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人生に必要なことはぜんぶ看護に学んだ
宮子あずさのサイキア・トリップ

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看護師の仕事は山あり谷あり。あちらを立てればこちらが立たず……。でも、自分の感情を研ぎ澄ましながら、人とかかわる緊張感。これもまた看護の醍醐味。精神科病棟、そして緩和ケア病棟で、そのつど悩み、不器用にも続けてきた10年のナース歴を、宮子あずさが振り返る。看護を通して学んだことが、自分の人生の支えにもなっていた!
宮子 あずさ
発行 2007年06月判型:四六頁:224
ISBN 978-4-260-00319-3
定価 1,980円 (本体1,800円+税)

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プロローグ-「看護師を続ける」ということ

 この本は、『精神看護』という雑誌の創刊号から連載させていただいている「宮子あずさのサイキア・トリップ」の1回から50回までの10年分を1冊にまとめたものです。

 つまり、もっとも古いものは10年前に書かれていて、現状とは違う点もたくさんあります。ただ、そこを書き換えてしまうと、そのとき考えていたことまで書き換えなくてはならなくなってくる。そこで、初出の号を文末に添えたうえで、そのままの形で掲載することにしました。現状が変わっている部分については、本文中の注釈とエピローグで、そのことがわかるようにしたつもりです。


◎改めて、ナース歴を振り返ってみます

 私は、看護師として働きはじめて以降、9年間内科病棟で働いたあと、1996年4月8日に精神科(当院では「神経科」と標榜しています)に異動しました。このあたりの経歴は、まとめて書いておいたほうがわかりやすいので、以下に簡単に記しておきます。


1987(昭和62)年4月 東京厚生年金病院内科病棟に就職。23歳。配属先は57床で重症者の多い一般内科病棟。就職して数年後、病院改築に伴い40床の呼吸器内科病棟になりました。

1996(平成8)年4月 神経科病棟に異動。32歳。

1998(平成10)年7月 主任看護婦(現在は「主任看護師」)に昇格。35歳。

2001(平成13)年10月 看護婦長(現在は「看護師長」)に昇格。38歳。

2003(平成15)年11月 神経科病棟に加え、緩和ケア病棟の看護師長を兼務。40歳。


 ここで年齢を書いたのは、そのときどきに自分が考えていたことを思い返すと、そこには昇格や勤務場所、あるいは人間関係といった環境的な要因もさることながら、年齢的な要素も強いと感じているからです。

 『精神看護』の創刊号は1998年1月で、当時私は34歳。43歳になった自分と比べながら当時の文章を読んでみると、今より迷いが大きいような気がするんですよ。

 俗に40歳を「不惑」と言いますが、自分はとてもそんなご立派なもんじゃないと思います。でもね、確かにこの10年で迷わなくなりました。その分人並みに悩みは深まった感はありますが。腰を据えて悩んでいるというのかな。こんな変化を感じると、年をとるのって悪くないな、と思うのです。

 まもなく、私の看護師としての経験は丸20年になります。それも、新人として勤めた、一つの病院で20年働いてきたことを思うと……。予想以上に長く続いたな、というのが正直なところです。40人近く就職した新人のときの同期は、そのほとんどが病院を辞めています。今残っているのは私を含めて3人。もちろんまだまだ、この先も働き続けますよ。


◎さらに、物書きとしての自分も振り返ってみると……

 改めて考えてみると、先ほどのように私が今の自分と過去の自分を比べられるのは、私が文章を書く仕事をしているからなんですよね。看護師として働く楽しさの一つは、自分が人間として多少は練れてきたかな、と思えることではないでしょうか。これを味わううえで、過去の自分を容易に振り返れるというのは、大きな手助けになります。けっして辛抱強くもなく根気強くもない自分が、どうにかこうにかこの仕事を続けてこれたのは、書く仕事があったことも大きかったと思うのです。

