迷える指導医のミカタ
臨床教育お悩み相談室 どうする!? サロン

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指導医から寄せられる切実な悩みに対し、現場で教育に携わる3名が対話形式で向き合う。実際のディスカッションをもとに、多様な視点から悩みを整理し、教育理論や最新エビデンスと結び付けて検討。経験談にとどまらない実践的な洞察とヒントを、ユーモアを交えてわかりやすく提示する。

*本書は雑誌「総合診療」の連載記事に加筆・修正を加え、再構成したものです。
著 佐田 竜一 / 木村 武司 / 長野 広之
発行 2026年08月判型:A5頁:232
ISBN 978-4-260-06600-6
定価 3,960円 (本体3,600円+税)

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序

1章 はじまりの戸惑い
 1 新研修医オリエンテーション、何を話す? 何を伝える?
 2 何ができれば“指導医”って言えるの?
 3 指導に“笑顔”は必要?
 4 「レクチャー」って本当に意味あるの?
 5 医学教育のエビデンス、どう探す?
  1章のまとめ

2章 関係づくりでのつまずき
 1 褒め方がわからない
 2 教育スキルの見える化ってすべき?
 3 「責められた」と思わせない指導のコツ
 4 指導医と研修医のほどよい距離感って?
  2章のまとめ

3章 現場で「教える」ときのモヤモヤ
 1 短時間で学習効果を高める外来指導は?
 2 ベッドサイドで“響く”指導のヒント
 3 研修医のモチベーション、どう引き出す?
 4 自分より優秀な人に、どう教えたらいい?
 5 効果的な「振り返り」の方法とは?
  3章のまとめ

4章 指導に行き詰まったら
 1 細かすぎる指導は、信頼されていないと思われる?
 2 新しい施設の文化にどう溶けこむか?
 3 教育する側の“メリット”って何?
 4 “勉強会”ってどうやると効果的?
 5 アカデミア教育における陰性感情にどう対応する?
 6 “困った”研修医とどう関わるべき?
  4章のまとめ

5章 次年度へ向けた振り返り
 1 働き方改革時代の悩める指導、どうする?
 2 ハラスメントに悩む研修医、どう対応する?
 3 ワークショップ、どう始めたらいい?
 4 主体性のない研修医……どう介入すれば動き出す?
 5 生成AIと“学習”のバランス、どう考える?
 6 教育と洗脳、何が違う?
  5章のまとめ

欧文索引
和文索引

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迷うことから始まる指導医の学び
書評者:石丸 裕康(関西医大理事長特命教授・総合診療医学(地域医療学))

 臨床医は,いつ指導医になるのだろうか。多くの医師にとって,それはかなり外発的なものだろう。臨床を続けていると,ある日,上司から「研修医を指導して」とか,「学生をみてあげて」とか頼まれる(≒押し付けられる)。さて,指導ってどうするんだっけ。教え方なんて習っただろうか。

 そんなとき私たちは,それまで受けてきた指導を思い出す。あんな指導医もいた。こんな教え方もあった。反面教師的な体験も頭をよぎる。雑多な記憶を寄せ集め,まあ,こんな感じでいいのかなと指導を始める。『迷える指導医のミカタ』は,まさにそんな人のための本である。

 著者3人はいずれもよく知る方々で,佐田竜一先生,長野広之先生は臨床現場に,木村武司先生は医学教育研究にやや比重を置くとはいえ,皆,現場に立ちながら教育にかかわり続ける優れた指導医である。その3人が指導現場の悩みを題材に語り合う。そのやりとりが本書の魅力である。

