医学界新聞

 

座談会

質的研究はじめの一歩



岸田佐智氏
徳島大学看護学部教授
波平恵美子氏=司会
お茶の水女子大学名誉教授
齋藤有紀子氏
北里大学医学部助教授


 質的研究を始める医療従事者が増加している。しかし,実際に始めるとうまくまとめきることができないことが多い。

 そこで今回,『質的研究Step by Step』の著者である波平恵美子氏に司会をお願いし,看護の質的研究を始めた岸田佐智氏,医療施設の倫理委員を務めている齋藤有紀子氏に,質的研究を始める際,気をつける点,そして看護における質的研究の展望についてお話しいただいた。


■質的研究のカギは明確化に

波平 質的研究をしてみたいと考える医療者の方々が非常に増えています。今回,質的研究にはどういう方法があるかという,その方法の可能性と同時に,なぜ医療系の方たちが,これほど質的研究をしてみたいとか,する必要があると考えるようになったのかということを視野に入れながら,その方法論について論じてみたいと思います。

 医療現場で見るさまざまな問題を論文にしてみたいという希望を持った学生がいる時に,質的研究としてまとめるには何が適当な方法論なのかがよくわからないということがありました。本はいくつか出ていても,独学で習得するには難しすぎて,どういう方法があるかという質問を受けることが,特にこの7-8年多くなってきています。

 それで今回,質的研究を始める取っ掛かりとして,この本を読めばある程度論文がまとめられる,『質的研究Step by Step』と題する本を出させていただきました。

 岸田さんは,教壇に立たれた経験をお持ちですが,現在は,不妊治療を行っている女性を対象にした質的研究で博士論文を書こうとされています。現在,取り組まれていてどうですか。

独りよがりな疑問?問題意識を明確に

岸田 最近は人工授精の成功例が増え,当然妊娠できるという風潮の中で,何度治療しても子供が授からない方もいらっしゃる。そのためいつ,どういう形で治療を中止するのか踏ん切りがつかない状況が生まれているのではないか,と思うようになりました。研究する立場にいると,「この疑問は独りよがりではないか」「皆から必要とされる研究なのだろうか」など,研究そのものの意義について疑問を持ってしまいました。その疑問のことを考えると,研究するというのは非常に孤独だなということを感じています。ですから指導者と仲間の大切さを実感しました。目標に向かって道を示してくれる指導者。そして同じ立場に立って忌憚なく議論しあえる仲間との話し合いの中で,自分の方向性や考えの矛盾点,長所についてより深めていくことができます。

 波平先生はさまざまな領域の指導をされていらっしゃいますが,指導する立場から質的研究をしようとする学生にどのように指導されるよう心がけておられるのですか。

波平 研究テーマと問題意識を明確にするプロセスが絶対に必要だということです。問題意識がどんなに漠然としていてもいいし,場合によっては,抱えきれないような大きな問題でもいいんです。まず問題意識を大事にしてもらい,なおかつそれを自分の限られた時間と能力,あるいは求められる水準に近づけていく必要があります。

 私のいたところは「教育科学」という講座で,そこでは教育に関係したテーマでなければ受け入れてもらえませんから,受け入れてもらえるようなテーマにだんだん収斂していく,そのプロセスが大事なのですが,誰もそこを大事にしないのです。できるだけ早く研究テーマを決めて,研究対象を決めて,目次を書いてしまう(笑)。

 ですが,これらは方法が決まればすぐにできてしまいます。いちばん大事なのは,自分がなぜこれをやりたいのかで,私のゼミではそれを話してもらいます。そうすると,泣き出したりする学生がいたりするんです。それは,自分がずーっと抱えてきた重要な問題に触れるからです。

 ちょうど精神分析に似たようなプロセスをたどってしまうのですが,「どうしてそれをやりたいの?」と聞くと,何かもっともらしい理由を言います。それを,「それがやりたいのなら,こういうテーマも,ああいうテーマもあるのに,なぜこのテーマなの?」と突き詰めていくことが必要です。自分がなぜこれをやりたいのかということがはっきりわからないと,その問題意識が研究テーマに結びつかないわけです。

 自分の問題意識をまず書き,それを研究テーマとする可能性は1つではないはずですから,3つぐらいまで書いてみて,その中から「これだったらやれる」というところを選んでみましょう,というような指導の仕方をします。

