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≪シリーズ ケアをひらく≫

病んだ家族、散乱した室内

援助者にとっての不全感と困惑について

著:春日 武彦

  • 判型 A5
  • 頁 228
  • 発行 2001年09月
  • 定価 2,376円 (本体2,200円+税8%)
  • ISBN978-4-260-33154-8
善意だけでは通用しない現場に,どう取り組むか
一筋縄ではいかない家族の前で,われわれ援助者は何を頼りに仕事をすればいいのか。罪悪感や無力感にとらわれないためには,どんな「覚悟とテクニック」が必要なのか――空疎な建前論や偽善めいた原則論の一切を排し,「ああ,そうだったのか」と腑に落ちる発想に満ちた話題の書。
*「ケアをひらく」は株式会社医学書院の登録商標です。
書 評
  • 厚く重い「蓋」をこじ開ける-格闘技的魅力にあふれた1冊
    書評者:村中 峯子(千歳市総務部保健師)

     本書のタイトルを目にした瞬間,あらがえない魅力に引き寄せられた。保健師になって20年。どれほど多くの「散乱した室内」に入り込んできたことだろう。あの家もこの家も,すさまじかった。そうした家々にのこのこと上がり込み,支援という名のかかわりを経てきた。そして,それは時に私にオリのような不全感を残しては...
    厚く重い「蓋」をこじ開ける-格闘技的魅力にあふれた1冊
    書評者:村中 峯子(千歳市総務部保健師)

     本書のタイトルを目にした瞬間,あらがえない魅力に引き寄せられた。保健師になって20年。どれほど多くの「散乱した室内」に入り込んできたことだろう。あの家もこの家も,すさまじかった。そうした家々にのこのこと上がり込み,支援という名のかかわりを経てきた。そして,それは時に私にオリのような不全感を残しては過ぎ去った。

    ◆いきなり一発かまされる

     精神科医である著者は,その「はじめに」から読者に一発かましてくる。すなわち「家庭や家族とは欺瞞と錯覚に満ちたグロテスクなものであり,屈折したりシニカルでなければ見えてこない事象がある」のだと。
     ここでヒューマニズムにあふれ(学校での成績もよかったであろうと,私が勝手に想像する)善良な読者は,最初からノックアウト気味になるであろう。だからこそ,本当の意味で援助者に役立つ本を書くことを著者はここに宣言する。
     精神疾患や問題をどう理解するのか,具体的にどのようなテクニックを要するのか,援助者側の心と目前の事態のすり合わせをどのように行なえば,無意味な罪悪感や無力感にとらわれずにすむかなど,垂涎モノのオンパレードである。

    ◆目からウロコの「好奇心」

     この本を読み終えた時,私は複雑に絡みあった高揚感を体験した。その1つは「もっと早く書いてほしかった!」と,著者にねじ込みたくなるような気分によるものだ。
     個人的なことだが,私は「精神」の支援が苦手なクチだった。にもかかわらず「精神」も業務にある市町村に(そうとは知らず)就職してしまったのであるから,その苦労は言わずもがなである。早く読んでいれば10年は早く救われていたものを,と独りごちてみる。
     著者は綴る。汚い家,得体の知れぬ家々を訪問し,「一筋縄ではいかない家族」をも含めた支援を行なうわれわれを支えるものは,使命感や信念ではなく「好奇心」に他ならないと。
     もちろん,興味本意と同義のそれではない。支援という体験を通し,己の世界が広がる手応えとしての好奇心である。好奇心こそがわれわれの心に余裕を持たせ,その距離が,時に裏切られたような「いやぁな感じ」を残した形での支援終了やペンディングにさえも,援助者が鼻白んだり徒労感や不全感に埋まることを救うのだと。
     そう,この本は,そうした感情が援助者にわき起こるのを肯定するところからして,すでに「目からウロコ」なのである。

