医学界新聞

 

【寄稿】

脳卒中医療のパラダイムシフト
ニヒリズムからアクティビズムへ

松本昌泰(広島大学大学院教授・病態探究医科学脳神経内科)


 2005年10月11日は,わが国の脳卒中医療を担う医療人にとって,記念するべき日となった。すなわち,この日に脳梗塞超急性期(発症後3時間以内)の血栓溶解療法へのアルテプラーゼ(遺伝子組み換え組織プラスミノゲンアクチベータ:recombinant tissue plasminogen activator: rt-PA)静注療法の保険適用拡大が正式に認可・発表されたのである。では,何故この治療法の登場が脳卒中医療にとって画期的な事件と言えるのであろうか。

 本稿では,rt-PA保険適用拡大の意義を脳卒中診療に関わってきた医療人の立場から解説する。

「Brain Attack時代」の幕開け

 まずはじめに,脳梗塞超急性期(発症3時間以内)におけるrt-PA保険適用拡大は,脳卒中医療関係者が待ちに待った「Brain Attack時代」の幕開けを象徴する事件と受け止められているからである。そもそも,この治療法は米国NINDS(The National Institute of Neurological Disorders and Stroke)による脳梗塞超急性期の臨床試験により,その顕著かつ有意な予後改善効果が1995年に証明され,その発表のわずか半年後の1996年には米国FDAが発症3時間以内の虚血性脳卒中例へのrt-PAによる血栓溶解療法を認可したことに始まる。その後,欧米ではこの治療を普及させるべく脳卒中をmedical emergencyとして捉えるべきであるとする大衆啓発活動が盛んになっている。「brain attack」とは,「heart attack(心臓発作)」に倣って脳卒中は心筋梗塞などと同様に救急対応するべき疾患であることを周知徹底するためにつくられたキャンペーン用語である。

 筆者が「brain attack」という言葉に初めて接したのは,1996年5月3日発行のScience誌に掲載されたBarinagaによる論説に目を通した時であるが,その用語の新鮮さに驚いたのを今でも憶えている。この論説の中には「Educating the Public and Health Workers About “Brain Attacks"」と題した小欄があり,超急性期治療の臨床試験を実施する際に,地域住民や救急隊員を含む脳卒中の救急診療に関わる医療スタッフの意識改革を進める必要性を痛感し,その旗印とも言える「brain attack」という新しいメッセージがつくられた経緯が関係者のインタビューを含めて生々しく述べられていた。まさに,新しい時代(Brain Attack時代)の到来を告げる論説であったと言える。

 その後,この治療法は欧州における臨床試験などを通じて有効性が再確認され,欧米先進国はもとより既に近隣の韓国,中国などのアジア諸国を含め,世界40か国以上で脳梗塞超急性期の世界標準の治療法として認可されるに至っていた。その意味で,この度のrt-PA保険適用拡大は,欧米に遅れること約10年で,ようやくわが国の脳卒中医療が「Brain Attack時代」のスタートラインに立ったことを象徴する事件として受け止められている。

脳卒中医療のパラダイムシフト

 では,「Brain Attack時代」がもたらす脳卒中医療の変化とはどのようなものであろうか。以下には,脳卒中の重要性の再認識やその診断・治療法の開発,新たな診療体制の確立,普及の促進の視点からその影響をまとめる。

1)脳卒中によるインパクトの再認識
 「brain attack」という斬新な用語の登場は,脳卒中の治療が大きく変わりつつあることを象徴するのみならず,その背景にある脳卒中というきわめて発症頻度の高い重篤な疾病が社会に及ぼすインパクトを再認識させるスポットライトの役割を果たす。つまり,rt-PA保険適用拡大を契機とした「brain attackキャンペーン」という社会への能動的働きかけは,一方では「脳卒中がそのようなキャンペーンに値する疾病か?」と常に社会の批判に曝されることをも意味する。

 わが国に先行して高齢化社会に突入してきた欧米諸国では,各種の疾病に対する治療や診断法に関しても,社会を意識して,早くから医療経済学的視点からの分析がなされてきている。なかでも脳卒中は,わが国を含む先進諸国のほとんどで3大死因の一角を占めるのみならず,その数々の後遺症により高齢者のQOLを障害する最大の原因となっており,その対策に要する費用はきわめて大きい。今後の高齢者のさらなる増加が脳卒中発症増加を招く主要因となることは火を見るよりも明らかであり,その総合的対策の構築はまさに急務と言える。また,WHOでは,各種疾病がどの程度の障害をもたらしているかを各国別に計量比較する指標として,「障害を調整した生存年数(disability-adjusted life years)」(DALYsと略)を求める方法を新たに開発し用い始めている。1993年の報告では,脳卒中のために世界全体では毎年5000万DALYsが失われ,45歳以上の女性や60歳以上の男性ではDALYsを奪う最大原因疾患であることが明らかとされている。すなわち,障害要因としての脳卒中の社会に及ぼすインパクトは,高齢化社会に突入しつつあるわが国や欧米先進諸国のみならず,発展途上国を含めた世界全体にとっても保健衛生上きわめて大きいと言える。

