医学界新聞

 

寄稿

「医療制度改革大綱」を読む

野村英樹(金沢大学医学部附属病院助教授 総合診療部・総合診療内科)
中山健夫(京都大学大学院医学研究科助教授 健康情報学)


 昨年10月19日に厚生労働省から示された「医療制度構造改革試案」は,厚労省社会保障審議会の医療保険部会や医療部会,首相官邸の経済財政諮問会議などでの議論を経て修正され,12月1日,政府・与党の医療改革協議会で「医療制度改革大綱」1)として正式決定した(表)。本年2月までに閣議決定をめざすと伝えられている。

 医療制度改革大綱の目次
I.改革の基本的な考え方
II.安心・信頼の医療の確保と予防の重視
III.医療費適正化の総合的な推進
IV.超高齢社会を展望した新たな医療保険制度体系の実現
V.診療報酬等の見直し
VI.改革の時期

 改革の基本的考え方は,「安心・信頼の医療の確保と予防の重視」「医療費適正化の総合的な推進」および「超高齢社会を展望した新たな医療保険制度体系の実現」である。これらが取り上げられる背景には,医療への信頼が失われ,予防が軽視され,医療費の使い方が適正でなく,超高齢化に現行の医療制度が耐えられなくなる見通しであるという問題点が存在する。

 本稿では,それぞれの問題点の本質を学際的に捉えて,改善のための糸口を探っていきたい。

情報の非対称性を原因とする市場の失敗(レモン市場化)

 医療介入は,多くの場合その転帰を予測することは難しい(不確定性の存在)。患者は不確定性を減少させるため,介入の効果と害,コストなどに関する情報を必要とするが,患者が持ち得るこれらの情報の質と量は,医療提供者側に比較して圧倒的に少ない(情報の非対称性)。患者への説明責任が叫ばれるのはこのためだが,懇切丁寧に説明したとしても,多くの場合患者側が真の意味で理解することは難しい。この埋めようのない情報のギャップを埋めるもの,それが医療者に対する「信頼」である。

 情報の非対称性の例として取り上げられるのが,中古車市場である。レモンは傷んでいるかどうかは外見から判断しにくいが,同様に「高質の中古車」と「低質の中古車(業界用語でレモンカー)」を見分けることは消費者には難しい。このため,本来なら高く売れるはずの高質の中古車も,低質の中古車と同じ値段でしか売れない。高質の中古車は市場に出されなくなり,中古車を買うと低質の中古車をつかまされやすくなる。どうせ低質の中古車をつかまされるのだからと,消費者はますます安い中古車(確実に低質)を選択するようになってしまう(逆選抜)。こうして市場から高質の中古車が消え,「市場の失敗(レモン市場化)」を招いてしまう。

代理指標による選択を防ぐ シグナリング

 医療においても,患者が「高質の医師」と「低質の医師(レモンドクター?)」を見分けることは難しい。しかも,どちらも「同じ価格(保険点数)」に決められている。仕方なく大きな病院のほうが質が高いのではないかと考え,大病院を受診する(いわゆる大病院志向)。この現象は,病院の規模という代理指標による選択だが,その結果高質の医療を提供するプライマリケアを担う小規模医療機関に患者が集まらないため質の維持が困難となり,また大病院には本来の専門分化医療を必要としない患者が増えるため,やはり質の維持が難しくなる(準レモン市場化?)。

 レモン市場化を防ぐ方法に「シグナリング(情報の多い側から質を保証するシグナルを送ること)」がある。中古車販売なら,自動車公正取引協議会に加盟して表示する,自動車の年式や走行距離,修理記録などを開示しなければならない法律を制定する,などが考えられる。

 医療界で近年試みられているものとして,専門医資格や手術成績公開などの他,病院を対象とした医療機能評価があげられる。大綱にも「医療の質の向上に向けた第三者評価の推進」が謳われているが,大病院志向が問題となっているのであるから,診療所や小規模病院でこそ患者の信頼を得られるような第三者評価というシグナリングを取り入れる必要があるはずである。評価基準の中には,「根拠に基づく診療ガイドラインの適用率」なども含めることを検討する必要があろう。

