医師アタマ
医師と患者はなぜすれ違うのか?

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EBMを学ぶほどに陥った混乱――「患者にとって常に有益な医療サービスなどない」「ニュートラルに医療情報を伝えるのは難しい」。医師のなかでは当たり前な考え方も患者には極端で奇天烈なものかもしれないと考えた著者らが、論理的にevidence‐basedに、医師と医師以外の世界の違い、医師の思考過程の特殊性に迫る。医師と患者がともに最善の選択を探すうえで必要なもの、医師も患者もハッピーになれる医療がここにある。
編集 尾藤 誠司
発行 2007年03月判型:A5頁:220
ISBN 978-4-260-00404-6
定価 2,420円 (本体2,200円+税)
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執筆者/尾藤誠司



 本書を手に取っていただいてほんとうにありがとうございます! 笑劇的なタイトル,ですが,まじめに21世紀の医療を考えて書いたつもりです。

 本書のきっかけは,2002年にさかのぼります。私も,臨床疫学や臨床研究のイロハを米国で学び,その後図らずもevidence-based medicine(EBM)が黒船のようにわが国に到来し,盛り上がっているところでした。私も当時は敬虔なエビデンス至上主義者の一人だったわけですが,いつも自分に折り合いがつかなかった部分がありました。それは,EBMの,いわゆるステップ4「情報の患者への適応」の部分です。実際に,診療の場面で患者さんを目の前にした場合に,自分が採取し批判的に吟味を行った医療情報をどうやって扱えばよいのだろうか,臨床エビデンスとしてはレベルIのエビデンスが得られている診療行為について,そのままこの患者さんに適応することは本当にこの患者さんにとって利益になるものなのだろうか,ということを考えていくうち,だんだんよくわからなくなってきました。そして,医師としてEBMのステップ4に対峙する際,何らかの新たなロジックが必要であるということを考え始めました。

 そんな折に,本書の共同執筆者の一人である名郷氏が,講習会のために私の勤務先を訪れ,二人で雑談を始めたことが本書の具体的なきっかけでした。私たちはこんなことを話し合いました。



 「病態生理」に基づく医療から「臨床疫学的な研究成果」に基づいて医療の情報が吟味され,医療判断が行われるようになったことは,大変喜ばしいことである。ただ,一方では,臨床疫学的な根拠は医療の効果と同時に医療の限界も提示する。だからこそ,今後は情報のコミュニケーションが大切になる。

 医療におけるコミュニケーション,そして,患者と医療者がともに考えたうえ,最善の選択を探すうえで大きな問題となるものは,おそらく医師が共通してもっている思考の世界ではないか。健康に関する,一般的な世界はとてもぼんやりしたものである。一方で,医師の脳の中にある世界は,驚くほど一様で,はっきりしたものである。われわれ医師たちは,この明快な世界を,一般の世界に知らず知らずのうちに無理やり当てはめようとしてはいないか? EBMが,本当に医療を受給する人にとって利益のあるものであるためには,その部分に切り込まざるをえないだろう。



 ほどなくして,わが国においては臨床疫学のまさに草分け的な存在である新保氏と話した際に,やはり同じ問題意識をもっていたことに対して,驚きを隠せなかったとともに,なんとしてもこの問題に取り組みたくなったのです。



 本書は,明確に「コミュニケーション」を扱っている本だといってよいでしょう。しかしながら,多くの医療コミュニケーションに関する本が,どのように話すべきか,何について説明するべきか,という実行上のコミュニケーションについて解説していることに対して,本書では実行上のコミュニケーション技法についてほとんど扱っていません。医療に関する患者-医療者間のコミュニケーションにおける最大の問題点は,医療者,とくに医師が一様にもっている事実の認識の仕方,そして,その事実に対する価値観にあると考え,そこに焦点を当ててみたわけです。すなわち,それが私たちが本書のテーマとしている「医師アタマ」なわけなのです。



 「医師アタマ」とはなんでしょうか? 端的にいうのであれば,「世界は,正しいことと間違ったことから成り立っている」という考え方,そして「正しいことは,すべての人にとって正しいものであり,間違っているものは,すべての人にとって間違っている」という考え方が,医師のなかでは確かにあるということです。自然科学としての医学がもつ業のような思考とそのプロセス,それを私たちは「医師アタマ」と呼ぶことにしました。



