第2680号 2006年4月24日


夢―Vision
夢をみる,現実をつくる

京極 真さん


 2005年3月に刊行された,ある若手心理学者の著作が,医療・看護研究者の間で静かなブームを起こしている。『構造構成主義とは何か 次世代人間科学の原理』(北大路書房,2005/右写真)の著者,西條剛央氏(日本学術振興会特別研究員・心理学者)が提唱する「構造構成主義」は医療・看護に何をもたらすのか。西條氏が主催する「次世代人間科学研究会」に参加し,構造構成主義を臨床・研究に活かす取り組みを続ける京極真氏(江戸川医療専門学校講師・作業療法士)に聞いた。


臨床には「信念対立」がある

――なぜ「構造構成主義」に関心を持たれたのでしょうか。

京極 3年間ほど,精神病院で作業療法を行っていたのですが,その当時から現場にあるさまざまな信念対立について,もやもやと考えていました。例えば「チーム医療」というけれど,医師,看護師,作業療法士は,それぞれ違った枠組みで患者を捉えているでしょう? そしてしばしば,その枠組みの違いがチーム医療を破綻させ,結果的に患者さんが不利益をこうむる。

 そんな中,西條さんが主催していた次世代人間科学研究会のメーリングリストにたまたま出会いました。当時はまだ「構造構成主義」は体系的に示されていませんでしたが,そこで西條さんが提起されていた「信念対立をいかに解くか」という議論を見て,「これだ」と思ったんですね。

――「信念対立」とはどういうことでしょうか?

京極 例えば,医療職はそれぞれ自分の専門性を追求していこうとする「専門性志向」を持っています。しかし一方では,「患者中心」という考え方もある。この2つは原理的に両立しません。それぞれ拠って立つ信念があり,突き詰めていくと,どうしても対立してしまうわけです。

 また,少し前に流行ったEBMも,しばしば信念対立が生じるポイントですね。EBMは「臨床疫学的」であることがもっとも科学的かつ適切な判断をもたらすという1つの信念に基づいています。しかし,当たり前のことですが,臨床には臨床疫学になじむ分野と,どうしたってなじまない分野があります。看護やリハは,なじまない分野を多く含むと思いますが,この場合,「科学と臨床の関係」あるいは「科学とは何か」という点について信念対立が生じることになります。

 こういった対立はしばしば,患者に不利益をもたらします。「専門性志向」がしばしば「患者の声を無視する」という批判を受けるのと同様に,「患者中心」だって,行き過ぎれば,適切な治療法の選択をはばむことになりかねません。

倫理ではなく,原理が開く道

――構造構成主義では,そういった信念対立をどのように解消するのでしょうか?

京極 信念対立をいかに解消していくかについては,これまでは倫理や道徳が持ち出されることが多かったように思います。「専門性志向であれ患者中心であれ,病んだ人を救うのが医療職の務めである」といったものですね。

 しかし,倫理や道徳は根本仮説なので信念対立は解消できないと僕は思います。「ヒポクラテスの誓い」が出て2千年以上経つのにいまだに信念対立はなくなっていないわけですから(笑)。

 では,倫理や道徳がダメならどうするのか。構造構成主義は,倫理や道徳ではなく,原理によって信念対立を乗り越えようとする試みといえます。

――具体的にはどのような手順を踏むのでしょうか?

京極 まず,自分たちが拠って立つ思考の枠組みを相対化します。そのうえで,その時点でより妥当なことを建設的に議論し,信念対立を乗り越えていくというのが基本的なコンセプトです。信念対立から建設的コラボレーションへと軸足を移行させていくことを原理として示したものが,構造構成主義といってもいいかもしれません。

なぜ「正しい」と思うのか,を問う

京極 一見,当たり前のように感じるかもしれないですが,この思考の流れは普通の思考の流れとは真逆です。通常は,正しいと思うから「Aは正しい」と考えますからね。いちいちなぜ正しいと思うのかを問わない。そうすると次元も文脈も異なるもの同士を比較すれば,信念対立が生じざるを得なくなります。だって,どちらも自分は正しいと思い込んでいるわけだから(笑)。それは,専門性志向と患者中心が原理的に対立せざるを得なくなることからもわかるでしょう。

 そこで,構造構成主義では「なぜ自分はA(あるいはB)という治療法を正しいと考えるのか」という問いを自らに立てるところから始めます。それによって,自分の考えを支える拠りどころ,根拠を明らかにしていきます。

 では,そもそも根拠とは何でしょう? 構造構成主義では,あらゆる根拠が,言語によって恣意的に構造化された「ルール」に過ぎないことを論理的に明らかにしています。

 根拠が恣意的なルールに過ぎないのであれば,原理的には無限に立てることが可能です。このように考えると,自分が拠って立つ「根拠」「ルール」を絶対化するということが,原理的に不可能であるということがわかります。まず,このことを共通認識とする。それで初めて,その場での客観性,つまりはそこにいる人間すべてが納得できる結論をめざした議論ができるようになる,と思うんです。

構造構成主義という「眼鏡」

――ひとまず思い込みを排除し,そのうえで議論を重ねていくことが大切だということでしょうか。

京極 平たく言うとその通りですね(笑)。ただ,実際の臨床で,それを「当たり前」に行うのは簡単じゃないんですよ。自分が拠って立つ思考の枠組みを外すのは,誰にとっても難しいことですからね。

 だからこそ,それを精緻に理論化した構造構成主義の意義は大きいと僕は思います。構造構成主義という「眼鏡」をかけることによって,とりあえずは自分が拠って立つルールの恣意性を確認する。それによって,1人ひとりが信念対立を解消する糸口にたどりつけるんじゃないかと思うんです。

 臨床や研究の現場では,そのうえでその都度,「ローカルな客観性」を構築し,実践を行っていけばいい。それを恣意的だ,いい加減だという人は,人間の行う実践とはそもそも恣意的なものだということを理解していないのではないかと思います。恣意的にならざるを得ないということを認めたうえで謙虚に実践をやっていく。それしかないんだ,ということを構造構成主義は教えてくれます。

 念のため付け加えておくと,それは倫理や道徳ではありません。誰もがていねいに論理的に考えれば到達できるはずの「原理」なんです。


京極真氏
江戸川医療専門学校講師・作業療法士。作業療法学修士。作業療法を研究,教育,実践するかたわら,最先端の現代思想である構造構成主義を継承・発展させている。弊社刊行『総合リハビリテーション』2006年5月号(vol.34, no.5)に,構造構成主義をリハビリテーション領域に活かす試みを論じた「EBRにおけるエビデンスの科学論~構造構成主義アプローチ」掲載予定。