看護者と“観察者”-何のための研究か

齋藤 いろいろな医療施設で倫理委員をしていますが,最近は質的研究で申請をされる方がとても増えています。申請書で“自分が客観的な立場の研究者”であることを表わそうとされる。つまり,「個人的な動機,思いつきの研究ではない,こういう意義がある」と書こうとされます。個人的な動機はバイアスになってしまうのではないか,という感じを持たれ,本来の自分のモチベーションや問題意識を明確に主張されない方もいます。

 この『質的研究Step by Step』を読んでよくわかるのは,「問題意識が何か」を明確にするプロセス,つまり,問題意識がどこからきているのか,きちんと掘り下げ,問題意識を純粋化し,そこから仮説を立てることの大切さ。“客観的です”と主張するのではなく,自分の中の問題意識を言語化し,明確にする。そのうえで被験者との距離感を見極める作業を研究の前に行うことがとても大事なのだと思いました。

 医療専門職の人は,研究中“観察者”に徹することができず,看護者として介入したくなるようですが,これはどう考えればいいですか。

波平 私は現在,農村調査をしていますと,今後の農業をどうするか,家の継承は,など調査地の人々が抱えているさまざまな問題と直面し,家裁の相談員のような状況に置かれることがあります。そんな時,どのように切り替えていくかは,頭の中でわかっていてもできません。その農家に泊めてもらい,農家の人たちが抱えている問題の渦中で調査をしますので……。結論からいいますと,看護師の方々は問題意識がはっきりしていて,人のために役立ちたいという性格を持った方々がなられるので,研究者・分析者・観察者と看護職の立場を分けることなんかできません。それを,分けられるかのように言ってしまうのは欺瞞であろうかと思います。

 いったん看護の場にいながら研究する志を立てたのは,「よりよい看護を」「より患者を理解したうえでの看護を」という,非常に強い目的であって,それで研究されていると思います。ですから,明確な目的がある場合に,看護職にいながら研究的なことをやることへの“うしろめたさ”というのは,むしろ持ってはいけないと思います。つまり,「自分はこれのためにやるんだ」という目的がはっきりしている場合,観察者として見ていくことは重要ですし,何か気づいたとしてもその気づきに基づいて行動することは,すべてが中途半端になりかねません。対象者にとってはためになるでしょう。しかし「ためになる」というときには,非常に短絡的に考えていると思います。調査対象者に対し直接「ためになる」というレベルの研究は,おそらく研究の価値はないと思います。ですから,むしろ積極的に踏み止まるべきだと私は思います。

■質的研究の難しさ

波平 岸田さんにも関わってきますが,現在,どの研究も表に出さないといけませんよね。倫理委員会に提出する申請書は,当研究が客観的なニーズ,学会や臨床の世界で必要とされているのだという,いかに通りやすくするかは大事ですよね。その場合,大局的な見方をすることが,結局は通りやすい。つまり問題提起を含んだ,申請計画になるのではないかと思います。

岸田 「こういうことを明らかにしたい。よってこういう方法論を選択し,こういう対象の方に,こういう依頼の文書を通してお願いします」ということですね。

齋藤 問題意識が明確ですと,倫理委員も研究の方向性を把握しやすいですね。ただ,倫理委員会が抱えている問題として,質的研究の審査ができる・指導したことがある委員が少ないことがあります。統計的なデータが出てこない研究は,あまり科学的ではないという先入観がある委員ばかりですと,「これは研究ではない」「研究になっていない」と,質的研究をしている方にとって理不尽な理由で差し戻しになっていることがあるかもしれません。

波平 確かに「お話を聞いて,何かが出てきたらそれを論文にします」ですと,委員の先生方には問題意識が見えにくいですからね。

齋藤 また最近,被験者(患者)の同意と,個人情報保護で非常に神経質になり,よく相談を受けます。例えば,介護ヘルパーさんにインタビューする場合,ヘルパーさんにインタビューしますと,患者さんの情報を聞くことになります。その時,ヘルパーさんが担当している患者さんからも同意書をいただかなくてはいけないだろうかという質問。また,ヘルパー記録を見せていただく時,ヘルパーさんとの約束だけでいいのか,そこに情報が載っている方たちの同意なり,情報・記録を保管している施設等と約束が要るのかという質問などです。フィールドワークをすると,さまざまな情報が混在して集まりますから,対象者の範囲をどこまで個別に捉えるかによって,同意を得る範囲も変わります。

