医学界新聞

 

【寄稿】

勤務医の未来が危ない
勤務医が中核病院から辞めてゆくのはなぜか?

粥川 裕平氏(名古屋工業大学保健センター長)
松尾 清一氏(名古屋大学医学部附属病院副院長)
谷本 光音氏(岡山大学附属病院副院長)
垰田 和史氏(滋賀医科大学助教授・予防医学)


 2006年3月21日,愛知県保険医協会勤務医の会総会において「地域の中核病院から勤務医が大量に辞めるのはなぜ?」と題するシンポジウムが開催された。小児科,産婦人科などの総合病院医療の縮小,勤務医の大量退職など,勤務医を取り巻く環境が悪化し続けて勤務医が中核病院を去っている。なぜ勤務医は病院を去っているのか? 端的にいえば部長クラスが過労自殺をするほどの過重労働で,勤務医を続けることに魅力と生き甲斐が失われているからである。そうした現状を憂いている3名のシンポジストが,問題解決の方向性を指し示す報告を行った。ここにその要点だけを凝集して紹介することにしたい。

解決の道筋を示した3つの提言

1)わが国の勤務医は,産科や小児科を典型に過重労働が常態化しており,医療の安全や医師の健康が危機にさらされ,勤務医が病院を去る事態が生まれている。医師が過重労働となる背景には,患者を中心とした高度かつ安全な医療の追求などによる医師業務の増加に対し,適切な医師数を確保する政策が実施されてこなかったことがある。労働条件の不整備ゆえに女性医師が働き続けることが難しいことも,医師不足に拍車をかけている。国民皆保険制度と医師の無際限な働き方により支えられてきたわが国の医療が限界に達しつつある。また,勤務医の過重労働対策は労働基準法上も求められている。医師が働き続けることができる条件を整備し,患者の人権と医師の人権をともに保障する義務は国にある。(垰田)

2)勤務医不足の原因,背景はこれまで十二分に調査・解析されているが,肝心なことはいかに解決するかである。これまで地域の中核病院に医師を供給してきたのは大学病院であった。近年はそのシステムがうまく機能せず,結果的に地域医療に深刻な影響が出ている。これまでの勤務医配置のあり方は,根本的に見直されるべき時期にきている。国民が必要な医療を効率的に受けられるシステムを構築するために,大学病院はもとより,行政,医師会,市民など社会全体でコンセンサスを形成して,実現に向けての共同行動をとるしかない。一方で医療資源は限られていることも事実であり,その有効活用のためにはエゴのぶつかり合いは排除しなければならない。私は,(1)今後の日本の医療のグランドデザインの策定,(2)経済効率優先の医療政策の転換と医療経済環境の改善,(3)医療の新しいパラダイム実現のための意識改革,(4)医療のグランドデザインを実現するための医師養成システムの見直しと医師のキャリアデザインの明確化,を提唱したい。(松尾)

3)卒後研修義務化に伴い関連病院機能と研修医の配置を考えたシステムを展開し,地域病院の存続と連動する試みを開始したところだが,これからの医師キャリアプランの作成・実施は,市場原理で動く医師派遣会社ではなく,「岡山医師研修支援機構」に代表されるような地域の医療・保健に責任を持った人・団体からなる医療人育成支援活動である。こうした発想の下に岡山大学および関連医療施設が一体化して,初期臨床研修後の3―8年間の医師のキャリアプランを提案し,専門医研修や大学院進学をサポートするNPO法人を設立し岡山地域の医療の活性化を図っている。この機構ではキャリアデザインを広く募集し,参加する研修医への提案,研修プログラムとのマッチング,研修開始後の監視,そして研修の充実を図るさまざまな支援活動を展開することを計画している。将来的にはこうした一地域からの研修支援情報の発信が全国的な支援活動の起爆剤となり,支援機構ネットワークの構築につながることが期待される。(谷本)

地域医療を放棄した政府・厚労省の責任は重大!

 わが国の医療供給制度は,20%弱の公的医療と,80%の自由開業医制度の上に,先進国では患者数対医師・看護師数が最低の水準で運営されてきた。国民皆保険制度も30年余りで崩壊の危機に瀕し,「いつでも,どこでも,だれでも安心してかかれる医療」は理念に留まり,低医療費・低技術料政策の下での独立採算制の導入により,本来公的医療の拠点であり模範である自治体病院の80%が「赤字」という理由で縮小統廃合の対象に位置づけられるのは本末転倒である。医療や教育という健康増進と人材育成の課題と,経営の論理は相容れないものである。

 わが国の医師養成政策は,一県一医大構想とその破綻に象徴されるように紆余曲折の歴史を辿ってきた。労働力人口が大量に大都市に集中し,過疎高齢化の地域が取り残され,医療の供給も追いつかなくなってきた社会構造の変化はあまりにも大きい。そうした社会構造の変化の結果である地域偏在,診療科の偏在を是正する手がかりを求めなくてはいけないであろう。

密接不可分な勤務医とわが国の未来

 勤務医の未来は地域住民の命と健康を守るという日本の医療の根幹に関わる問題である。医育機関,行政,住民・患者の三者が力を併せて,医療需要の把握と未来予測に基づく適正医師数の配備を軸とする医療供給政策を診療科毎に作り上げ,実践することが突破口になる。勤務医問題で「勝ち組」と「負け組」を作ってはならず,基幹大病院も無関係ではいられない。いまわが国の医師数は27万人,人口500人に1人という数である。先進国では,対人口比において医師がもっとも少ないわが国で,乳幼児死亡率が世界一低く,世界一の長寿を達成しているのは,驚嘆すべき事態である。救急医,産科医,小児科医の長時間過密医療による「成果」ともいえる。

 わが国の勤務医の日常は,モノ造り世界一の日本企業を支える技術者の姿と重なる。モノ造りでの「不具合」は,リコールすればよいが,医療での不具合は,救えたはずの命を奪った医療過誤として,遺族やメディアから厳しく指弾される。「医療無謬論」神話は,益々医療の縮小・荒廃を招くことは必至である。ヒポクラテスの誓いにあるように,「医者は患者に害をなしてはならない」のは医療の基本理念であり,追求し続けるべき課題である。李啓充氏が指摘しているように,医療スタッフの拡充こそが,医療の質を向上させ,医療過誤も減少させるのである。勤務医の奉仕の精神,自己犠牲だけに依拠して病院運営をする時代ではない。

勤務医問題解決の序章に

 名古屋,岡山という地方の中都市での勤務医対策について,課題と展望が呈示されたが,勤務医不足が全国的な問題となる以前から深刻であった北海道・東北地区,離島,過疎の村などでは別の方策が必要となるであろう。都市人口集中に伴って巨大病院が林立している東京や大阪などの大都市圏では,医者はいるけれども医療のクオリティが保てるか否かが問われている。医療の質と量を,全国くまなくコンビニ化でもなく,高級専門店化でもなく,適性に供給されるには,各地域の医療需要と将来予測を見越した保健・医療政策が不可欠で,国や自治体の医療行政官は本来そのために存在していたはずである。