看護は私の生き方そのもの

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病院での臨床をスタートに、旧厚生省で行政に、国会議員秘書として立法に関わってきた著者。その後難病を発症するも、病気と正面から向き合い中国でのボランティア活動に身を投じる。波乱万丈の人生を振り返りつつ、看護師であることの喜びとその責任・やりがいを噛みしめ後進に伝える。また、看護とは人生で起こるさまざまなイベントを吸収し広がって行くものだという実感を、軽快かつ経験ゆえの深みある文章で記す。
長濱 晴子
発行 2014年03月判型:B6頁:248
ISBN 978-4-260-01963-7
定価 1,980円 (本体1,800円+税)

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はじめに——重症筋無力症の診断から二〇年、看護は私の生き方に

 私は元ナースです。平成五(一九九三)年春に、瞼が開きにくい、首が前に垂れるという症状から始まり、秋には重症筋無力症と診断されました。あれから昨年は丁度二〇年になり、六七歳になりました。
 入院は六か月余に及び、清水嘉与子元参議院議員の政策担当秘書としてフル勤務できていた身体は、アッという間に手の届かない遠い所に行ってしまいました。入院が長くなるにつれて、薬を飲んで観察しているだけに見える治療に不満が募り、悩んだ末、「近代医療で治らないなら、自分で治そう」と無謀な決断をして自宅療養に切り替えました。
 看護大学を卒業後は米国で交換看護婦として約二年間、臨床経験は帰国後の病棟勤務とあわせて約九年間、看護行政(旧厚生省看護課)に約九年間、さらに立法に約九年間と、一貫して看護の向上を目指す立場でしたが、一転して看護される患者側に身を置くことになったのです。
 診断から三年間の経過と心の動きは、『患者になってみえる看護~難病が教えてくれたこと』(医学書院、一九九六年)にまとめ、出版させていただきました。
 自宅療養になって中国医療はじめさまざまな民間療法を試み、私流天地人療法(セルフナーシング)の実践に努めた結果が、今の体力と活動につながっています。その間には退職(一九九七年、五一歳)を決意し、本格的に療養に取り組みました。フル勤務は無理ですが、私の新しい使命を、夫(直志)の第二の人生のライフワークである「中国内モンゴル自治区の沙漠化防治活動」の応援に見つけ、一五年が経ちました。
 その間には大腸癌と肛門癌、直志は前立腺癌と胃癌による手術と療養のために短期滞在しかできない時期もありましたが、一昨年からは再び五か月の長期滞在が可能になりました。
 発病後の入院中の姿や退院後の大変な状況を見て知っている友人知人からは、よくまぁここまで元気になったわね! 元気になった理由は何? 難病なのに毎年医療状況の悪い沙漠地へよく行くわね、病気もちとは思えない、と言われるまでになりました。
 中国の現地でも、難病の身で来るのはなぜ? 本当に元気になったな! 夫婦二人で何度も癌で手術を受けながらも来るなんて、中国では考えられないよ。日本の医療はすごいね! 羨ましいな!と、羨望の眼差しで見られたり、言われています。
 少し違う表現ですが、いきいきと活動する私たちの状態は、日中両国ともに「元気」と写っているようです。
 学生時代から私の動向をずっと見続けて下さった日野原重明先生と故高橋シュン先生のお言葉には、胸にこみ上げるものがありました。
 三年ほど前、日野原先生から、「本当に元気になったね! どうやって元気になったの?」と聞かれました。私は「いろいろな民間療法を試みましたが、私にとって一番良かったと思われるのは、断食でした」と答えました。すると「それは正解だね。元気になった経過を書いて下さいよ」と話されたのです。また事あるごとに、「いろいろな療法を試みて、ここまで元気になったことは珍しい。それも断食までしたのだから。そして中国の沙漠地まで行って活動していることもなかなかできないことだ。多くの患者さんを見てきたが、こんな患者さんは初めてだ」とまでおっしゃって下さいます。
 高橋先生は、さまざまな状況に置かれた私に、本当に適切な励ましを下さいました。入院中は「ハルコ、今の境遇を恨んだり、嘆いてはいけませんよ。神様には神様のご計画があるのですからね。今の状況でやるべきことを見つけて、頑張るのですよ」と。また元気を取り戻したことについては「これまで元気になったのは、あなたに決断力と実行力と勇気があったから」と評価して下さったのです。
 さらに、難病の診断を受けたときの上司だった清水嘉与子元参議院議員は、いつも私を見護り続け、気にかけて下さって、中国の活動現地まで足を運んで視察して下さいました。
 こうした数々の暖かい励ましにきちんと応えて、感謝の気持ちをお伝えするために、難病の診断後二〇年という節目の時期に、難病になって考えた病気や健康のこと、私流天地人療法の実践経過、新しく見出した使命、看護の視点を活かしての中国での活動、日常生活に看護の心を伝える努力などを、書き記しました。
 この二〇年を振り返って書き進めて行くと、ナースであることに感謝し、ナースとして得たものは一生の宝物であることを実感します。それを思うと、看護は私の生き方そのものになり、さらには幸せにしてくれているという気持ちが、強くなってきます。
 数学者は「すべては数学で成り立っている」、化学者は「すべての物質は化学物質でなっている」、音楽家は「世の中すべての音は音楽だ」とそれぞれの専門家は、それぞれの分野から世の中を見て考えています。私も元ナースの端くれとして、やはり看護の視点で世の中を見たり考えていることに気がつきます。看護の心を誰もがもてば、もっと平和で穏やかな社会になるのに、と思っても不思議ではないでしょう。看護にはその力があるのではないでしょうか。
 本書は、今まで私の身近で見護り続けて下さった方々へ、そして先の本を読まれ、あれからどうなったのかしらと、思われる方への報告でもあります。また、今看護の現場で働いていらっしゃる方、看護の勉強をしていらっしゃる方、これからナースを目指そうと思っていらっしゃる方、今看護の現場から離れていらっしゃる方には、少しでもご参考になるものがあれば幸せです。