 執筆の多くは現役の医師によるものです。本来であれば,このような本は,文化人類学の研究者が書くべきものなのかもしれません。医師である自分は,なんだかんだいっても「医師アタマ」から抜け出すことはできないのかもしれません。しかし,同じフィールドにいないと気づくことができないことも多い。多少限界はあるかもしれませんが,自らで自らを振りかえり,分析したひとまずの結果が本書です。読者対象は,医師,そして医師と直接関わる人々を想定しました。できる限り非医学書なスタイルにはしましたが,本書の発想がポストEBM的な文脈から発生していますから,一般の方にとっては読み物としてとっつきにくいところがあるかもしれません。



 本書とともに,医療に関するいろんな場面をイメージしていただくことができれば幸いです。

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第1章 医師の頭の中は「イシアタマ」である
 今こそ医師アタマの考察と反省を
 異文化コミュニケーションとしての患者-医師関係
 医師アタマを変えてしまえ!
第2章 医師アタマにとっての「病気」と「健康」
 「健康」とは何か?
 病人と正常人の境目
 コミュニケーションの道具としての病名
 「治る」と「治す」―かぜの抗菌薬問題
第3章 医師アタマが描くプロセス
 エビデンスに基づいたあいまいな判断―医学的根拠と医師の立場
 引き算で得る安心―鑑別と除外診断のプロセス
 医療における時間の感覚
 悪くなったのは誰のせい?―因果の迷路
第4章 医師アタマにとって大切なものとそうでないもの
 王様は病態生理
 「西洋医学でないものはうさんくさい」はどんな根拠に基づくのか?
 アウトカムと人生の折り合い
 医療における「よいこと」について
 医師は誰のことを考えて診療しているのか?―医師にとってのお金
第5章 医師アタマと患者
 医師の判断と患者の決断―Shared decision makingにおける諸問題
 診療ガイドラインは何のため?
 医師と患者は友達であるべきか?
 傷害としての医療
第6章 医師アタマの医療はどこに向かうのか?
 患者にとっての「専門家」と医師のなかでの「専門家」
 祈りに効果はあるのか?―医療と宗教
 医師は「偉い人」であるべきか?
 医療は本当に人の役に立っているのか?
 愛のシステム―「患者中心の医療」から「患者とともに考える医療」へ

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よりよい医療コミュニティづくりのきっかけに(雑誌『看護管理』より)
書評者: 田中 祐次 (東京大学医科学研究所探索医療ヒューマンネットワークシステム部門)
◆著者の背景を知り対話するつもりで読みたい

 本書は,7人の医療に関わる専門家により執筆されています。それぞれが自分の立場(法律家,または研究者,開業医,勤務医)から,「医師アタマ」にまつわる話をしています。題名はお気づきのとおり洒落っ気を出して,「石頭」と「医師アタマ」をかけているのですが,本文では本当にまじめに副題にあるとおり,医師と患者のすれ違いに関して書かれており,きわめて興味深い内容になっています。

 私は本を読むときには必ず著者紹介を読み,著者の背景を知るようにしています。そして,本書こそは,本文を読みすすめる前にぜひとも206-207ページを開き,そこに書かれている各著者の背景を知ってほしいと思います。それぞれの著者のもつ背景を知ったうえで,著者と対話をするつもりで読むことをお願いしたいのです。本書は医師-患者関係に焦点を当てていますが,きっとチーム医療を行なう看護師の方々の立場から,同じような,または違った意見がでてくると思います。そして,そこに「医師アタマ」を超えた,よりよい医療コミュニティが生まれると私自身が思ったからです。もちろん新しい“看護アタマ”も登場するかもしれませんが。


◆自身の「石アタマ」も見直そう

 著者の方々は,「医師アタマ」に悩まされているのは患者だけではなく,その他の医療スタッフ(一番が看護師でしょう)であることも十分承知ですが,始めのほうに書いてあるように,本書は医師-患者関係に焦点を絞っています。Evidence Based Medicineが中心にある現代の医療のなかで,医師-患者間で何が問題となっているのか,その解決はどのように向かえばいいのか,それぞれの著者がそれぞれの立場で意見を出しています。私自身も,深く共感するところと首をかしげてしまうところがあります。それは私の「医師アタマ」のせいなのかもしれませんし,著者らの「医師アタマ」のせいなのかもしれません。