 本文中にも書いているのですが、書き手としての自分を考えてみると、けっこう禁欲的な姿勢なのかな、と思います。基本的に私は、来た仕事は来た順に受け、断るのは純粋に時間的・能力的に責任もって受けられる量を超えたときだけです。その意味では、選り好みをせずに仕事をしていて、好きな仕事をしているという感じはあまりありません。

 だれに言われたわけでもないのですが、所詮二世の七光りでごぜえます、みたいな気持ちがどこかにあって、依頼がなくなったらおとなしく消えていこうと思っているのです。私の信念として、“easy come,easy go”なんですね。たまたまのラッキーから始めた物書き業には執着しない。ただし、苦労して得た看護師という仕事には執着しよう。私にはその権利がある。言葉にすると、そんな思いが常にあるのです。

 とまあ、少し投げやりなことを書いてしまいましたが、これはあくまでも私自身が生きるうえでの基本線を守るための予防線のようなもの。ひとたび仕事として引き受けたからには、きちんとそれをまっとうするよう、力は尽くしております。そして編集者の方々には、そのときどきに、その時期しかできない仕事をさせていただいているなぁ、といつも感謝しています。

 たとえば看護学生時代は、『ナーシング・トゥデイ』という雑誌に「看護学生は今」という取材記事を書かせていただいていました。先ほども書きましたが、物書きの母親のもとに生まれ、文章を書くことには逆に屈折した感情をもっていた20代のころの話です。看護学校に入り、文章を書く仕事はしないと思っていたところに、思わぬアルバイトの話が舞い込み、結局引き受けることにしました。このちゃっかりした成りゆきこそ、若気の至りと言うのでしょうか。けれどもそこであえて深く考えずに看護雑誌で仕事をさせていただいたことが、結局今の私の働き方につながってくるのです。


◎私にとっての「リミットセッティング」

 今回改めてこの10年の連載を読み返してみると、これまでのどの連載にも増して、私自身の「現在のありよう」が反映されているなぁ、と感じます。これはそのまま精神科看護での体験が、それだけ私の仕事--引いては生き方の基本になっていることを示しています。

 たとえば精神科には、「リミットセッティング」という考え方があって、逸脱行動の激しい患者さんに対して、一定の行動制限--いわゆる「枠」--を設けることで、逸脱しないよう働きかけていきますよね。行動制限は患者さんにとって苦痛のように見えますが、その実「逸脱しないですむ」安心も与えています。こうした実例を目の当たりにし、私自身も実はこの「リミットセッティング」を利用して生きていることに気づきました。

 私にとっての最大の行動制限は、「看護師を続ける」こと。そして、看護師という仕事自体が、一定の規範に沿わねばならぬきつい仕事であるのも、「枠」として機能しやすい点です。半端な「枠」は「枠」として機能しませんからね。基本的にはあまのじゃくで、アウトロー志向の私がとりあえず大きな破綻なく生きていられるのは、まさにこの仕事のおかげだと思うのです。

 また、精神科では、危機的状況にある人間の心理や行動が、実によくわかります。ここで悩み、迷いながら考えたことは、私が管理者として病棟で働くにあたって、領域問わず大きな助けになっていると言えます。特に兼任している緩和ケア病棟では、終末期という極限状況で、患者さんもそのご家族も、そしてしばしば医療者までが、不安と無力感にとらわれ、平常心を失います。その波に私自身も巻き込まれ、ゼツボー的な気持ちになることもしばしば。それでもなんとか諦めずに考え続けていけるのは、精神科での体験が大きな力になっているからです。

 好むと好まざるとにかかわらず、看護管理に携わる方には、精神科看護を経験しておくことを特にお勧めします。そして、それが無理なら、書物を通して追体験するだけでも違うのではないでしょうか。

 この本は、精神科看護を通して学んだことを支えにして、なんとか日々を送っている私の記録でもあります。同じく悩みながら働いている同業者の皆さんのお役に立てれば、こんなにうれしいことはありません。