    ◆チープな理想主義から,現実的で真っ当な感覚へ

     それにしても,およそ私が論旨の要約を試みると,なぜこのようにペラペラと浅近きわまりなくなってしまうのだろうかと,歯ぎしりをする思いがする。加えて,この歯ぎしりにはもう1つの理由がある。
     現場にいれば,曲がりなりにも出会う感覚や現実を,著者は実に見事に論証している。訪問支援を生業の1つとする保健師の側からそれが刻まれず,医師によって先を越された(!?)ことへの歯がゆさを禁じ得ない。
     私たち援助者,少なくとも私はずいぶんとチープな理想主義をいつしか叩き込まれ抱え込み,己の感情をそれに添わせてきた。私がその呪縛から解き放たれたのは,ここ数年である。著者の語る現実的で真っ当至極な感覚に,長い間,厚く重い蓋をしてきた。
     援助者は,もう,えせっぽいヒューマニズムに別れを告げる時期である。心や身体を病む人々と向き合うからこそ,現実の感覚を大切にしたい。でなければ,支援を続けたら「もっと社会性がなくなった」という事例を引き起こしかねないのだと自戒したい。
     精神病の理解実用編など,本書の魅惑はつきない。ストレートでのぞめばジャブで打ち返す,格闘技的魅力にあふれている。それでも,だからこそ闇雲な迎合は控えよう。
     生活に近いところにいる保健師だから見ていることを今一度見据えれば,別な視点と支援を生み出せるかもしれない。そうした可能性という胎児さえも,この本は宿していると私は思う。
  • 「家族」と「業界」に風穴を開ける型破りなケアの本
    書評者:風野 春樹(東京武蔵野病院・精神科)

     『ロマンティックな狂気は存在するか』『顔面考』など一般向けのエッセイでおなじみの著者の新刊は,精神病や痴呆の患者の家庭を訪問する保健婦や福祉関係者向けの本。しかし,難解な専門書かと言えばそうではなく,今までの著者の本と同様,生き生きとした実例や新聞記事などを交え,シニカルな雑談口調で書かれているの...
    「家族」と「業界」に風穴を開ける型破りなケアの本
    書評者:風野 春樹(東京武蔵野病院・精神科)

     『ロマンティックな狂気は存在するか』『顔面考』など一般向けのエッセイでおなじみの著者の新刊は,精神病や痴呆の患者の家庭を訪問する保健婦や福祉関係者向けの本。しかし,難解な専門書かと言えばそうではなく,今までの著者の本と同様,生き生きとした実例や新聞記事などを交え,シニカルな雑談口調で書かれているので,専門職でない一般読者も興味深く読めるはず。

    ◆やっぱり秋はサンマだねえ??

     さて唐突だが,漫画家・吉田戦車の最近の作品にこんな4コママンガがある(ギャグマンガを文章で説明することほど難しいことはないのだが,まあお付き合い願いたい)。
     道を歩いている主婦に「サンマが旬だよ!」と声をかける魚屋。「じゃあいただくわ」と主婦。しかし家に帰ってきた主婦は,サンマを花瓶の中に活けるのである。「やっぱり秋はサンマだねえ」と,花瓶に入れたサンマを満足げに眺める,サザエさん風のいかにも幸せそうな家族。「どこがいいのかわかんないよ」とふてくされる子供には,「子どもにはこのよさがわからないか」と父親が笑う。そして最後のコマで,「ほかの家ではサンマは食べるものだと知ったのは大人になってからだった」と独白が入るである。
     本書を読んで私が思い出したのは,このマンガである。吉田戦車のギャグが分裂病的だと指摘したのは精神科医の斎藤環だったけれど,このマンガで吉田戦車は,家族というもののブラックボックス性を描き出しているように思える。

