が切れる危険
  2 テンケア一一年目の危機
  3 ミシシッピのメディケイド「破産」
  4 財政破綻に対する対処法
  5 新たな医療保険モデルの模索
  6 メディケイド被保険者の無保険者化
 III アメリカ医療保険制度を巡る新たな動き
  1 ゼネラル・モータースの苦境
  2 米国医療保険制度改革に向けた「呉越同舟」
  3 無保険社会に終止符を打つための新たな動き

第4部 医事片々(医療よもやま話)
  1 「PET」による膀胱癌スクリーニング
  2 「こぶとり」の自己責任
  3 肥満患者の苦情
  4 大泥棒の医療保険
  5 Power to the Seniors!
  6 Tさんへ 九年目の詫び状
  7 道徳性の神経生理学
  8 ノース・カロライナ州で死刑執行ができなくなった理由

第5部 「患者の権利」はどこまできたか
 池永満(NPO法人「患者の権利オンブズマン」全国連絡委員会共同代表)× 李啓充 対談

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臓器移植法改正の論議における落とし穴
書評者: 武井 麻子 (日赤看護大教授・精神保健看護学)
 日本では今,臓器移植法の改正をめぐってさまざまな論議がなされている。その大きな焦点は「脳死は人の死か」という問題である。しかし,こうした議論には大きな落とし穴があることを教えてくれるのが,本書である。まさにタイムリーな出版といえよう。

 本書は 『アメリカ医療の光と影 医療過誤防止からマネジドケアまで』 の続編である。著者はほかにも 『市場原理が医療を亡ぼす アメリカの失敗』 『市場原理に揺れるアメリカの医療』 といった,一連のアメリカの現代社会のひずみを医療という側面から報告している。それらは,アメリカ医療の内部にコミットした人ならではの情報に満ちているが,しかしそれを読めば,著者が本当に伝えたいのはアメリカではなく日本の医療の将来への危機感であり,日本社会への警告なのだということがわかる。「命の沙汰も金次第」という社会の到来を黙って見ていていいのかという警告。

 本書のテーマは,「患者の自己決定権」である。日本でも有名な延命治療の是非をめぐるカレン・クィンラン裁判から,さまざまな避妊法の開発と女性の権利を求める闘いの歴史,そしてアメリカの転機を迎えた医療保険制度などが取り上げられている。日本では現在の臓器移植法改正に際しても,脳死の問題をもっぱら「医の倫理」として論議する傾向があるが,そこには社会の価値観だけでなく,政治が深くかかわっているのである。

 なぜ,日本では世界的に安全性が確立された低用量ピルが認可申請後10年近く承認されていないのに,勃起不全症治療薬バイアグラが認可申請後わずか6か月で承認されたのか。日本ではなぜ,副作用ゆえにアメリカでは20年以上も前に販売されなくなった高用量ピルのみが女性に処方され販売され続けているのか。こうした批判記事がニューヨークタイムズに掲載されてまもなく,バイアグラが認可されてわずか半年で,低用量ピルが一転認可されたのだという。

 こうした決定は,どこでどのようになされるのか,われわれはほとんど知ることができない。そもそも「患者の自己決定権」という概念が日本社会には根付いていないのである。筆者は大学院でコンサルテーション論を教えているが,医療の現場で遭遇する難しい事例の多くに,救急で運ばれ緊急手術を受け,同意のないまま人工呼吸器やストーマを装着された患者とのトラブルがある。治療を受け入れない患者は日本の医療の場では歓迎されないのである。本人ではなく,家族に告知してインフォームド・コンセント(IC)と称している病院も少なくない。

 一方,アメリカで患者の権利が社会的に認められてきた背景には,数々の医療裁判がある。延命治療の是非も裁判で公に議論されたし,避妊をめぐる法廷論争のなかで女性が自身の身体や健康に関して自己決定権を持つという「プライバシーの権利」が認められるようになった。著者は,避妊普及活動が非合法であったことが,その後アメリカで「患者の権利」が人権として確立することに大きく貢献することになったという。翻って,日本では避妊が罪と結びつくという考えが無かったために,かえって社会的な問題として議論されることなく,従って女性がその権利を主張する機会もなく来てしまったというのである。

 ところで,著者の本の特徴は,深刻な社会問題を読み物として面白く語ってくれる点である。それは同じ著者の一連のアメリカ・メジャーリーグについての著作とも共通する。選手一人ひとりの物語が,どこでこの情報を得たのだろうと不思議になるくらい詳しく,生き生きと書かれているのだ。

 今年4月に出版された本書の書評を引き受けてから,ずいぶんと時間が経ってしまった。なぜ遅れてしまったかといえば,いつも愛読させていただいている著者の医学界新聞の連載の中に,著者が「直腸カルチノーマ」と宣告されたことが書かれていたからである。まさに「アメリカ医療の光と影」を,身をもって体験されることになるとは…。