 今年2007年の3月で、私は勤続20年となりました。もちろんこの先も私はこの仕事を続けます。

 2007年5月吉日
 宮子あずさ

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第1章 山あり谷ありの精神科ナースの「仕事」
 異動したてはだれでも新人
 「ヤダヤダ!今日の勤務は行きたくない!」日
 波風おそれて看護はできぬ
 意地悪ナースになった甲斐
 流されてみるのもおもしろい!
 看護師って何をする人なんだろう?
 「ながら看護」の解放感
 入退院は一期一会
第2章 あちらを立てればこちらが立たぬ?
 「抑制」によるエコノミークラス症候群は廃止
 事故報告書、どうしてます?
 ドクター、これってうちの科ですか?
 人権と安全のハザマで
 電脳!看護記録のススメ
 作用vs副作用
 病院にサスマタ!?
第3章 どうにかこうにか、脱・自責スパイラル
 受け持ち制はつらいよ
 「私って偽善者なのかな?」ダイエット
 自分の日記を読み返してみよう
 嗚呼!ありえない苦情
 あなたも私も境界例
 患者さんに暴力を受けたら……
 「この患者さん変?」から始まる看護
 思考にも癖がある
第4章 涙の数だけやさしくなれる?--「受容」をめぐる闘い
 失恋の痛みは「時」とともに去りぬ
 「病名」はけっこう大事
 この「うっとうしさ」を何とする?
 自分自身がへろへろなとき
 一緒に泣いてくれたから
 悲しいときは悲しめばいい
 救えない患者さんへの誠意
 記録と記憶と死の受容
第5章 切っても切れない看護と人生
 あきらめられない人たち
 自分のことを愛してる?
 「気分転換」は永遠の課題だ
 男も女も働きましょうよ
 「家族」もいろいろ
 生きるのは死ぬことよりも大変だ
 ベンキョーは道楽です

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書評 (雑誌『精神看護』より)
書評者: 三宅 美智 (井之頭病院・看護師)
◆新人のころの気持ち、思い出せますか?

 サブタイトルになっている「サイキア・トリップ」とは“psychiatry(精神医学)”と“trip(旅)”をかけた造語だそうです。

 私は現在看護師になって8年目になりますが、この本を読んで新人のころの気持ちを思い出しました。患者とうまくコミュニケーションがとれない、患者の思いを汲みとれないと悩んだり、学校で学んだことと現場とのギャップに戸惑い、足がすくんだり……。必死に取り組むほど空回りして、自分の気持ちを患者に押しつけていたことにのちのち気づき、自分の未熟さを痛感し、涙したり……。初々しくも、少し苦~い新人のころの気持ちです。

 この本は、内科病棟でキャリアを積んだ宮子さんが初めて精神科に異動し、新人の気持ちを味わう話からスタートします。宮子さんの「サイキア・トリップ」のはじまりです。宮子さんの10年間を、私はそんなこともあったな、似たような体験をしたな、とまるで自分の日記を読み返しているかのように読み進めていました。それは自分の「サイキア・トリップ」を振り返ることでもありました。宮子さんは「看護する人生はまさに旅。人のありように迫る精神科看護は特に味わい深い旅といえるでしょう。ナースの数だけ、旅がある。あなたはどんな場所へ向かっていますか?」と問いかけています。

 たくさんの人と出会い、たくさんの人と別れ、たくさんの人に向き合い……そうした機会が自分の人生に多くの影響を与える精神科看護を、私は単なる仕事としてだけに割り切ることはできません。看護する人生を旅に喩えた宮子さんの問いかけに共感し、読み終わったあと、私にはこれからどんな旅が待っているのだろう、そんな期待に満ちた気持ちになりました。