    ◆表立って話題にされなかったことばかり

     「家」とは,不気味でグロテスクな空間である。もしかすると隣の家では,花瓶に挿したサンマを鑑賞しているかもしれない。もしそうだとしても私たちにはわからないし,当人たちも自分たちの常識が間違っているとは少しも思っていない。「家」という閉空間は,外部の社会とはまったく違ったルールで支配されていることがあるのである。そしてこれは,『屋根裏に誰かいるんですよ』からつながる著者の家族観でもある。そうした家族観を踏まえ,本書ではさらに踏み込んで,患者の「家」を訪問する援助者向けのさまざまな具体的な提言が記されている。例えば,精神病患者を「こわい」と感じるのは当然のこととか,嫌悪感や恐怖,困惑を覚えたとしてもそれを1人で抱え込まず,同僚と共有すること(これは精神分析でいう「逆転移」の利用にあたりますね)とか,患者に嘘をつくのは許されるのか,などなど。確かに重要なのだけれど,今まであんまり表立って話題にされなかったことばかりだ。

    ◆「使命感より好奇心」の新鮮さ

     そして,これがこの著者らしいところだと思うのだけれど,援助の仕事をしていて無力感を感じずにすむために必要なのは「好奇心」だと著者は強調するのである。使命感だけでは楽しくないし,ゆとりは生まれない。そうではなく,患者の独自の奇矯な論理やエキセントリックな性格に驚きを感じること。対象に没入するのではなく,距離を置いてみること。ケアというと「共感」を重視したり妙に生真面目に構えたりする人が多い中,これは実に新鮮な結論だし,私も共感を覚えた。そう,興味や好奇心がなくては,こんな仕事やっていられない。
     非常に実践的であると同時に,読み物としても抜群におもしろい本である。ただ,中には,「好奇心」だなんて不謹慎だ,と憤る人もいるだろうし,「民宿が嫌い」と書いたり,自らを「偏屈でエキセントリック」と書いたりする著者のスタンスをあまりに露悪的だと思う人もいるに違いない。福祉や医療の業界には,生真面目な人が多いのだ。そして,業界に限らず,患者やその家族への「好奇心」などと口にしようものならと不謹慎と言われかねないのが今の日本なのだ。やれやれ。
     フランクで型破りなケアの本である本書が,そんな窮屈な状況に風穴を開けてくれればいいのだけれど。
    (*評者ホーム・ページ:「サイコドクターあばれ旅」http://member.nifty.ne.jp/windyfield/)
  • 目ウロコとはこのことか-「髪かきむしり系」はぜひ一読を
    書評者:岡本 祐三(岡本クリニック・国際高齢者医療研究所長)

    ◆「髪をかきむしるケアマネ,かきむしらないケアマネ」

     最近,この「小見出し」のような風景が話題になっている。両方ともそれなりに真面目に利用者のことを考えて,日夜仕事に取り組んでいるケアマネジャーの方々だろうが,ケアマネジャーの能力向上が今後の介護保険の最大の課題の1つ,という点についてはどな...
    目ウロコとはこのことか-「髪かきむしり系」はぜひ一読を
    書評者:岡本 祐三(岡本クリニック・国際高齢者医療研究所長)

    ◆「髪をかきむしるケアマネ,かきむしらないケアマネ」

     最近,この「小見出し」のような風景が話題になっている。両方ともそれなりに真面目に利用者のことを考えて,日夜仕事に取り組んでいるケアマネジャーの方々だろうが,ケアマネジャーの能力向上が今後の介護保険の最大の課題の1つ,という点についてはどなたも異論のないところだろう。この問題の根本には,介護という日々生活を営む利用者の「個別」の「生活」,しかも病気などをきっかけとして心身の障害を抱え込んだ千差万別とされる利用者と,多くの場合その「家族」を問題としなければならないことがある。
     たしかに介護保険は,「本人給付主義」をとっている。なによりも利用者本人の尊厳と楽しみを確保し,本人の自己決定の範囲を少しでも拡げていく,それが「自立支援の理念である」などと言われるものだから,やっかいな利用者にぶち当たってしまうと,どうしてよいかわからなくなってしまう。ケアマネジャーが「髪をかきむしりたくなる」のもよくわかる。
     「現金給付」なんていうズボラな給付をするドイツの介護保険など,この点は気楽なものだ(だって,お金――それもわずか数万円の――を渡して,「お好きなように使ってください,バイバイ」と,あとは本人というかむしろ家族の責任にしてしまうのだから)。それに比べてわが介護保険は,要介護者本人の生活の質の向上をめざす「現物給付主義」を採用しているから,ケアマネジャーの悩みはひとしおである。