2)脳卒中診断・治療体制の変革
 上述の如く,脳卒中のインパクトはきわめて大きいが,その発症後の治療に関してはこれまで有効な治療法に乏しく挫折感が支配していた。しかしながら,「Brain Attack時代」の到来とともに,脳卒中,中でもその大部分を占める虚血性脳卒中の診断・治療法の変貌には著しいものがある。国際誌Strokeの編集主幹で「brain attack」という言葉の生みの親でもあるHachinskiはこのような脳卒中超急性期診療の変貌ぶりをLancet誌の脳卒中特集(1998年10月の増補版)の序言の冒頭で,“Few areas of medicine are undergoing a greater transformation from nihilism to activism than stroke.”と表現している。米国ではすでに医育機関を含む多くの主要な医療機関において「brain attack」に対応するacute stroke team(AST)が編成され,毎日24時間体制でコールがあれば10分以内に対応できるシステムが構築されており,超急性期治療を含む専門医療スタッフの養成を含めた対脳卒中総合医療体制の構築が図られようとしている。

 脳梗塞の血栓溶解療法に関する臨床研究は,わが国の研究者(YamaguchiらやMoriら)により世界でも最も早くから実施されており,超急性期治療の重要性はわが国の脳卒中専門医の間ではすでに広く認識されていた。したがって,欧米での「brain attackキャンペーン」の展開は,わが国の脳卒中診療の変革を一段と押し進める弾み車の役割を果たしてきた。中でも特筆するべきこととして,脳卒中の神経学的重症度評価法としてのJapan Stroke Scale(JSS)の作成,日本脳卒中協会(The Japan Stroke Association; JSA)の設立(1997年),SCU(Stroke Care Unit)設置の推進,「脳卒中治療ガイドライン2004」の発表などがあげられる。

 ただし,この新しい治療法には,適応患者を適切に選別しうる施設で,脳卒中急性期医療の経験が豊富な医療スタッフによる治療がなされないと,脳出血などの重篤な副作用が増加することが知られており,「両刃の剣」としての特徴がある。その意味で,日本脳卒中学会医療向上・社会保険委員会はrt-PA静注療法の施設基準(表)を発表しており(日本脳卒中学会ホームページ:http://www.jsts.gr.jp/参照),今後は超急性期の脳卒中医療を担うスタッフ(脳卒中専門医,脳卒中専門看護師など)の養成や施設(SCUまたはそれに準ずる設備を有する)の整備と地域における脳卒中救急治療ネットワークやそのシームレスケア体制の構築を含めた対脳卒中総合医療体制の構築を進める契機となるものと期待される。

 日本脳卒中学会医療向上・社会保険委員会が提案するrt-PA静注療法の施設基準
1.CTまたはMRI検査が24時間実施可能であること
2.集中治療のため,十分な人員(日本脳卒中学会専門医などの急性期脳卒中に対する十分な知識と経験を持つ医師を中心とするストローク・チーム)および設備(SCUまたはそれに準ずる設備)を有すること
3.脳外科的処置が迅速に行える体制が整備されていること
4.実施担当医が日本脳卒中学会の承認する本薬使用のための講習会を受講し,その証明を取得すること(ただし,発症24時間以内の急性期脳梗塞を例えば年間50例程度の多数例を診療している施設の実施担当医については,本薬使用前の講習会の受講を必須とはしないが,できるだけ早期に受講することが望ましい)


松本昌泰氏
1976年阪大医学部卒。84年米国メイヨークリニック留学。97年阪大講師・第1内科(神経内科併任)。99年阪大大学院助教授・医学系研究科病態情報内科(神経機能医学併任)。2002年広島大大学院教授・病態探究医科学講座脳神経内科学。03年広島大病院臨床試験部長,05年より病院長補佐(地域連携室長)を併任。専門領域/脳血管障害。研究テーマは虚血性神経細胞障害の分子機序の究明,J-STARS
http://jstars.umin.ne.jp/)などの臨床試験の推進。