◆あなたも私も境界例

 ここで、本の一部を紹介したいと思います。この本は5章から構成されていますが、第3章「どうにかこうにか脱・自責スパイラル」のなかの「あなたも私も境界例」という項目です。タイトルを見ただけでなんだか胸がドキドキし、目次に目を通したときにまっさきに目を付けていました。

 宮子さんが体験した事例が4つあがっています。それは精神科の看護師であれば誰でも体験しうる話です。宮子さんは境界例の事例に関して、どの事例も本質に迫れない感じが共通している。皆、解決しなければならない大きな問題があるのに、それを決して見ようしない。それがわかればこそ、相手を追い詰めないように、さりげなく近づきながら、少しずつ問題に直面できるようはたらきかけるが、知らず知らずのうちに相手の土俵に乗せられ、問題の外側の縁をぐるぐる回されて疲れ切ってしまう。相手の手の内にはまって感情をかき乱された看護師の様は、「ふらふらになる」の一言に尽きると語っています。

 この文章を読んで思い出しました、ふらふらになった境界例患者との戦いを。境界例患者との戦いは、まさに自分との戦い。日々消耗し、何が悪いのか、患者が悪いのか、自分が悪いのか、医師が悪いのか……心の底にふつふつと消化不良のまま蓄積されていく感情をどこにぶつけてよいのかわからないまま、最後は自分の陰性感情を患者にズバリ見抜かれ、子どもの喧嘩にも及ばない口論に至ったことがありました。このときの私は自分が看護師であることを忘れていたかもしれません。ただただその患者に対して感じる嫌悪感に振り回されていました。どうにもこうにもその感情を乗り越えることができず、医師に「私はあの患者が嫌いです。もう無理です。(あの患者を)退院させてください」と、私と患者とどっちが大事なんですか?といわんばかりに訴えたことを覚えています。これも新人のころの苦い思い出の1つです。宮子さんは境界例的な患者とかかわってふらふらになって帰宅したときに、夫に対して境界例的に振舞うと告白しています。あなただけではありません。私もそうです。境界例的振る舞いには境界例的振る舞いで、目には目を、歯には歯を……そんな看護師はたくさんいるはずです。

◆生きることは死ぬことよりも大変だ

 もう1つ印象深い文章を紹介したいと思います。第5章「切っても切れない看護と人生」のなかの「生きることは死ぬことよりも大変だ」という項目です。

 『100万回生きた猫』を読んで宮子さんが生と死について考えたこと、友人ナースの死に向きあって感じたことが書かれていました。

 死に向き合うことはとてもつらいことですが、なかでもつらいのは、人が自らの命を絶つことです。「生きることは死ぬことよりも大変だ」を読んで、これまでに体験した患者の死について考えました。以前、自傷行為を繰り返す境界例の患者になぜこんなことをするのかと尋ねたことがありました。「生きていてこんなにつらいのに、どうして生きていかねばならないのか、生きることに価値を見出せない。自分を傷つけることによって、私は生きていることを確認している。そうすることでしか生きられないのに、どうしてそれを止めるのか。看護婦さんはどうして生きているのか?」と逆に問われて、言葉を失ったことがありました。家族関係が複雑で、家族から自分の存在を認めてもらえない患者に、どんな言葉をかけたらよかったのか、今でもその答えは見つかりません。宮子さんも自責感に悩んだり、疎外感に苦しんで、「生きていてもいいですか」な気分になるくらい落ち込むことがあると他の箇所で語っていますが、人間生きていれば、そんな気持ちになることが一度や二度はあるんじゃないでしょうか。私はその患者に言葉を投げかけられて、逆に生きる意味について考えたことがあっただろうか、と気づいたのです。

 患者の自殺に出会うと、救えなかった自分に対する無力感と生きることをあきらめてしまった患者に対する怒りを感じるのです。何で死ななくてはならなかったのか、残された私たちはいろいろな意味を見出そうとします。自責的になってみたり、他罰的になってみたり、感情が安定するまで本当に苦しみます。亡くなってしまった人の時間はそこで止まってしまいますが、生きている私たちの時間は亡くなってしまった事実とそこに伴う感情とともに進んでいくのです。

 こんなとき私は「生きることは死ぬことよりも大変だ」と思うのです。生きていることに意味を見つけられなくても、生きることをあきらめたくないと思うのです。

 宮子さんが使っている意味あいとは少しずれているかもしれませんが、読みながらそんなことを考えました。

◆あなたはどんな場所へ向かっていますか?