 私はその事実を知った以上,それがどのように展開しているかを知らずにこの本のことをあれこれ書けないような気がしたのだ。だが,どうやら疾患自体はさほど深刻ではなさそうなのに,治療はさまざまな壁が立ちはだかってうまくいかないらしい。早く先を知りたいところだが,これ以上経過を追っていたら,この書評も時期を逸してしまう。というわけで,今後はこの続編を期待することにしよう。
アメリカ医療が映し出す日本医療の光と影
書評者: 中尾 久子 (九大大学院教授・臨床看護学)
 アメリカは貧富の格差が大きく貧者は十分な医療は受けられないと聞いても,日本人のアメリカ医療に対するあこがれは強い。李氏は,京都大学医学部を卒業後,ハーバード大学医学部助教授を経て,現在はボストンで文筆業をしており,これまでも鋭い切り口でアメリカ医療の背景を解説し,日本の医療界に示唆に富むメッセージを発信し続けてきた。

 本著は5部で構成されている。第1部は「医療倫理-延命治療の中止から小児の癌治療まで」,第2部「ピル-医療と性と政治」,第3部「転換期を迎えたアメリカの医療保険制度」,第4部「医事片々(医療よもやま話)」,第5部「『患者の権利』はどこまできたか」である。第1部から第3部までは人種,宗教,価値観が多様で医療保険制度や問題解決方法が異なるアメリカの医療のあり方に関する光と影が明快に述べられている。

 私が強く関心を引かれた箇所を2つだけ紹介したい。まず,「患者の自律性」(第1部)である。インフォームド・コンセントと患者の自律性の尊重が医療の本質なら,患者が望む医療を実行しないことはむしろ問題だという点である。もう1つは「皆保険実現のために静かに共闘する二人」(第3部)で,現在進行中のアメリカの動きである。

 「患者の自律性」は延命治療中止の例で語られる。回復の見込みのない患者の延命治療に関して,アメリカでは中止を含めて患者の自律性を重視した医療がなされるが,日本では延命治療の継続―例えば人工呼吸器の取り外しができない状況が続いている。李氏の「もし,日本で『一度つけた人工呼吸器は絶対に外さない』と決めている学会や病院があったとしたら,その学会や病院は『私達は患者の自己決定権は一切認めません』と宣言しているのと変わらないのだ」という主張からは,日本の終末期医療の主体が誰であるのかを強く問われていると痛感する。

 「皆保険実現のための静かな共闘」は,クリントン政権が失敗した皆保険制度を実現させる試みがアメリカで静かに進んでいることだ。反対の急先鋒に回った保険会社が皆保険を進める立場となり,日本が進もうとしている混合診療と逆の動きがアメリカで進んでいることに疑問を感じ,動きをもっと知りたいと思うのは私だけだろうか。

 私は医療現場,保健行政,教育機関にかかわる多くの看護者にこの本を読むことをお勧めしたい。なぜなら,アメリカ医療の光と影を知ることで,日常的には気づかない日本医療の光と影の部分がコントラストとして理解できるからである。
読み始めると止まらない,鋭い分析と圧倒的な筆力
書評者: 向井 万起男 (慶應義塾大准教授・病理学)
 李啓充氏は『週刊文春』で大リーグに関する素晴らしいコラムを6年間連載されていた。その後,見事な大リーグ本も出されている。で,世間には,氏のことを稀有な大リーグ通としてしか知らない人が多いようだ……。それが悪いというわけではないけれど。

 だが,医療界で働く私たちは違う。氏が大リーグ通として広く知られるようになる前に書かれた『市場原理に揺れるアメリカの医療』(1998年,医学書院)を忘れることなどできない。その分析の鋭さ,読む者を引きずり込む圧倒的な筆力,随所に散りばめられた粋な大リーグ関連ネタ。鮮烈なデビューだった。この本を読んで氏のファンになった医療人は多いはずだ。その後も,氏はアメリカ医療の光と影を描きつつ日本の医療に厳しい問題提起をするという本を出し続けてきた……そして,本書。

 氏の鋭い分析,読む者を引きずり込む圧倒的な筆力は相変わらずだ。このテの本に対しては不謹慎な表現かもしれないが,読み物として実に面白いので一気に読み通せてしまう。もっとわかりやすく言うと,数ページ読んだだけで,“や~められない止まらないかっぱえびせん”状態になってしまう。

 さて,本書の中心テーマははっきりしている。「まえがき」の冒頭に氏自身がはっきりと記している通りだ。「患者の権利」,それも「自己決定権」。こうした重いテーマを論じるには,氏のような分析力と筆力を持ち合わせていないと,おそらく読む者を飽きさせずに最後まで読ませるというのは無理だろうと思う。

 氏はアメリカで延命治療中止のルールが確立されるに至った歴史的経緯を記している。延命治療中止にまつわるルールの根幹をなす原則が「患者の自己決定権」だからだ。また,氏はピルの開発とバースコントロール普及運動の歴史を記している。「患者の自己決定権」は「プライバシーの権利」に由来するからだ。こうしたことを記すに当たって,氏は徹底して,歴史に登場した具体的な人物たちを実にきめ細かく語っている。まるで伝記の積み重ねのようにだ。で,読むほうは,一人ひとりの人物が歴史で果たした役割がわかると同時に,登場人物たちのあまりに人間的な側面にうなり,涙することになる。……笑うこともある。

 そういえば,本書には大リーグ関連ネタは登場しない。でも,それに代わるネタがちゃんと用意されているのがうれしい。

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