 本書は体系的な教科書ではない。教育を語るとなると,カリキュラム・プランニングだとかアセスメントだとか,項目別に整理したくなる。しかし現場の悩みはそんなふうには現れない。本書のテーマもかなり雑多だ。ところが読んでみると意外に網羅的で,良いレクチャーとは何かという古典的な問いから,AIを教育にどう取り入れるかという最先端のテーマまで幅広い。困ったときに開けば,大抵は似た問いが見つかるだろう。私自身,前任地では,長野先生のようなgifted learnerに指導医はどうかかわるべきか悩んだし,現在の施設に移った際には,環境が変われば指導も変える必要があると感じた。いずれも本書のお題なのだが,後者の話題では,新しい環境への入り方を正統的周辺参加からとらえる木村先生の見方になるほどと思う一方,変革の重要性を説き,Evidenceの重要性を踏まえたPDCA(Plan,Do,Check,Act),特にそのCheckが大事だという佐田先生,small winを大切にするという長野先生の言葉にも深くうなずく。

 ここに本書の面白さがある。現場で抱える大抵の悩みには,実は名前があり,研究や理論の蓄積がある。しかし教育は,これが正解です,では終わらない。現場で悩み,問いが生まれ,理論を知り,他者と対話し,また現場へ戻る。理論と実践,一般論と個別性の間を往復しながら,より良い形を編集し続ける。おそらく指導医の学びとは,この繰り返しなのだろう。

 そう考えると,『迷える指導医のミカタ』という題名は秀逸である。迷う指導医の味方であり,医学教育への新しい見方を与えてくれる。そして何より,迷うこと自体を肯定してくれる。本書は医学教育の教科書というより,その知的世界への現代的な招待状である。

 難点をあえて挙げれば,ミルクボーイはじめ時事ネタが少々多い(笑)。10年後に読むと,これ何だっけ,となるかもしれない。しかし,それすら本書らしい。医学教育そのものが時代や現場との対話の中で編集され続ける営みであり,10年後にはまたその時代のミカタが語られているに違いない。

 ある日突然,指導医となって右往左往しているあなたに,本書はきっと良き味方となり,新たな見方を与えてくれる。医学教育の世界への入口として,格好の一冊である。


ため息の先にある希望
書評者:岩田健太郎(神戸大大学院教授・感染治療学)

 最近,医学教育の話をするのがしんどい。誰も彼もが「仕組み」の話しかしなくなったから。ここでいう「仕組み」とは「形式」というくらいの意味である。本質よりも形式重視。いや,形式こそ全てなのだ。

 例えば,

 「EBMを教える」

 とは,Evidence Based Medicineを教えましたよ,というカリキュラムを作って授業をやって評価をやって書類書いて認証受ければ,はい,「形式」の出来上がりである。その実,EBMを実践している若手医師は現在も少ない。今日も明日も「うちではこうやってる」「前からこうなってる」「上の先生がそう言ってた」の一点張りである。本質はすっからかんだ。

 てな感じで,教育の話をすると恨み節,泣き言,ため息吐息なネガティブ・ワードしか出なくなる。しんどいわけだよ。

 私は老害だから昔話をするけど,昔の日本の医療現場はEBMなんて今よりひどくて全然できてなかったわけ。だけど,「EBMちゃんとやんなきゃだめだぜ」と正論を主張することはできた。これからの日本医療は自分たちが良くしていくぜ,と乗っかってくる若い学生や研修医もいた。高度成長時代の日本よろしく,「できていないことばかりだったけど,明日は今日より良くなる」という確信しかなかった。事実,毎日良くなっていったし。

 しかし,今の私にはそんな確信はどこにもない。どちらかというと不安しかない。一所懸命正論を主張するとあちこちに波風が立ちそうなので,ポリコレ無難に小さくまとまりたくなる。今の医学教育にはノウハウも情報も情報処理=AIも往時とは比較にならないほど進歩したが,なぜか夢も希望もない。

 そういう迷える指導医がいるわけだから,本書はニーズに合致したうってつけの本なのだろう。スタイルは古典的なソクラテス対話方式だが(あるいは三酔人経綸問答というべきか),むしろ日本医学界ではこっちのスタイルが新しいくらいだ。リーダビリティとコンテンツの質の高さは同居できる,を見事に実践している。わかっているエビデンスとわかりにくいモヤモヤ領域の整理も上手にできている。この手の本にありがちな武勇伝や万能主義(これさえやっとけば大丈夫)もない。本書を読んで「これで俺様の指導は完璧だ」とふんぞり返るヒトは皆無だろう。むしろ,ファクト認識を進めて悩みが増える読者のほうが多いのではないか。