    ◆方法論がないから悩む

     なぜ悩まなければならないのか。「こういう場合にはこうすればよろしい」という,介護の世界でのケアマネジメントの方法論が未確立だからだ。
     その点,医療の世界の場合は「こういう診察や検査をして診断(アセスメント)し,こういう治療(ケア)をしたらたいていはうまくいく」という方法論を,医学が100年かかってかなりのレベルで確立してくれている。しかも「現在の医学水準だとここまでで限界だよ」というようなことも大筋決めてくれているから,医者自身も「できるだけのことはやった」という自己納得(正確には自己満足)にひたることができる。だから「あぁ,どうしたらいいんだ!」と髪をかきむしるようなことは(あまり)ない。社会的にしっかりと認められた「医学という方法論」のおかげなのである。
     しかし,これも主として身体の病気の世界の話で,心(こころ)系の精神や知的障害の場合はかならずしもそうではない。介護保険でも,家族内人間関係の葛藤や痴呆の利用者については,ケアマネジャーの悩みは大きいものがある。

    ◆「家は異界であり魔界である」という切り口の斬新さ

     本書は医療関係者はもちろん,介護関係者,特に「髪かきむしり系」のケアマネジャーに一読をお勧めしたい。著者は精神科医であるが,東京都下の地域の精神保健福祉センターでの勤務経験も長く,数々の第一線での「場数」を踏んだ練達の指導者である(人柄を語るものとして「嫌いなものはゴルフ,カラオケ,宴会。趣味は,商店街を妻と散歩すること」と巻末の著者紹介にある)。
     「わたしは民宿が苦手である」という書き出しに思わず引き込まれる。民宿の売りである,いわゆる「家庭的なサービス」に違和感を覚えてしかたがない,ということなのだ。「家の中は,世間とは多かれ少なかれ異なった空気と時間によって支配されている。だからこそ家庭というものに意味があり[中略],安らぎを求める」――したがって家の中は外部者にとっては「異界」であり,時には「魔界」である,という著者の明快な切り口には,「目ウロコ」とはまさにこのことと納得する。そのほかにも痴呆の本質について事例に基づいた理論的な解説があったり,また「戦略対象としての家族」論なども非常に納得がいく。実に魅力的である。

    ◆「原則」や「一貫性」の世界も構築しうる!

     また著者の長年の蓄積から抽出した「コツ」あるいは「実用編」なども,本当に気前よく展開されている。読者は何度もうなずきながら,個別性を重視するのは当たり前だが,同時に「原則」や「一貫性」という標準化された方法論の世界も構築し得るのだ,という本書の最大のメッセージにも大いに同感されることだろう。
     文章もよくこなれていて読みやすい。現場経験によって筆者の考え方が作られていった経過を読者に追体験させよう,という親切なストーリーテリング――「物語」――の手法が読者を惹きつけることだろう。繰り返すことになるが,ぜひご一読をお勧めしたい。
     さて,もっと本の内容紹介をしたいのだが,紙数がなくなってしまった。あとは読んでのお楽しみ,としておこう。
目 次
I 「家」という異界-援助者が家庭に足を踏み入れるとき 

II 家族という不思議な存在-援助者が家族と向き合うとき 

III 精神病を理解する◆実用篇-援助者が味わう不安と疑問について 

IV 意外な成り行き、望外の展開-援助者にとっての「幸運」とはなにか 

解答篇