モラルハザードとは

 次に自動車保険を考えてみよう。一般に保険会社は,被保険者がどのような車の使い方をするのかを知ることはできないが,この場合は保険者を情報劣位者とする情報の非対称性が存在することになる。このような場合,保険で支払われるのだから多少事故を起こしても大丈夫だと考え,例えば運転の荒い未成年の息子の遊びのために車を貸し与えたりする者がいる。これがモラルハザードである。

 同様に国民皆保険の日本では,病気になっても保険で医療費は支払ってもらえるからと,好ましくない生活習慣を改善しようとするモチベーションが不足する。大綱における「予防の重視」とはまさにこのモラルハザードへの対策であり,都道府県ごとに運動,食生活,喫煙や健診・保健指導実施率等の目標を設定して取り組むとしているが,問題は実際の対策である。

タバコ税の目的税化は タブーか?

 モラルハザード対策として知られるのは「自己選択」である。自動車保険で言えば,運転者の年齢の範囲などを被保険者が申告し,これにより保険料が変わるシステムである。医療保険に当てはめれば,例えば喫煙の有無を自己申告してもらうなどになるが,自己申告で非喫煙と申告しても,これが守られていることを継続的にチェックすることは事実上困難である。

 実はタバコの場合,タバコの販売と同時に保険料を徴収する(タバコ税の増税および目的税化)という,確実な方法がある。タバコを買うたびに保険料を徴収されていれば予防へのモチベーションが高まるから,タバコ税増税は喫煙率抑制にもっとも大きな効果が証明されているうえ,税収も増えると試算されている。さらには,喫煙率の減少は極めて大きな死亡率の減少効果があることが認められているため,日本も批准し昨年発効した「たばこの規制に関する世界保健機関枠組条約」では,タバコ税政策に「たばこの規制に関する自国の保健上の目的を考慮」することを求めている。

 ところが今回の大綱では,厚労省試案にはなかった「たばこ税を引上げるべきとの意見については,税制改正全体の中で議論していくこととする」との記述が(政府・与党によって)加えられ,タバコ税を医療制度改革の議論から切り離している。また,年末に一転決着したタバコ税増税(1本0.85円増)論議でも,目的税化に自民党税制調査会長が反対していた。

 今回の児童手当拡充の財源としての増税は,反対されたように確かに帳尻合わせの側面があったし,また目的税は道路特定財源のように特定の省庁と関係の深い関連団体の便益となる危険性がある。しかし,タバコ税の一部を別収の保険料として扱い,一部をタバコ対策目的で用いるうえで特定の団体が利することは考えにくい。むしろ,タバコ税が課税の目的が明確でない“一般税”として財務省が権限を有していることは,全国紙の社説などで批判されているように“天下り”を受け入れて財務省との関係を保ってきた日本たばこ産業(JT)側にとって好都合なのかもしれない。

フリーアクセスに潜む 「共有地の悲劇」

 さて,今回の一連の議論の中で,「国民皆保険」制度について反対の声はなかった。国民皆保険は経済的に医療へのアクセスを全国民に保障するシステムであるが,日本の医療制度にはさらに,物理的にもすべての医療機関を患者が自由に何度でも受診できる「フリーアクセス」という大きな特徴がある。これらの特徴は,戦後まだ貧しかった国民全体に遍く医療を提供するうえで有効であったが,現在は「共有地の悲劇」と呼ばれる現象を生み出している2)

 共有の牧草地に誰でも何頭でも家畜を飼育できるとしよう。一人ひとりの牧者は自分の利益を最大化しようとするため牧草が枯渇し,家畜が痩せ,それでも牧者は一頭でも多く家畜を飼おうとするため,場合によっては家畜が全滅に追いやられてしまう。

 同様に国民皆保険という共有地へのフリーアクセスは,患者一人ひとりが自分だけは少しでも多く医療を受けようと行動したり,あるいは医療者側が出来高払いの保険基金(フリーアクセス)へ請求可能な医療行為を少しでも多く行おうとしたりすると,基金の枯渇を招き,制度そのものに破綻の危機を招いてしまう。