 いま,地域医療が重要になり,そういうところでの質的研究が求められていると思います。看護や介護,福祉の方がチーム医療の中で質的研究を出していくことは,すごく意義があると思うのですが,手続きや倫理的な問題をクリアすることが大変で,そのあたりで悩まれている方が多く,諦めてしまわれる方もいます。そのことが,私はすごくもったいないと思います。介護保険事業領域の質的研究をもう少しサポートできるような方法はないかと思っています。

量的研究との違い

波平 齋藤先生も言われましたが,質的研究の場合,客観性というのは申請の場から,絶えず“疑いの目”というか,厳しい水準で見られるところがありますよね。量的研究はおおよその結論の範囲を示せますので申請を受理しやすいんですが,質的研究の場合はほんとうに何が出てくるかわからない。もともと研究とは発見ですから,予測できない発見ができるということを前提としています。ですから,答えがわかるような申請書というのは出せないんです。そこで客観性との戦いがあるわけですが,岸田さんはどのように戦ってこられましたか。

岸田 私は質的研究を理解している人たちの中にいますので,多くの人たちが直面している,量的研究と質的研究の戦いという場面に遭遇しておりません。ですから量的な研究との戦いはほとんどありませんでした。その点,私は非常に恵まれていると思います。

 量的に数字データが出てくることを大事にしている領域の人たちに,現象を見るということの難しさ・必要性を理解していただくのは膨大なエネルギーがいると思います。

齋藤 そうですね。いわゆる医学分野の委員会で,「個人情報は守っているし,依頼文もきちんとしているから問題ないでしょう」という形で承認していることが多く,なかなか意義までは理解できていないかもしれません。

岸田 医学系の目的・目標はそのものが診断と治療ですので,とにかく原因が見えないといけないという前提がありますよね。そして,治療の結果,効果が見えないといけない。健康にならないといけない。病気が治らないといけない。最終的な目標がとてもクリアな領域ですから,数字的なところに集約してしまっていると思います。

 ですが私たち看護者は人を対象にしていますので,その人の営みそのものがどういう現象なのかを理解していくことが重要ですし,見つけていかなければ援助はできないと考えます。現象そのものを,あるままに捉えなければその現象が見えない。そこに行き当たってしまいますので,とにかく倫理委員会が通れば……。そして研究し,結果を積み重ねていけば,そういう学問領域があることを理解していただけるのではないかと思います。

■これから質的研究に必要なこと

波平 質的研究を目指す者,質的研究をずっとやってきた人間が,今後何をしなければいけないかというと,まず,質的研究によって何ができるのか,こういうことができるのだということを,もっともっと外に向かってわかってもらえるように発言する必要があるでしょうね。

 質的研究をしている人が自分たちだけにわかる言葉で語るのではなく,そうではない人たちに,どうすれば質的研究のすばらしさ,どうして質的研究でなければならないのかをわかってもらえる努力をしなければいけないと思います。質的研究は,必ず量的研究のレベルアップにつながるということを証拠で見せなければいけないと思うんです。それにはどうするかということを,まず質的研究に足場を置いている私たちが考えなければいけない。

 それからもう1つは,客観性なんですけれども,得られた結論が「勝手な解釈ではない」とどうやって証明してみせるかというところが,まだ……。自分たちの世界の中では十分確立できていますが,外に見せるには洗練が足りていません。だから,グラウンデッドセオリーの場合にはコーディングし,コードはこうです,コードをする場合のこれはこうです……と,手続きを厳密に行い客観性を見せようとされますが,初めて使おうとする人たちは,手続きをいかに厳密にやるかということだけにエネルギーを注いでしまいます。そうすると出てくるものは実に……常識の範囲内のものしか出てきません。そうすると研究ごとにダイアグラムが次々に立てられて,「これはいったい何だ?」というぐらいに横並びに出てくるという結果になり,「質的研究って,ああいうダイアグラムを書くためにやっているの?」ということになりかねない。本来,そうではなかったと思うんですね。

 ですから,量的研究の人たちが求めようとする客観性と,質的研究に足場を置いている人間が持つ客観性とのあいだには,とんでもないすれ違いがあって,これはすり合わせる必要はないにしろ,量的研究の人たちに,自らの研究の客観性をわからせるような手段を獲得しないといけないだろうと思ういます。

