第2686号 2006年6月12日


【シリーズ】

この先生に会いたい!!

上條吉人氏(北里大学医学部救命救急医学教室)に聞く

<聞き手>西村富久恵さん
(茨城県立中央病院臨床研修医)


なぜ上條先生に会いたいのか?

 救急研修の中で,とりわけ対応が難しかったものの1つが急性中毒でした。急性期対応もさることながら,背景に精神科的な問題が伏在していることも多かったからです。新刊の『急性中毒診療ハンドブック』には,そうした急性中毒への対応について,実践的な内容が非常にコンパクトにまとめられていました。化学・医学を学び,精神科を経て救急を専門に選んだという異色の経歴を持つ著者・上條先生に,急性中毒対応の勘所と今後の研修生活の指針を伺いたいと思いました。

(西村)


化学と医学,両方やってみようと思った

西村 初めに,理学部卒業後に医学部入学,精神科を経て救急という異色の経歴について,順を追ってお聞かせください。

上條 中学生くらいから化学に興味があり,高校の頃には「自然科学者になりたい」と漠然と思っていました。一方,高校時代に母を癌で亡くしたことがきっかけで,医学についても関心を持つようになりました。ですから,大学入試の時は化学か医学かで迷いましたね。当時の担任の先生が「悩んでるんだったら両方やってみたら?」と言ってくれたこともあり,とりあえずは好きな化学をやってみようと,東工大の理学部に入学しました。

西村 東工大での思い出についてお聞かせください。

上條 化学の実習はどれも面白かったですし,今の中毒診療にもその頃の経験が生きていると思います。ただ,四半世紀も前の話なので正直なところアフターファイブのことしか覚えてません(笑)。その頃の友人とは今でもよく会います。そういった意味でも,その4年間は大きな財産ですね。

 ただ,医学への思いは消えず,在学中も医学部受験の準備はしていました。受験日のすぐあとに理学部の卒論発表があったりと慌ただしかったですね。研修医時代と比べても,あのころがいちばん大変でした。

救急でも精神科はやれる!

西村 医学部卒後,最初の診療科である精神科を選ばれたわけですが,4年目に救急に移られたのは何かきっかけがあったのでしょうか。

上條 非常にショックなできごとだったんですが,希死念慮のある患者さんに,病院の中で飛び降り自殺をされてしまったんです。

 僕はその時,外来にいたのですが,すぐに救急蘇生室に駆けつけました。しかし,身体診療の教育を受けてこなかった僕は何もできず,ただただ呆然と見ているだけでした。4年目というのは自分の臨床能力を過信しがちな時期です。自分の患者さんなら大丈夫だと思っていましたから,積み上げてきた自信が崩壊しましたね。

 そこで,当時の精神科部長に北里の救急センターを紹介していただき,救急の研修を受けることになりました。ただ,その時点では救急へ転身する気はなく,半年ぐらい身体診療を学んでから,精神科に戻るつもりでした。

 ところが救急センターへ行ってみると,思いのほか精神科がらみの患者さんが多かった。三次救急の1割以上は自殺ですし,せん妄や通過症候群も多い。場所が救急に移っても精神科から離れるわけではないのだということを知りました。また,身体診察の面白さを感じてきたこともあって,正式に救急に移らせていただくことになったのです。

中毒診療で生きた理学部出身のキャリア

西村 救急の中でも急性中毒を専門とされたのはどうしてですか。

上條 救急に籍を移す時,現在,北里の救急部長を務めておられる相馬一亥先生から中毒を専門にやってみないか,という打診がありました。高次救急に運ばれてくる急性中毒のほとんどは自殺で,背景に精神の問題がある方です。また,自殺未遂者の半分以上が急性中毒と言われていますから,中毒を専門にすることによって,自殺の患者さんの半分以上を自分で診ることができると考えたんです。

 また,実際にやってみると,自分の化学のキャリアが生かせるということも感じました。どこかで,4年間遠回りをしてきたという負い目を感じていたので,初めて胸を張って,「化学を学んできた」と言えるようになりました。

西村 医学部への社会人入学,編入学者は年々増えていますから,勇気づけられるお話ですね。

急性中毒の現場で使える本を作りたい

西村 今回の『急性中毒診療ハンドブック』は,先生の日常診療のご経験に基づいた,非常に臨床的な本だと感じました。

上條 今回の本では,臨床の救急医としての「こういった本があればいいな」という思いを形にしたかったんです。

 ホットラインがあって患者が到着するまでが10分。救急隊の話をもとに対応を調べようという時に,パッと見れば,必要な事項,何をすればいいかということがわかる。基本的に,この1冊があれば,現場で出会う急性中毒の90%くらいには対応できるのではと思います。

 ただ,この本はいわゆる「マニュアル本」ではありません。病態のメカニズムから,どうしてその治療が必要なのかといった理路を把握していないと,医学的治療とは言えませんからね。そうした根拠についても,できる限り簡潔にまとめました。

急性中毒対応の勘所

西村 私自身,研修の中で急性中毒患者への対応は難しい,と感じました。読者の多くもそう感じると思いますので,これだけは忘れないでほしいというポイントをお願いします。