 仕方ないのである。ファクト認識とはたいてい,そういうものなのだから。なにをやってもメリデメはあるのだ。だから169ページの表2を見て,「働き方改革ふざけんな」も「働き方改革マンセー」もダメなんだと悩むしかないのである。
 本書はだから,既存の医学教育本にありがちな「正論なんだけど,なんか誤魔化されてる感」を覚えない,希少な良書である。三酔人のキャラ配置のバランスの良さもその一因だろう。
 まあ121ページの表3は「柔軟な指導医vs細かすぎる指導医」じゃなくて,「大雑把すぎる指導医vs細かすぎる指導医」にしないと弁証法じゃないだろ,とツッコみたくはなったが。

 あ,なんか元気出た。というわけで,ぜひ一読を。


なぜ私はこの本を面白いと思えなかったのか
書評者:錦織 宏(名大大学院総合医学教育センター教授)

 本書の書評を依頼されたとき,著者の一人である木村武司先生に,私は率直にこうお伝えした。

 「正直,この本をあまり面白いと思えなかった。」

 もちろん,そのまま書評を書くわけにはいかない。なぜ私はそう感じたのだろうか。そう考え始めたことが,本書との本当の対話の始まりだった。

 本書は,指導医が現場で抱く悩みを取り上げ,3人の著者による対話を通して,関連する医学教育研究を紹介する実践書である。扱われる問いはいずれも現場に直結し,引用される文献の選択も秀逸である。エビデンスと著者らの経験や見解との配置も巧みで,軽妙な会話が専門用語への抵抗感を和らげている。How,すなわち「どうすればよいか」を求めて医学教育学に近づく読者にとって,本書は優れた入門書であり,まさに「迷える指導医のミカタ」となるだろう。

 それにもかかわらず,私は読み進めようという気持ちになかなかなれなかった。

 振り返れば,英国留学中に医学教育学を学んだころにも,同じような感覚があった。教育方法,カリキュラム設計,評価法などのHowは新鮮で,実際に役にも立った。しかし,Howが前面に押し出された学問を,どこか浅いとも感じていた。「なぜそれが良い教育といえるのか」「そもそもその教育は何をめざしているのか」といった問いが十分に検討されていないように感じていた。帰国後,私が教育哲学に惹かれていった背景には,この物足りなさがあったのだと思う。

 医学教育学は実学であり,最終的にはHowへ立ち返る必要がある。しかし,Howを前面に出すと,ともすると唯一の正解となる方法が存在するかのような印象を与える。教育は文脈に強く依存し,唯一解のある世界ではない。だから私は,「どうすればよいか」という答えよりも,「良い教育とは何か」という問いの中に,もう少し長くとどまりたかった。

 私の失礼な感想に対して,木村先生から「Howを求めて来てみたら,Whyのほうが面白かった,と思ってもらいたかった」という趣旨のお返事をいただいた。その言葉から本書の設計思想を理解すると同時に,自分が惹かれなかった理由も見えてきた。私には,HowからWhyへ至る橋が,もう少し長く,豊かであってほしかったのである。

 この感覚は私だけのものだろうか。全国のFaculty Development(指導医・教員を教育者として育成する研修や学習活動)が,多くの指導医に必ずしも面白いと思ってもらえない背景にも,同じ構造があるのではないか。Howは必要である。しかし,人を知的に惹きつけるのは答えだけではなく,「良い教育とは何か」を考え続ける営みである。AIが多くの答えを瞬時に提示する時代には,問いの質がさらに重要になるだろう。

 本書の書評を書くことは,本書そのものの紹介にとどまらず,医学教育学について考える機会となった。本書は,Howから医学教育学へ入る読者にとって優れた入口である。一方で,その入口からWhyへ至る橋をどのように架けるのか。そして,私を魅了してやまない医学教育学の面白さはどのようにすれば人に伝わるのか。そういった問いを私に残した本書であった。