音楽の神経心理学

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認知症などの脳変性疾患や脳血管障害を原因として、歌唱、演奏、リズム、楽譜の読みなどが障害される神経心理学的症状「失音楽」や、歌唱などの音楽能力のみ残存した失語症など、臨床心理士である著者が遭遇した貴重な症例を紹介。さらに高齢者や自閉症児への音楽療法についても解説。音楽や脳科学に関するコラムも随所に散りばめられ、「人間にとって音楽とは?」という問いにさまざまな側面からアプローチする1冊。
*「神経心理学コレクション」は株式会社医学書院の登録商標です。
シリーズ 神経心理学コレクション
緑川 晶
シリーズ編集 山鳥 重 / 河村 満 / 池田 学
発行 2013年09月判型:A5頁:168
ISBN 978-4-260-01527-1
定価 3,080円 (本体2,800円+税)

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 この本のお話をいただいてから,10年が経とうとしている。まだ研究所にポスドクとして所属していた頃,前任の編集者樋口覚さんが訪問してくださり,話が具体的に動き始めたのはいいが,当初は一向に筆が進まず,樋口さんから逃げ回ってばかりいた。しかしさすがに観念し,定期的に会う約束をしてからは,ペースメーカーとしてだけではなく,本の書き方の手ほどきや,狭い視野を広げてくれたりと,まさに編集者と執筆者が二人三脚のようにして,本書を形作っていった。ちょうどそのような時期に,樋口さんが体調を崩し始め,東日本大震災が起こり,前後して,子どもの誕生,父の死去もあった。本書の執筆に思いのほか時間がかかってしまったのも,これらの影響もあったと思う。

 大学に入る前,本書のテーマである音楽に本格的に取り組んだ時期があった。小学校で楽器を始め,中学からトロンボーンに持ち替え,音大を目指そうと奮闘していた。もちろん能力的な問題もあっただろうが,それ以上に心理的なスランプに陥り,ある時期から思うように音が出なくなってしまった。それが心理学に関心を持ったきっかけでもあった。大学4年を目前にした3年の春に,患者さんと接するようになったが,その頃のテーマは記憶障害であった。しかし大学院生になってから,あるトロンボーン奏者がリハーサル中に脳卒中となり,その方の評価が,神経心理学の立場から音楽と再会するきっかけとなった。その後も音楽を軸に多くの患者さんに出会う機会があり,そのことが学位論文の作成にもつながり,それらの経験が本書の底流ともなっている。

 多くの人々への感謝や支えによって本書はようやく刊行することができた。なによりも本書に登場する患者さんやその家族の方々がいなくては,研究を進めることも本書を形作ることもできなかったと思う。回復へ向かう方ばかりではないが,その後の人生が少しでも良い人生であってほしいし,私としても少しでも尽力できればと思っている。
 また,学生時代から今に至るまで多くの先生方にお世話になってきた。大学3年の時に受けた,当時東京大学教授であった河内十郎先生の講義が,私が神経心理学の領域を目指すきっかけであるし,河内先生はこの領域に足を踏み入れる機会を作ってくれた恩人でもある。昭和大学の河村満先生は,卒業論文から今日まで臨床の機会を与えて下さり,今でも研究を支え,リードし続けて下さっている先生で,もし河村先生がいなかったら,音楽との再会もなかっただろうし,そもそも神経心理学を続けることはなかったかもしれない。元中央大学教授の天野清先生は,私の大学時代からの恩師であり,研究に対する姿勢や発達障害の視点に対して多くの影響を与えて下さった先生である。
 このほかにも,汐田総合病院の塩田純一先生,都立駒込病院の篠浦伸禎先生のほか,多くの諸先生方から臨床や研究の機会を与えて頂いた。また,日頃研究室の運営や学生の指導に携わってくれている大学院の院生たちにも感謝したい。なお,冒頭にも書いたが,本書は元医学書院の樋口覚さんがいなければ,日の目を見ることはなかったと思う。一日も早く体調が回復することを願っている。そして,中途な状態であるにもかかわらず編集を受け継いで下さり,本書をここまで形にしてくださった医学書院の方々,そして,これまで支えてくれた妻の裕美子と息子の響に感謝したい。