上條 患者さんの意識があれば本人から,何を,いつ,どれくらい飲んだかを確認すればいい。意識がなければ家族や救急隊からの情報が手がかりですね。それらに基づいて,最終的にはいくつかのスクリーニングを行い,原因物質を特定していく。僕は,そういう推理小説のようなプロセスが,中毒診療の醍醐味だと思います。

西村 中毒診療では,原因物質を特定していくと同時に,症状への対応を行っていかなければならないわけですが,本書ではその点についても簡潔にまとめてあり,興味深かったです。

上條 「対症療法」「吸収の阻害」「排泄の促進」「拮抗薬・解毒薬」という中毒対応の4大原則は一般によく言われている通りなのですが,中でも最近の傾向として対症療法,つまりは全身管理が中毒治療成否の8割以上を決めるということ,また,以前は中毒治療の中心であった「吸収の阻害」にあたる胃洗浄や活性炭が,EBMの観点から見直されているということは知っておいたほうがいいでしょうね。

 私が救急を学び始めた頃は,ほとんど全員に胃洗浄をして,活性炭を入れるというのが常識でした。しかし,胃洗浄や活性炭によって予後が改善するというエビデンスはなく,また胃洗浄にはいろいろな合併症があるということが明らかとなり,世界でもっとも権威のある“Clinical toxicology”でも,胃洗浄や活性炭の投与については「考慮する」という言い方にとどめるようになっています。

西村 そこは意外でした。中毒ではとりあえず胃洗浄,というイメージを持っていたので。

上條 北里では少なくとも胃洗浄をやらなくなって予後が悪くなったというデータはありません。むしろ,誤嚥性肺炎といった合併症は減っています。

 そういう意味で振り返ってみると,吸収の阻害はEBMに基づいて,あまり行われなくなっていますし,排泄の促進や拮抗薬・解毒薬は適応が限られている。そうすると,やはりいちばん大切なのは,全身をきちんと管理するということになるわけです。

西村 全身管理の基本をきっちり覚えることがスーパーローテートの中で大切だと言われていますが,中毒診療でも同じことが言えるわけですね。

 一方,急性期の症状を脱した後は,精神科へのコンサルトを含めた事後の判断も,中毒診療の難しさだと思います。

上條 救急の段階で見極めたいのは,その人の「死のう」という気持ちが本物かどうかですね。というのは,急性中毒では,本気で死のうと思っていない人が少なからずいるからです。境界型人格障害が典型的ですが,実際に死ぬことより,配偶者や友人などの相手を操作したいという気持ちで服薬自殺をする。こうした「パラ自殺」は,基本的に急性期症状を脱したら,帰宅してもらっていいと思います。

 一方,本気の方も,自殺直後はカタルシスが訪れ,精神的な緊張が緩和されていて,一見躁状態に見える人も少なくありません。しかし,そういう一見深刻さが感じられない人は危ないですね。

 ただ,このあたりの見極めは難しいので,できる限り精神科医のコンサルトを受けるのが賢明だと思います。

■十数年やっていても「こんな病態があるのか」という驚きがある。

救急の「宝物」

西村 最後に,救急に興味を持つ学生,研修医に向けたメッセージをお願いします。

上條 救急医療の重要性がうたわれ,研修のプログラムにも組み込まれていますが,今のところ,ずっと救急を続けていきたいという若い人が増えている印象はありません。どうしても医療における3Kのイメージがあるのか,救急医を志す人が少ないというのがわれわれの悩みです。

 ただ,救急は他科とは違い,緊急事態であればどんな疾患の人でも診ることになります。そこで,「謎解き」が始まる。短時間に,患者さんの臨床症状や血液データをヒントに謎解きをしていく,そういうダイナミズムは僕にとっては非常に魅力的です。

 十数年やっていても「こんな病態があるのか」という驚きがある。多くの臓器科の境界領域に埋もれたたくさんの「宝物」に出会えるのが救急で,それは研究面でも非常に楽しいことではないでしょうか。ぜひ,救急の世界に興味を持っていただき,ライフワークにしてくれる人が増えてくれればと望んでいます。


上條吉人氏
北里大救命救急医学講師。1982年東工大理学部化学科卒,88年東医歯大医学部卒。精神保健指定医と日本救急医学会指導医の資格をあわせ持つ異色の救急医。受け持ち患者の自殺を契機として92年から北里大救命救急センターにて救急医としての道を歩み始める。化学科で学んだ毒・薬物分析や精神科で学んだ精神的ケアを生かせる急性中毒を専門の1つとしている。
 フットサル,テニスのほか,週末は自宅近くの河川敷でジョギングをしている。沖釣り歴は20年。たびたび八丈島に大物を狙いにでかけている。また,雰囲気に馴染まないと自覚しつつも学生時代からフランス語会話の勉強を続けている。

聞き手=西村富久恵さん
茨城県立中央病院臨床研修医。高校時代より地域医療や精神神経医学に興味を持ち,1998年に筑波大入学。学生時代は,体育会ワンダーフォーゲルクラブで縦走登山にいそしむかたわら,診療所実習に出かけていた。研修が始まってからは,毎日患者さんのことでいっぱいの状態。