 看護師としてだけではなく、女性として、妻として、娘として、学生として、さまざまな視点から綴られた宮子さんの軌跡。この本を読んでいると、看護が自分の人生に大きく影響を与えていること、また自分の普段の生活が日ごろの看護に影響していることを改めて知るのでした。

 10年間の宮子さんの成長や変化を、読み手もきっと感じることができるでしょう。私も宮子さんのようにいろいろな体験を重ねて、10年後、今とは違う場所にいることができるのでしょうか。 10年後の自分に向けて、今を頑張ってみようという気持ちになりました。

 皆さんもこの本を読んで、サイキア・トリップしてみませんか?
心から共感し自分を重ねられる一冊 (雑誌『看護管理』より)
書評者: 餅田 敬司 (滋賀医科大学医学部附属病院副看護部長)
 本書は,雑誌『精神看護』の連載10年間分(計50回)をまとめたものです。精神科と緩和ケア科の混合病棟内での患者さんとのトラブルや失敗談,警察がらみの事件などに,著者が一生懸命対応している姿が描かれています。また一方では,私的な物思いにふけっている自分自身への問いかけ,さらに人生そのものへの問いもあり,著者の私生活での一面をのぞきみるような感覚に陥り,自分と対比させながら読んでしまいます。メインテーマは「人生とは何か?」。「うん,うん」と納得しながら,時には笑いを誘う元気の出る本です。

 徳川家康が「人生とは,重い荷物を背負って遠き道を行くが如し」,お釈迦さまが「人生は苦であり,常に無常であり,縁により変わり行くものである」と言ったように,心のもちようが人生のいろんな場面で試されているように思います。臨床場面が人生道場のようにリアルに表現され,そのあるがままの文章に読者は共感していきます。

◆学生からベテランまで

 これから看護師をめざそうとする方から,看護師として苦悩しながらも看護の喜びを感じている方まで,著者の描く場面を想像しながら,「そんなことも味わうの!?」「そうそう,よく似た事件を体験したことがある」と感じるでしょう。精神看護やターミナルに関わっていない方でも抵抗なく読み流していけます。好きな頁から,気になる章から読んでも面白い。

 本書は,日記のようにその日の出来事が事実と感想とで構成されていて,「そんな考え方もあるんだ」と思えたり,「それって,少し言い過ぎかも」と批判的な視点に立ったりしながら著者の足跡をたどり,10年間を味わえます。ただ,年代が前後するので章末の年月日に注意が必要です。

 元気がでる中身にはもうひとつの理由があります。本書は,すべて著者の経験談をもとにしていますが,その時々の思いや感情は著者だけが抱くものではなく,共通したものがあるということです。看護師という職業から見出された自分探しの旅であるため,新人看護師の道しるべになり,また管理者への戒め(仏教でいう八正道に通じます)や方策のようにも読み取れます。その醍醐味は,自分自身で味わってください。

◆生きることへのこだわり

 著者の言葉には,さりげなくも心の奥底のデリケートな部分にストレートに語りかけてくる言い回しがあります。これも本書に独特の雰囲気をかもし出しています。看護職だけでなく,患者さんや家族,そして他職種の方々や看護師をめざしている学生の方にも味わってほしい,“あずさワールド”です。人が好き,そしてなによりも自分が好きと,自己肯定している著者に傲慢さはなく,逆に日々の自分の気持ちに葛藤しながらも一生懸命生きている姿に自分を重ねられる一冊です。