 2013年8月
 緑川 晶

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はじめに 音楽の役割

第1章 音楽が失われるということ
 A.失音楽とは
 B.失音楽の症状
 C.発達障害と失音楽
 D.脳の変性と失音楽

第2章 脳の中の音楽
 A.音楽を表現する(歌うこと・奏でること)
 B.音楽を聴く
 C.音が話しかける

第3章 脳とリズム
 A.合わせる(同期)
 B.リズム

第4章 脳の中の楽譜
 A.楽譜の読み書き
 B.音楽と記号

第5章 治療法としての音楽
 A.コミュニケーションを促す音楽療法
 B.運動を引き起こす音楽療法
 C.音楽療法-その他の役割

おわりに 人間にとって音楽とは

引用・参考文献
索引

♪コラム
(1)戦争と音楽
(2)脳トレ
(3)病跡学と「創造性の学問」
(4)金管楽器
(5)旋律
(6)拍子
(7)基準音
(8)盲目
(9)“合わせる”と“そろえる”
(10)歩行のテンポ
(11)パーキンソン病
(12)日本人と西洋音楽
(13)日本人と和音
(14)楽譜
(15)譜面(ふづら)
(16)写譜家(コピスト)

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脳の障害が与えた影響を具体的症例を通して紹介
書評者: 佐藤 正之 (三重大大学院准教授・認知症医療学/三重大病院音楽療法室室長)
 20世紀を代表する大指揮者フルトヴェングラーは音楽を「カオスの形象化」と言った。ロマン派最後の大交響曲作曲家マーラーは「言葉で表せないことがあるから音楽がある」と述べた。歴史に名を残す巨匠たちのこれらの言葉は音楽の価値が,言語や具体的な形を超えたところにあることを示唆している。その一方で,著者が引用したイソップ童話やピンカーの記述のように,音楽を不要不急のぜいたく品とする意見もある。明治の文明開化以降,今日に至るまで実学重視が続き,「音楽は子女のたしなみ」との風潮が残るわが国では,特にその傾向が強い。「万葉集を調べ知ることに,何の意味があるのですか?」国文学者に真顔でそう質問した学生を私は知っている。しかし,文字はもちろん,おそらく言語が形成される前から,音楽は存在していたと考えられている。文明が産声を上げるはるか前,ヒトが生存と繁殖という生物学的欲求の充足に大部分のエネルギーを費やしていた時代においてすら,音楽は存在していた。そうであるならば,音楽は不要不急どころか必要不可欠であったに違いない。個体や集団の生存に音楽が大きな意味を持っていたからこそ,その時代に音楽は存在した。その意味とは何か?

 著者はそれは,共有であり同期(合わせること)であるという。そして,さまざまな具体的症例の描写を通して,脳の障害が患者の音楽能力と生活に与えた影響を紹介している。失音楽症としての歌唱や楽器演奏の障害,ピッチやリズムの障害,楽譜の読み書きの障害について,脳血管障害のみならずアルツハイマー病や前頭側頭葉変性症などの神経変性疾患,脳腫瘍,あるいは脳梁無形成といった先天性の器質的障害など多岐にわたる原因疾患を挙げている。「できなくなった」という欠損症状だけでなく,変性疾患の進行による認知機能の悪化の中で「それでもできている」あるいは「できるようになった」という症状も紹介されている。症例の描写は詳細かつ正確で,著者の神経心理学者としての面目躍如である。多くの症例研究が紹介され,著者による適切な解説と要約により,この領域の主たる論文をすべて俯瞰できる。脳賦活化実験という便利だがともすればかすみを通して物事を見るような手法に対し,具体的症例における脳の損傷部位と症状という実体としての裏付けを与え,両者を車の両輪として議論は展開される。そうして著者が得た結論の一部が,「音の高さを誤るために歌が歌えなくなった症例の損傷部位は非優位半球に限局」することであり,「楽器の演奏に特化した基盤というのはなく,音楽の表現をするために,道具と共通の基盤を借用」することである。