岸田 たぶん私もこれからデータを解釈する際,悩むだろうなあと思います。それは研究の査読などでも,その現象をどうやって解釈するかという,そこに尽きると思うんですよね。

 その解釈したものが,どれだけ納得させられるものなのかというのに,妥当性というものはいちばん高まっていくとは思います。確かに研究の生のデータがあり,それを解釈していくのですが,論文としてまとまったものとの間にギャップがあります。データに基づいてというのがグランデッドセオリーなのでしょうが,生データとそこまでいく思考のプロセスが見えない。中には,非常に納得できるものもたくさんあります。しかし,解釈が納得できないところがたくさんあると,「これは何だ?」というところになってくると思うんです。

 その解釈をどうやって納得できるものとするかは,その研究者自身が磨いていかなければいけない。それがたぶん,sensitivityといわれているところかなと思うんですけど,そこが,私はたぶんこれからすごく苦労するだろうなって思っています。自分の独りよがりの解釈ではいけないし,深くてもいけないし,浅くてもいけないしという。

齋藤 オリジナリティということですね。研究のオリジナリティは大事ですね。それと独りよがりというものの違いについては,外側の人の理解も深めなければいけないと思いますが,研究者のほうも自ら実証をしていく必要がありますね。

波平 ほんとうにそうだと思います。それは,1つひとつの研究領域の中で見せるしかないだろうと思うんです。

――最後に質的研究をこれから始められる,現在行われている方々に一言お願いします。

岸田 まだ試行錯誤の段階で,これからデータとの闘いが始まります。どういうふうに1つひとつを見つめていくかという最も苦しい作業とは思いますが,新たな発見につながることを信じて,楽しみでもあります。研究の協力者の方にこれからお願いをして,意味のある,有意義な研究を進めていきたいと思っています。

齋藤 これから研究を始めようとされている方の悩みやジレンマを伺っていると,研究をいい医療につなげたい,自分の関わる患者さんに最善のことをしたいということと,客観的に観察者に徹しなければならないということを一生懸命考えられていて,研究を始める前に真剣に悩んでいらっしゃるわけです。その姿から,逆に良心というものを知るという思いをしています。

 そういう中から練りだされた研究の1つひとつが,ほんとうに社会に広がっていってほしいと願っています。

波平 私は21歳のときから文化人類学一筋で,それ以外の分野について多くを知らないわけですが,文化人類学の人間からすると看護というのは非常に面白く魅力があります。研究してもしても興味が尽きない。ただ,これを広くわかるような言葉で,わかるような方法論でいかに提示していくか,そしてそれが質的研究の方法論の1つとして定着できるような,具体的な方法手段というものを,わかりやすい方法で提示するのが,自分の役目ではないかとお2人のお話を伺っていて,強く思うようになりました。

 実際にできるかとなると,とても難しくて,少なくともこの本をバージョンアップしていくことが,自分にとっての第一の課題かなと思います。本日は,どうもありがとうございました。


波平恵美子氏
1965年九大教育学部卒。68-71年テキサス大大学院人類学部,73年九大大学院博士課程修了。74年佐賀大教養部助教授。80年九州芸術工科大(現九州大)助教授,88年同大教授。98年お茶の水女子大教授,2000年同大ジェンダー研究センター長併任。06年4月より現職。著書は『文化人類学-カレッジ版』(医学書院),『からだの文化人類学-変貌する日本人の身体観』(大修館書店)他,多数。

齋藤有紀子氏
1986年明治大法学部法律学科卒。88年同大法学研究科博士前期課程修了。2000年より北里大医学部医学原論研究部門専任講師。05年同大助教授。慈恵医大,東海大,静岡がんセンター,北里大などの倫理委員を務める。著書は『母体保護法とわたしたち─中絶・多胎減数・不妊手術をめぐる制度と社会』(共著,明石書店)などがある。

岸田佐智氏
1979年高知女子大衛生看護学科卒。80年京大医療技術短大助産学修了。その後,京大附属病院,高知医大附属病院で助産師として勤務。87年聖路加看護大修士課程修了。高知女子大看護学科講師,89年同大助教授。2003年兵庫県立看護大博士課程入学。06年4月より現職。著書は共訳本に,『看護における質的研究』(医学書院),『新助産学-実践における科学と感性』(メディカ出版)などがある。