 そこで,看護職の方々に読んでいただくことで著者らの「医師アタマ」を見つけるとともに,自身の「石アタマ」についても考える機会をもってほしいと思いました。ですから,医師-患者関係に焦点を当てているものの,看護職の方々にもぜひ読んでほしい,考えてほしい一冊です。

 そうすることで,医学ばかりではなくすべてにおいてEvidence basedに偏っている今の医療の殻を抜け出し,新しい型の医療コミュニティをつくり,新しい医療に向かうことができるのではないでしょうか? さらには,患者中心の医療ではなく,患者とともに歩む医療が築けるのではないでしょうか?
医療現場の問題解決のKeyは「異文化コミュニケーション」(『看護学雑誌』より)
書評者: 鈴木 真理子 (国立がんセンター中央病院副看護師長・臨床教員)
◆医師は,医師間だけでしか通用しない価値体系のなかにいる

昨今の医療現場は,医師のパターナリズムを否定し,インフォームドコンセントに基づく患者の自己決定権尊重を絶対視する傾向にありますが,その根底にある患者-医療者,特に医師とのコミュニケーションにおける問題の原因に関してはあまり追究されないまま,方法論のみが先行されている感があります.
しかし本書は,そもそも医師とは,医師間だけでしか通用しない常識や良識を持ち,その価値体系によって成立された特殊な文化圏の住人であり,「石頭」ならぬ『医師アタマ』の人種だと自覚した現役の医師たちによって,そんな医師の特殊性が根深く存在していることこそが,患者-医師間におけるコミュニケーションの大きな障害になっていることを指摘しているという点で斬新でユニークな書です.
さらに医師と同じ現場で一緒に働きながら,なかなか医師とは対等な関係になれず医師とのコミュニケーションにおいて常に苦慮している,多くの医療従事者たちにとっては医師を理解する上での恰好の書でもあります.

◆「異文化圏」にいる医師を理解する糸口に

医師たちにとって,医療現場は自分のテリトリーであり,専門用語だけでも十分にお互いの会話が成立します.そして,自然科学に依拠する病態生理とそれに基づいた因果仮説から治療方針を決めるということが,共通の価値判断基準になっているなどの点において,明らかに患者より優位な立場にいます.
一方,病気になるまでは医療現場という世界をまったく知らなかった患者にとって医療現場は,非日常的な空間であり,ほとんどが初めて経験することです.したがって,いくら細かな説明を受けたとしても,何を基準にしたらいいのかわからないなかで,今後どうしたいかを自分で決めなさいと言われて困惑したり,反対に自身の気持ちや希望だけでことを決めようとしてしまったりすることもあります.しかし,医療界にあまりにも慣れ過ぎてしまっている医師にとっては,そんな患者の戸惑いや不安は,自分の文化圏外の出来事であって,関心がないのかもしれません.
また,医療現場での出来事が日常的なものであるという点では,医師とは共通点を持っているはずの他の医療従事者にとっても,唯一絶対的な医師の価値観やその価値観に基づいた行動は,賛同し難く,時に違和感を覚えます.
医療という特殊な文化圏において,立場も価値観も異にする者同士が,円滑にコミュニケーションを取っていくためには,医師たちは自身の世界に対して謙虚になること,そして患者や他の医療従事者たちは異文化圏の住人の筆頭である医師を理解し,お互いに歩み寄ることであり,その糸口となる本書は,すべての医療関係者にとって必読の書と言えます.
異文化コミュニケーション医師-患者関係を理解する
書評者: 草場 鉄周 (北海道家庭医療学センター)
 爽快な本である。それが第一印象。今まで理論武装や文献による裏付けに基づいて,系統的に同様のテーマを扱った本や論文を読むことはあったが,この本のように,現場でまさに日々働いている医師が,真摯に日常の診療を見つめ,一気呵成に論を展開したものは初めて手にした気がする。それゆえに,同じく現場で迷いながら働いている一人の医師としては,実に共感しやすく気持ちがよい。

 本書では,「異文化コミュニケーションとしての患者―医師関係」という一貫したテーマの中で,そのコミュニケーションのずれの多くは医師独特の思考様式にあると指摘。それを「医師アタマ」と表現しながら,「健康とは?」「診断とは?」「医療におけるよいことは?」「医療は本当に役に立っているのか?」という,およそ医療の基本命題のすべてといってよい多岐にわたるテーマを「医師アタマ」の視点で見つめ直す作業を約200頁にわたって繰り返している。無論,こうしたテーマに関して,それぞれの筆者によって提示された判断は微妙に異なり,それもまた自然と医師アタマを読者に理解してもらう材料となっている気がする。

