医学界新聞

 

【連載】

英国の医学教育から見えるもの
オックスフォードからの便り

[第4回] 英国の医療制度と医学教育(後編)

錦織 宏(英国オックスフォード大学グリーンカレッジ・名古屋大学総合診療部)


前回よりつづく

 崩壊した医療制度の中で医学教育の質が維持されるという,日本人から見るとある意味奇妙な国,英国。何が医療現場の荒廃につながったのか,興味を持っていろいろな医師に聞いてみました。すると「高齢化社会に伴う患者数の増加」「医学の進歩による医療水準の高度化」「インフォームド・コンセントの普及による説明時間の増加」によって医療需要が増加しただけでなく,「女性医師の増加」や「研修医の労働環境の整備」などによって相対的に(人的な)医療の供給が減じたことなども背景にあることがわかりました。そしてこれらのほとんどは日本にもあてはまります。

 ここで前回紹介したGDPあたりの医療費や人口千人あたりの医師数について見てみると,日本と英国のそれらは比較的似ていること(医療費は英国7.7%に対して日本7.9%,医師数は英国2.2人に対して日本2.0人)に気づきます。この傾向は過去約20年にわたって見られ,おおまかな言い方をすれば日本と英国はこの間,医療に対してほぼ同等の人的・金銭的投資をしてきたといえます。他の先進7か国を見てみると,仏・独・伊は医師数がより多いですし,米・加は医療費をより多くかけています。

 同程度の費用と医師数を医療に投資してきた日本と英国。そして英国で過去に医療の崩壊を経験したという事実。ここから私は「日本の医療はどうして今までうまく機能していたのだろうか?」という疑問を持ちました。日本でまだ女性医師が英国ほど(現在医学生の約60%が女性)多くないこと,また英国の方が早くから高齢化社会を迎えていることなどは理由に挙げられそうです。ただより根本的な相違として,日本には「日本人固有のプロフェッショナリズム」と「医学教育(特に生涯教育)の不在」という特徴があるのではないかと私は考えます。

 司馬遼太郎の小説『坂の上の雲』の中に,乃木希典が「武士道というのは身を殺して仁をなすものである。社会主義は平等を愛するというが,武士道は自分を犠牲にして人を助けるものであるから,社会主義より一段上である」というくだりがあります。社会主義的な医療制度の中で,勤務が終われば患者のことを一切振り切ってさっさと帰る英国人医師と,担当患者に必要なケアの内容から自分の労働量を規定し,担当以外の仕事もあまり労を惜しまない日本人医師との労働観の違いを見ると,廃れたといえど今もなお日本人の心には武士道精神が生きているようにも思えます。そして私はこの精神(=日本人固有のプロフェッショナリズム)こそが日本の医療を支えてきたのではないかと考えるのです。またこの観点から見ると,昨今言われている欧米型のプロフェッショナリズム教育は日本に当てはまるとはあまり思えず,むしろ古来よりある武士道精神をどのように育んでいくか考えた方がよいようにも感じます。

 また前回述べたように英国では「医療の質を保つためには医学教育に一定量の投資が不可欠である」という意識が高いように思います。翻って多くの日本人医師が休日に家族を置いてセミナーや研究会に出かける姿を見ると,「教育は業務時間内に行われるべき」という基本的な考え方が不足しているのではないかとも感じます。私はこういった本来必要な医学教育の不在が,逆に今まで臨床現場を何とか支えてきたのではないかと考えています。そして昨今言われている医師不足の原因の1つに新臨床研修制度があるという意見を時に聞きますが,この観点からはむしろ「崩壊する可能性のあった日本の医療は,医学教育に労力があまり割かれなかったため何とか成り立っていたのであるが,本来必要な臨床研修制度が導入されたことで,以前より抱えていた医療資源不足の問題が顕在化した」という見方もできると思うのです。