*八正道
釈迦が説いたとされる,人間の正しい生き方の基本。
1)正しい見解(正見),2)正しい考え方(正思惟),3)正しい言語的行為(正語),4)正しい身体的行為(正業),5)正しい生活(正命),6)正しい努力(正精進),7)正しく念じること(正念),8)精神の集中と解放(正定)

働きながら看護の現場から学ぶ
書評者: 陣田 泰子 (聖マリアンナ医大病院副院長)
 もう何年前になるだろうか。少なくとも10年以上は過ぎている。その時彼女は,2年目研修の講師だった。当時小児外科病棟から教育担当になった私は,1年目のナースの研修は数多くあるけれど,2年目がエアポケットになっている状況を何とかしたいと考えていた。

 新たに企画した研修の講師を誰にお願いしようかと考え,先にある研修に出かけ彼女の話を聞いていた。「研修に来ていただこう」,私の気持ちはすぐ決まった。

 その日,もう到着するころだと思って玄関付近でうろうろしていた。分かりにくい場所であり,東京の武蔵野辺りから来ると言うので少し心配だった。しばらくすると玄関に大きなオートバイで駆けつけた人がいた。小柄なその人は,かぶっていたヘルメットを取って近づいて来た。顔を見て驚いた。女性だった。その大きなオートバイが,いわゆる7ハンと呼ばれているものだということを,このあと彼女の口から聞くことになった。

 びっくりしている私に言った。「宮子です。どこかに更衣室はありますか……」。その後また私はびっくりすることになった。革ジャンをぬいだ彼女は,なんと革ジャンとはおよそほど遠いカラフルなミニスカートに変身したのだ。当時はスタッフナースだった宮子さんから2時間の講義を受け,グループワークをして1泊2日の研修は好評のうちに終了した。

 各種雑誌の連載,出版された本を見ては,「あ,主任を引き受けたんだ……」,「精神科に変わったのか……」それから「緩和ケア病棟と精神科をあえて希望し婦長になったんだ……」,宮子さんの師長ってどんなマネジメントなのか興味があるな……,とそのプロセスはいつも気になり,そしていつしか私も看護部長になっていた。

 今年の8月,再びジョイントする機会を得た。某学会のシンポジストとなり,隣でスピーチすることになった。今回は遠方と言うこともあり,さすがにバイクで駆けつけることはなかったが,スピーチはあの頃の“しなやかな見つめ方”は変わらなかった。

 彼女の持ち味は,「まじめ一筋」の看護職の中でも特異な存在である。多くの本を書いている中で,いちばん記憶にあるフレーズが「○○さん,お通夜のお寿司は竹よ……」と亡くなった患者さんの妻が,臨終の場面のすぐあとにお嫁さんに言ったというものである。どんな時でも,生活を続けていかなくてはならない“人間のごく普通の現実”を,そこ抜きには実は看護もありえないということを伝えてくれる。

 「人生に必要なことはぜんぶ看護に学んだ」,生老病死の縮図のような病院である。この病院の中で看護を続けると言うことは,言うは易し,実は相当大変なことである。1年も経たずに辞めていくナースが昨今の話題であるが,今ナースとして3年継続できると言うことは素直に“すごい”と思える。エネルギーを切らさず,今できることから“看護を続ける”ことができたら相当なことは,この看護の現場から学ぶことができるはずである。

 “働きながら,看護の現場から学ぶ”ことにこだわる宮子さんの本筋がぎっしり詰まっている。

 タイトルについて一言。『人生に必要な知恵はすべて幼稚園の砂場で学んだ』(河出書房新社)をもじってのものであることは,読者もおわかりであろうが,表紙の中で私の目に留まった言葉は「サイキア・トリップ」である。このタイトルをもっと生かして大きくしてもよかったのではないかと思っている。まさに宮子さんのしなやかさを表現している言葉であると,いたく感嘆した。

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