 二〇一四年二月
 長濱晴子

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はじめに-重症筋無力症の診断から二〇年、看護は私の生き方に

1 病気の捉え方が変わる
 自宅療養の道を決意
 飛び込んだ勇気と決断が功を奏す
 自宅療養のセルフナーシングで得られた満足感
 闘病 共生から感謝へ

2 問い続ける「病」とはなにか
 病にはメッセージがある
 「病気が治る」ってどういうこと?
 「健康」ってなに?
 「元気」ってなに?
 「元気」はつくりだすもの
 心と身体のバランスを図る
 治ったらどうするの?
 新しい私を求めて退職を決意

3 私流天地人療法で最初の目標を達成
 セルフナーシングの回復過程
 心の回復はありのままの私を認めることから
   私自身との話し合い
   心の垢落とし
 私流天地人療法のはじまり
   天地人に感謝
   身体の回復は稲刈りから気づく
   私流天地人療法で体調が整う
   溢れるエネルギー断食療法
   あらゆる考え方の垣根がなくなる
   必要なものは天が与えてくれる
 目標達成! 診断六年後にやっと行けた外国

4 低空飛行なりの挑戦で見つけた新たな使命
 まずは夫のライフワークの活動を支えることから
 中国の沙漠地での活動内容
 看護も沙漠化防治も同じこと
 看護の視点で考えた中国の沙漠地での活動事例
 支えてくれた「遠いと思わないでください」

5 看護の考え方を育てたさまざまな体験
 考えることの気づきは、小学校の歌の試験
 総合力を育てた「料理」
 ナースへの道
 米国での体験が自己確立のはじまり
 高齢者看護をめざす
 新政策を進める問題解決方法
 医師の指示は屋根の下から大空の下へ
 看護の理解者を多く得て看護を変える
 書くことは体験を自信につなげられる

6 近代医療の恩恵により再度問われた生き方
 腹腔鏡下S状結腸癌摘出術を受けて
 ボトックス治療で劇的な改善
 母のアルツハイマー病に寄り添って二〇年
 義母の最期の言葉「どうしてわかるの?」から考える
 再度生き方を問われる

7 日常生活に活かしてこそ看護は生き 幸せにつながる
 一歩先を歩けるナース
 私流天地人療法の「人」
 私にとっての「幸せ」とは
 下手でもいいじゃないの
 大切にしたい「祈り」
 ナースであることに感謝