 『バカの壁』の筆者である養老孟司は著書『唯脳論』の中で,現代文明は人間の脳が持つ認識パターンを人工物や制度・システムで構築した世界であり,実は脳の表現型に他ならないと説明する。そして,文明以前から存在する自然界,人間の身体そのものと不調和をきたす定めにあると論じている。翻ってみると,世界の不調和の多くは,化石燃料使用による地球温暖化,国境線の設定による紛争など,脳がもたらした災厄に他ならない。われわれ人類の発達した脳がなければ,密林で群れをなすチンパンジーやオランウータンのように,悩みは少なく,自殺も存在し得なかったであろう。ただ,現実を否定することはできない以上,われわれはこの脳をもって問題を解決せざるを得ない。まさに,毒をもって毒を制す,である。

 医師アタマについても同様であろう。医師アタマを避けることは難しいし,突き詰めるとヒポクラテス以来の現代医療を否定せざるを得ない。ただ,この本の中では,自らの診療態度を省察し,自分の医師アタマを発見して,それと認識することを一つの解決策として提示している。その限界を意識しながら,医師としてふるまい,同時に患者が固有の論理と生活背景を持っていることを忘れないということである。

 日々診療する中で,これを実践し続けることは容易なことではない。いちばん困難なことは自分自身の医師アタマを見つけることである。私はグループ診療を通じた日常診療の振り返りのプロセスが最も効果的と考えているが,現実的にこうした環境を作ることができる医師は少ないだろう。そうした方にとって,この本は一つの重要な材料になるであろう。一人でも多くの医師に,医師アタマを見つけてもらいたい。それは日本の医療に少なからずよい影響を与える予感がする。
「医師アタマ」について問題提起してくれた画期的な本
書評者: 白浜 雅司 (佐賀市立国民健康保険三瀬診療所)
 総合診療の雑誌『JIM』で興味深く読んでいた連載「患者の論理・医者の論理」が,『医師アタマ』という実にうまいネーミングで1冊の単行本にまとめられた。題名だけで一本取られたという感じだが,通して読むことで,執筆者の思いがよりわかりやすく伝わってきた。

 一口でいうと,副題にある「医師と患者はなぜすれ違うのか?」という問いに対して,「医療における患者―医師間のコミュニケーション不全は,基本的に医師の論理が持つ頭の固さ,すなわち,『医師アタマ』に起因するものである」という仮説を立て,その仮説の検証として,医師側の思考プロセスの問題点を挙げ,現時点での対策をできるかぎり多角的に詳細に探求するという画期的な本である。

 抽象的になりがちな上記の問題点を,わかりやすい症例を提示して一緒に考えさせてくれるのがいい。読みながら,自分の外来患者さんの顔が浮かんできた。BMI 30,血圧170mmHg,空腹時血糖160mg/dl,コレステロール260mg/dlの住民検診結果を持って来られた75歳の農業をしている男性。腹囲も90cmと典型的メタボリックシンドローム。型どおりの食事療法,運動療法を勧めたが,なかなかうまくいかない。「しっかり食べて,塩分もとらんと仕事にならない」という。一見すると,日に焼けていて私より元気そう。じゃあ,この患者さんに医師としてそれ以上介入しなくていいのか,迷ってしまう。医師が考える医学的診断,未来予測に基づく治療の必要性をどのように患者に理解してもらうか。確かにこの方は脳卒中など生活習慣病のリスクは高いが,それはあくまで確率の問題。この人に病気が起きるかどうかはわからない。

 後半の各章で挙げられたすれ違いの対応策には,その根拠として医師―患者関係の論文が引用されているが,欧米のものが多く,日本の医師―患者関係に適応できるのか,少々疑問に思った。しかし,本書の問題提起が新たな研究のスタートになる予感もしている。

 また今回は,自分たち医師が,まず医師の問題点に気付いて対応しようという姿勢で書かれたため,医師以外の筆者は稲葉氏1人だった。ぜひ次回は,もう一方の当事者である患者さん,他の医療専門職(看護師やケースワーカーなど,患者が話しやすい職種とのチームアプローチは,すれ違いの打開策のひとつではないだろうか),医療社会学や医療人類学の研究者など,医師以外の視点も含めた医師アタマの打開策を探ってほしい。