 本の全編を通奏低音のように流れているのは,著者の音楽に対する深い愛と信頼である。本書評冒頭の二人の巨匠の言葉のごとく,そもそも言葉で表せないものを言葉で表しデータを示してくという作業を前にして,科学者としての著者と音楽家(著者は長年のトロンボーン奏者である)としての著者の心の葛藤が垣間見える。しかし,音楽を愛し信頼するからこそ,確固たる基礎に根拠を置いた確かな議論をしたいという科学者としての著者が,全編を主導する。実学からほど遠いとされがちな音楽が,実はヒトの根本を理解し,医療現場で生かすノウハウの宝庫であることをこの本は教えてくれる。「人はパンのみで生くるに非ず」―聖書に出てくるこの言葉が,前記の学生の問いに対する答えである。
脳科学を理解するための研究の新たな方向性を示す良書
書評者: 岩田 誠 (女子医大名誉教授・神経内科学/メディカルクリニック柿の木坂院長)
 以前から,いつかはこのタイトルで書かれるであろうことを期待していた著者の書物ということで,大きな期待を持って読み始めた途端,著者の語り口に引き込まれてしまった。私自身,音楽を愛する者の一人として常日ごろ思っていること,すなわち音楽とは多数の人々が同時に交流するコミュニケーションの最良の方法であるということを,この本の著者は,「はじめに」と題された冒頭の章で,実に鮮やかに示してくれたからである。これを読んだ私は,とっさに橘曙覧の歌「たのしみは そぞろ読みゆく書の中に われとひとしきひとをみしとき」を思い出した。

 音楽家であると同時に,神経心理学という神経科学分野の研究者でもある著者が本書において語るところには,音楽する者としての心情的な共感を感じるとともに,神経心理学に興味を抱き続けてきた者としての納得できる明快さを感じる。神経心理学の分野における音楽能力と脳機能との関係についての研究は,言語機能と脳の相関を探る研究,すなわち失語症の研究と同じくらいの歴史的背景を有している。一般に,失語症の研究は,ブローカによる失語症患者タン氏の臨床病理対応研究に始まるとされているが,それ以前にも,またそれ以後にも,今日流に言えば失語症であったと思われる患者の記載中に,言語機能は失われていながら音楽能力は保たれていたと記載されている記録が残っている。これらの記載を残した人々は,これを不思議なことだと思ったのに違いない。それが故にわざわざ記載したのであろう。それほど長い研究史があるにもかかわらず,言語能力の神経機構が次第に解明されてきているのに対し,音楽能力を実現している脳内神経機構に関しては,いまだに解明されたとは言い難い状態である。特に,音楽を実現する能力を大脳機能局在論で解明しようとする試みは,未だにはっきりした結論にたどりついていない。

 そのような現状に対し,本書の著者は,現代のいわゆる“脳科学者”たちのような独断的な理論を振りかざすことなく,いまだわからないところをいまだわからないこととして,素直に示してくれている。そして,このわからない部分,すなわち今日の神経心理学的枠組みだけでは解明できない部分を,本書の著者は,ネオジャクソニズム(neojacksonism)的思考でとらえ直している。著者がいみじくも本書の冒頭に示したごとく,元来,多くの人々が等しく参加する社会的コミュニケーション・システムであったはずの音楽活動が,今日のような演奏家と聴衆という二極化の下で営まれるようになったことは,明らかにジャクソン流の階層化が進んだことを示している。音楽能力の大脳局在を明らかにし得ないのは,このような階層化のためであろうと主張する著者の考えに,私は全面的に賛成する。

 この書物は,単に音楽というヒトに固有の表現行動の脳機構を論じたものではなく,ヒトの精神活動,そしてそこから生じる社会的行動の脳科学を理解するための研究の新たな方向性を示しているという点において,脳科学に興味を抱くすべての人々に読んでいただきたい良書であると思う。

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