おわりに

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4曲目の「どんぐりころころ」は繰り返さない-自らの体験で語られる看護のありよう (雑誌『看護教育』より)
書評者: 佐居 由美 (聖路加国際大学看護学部准教授)
 長濱晴子氏は同窓の大先輩である。長濱氏は47歳のときに重症筋無力症を患われた。その闘病体験を本学の1年生にお話しいただく機会が何度かあり,筆者も同席の機会を得た。さまざまな場面でご一緒した長濱氏は一貫して“行動力”の人であった。本書は長濱氏の幼少期から現在までの物語であり,長濱氏の看護史そのものである。特に印象深いエピソードが,“4曲目の「どんぐりころころ」は繰り返さない”だ。小学校受験に臨まれた長濱氏が,自分の好きな歌を歌うという課題に対し自分の前の3人の児童が「どんぐりころころ」を歌ったために,自分の得意な歌を歌うことを躊躇してしまい不本意にも4人目のご自身も「どんぐりころころ」を歌ってしまったというエピソードである。長濱氏はこの幼少時の経験から,“周囲に惑わされない心と自信”をもつために,“自信がもてるまで自分なりに繰り返す”ことを心に誓われ,“結果はどうあれ,そこに行くまでの過程が大事である”という価値観に至ったというのである。大学卒業後は交換看護師として渡米,帰国後は日本をより深く知るために京都で病院勤務,旧厚生省看護課,議員政策秘書とさまざまな看護の道を進まれた行動力や,重症筋無力症の治療を自宅療養に切り替えた決断力の源は,「どんぐりころころ」だったのである。

 長濱氏の周囲に惑わされない行動力は留まることを知らない。退院し治療を自宅療養に替えた長濱氏は,自己看護(Self Nursing)に取り組む。中国療法や快療法などさまざまな療法を行いながら,今の状態をどう考え(問題点の把握),どこにもっていこうとしているのか(目標の設定),今の身体に合った方法(計画)に基づいて自己看護を実践する。実践の結果によっては次の方法を模索する。まさに看護過程のプロセスをたどりながら,長濱氏の自己看護は進んでいく。そのなかで,“自分が治ったと思えば治った”という独自の健康観に至り,健康の源である元気を維持する努力をし,常に生きる使命を見出してる。難病を患われながらも活き活きと生きる長濱氏の姿は圧巻である。

 本書は,多くの看護のエッセンスがいたるところにちりばめられている。呼吸・食事・運動・心のもち方・睡眠・環境を整えるという看護の基本を実践することで回復に向かった体調,高橋シュン先生による“なぜなぜの看護教育”,旧厚生省看護課での多職種協働,患者自身が主体である自己看護,意思決定を支えるプロセス,患者・家族と共にある看護など,看護を知るものだからこそ見える看護のあり様が示されている。

 看護とは何かと迷ったとき,これから進む道を考えたいとき,自分の看護の道を見直したいとき,手に取られることをお薦めしたい。

(『看護教育』2014年9月号掲載)
病の中から生まれた,人生と看護へのメッセージ (雑誌『看護管理』より)
書評者: 小松 美穂子 (茨城キリスト教大学看護学部 教授)
◆20年間を振り返り,看護の意味を考える

 著者である長濱晴子氏は今年も5月末から5か月間の予定で中国内モンゴル自治区に滞在している。夫である長濱直志氏の,当地での沙漠化防治活動を支えて今年で15年目となる。

 著者は看護大学卒業後,米国で2年間交換看護婦として勤務,帰国後臨床経験を積み,旧厚生省看護課を経て,国会議員秘書として立法に関わった経験を持つ。1993年,突然重症筋無力症を発症,それからの20年を振り返り,まとめられたのが本書である。

 現在,いきいきと活動する夫妻からは想像できない,20年間に歩んだ道の厳しさとそれを乗り越えた意志と行動力に深い感銘を受ける。また看護は保健医療の場だけでなくあらゆる場での生活,活動の指針となることを著者は体験から説明しており,看護の奥の深さを教えられる。

◆考え抜いて病と向き合う

 本書の内容は大きく3つに大別できる。

 1つ目は著者の病への向き合い方と実際である。その基本は「自分の人生は自分で決めるという強い意志と決断」にある。自宅療養の選択,セルフナーシングのさまざまな取り組み,近代医療の導入等にその姿勢と行動する勇気を見ることができる。患者中心の医療とは何か,そのために医療者に求められものは何かを考える重要なメッセージが詰まっている。著者の「目と手を使って心で看る」看護者の育成は,看護基礎教育者の大きな課題と受け止めている。

