第2691号 2006年7月17日


教養としての
Arztliche Umgangssprache als die Allgemeinbildung
医  者  

ディレッタント・ゲンゴスキー

〔第7回〕 病棟にて


前回よりつづく

 今回は病棟でよく出てくる用語を取り上げよう。入院するからには何らかの理由があるはず。外来よりも念入りな容態の観察,詳しい検査,あるいは大掛かりな治療が行われるであろう。検査や治療の方針について医者同士で協議する機会も外来より多く,制度として科内での回診のほか,科を超えて症例について話し合うカンファレンスといわれる会議も定期的に催される。入院中に余病を併発した場合には他科の医者に対診を依頼することもある。そして,病棟に滞在する目的が達成すればめでたく退院である。


【例文】

(1)左乳KでPOD8のPtです。今後,拙外来で内分泌療法を予定しておりますのでEntの前に貴科的ご高診をお願い致します(対診依頼の相手は産婦人科医と想定)。
(2)(検温表の)PZ,KT,BD.
(3)こちらが入院時の胸部写真になります。左肺尖のほうに見えます腫瘍の手術のほう,よろしくお願いします。

標準的な日本語に訳すと
(1)左乳癌で術後8日目の患者さんです。今後,小生の外来で内分泌療法を予定しておりますので,退院前に婦人科的診察をお願いします。
(2)脈拍数,体温,血圧。
(3)これが入院時の胸部写真です。左肺尖に見える腫瘍の切除をよろしくお願いします。

出て行くこと

 例文(1)の始めに出てくるKは以前述べたとおり,ドイツ語起源であることがあまり意識されなくなった記号だ。「癌」の略称あるいは隠語として盛んに使われる。POD,Ptは一転して英略語で,もとの綴りはそれぞれpost operative day,patient。Ent(エント)はまたドイツ語起源で,退院を意味する医者語。独和辞典を見ると,この語のもとになっている動詞entlassenの守備範囲は広く,ある場所から人を立ち去らせることを意味しているらしい。したがって対応する和訳はその場所が学校なら卒業あるいは退学,職場なら退職ないし解雇,軍隊なら退役,牢屋なら出獄,などとなり,もちろん病院から立ち去るのが退院である。Entという形は動詞の語頭を大文字にして中性名詞化したEntlassenを略したとも,派生名詞Entlassungを略したとも取れる。「エントさせる」などと,日本語の動詞化した使い方も耳にする。いつも不思議に思うのだが,入院の方にAufnehmenを使う若い医者はほとんどいない。外来から入院が決定した際,カルテに「Auf!」などと書く(書ける)のは,かなり年輩の先生かドイツ語愛好家だけだろう。

 そういえば,入院カルテの初日の経過欄にadmission on footを常套句にしておられる先生は多い(これ自体は正しい表現で何の問題もない)。「英文カルテの書き方」のような参考書の最初の章にある表現だから,記憶に残りやすいのかも知れない。ならば退院も英語でdischargeと書いてくだされば整合性があるのだが,エントは外来語化して定着してしまっているらしく,英語混じり表記のカルテにもひょっこり顔を出す。また,ENTとすべて大文字で綴る書き方も見かける。これでは医学英語に詳しい人に耳鼻咽喉科の頭文字(department of)Ear,Nose & Throatと誤解されかねない。カルテに殴り書きされた「明日ENT」とは,退院予定ということなのか耳鼻科対診なのか……。

 貴科的ご高診というのは口で言うのにはカ行だらけで発音しにくいが,書き言葉としては意味明瞭で業界用語としては許容範囲だろう。少なくとも産婦人科の先生に「♀科的にどうですか?」などとする失礼な書き方よりはましだ。拙外来という漢字語も個人的には好きなことば。国語辞典には載っていないだろうが読めば意味は通じるし,簡潔でかつ微笑ましい。

再び2文字暗号

 入院カルテの後の方には,看護スタッフが観測した日々のvital signs(生命徴候)を折れ線グラフにした,検温表と呼ばれるページがある。様式が古いと各指標がドイツ語略語で表されていることがあり,慣れない者には暗号に見えてしまう。PZはPulszahl(プルスツァール)。Pulsは綴りからご想像の通り脈拍,Zahlは数えた数。ちなみに数えるという動詞は変母音の入ったzählenで,zahlenとすると「支払う」という別の語になってしまう(もとは同語源だろうが)。KTはKörpertemperatur(ケルペルテンペラトゥール),Körper(体)のTemperatur(温度)。Blutdruck(ブルートドゥルック)は老先生の手紙で一度出てきたとおり,Blut(血液)のDruck(圧)。というわけで,英略語に直すと順にPR(pulse rate),BT(body temperature),BP(blood pressure)に相当するのだった。

