〔連載〕続 アメリカ医療の光と影 第89回
こんなことを書くと「風が吹くと桶屋が儲かる」式の迂遠な議論に聞こえるだろうが,実は,避妊普及活動が「非合法」であったことが,その後,米国で,「患者の権利」が人権として確立されることに大きく貢献することとなったのである。サンガーらが始めた「非合法」の「家族計画」運動に司直が介入するたびに法廷での法律論争に道が開かれ,避妊普及活動の違法性を巡る論争が繰り返される過程で,いわゆる「プライバシーの権利」が,基本的人権として確立されたからである。
1961年11月,イェール大学産婦人科部長リー・バクストンらが,コネチカット州ニュー・ヘブン市に「家族計画クリニック」を開設した。しかし,コネチカット州は,州法で,避妊行為そのものを違法としていただけでなく,「避妊に関する助言,手助けをすること」も違法としていた。家族計画クリニックの開設は,公然とこの法律に挑戦する「犯罪」であっただけに,州当局としても看過することはできず,バクストンとクリニック所長のエステル・グリスウォルドを逮捕したのだった。逮捕後,同州最高裁で有罪判決を受けたバクストンとグリスウォルドは,「避妊を禁じた州法は憲法違反」と,連邦最高裁に上告した。
連邦最高裁での争点を一言で言えば,「『性』というきわめて私的な行為に,司直が介入することが妥当かどうか」,つまり,「寝室内での行為を警察が取り締まることが妥当かどうか」につきた。コネチカット州当局は,「避妊を禁止するのは『婚外交渉』など『性の乱れ』を防ぐため」と主張したが,被告が設立した家族計画クリニックの患者はすべて既婚者であったし,「『婚外交渉』などの不道徳な性活動を防止するためにクリニックの設立者を逮捕した」とする州側の主張には無理があった。
「グリスウォルド対コネチカット州」判決で認定された「プライバシーの権利」は,やがて,「患者の自己決定権」を保証する法的根拠となっただけでなく,「子供を産む,産まないという,きわめて私的な決定に権力が介入することは違憲」と,中絶を合法化した最高裁判決(「ロー対ウェイド」判決,73年)の根拠となるなど,米国医療倫理史の中で,きわめて大きな位置を占めるようになるのだが,このあたりの事情については,いずれ,項を改めて論じる予定である。
望まない妊娠から女性を解放するために司直と闘うことをいとわなかったマーガレット・サンガー,旧弊なアカデミズムと訣別し,性ホルモン研究に新たな地平を開いたグレゴリー・ピンカス,ラッセル・マーカーなど,避妊普及運動とピルの歴史を振り返った時,中心となって活躍した人々は,皆,例外なく,「プライバシーの権利の思想」の体現者であったように思えてならない。
(この項おわり)