◆沙漠化防治と看護の共通点は「癒すこと」

 2つ目は病の中で見つけた新しい使命とそのための実践活動である。その使命は夫である直志氏のライフワーク,沙漠化防治活動への応援と参加である。恩師である故・高橋シュン氏の言葉「沙漠化防治は地球を癒すこと,看護は人を癒すこと。どちらも同じ」に励まされ,著者は難病診断から6年後初めて現地を訪れる。それから10年間,看護の視点を主軸にした活動が展開する。本書では,日中環境教育実践普及センター設立とそこでの活動事例について看護の視点から説明されている。問題解決志向による分析は示唆に富み,あらためて看護がさまざまな状況に応用できることが分かる。

◆看護がナースの生き方そのものになるとき

 3つ目は著者が期待するナース,看護についての提言である。20年の歩みの全てに一貫している著者の思いは「患者より1歩先を歩けるナース」である。その原点は自らの患者体験にある1)。大切なのは,「一歩先を歩くこと」は看護だけでなく中国での活動,家族関係等にも共通であり,相手のことを一心に思い行動できる資質が求められるということである。

 著者は,看護のアートとは「看護を日常生活に活かすこと,それが生き方そのものになったときである」という。「ナースでよかった」という著者の思いはこの言葉につながる。

 看護に関わっている方々にぜひ一読をお薦めしたい本である。

引用・参考文献
1)長濱晴子:患者になってみえる看護—難病が教えてくれたこと.医学書院,1996.


胸を張って看護師として生きていく-看護師になってよかった!
書評者: 菊池 里子 (医療法人社団仁明会齋藤病院・看護部長)
 本書は,著者が重症筋無力症と診断されて20年になるのを機会にまとめたものです。何を考えてどうやって活力を回復したのか,退職を決意した中で新たな使命をどうやって見つけたのか,さらに自身のS状結腸がんや夫のがんを乗り越えて「看護は私の生き方そのもの」になっていると感じるまでを,率直な語り口で綴っています。

 著者は自らの判断で難病と自宅療養で向き合う道を選び,それを契機に病気の捉え方が,闘病,共生から感謝へ変わったことを実感し,夫の協力を得て,力強く前進しています。その基本をセルフナーシングに置き,看護の原点を見つめて実践し,その時々の心理,関わってきた患者などを思い出し,奥深く客観的に自分を洞察する姿勢にはまさに感服です。

 そして診断後6年目に,念願だった夫のライフワークである沙漠化防治活動の現地(中国内モンゴル)に赴き,自らもその活動の応援を始め,ついにはそこに新たな使命を見つけます。著者は「沙漠化防治は地球を癒すこと,看護は人を癒すこと,看護も沙漠化防治も同じ」と考え,看護の視点を大事に活動しています。本書ではその具体的な活動事例が看護の視点で語られており大変興味深いです。

 私が著者を知ったのは,2014年3月13日第10回ヘルシー・ソサエティ賞授賞式で,同じ受賞者としてでした。私は東日本大震災の活動で「10周年特別賞」に,著者は中国での活動で「ボランティア部門(国際)」の受賞でした。当日「重症筋無力症と診断されて20年」と伺いましたが,体力的にも気力的にもにわかには信じられませんでした。当院は神経難病の指定病院で,日頃から同病患者さんに接する機会も多く,どうしても比較して見てしまったからです。病気を乗り越えられての受賞にお祝いを申し上げました。

 その後本書を読んで,20年の経過を知り,私は震災,著者は難病と体験は違っても,共通するものを強く感じました。それは,『看護は私の生き方そのもの』と言える看護師であることでした。

 震災時は突発的なことが次々と起こりました。病院職員は他職種はじめたくさんの人がいますが,どんなことにもどんな時にも看護師が携わっていて,堂々と力を発揮していました。私たちは看護教育の中で看護過程を嫌というほど学び,実践の場でも問題に対して目標を設定し対策を立てて実施し評価する,駄目な時はまた対策を立案するという看護においての工程が身に染み付いているので,看護以外の場面でも問題解決に役立ちます。これは私たちが患者さんの病気だけでなく,全体を見て,そこからアセスメントしているからこそです。ですからたくさんの問題解決に携わり,看護,看護師って素晴らしいなあ,スタッフが頼もしいなあと感じた場面がたくさんありました。看護師は強いのです。そして,そのことがこの本からも伝わってきます。

 人生には山あり谷あり,大小の難題にぶつかります。ただただ自然界に身を任せる生き方,発想の転換,人生の生き方,私は本書から沢山のことを共感し学びました。多くの方にとっても難題を前にした時きっと役立つ一冊,そして看護師になってよかったと思わせてくれる本です。

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