 ところで,普段気にせず使っているこの「カルテ」。日本語としては「診療記録」などという漢字語のほうがむしろ改まった状況でしか使わない特殊な言い方で,カルテはもはや医者語ではなく一般語だと思う。そして誰もが,ドイツ語起源の外来語らしいと認識している。ところが(少なくとも現代の)ドイツ人はそう呼ばないらしい。筆者もこの連載に向けていろいろ調べているうちに,つい最近そのことを知った。独和辞典を調べると確かにKarteに診療記録という訳語は載っていない。改めて考えてみると,Karteがラテン語のcartaに由来し,英語のcardやフランス語のcarteに当たる単語だとすれば,救急外来やICUで使われるような一枚切りの記録ならよくても,冊子になったものを指すには無理がある。正解は,Patientenakte(パツィエンテンアクテ)と呼ぶのだそうだ。辞書にはAkteとは記録,文書とある。

魔術師とフクロウ

 ファミリーレストランなど,外食産業の若い接客職員の丁寧語がおかしいという指摘があちこちでされている。例えば,注文の品を運んで来た際に「こちらハンバーグ定食になります」などと言う。漫才師ならずとも,「ほな,ハンバーグになる前はなんやったん?」とつっこみたくなる。ところが,お医者さんになってカンファレンスで症例呈示(case presentation,略称プレゼン)をする時にもこういう「バイト語」を使う人がいるので驚く。こだわりオジサン的には(にとっては)超キモイ(非常に気持ちが悪い)のでやめてくれると嬉しいかも(末尾を意味なくぼかすのも若者語の特徴)。「こちら昨日のX線写真になります」と言うが,君は魔術で未露光のフィルムに写真を焼き付けることができるのか。それに梟ではないのだから,何にでも「~のホウ」を付けるのも聞き苦しい。例文でも「手術か定位放射線治療か迷った結果,外科的治療のほうを選択しましたのでよろしく」といった文脈でない限り,「のほう」は要らない語。忙しい中,使い慣れたしゃべり方を変えるのは重荷かもしれないが,少しずつでも美しく正しい日本語を使う努力をしてほしい。難しく考える必要はない。ちょっと耳(言語感覚)を澄ませて,上手な先輩のまねをすればよいだけのことだ。

 「問題な日本語」の話題ついでにもう1つ。時々,他科の医者への対診依頼などの宛名に「~先生御中」と書いてあるのを目にして,非常に気になる。若い人たちだけでなく,時には指導医クラスの年代の先生まで使っている。御中は団体なり部局に宛てるときに使う言葉。だから「○○病棟詰所御中」,「△△科外来御中」ならよいのだが,個人相手なら侍史なり机下とすべきですよ。まあ,偉そうに言葉の乱れをあげつらう筆者だって,以前にVIPの担当医になった際の挨拶で緊張のあまり「役不足ですが頑張ります」と言ってしまい,後で非常に恥ずかしい思いをしたことがある。これでは「我輩の実力を発揮するには仕事が小さすぎで不満だ」,と威張っていることになってしまう。あそこは「力不足ですが」と謙遜すべき場面だった。

君はほっとくのか

 昔,カンファレンスの症例呈示で若い主治医が「化学療法はこれで一旦終了し,今後はホーチの予定です」と述べた。聴衆の一人が聞きとがめて,「キミ,そのホーチというのは何かね?」「(ご自分の専門の癖に,といぶかりながら)放射線治療であります」「なぁんだ,Strahlentherapieのことかね。ボクはまた,stehenlassenするのかと思ったよ,わっはっは」「???」。解説しよう。シュトラーレンテラピーは放射線治療(Strahlシュトラールは光線,放射線)で,シュテーエンラッセンとは「そのままにしておく,放置する」という動詞。英語ならばleave~alone,あるいはビートルズではないがlet it beとでもいうところだ。上記の発言をした放射線科医は,ご自分の専門領域が「放治」と略称されるのは不快だ,ということを冗談めかして伝えたかったのだと思う。

つづく

次回予告
 今度は手術・処置に関連した用語を集めて語ろう。「VWの際に観察するに,Wundeはrein。Verlaufもglatt」


D・ゲンゴスキー
本名 御前 隆(みさき たかし)。1979年京都大学医学部卒業。同大学放射線核医学科勤務などを経て現職は天理よろづ相談所病院RIセンター部長。京都大学医学部臨床教授。専門は核医学。以前から言語現象全般に興味を持っていたが,最近は医療業界の社会的方言が特に気になっている。