医学界新聞

 

〔連載〕
感染症Up-to-date
ジュネーブの窓から

第9回 髄膜炎菌性髄膜炎のひろがり

砂川富正(国立感染症研究所感染症情報センター)


前回よりつづく

 髄膜炎菌性髄膜炎(Meningococcal meningitis)は,かつて小児科の臨床に従事していた筆者がそうであったように,国内の多くの臨床医にとってそれほど馴染み深い疾患ではないだろう。筆者の場合,時々遭遇した細菌性髄膜炎の児は,わが国へのワクチン導入に関して現在重要な議論が行われているインフルエンザ菌(Haemophilus influenzae)の感染者が多く,髄膜炎菌(Neisseria meningitidis)は,アフリカにおける「髄膜炎ベルト」の名称とともに思い出される程度であった。

 筆者が髄膜炎菌性髄膜炎の情報に接し,初めて息を呑んだのは,国立感染症研究所(感染研)FETP(実地疫学専門家養成プログラム)研修員として,2000年から翌年にかけての,メッカ(サウジアラビア)への巡礼者を介した血清型W135の世界的なひろがりという情報を和訳した時だった。イギリスやフランスなどのヨーロッパ各国を含め,世界で患者約400人,死亡者約80人を出したとされている(参照:感染研感染症情報センターホームページ=http://idsc.nih.go.jp/idwr/kansen/k05/k05_20/k05_20.html)。この感染症は,ヒトの咽頭に定着し飛沫感染によって伝播し,大規模な流行性の細菌性髄膜炎を起こす。その後筆者はWHOにて国際的懸念となり得る感染症の情報収集および分析作業に従事する中で,国際社会がMass intervention(大規模介入)のターゲットとしているこの疾患の情報を日々見聞きすることになったのである。

2006年前半の動向

 「髄膜炎ベルト」とは,アフリカ大陸西岸のセネガルから東部のエチオピアに至る,サハラ以南の国々(21か国を含む。“WER(Weekly Epidemiological Record)No.37, 2005, 80, 313-320”より)のことである。およそ4億人の人口を抱える同地域においては,11月から6月頃までの間を中心として(すなわち乾季),血清型Aを中心とした髄膜炎菌性髄膜炎の地域的流行が毎年報告される。2006年最初の10週間における同地帯からの髄膜炎菌性髄膜炎の発生は,以下のように報告されている(WHOホームページ=http://www.who.int/csr/don/2006_03_21/en/)。

1)ブルキナファソ:患者数3636人(うち399人死亡)血清型A
2)コートジボワール:患者数130人(うち40人死亡)血清型A
3)ケニア:患者数74人(うち15人死亡)血清型W135
4)マリ:患者数160人(うち9人死亡)血清型A
5)ニジェール:患者数614人(うち44人死亡)血清型A
6)スーダン(西ダフール州難民キャンプ):患者数28人(うち1人死亡)血清型W135
7)スーダン(その他):患者数526人(うち23人死亡)血清型A
8)ウガンダ(グル地区):患者数37人(うち5人死亡)血清型W135
9)ウガンダ(その他):患者数514人(うち44人死亡)血清型A

 メディア情報では,現時点までにブルキナファソのほぼ全域より6000人(うち600人以上死亡),ニジェールでは1500人(うち100人以上死亡)の患者発生が伝えられている。これらの患者発生報告は,髄膜炎ベルト地帯における乾季の終了が近づくことで,恐らくは減少の傾向を辿っていくことであろう。しかしながら,気がかりなことがある。今年の髄膜炎菌性髄膜炎アウトブレイクの発生傾向は明らかに昨年のそれを上回った。ブルキナファソでは,昨年の流行期(1-26週まで)の情報は感染者数2926人(うち622人)であり,今年の状況は,ここ数年で最も感染者数の報告が多かった2003年の状況(7859人の感染者数/うち死亡1181人:WER. No.37, 2005, 80, 313-320)を凌駕する勢いである。

 1990年代後半以降最大の流行があったことが知られる1996年は,ブルキナファソおよびニジェールではそれぞれ単独で,4万人,10万人以上の感染者があった。髄膜炎ベルトにおける大きな流行(epidemic)は,8-15年の間隔で発生してきたことが定説となっているが,次の大流行がいつなのか,今年の傾向は来年の状況に対して警鐘を鳴らすものかもしれないとの印象を覚える。また,上記のスーダンやウガンダのように,同じ国の中でも血清型W135が別のアウトブレイクの原因菌として検出されるなど,アフリカ各地の髄膜炎流行の様相が複雑になっていることが観察される。これらはワクチン選定の面でも,後述する大規模なワクチン供与支援に直接関わってくる重要な問題である。さらに2004年には,髄膜炎ベルトには含まれない,周辺のアンゴラ,コンゴ共和国,ルワンダ,タンザニア,ソマリア等からも髄膜炎菌性髄膜炎アウトブレイクが報告されたことは注目に値する。

髄膜炎ワクチンの支援体制

 髄膜炎菌はおよそ13種類の血清型によって分類されるが,主な血清型はA,B,C,Y,W135の5型である。血清型A,Cに有効な各単独ワクチンあるいは2価ワクチン,およびA,C,W135に有効な3価ワクチン,A,C,Y,W135に有効な4価ワクチンが開発されてきた(いずれも日本国内では非市販)。しかし,2歳以下の幼児には最初から無効であること,成人に対しての効果は数年程度しか持続しないとされている等の課題があり,新しいワクチンの開発が進んでいる。

 WHOでは髄膜炎ベルト等における国際的な支援の調整として,1996年の大流行年の翌年に発足した,International Coordinating Group(ICG)for Vaccine Provision for Epidemic Meningitis Controlの名前を耳にすることが多い。国際赤十字や国境無き医師団(MSF),UNICEF,WHOなどが中心機関である。ワクチン支援に対しては,髄膜炎が当該地域人口10万人あたり10人(流行域)を超えたり,および複数の同一血清型菌が分離されたり等の基礎的なサーベイランス情報の要件を満たすことが必要である。検出される血清型が増えていく中で,3価以上になるとワクチンの原価が著しく高価になることや,予測の元にストックされるワクチンの過不足が生じる場合があるなど,限りあるワクチンの効率的な備蓄や供給は容易ではないようだ。

そして日本国内における注意

 イギリスなどの先進国においても,学生寮などを舞台にしたアウトブレイクの情報を聞くことが時々ある。また,地理的に日本に近い中国やフィリピンでは,昨年髄膜炎菌によるアウトブレイクが発生している。フィリピンへはWHOからの調査チームも派遣された。髄膜炎のみならず,髄膜炎菌による敗血症患者も多発したこの事例では,患者98人(うち死者32人)が報告されたが,発生地がフィリピンでも避暑地として知られたバギオ市とその周辺だったこともあり,地域への経済的な影響も小さくなかったと見られる。何らかの条件が揃った時に,感染のしやすさが促進され,アウトブレイクが発生するのであろう。地球規模の環境要因の変化などが進む中,輸入例および病原体そのものも存在すると見られるわが国においても注意が必要である。

つづく