 最後に尾藤氏が書かれた「健康のパートナーとして患者とともに考えることができるわれわれ医師は,やはり幸せだ」というフレーズが気に入った。私自身,時々すれ違いを感じることはあっても,この幸せを感じられるから今の仕事が続けられるのだと思った。それは,自分が地域に住んで地域で働いていて,患者の背景がわかりやすく,患者も私の背景がわかるからかもしれない。医療環境の激変の中で,この幸せを忘れかけている臨床の先生方にぜひこの本を読んでほしい。医師としてのやりがいをもう一度思い出すきっかけを与えてくれるだろう。
「異文化コミュニケーション」への新たなエネルギーが湧いてくる
書評者: 辻本 好子 (NPO法人ささえあい医療人権センターCOML 理事長)
 タイトルの斬新さに目を引かれ,つぎに「患者と医師のすれ違いのキーワードは異文化コミュニケーション」とある帯の文字で,時代の変化を実感。10年以上前,ある学会のシンポジウムで発言した私に,学会長が「深い河はともかく,異文化圏という言葉は医療者に対して失礼ですヨ」と諭すようなご指摘。それが今や「キーワード」なのです。

 そして執筆者一覧のなかに,かつてどうにも議論がかみ合わず,心密かに「イシアタマ!」と思ったことのある方々(失礼!)のお名前が。しかし時代の変化とともに「柔らかアタマ」に変身されていました。

 うんうんと共感を覚えて読み進むうちに,20年ほど前,COMLを立ち上げるときに何度も相談に乗ってくださった故中川米造先生のお言葉がよみがえってきました。「21世紀は専門家のカリスマベールが剥ぎ取られる時代。だから医療現場にも新しい患者と医療者の関係づくりが必要になる。がんばりなさい!」と励ましてくださいました。

 COMLが17年間,4万件に余る患者や家族からの電話相談に対応するなかで,最近とみに感じる患者の急激な意識変化。誤解を恐れずに言えば,スタート当初に届いた「なまの声」はヨチヨチ歩きの幼子のよう。パターナリズム医療に身を任せ,長年受け身に甘んじていた患者が少しずつ目覚め,次第に情報を得ることで自分の気持ちを言葉に置き換え始めました。ところがここ2―3年は,まるで思春期・反抗期の頃の自分を見るような「訴え」が目につきます。このまま患者の権利要求だけが高まって,日本の医療崩壊につながるようなことがあってはなりません。この危機をチャンスに,患者が一日も早く思春期・反抗期を卒業し,めざすべきは「自立」「成熟した判断」という果てしなく遠いゴールです。そこには,正解も完璧もない曖昧な医療に断固と足を踏み入れ,患者とともに歩もうとする医療者の支援が不可欠。7名の執筆者の熱い想い,戸惑い,そして悩みや迷いといった危機感に共感を覚え,“それでもなお!”の強い意志が伝わってきました。

 ……諦めなくてもいいんだ……!!

 読了後に浮かんだのは,高知空港で胴体着陸した乗客の表情。インタビューに応える1人ひとりが,機長とともに戦い抜いた戦友のように誇らしげで,不思議なほど爽やかな顔がテレビに映し出されていました。機長が緊張状況のなかで繰り返し,適宜適切に乗客が安心・納得できる必要な情報をわかりやすくアナウンスし続けて情報を共有。「訓練をしているから安心して乗務員の指示に従って欲しい」と語りかけたことで,乗客も心を1つにすることができたに違いありません。満足そうな彼らの表情から,患者が求めているのは「これだっ!」と確信させられました。

 本書それぞれの項を分担する執筆者の,気の毒なほどの歯切れの悪さが,むしろ私には心地よく,医療の限界や不確実性,理不尽なまでの不条理,不合理に誠実に悩み続け,日々進化を遂げようとする姿に映りました。「協働」とは互いの足りなさを補い合う関係づくり。もちろん患者も,そして医療者も決して完璧な人間であるはずもなく,浅井氏の言う「人間的」に接する互いの努力が必要です。本書は悩める医療者の心のうちを知る意味からも,医療者はもちろん,ぜひ患者の立場の方々にも読んでいただきたい。きっとコミュニケーションの努力をしてみようと,新たなエネルギーが湧いてくるに違いありません。

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