医療費の適正化は 「共有地の悲劇」へのチャレンジ

 大綱で打ち出された医療費の適正化とは,まさにこの共有地の悲劇の解決に臨むことに他ならない。医療費の適正化には,中長期的のみならず短期的な目標も定めて実行せよと小泉首相が指示したとされるが,短期的な目標を設定する手法は企業経営などでは当然のことであり,医療界も取り入れていくべきあろう(同様に喫煙率低下にも数値目標を取り入れるべきである)。「共有地の悲劇」の経済学的な解決策としてはフリーアクセスの制限,すなわち医療費の定率(現行3割)ないし定額自己負担(保険免責制)などがあげられる。

 しかし忘れてはならないことは,患者側は医療介入の必要性などについては情報劣位者であるという事実である。経済的な理由だけに基づいて対策を施すと,経済的な動機から必要な医療を受け損ねる患者が出現する。また,現実に3割もの自己負担が共有地の悲劇を防ぐ手段になり得ていないことは,結局このような対策では情報のギャップは埋められずに多くの患者が受診し,本来なら必要のない検査や治療が行われていることを示している。これらのアクセス制限策を強化すれば,たしかに医療費総額は抑制されるだろうが,医療に対する信頼はますます失われるだろう。

 医療へのフリーアクセスを堅持しながら共有地の悲劇を防ぐ手段として期待できるのはむしろ,いわゆる「プライマリケア医(PCP)制」だろう。PCPが医療の必要性を判断する専門家としての役割を担い,専門分化医療への受診は(緊急時を除き)PCPからの紹介のみとする。ここで工夫が必要なのは,PCPを牧者とする共有地の悲劇を防ぐため,PCPには検査や投薬に関して正(現在の出来高払い)や負(包括払い)のインセンティブを加えず,正しい判断を行うことでのみ正当な報酬が得られるように設計することである。包括払いでは,より多くの検査や投薬を望む患者に対し,医療側は逆により減らそうとするから,両者の間の摩擦が新たな悲劇(医療裁判の増加など)を生む可能性がある。正負いずれのインセンティブを加えないということは難しい挑戦だが,英知を絞ってこれに取り組まない限り,悲劇は避けられないだろう。

 なお,1月に「平成18年度診療報酬改定の骨子」として中医協より打ち出された大病院初診時の患者自己負担額の実質値上げ策(図)も,表面上の狙いは同様と思われる。大病院に紹介状を持たずに受診した場合の初診料保険診療分を大幅減額することにより,非紹介患者に対する初診料特定療養費(全額患者の自己負担)の値上げを促せば,大病院の受診抑制につながるというものである。しかし,初診料特定療養費制度が導入された際も,紹介患者の場合と同じ初診料収入を病院側が確保しつつ,患者の自己負担額を増やして大病院へは紹介状を持参するように促せるとされたものの,実際には徴収に踏み切れない病院が多かった。同様に今回も病院側が保険診療の値下げ分を被る決断をする可能性があるうえ,併せて検討されているように初診料紹介患者加算が廃止されれば紹介患者1人あたりの初診料収入自体が減額となるから,患者の自己負担増とはならない可能性が高いのではないか。保険者や政府の負担は確実に軽くなるが,そもそも患者を診療所・中小病院へシフトさせること自体で医療費の適正化が図られるはずである。病院機能に応じた初診料特定療養費の下限を定めるなどにより,目的は達成されるのではないだろうか。

 大病院の初診料
現在,初診料紹介患者加算の廃止,初診料の微増,紹介状なし初診料の大幅減が検討されている。病院側の収入が紹介状の有無に関わらず同額になるように初診料特定療養費額を設定した場合の自己負担額を示す。

新たな高齢者医療制度

 栄養や公衆衛生・医療の向上による長寿化を主因として超高齢化社会を迎えつつある日本で,高齢者医療制度の見直しは必須である。「将来にわたって持続可能な制度の構築」をめざすとの方針が貫かれる限り,収入のある高齢者のある程度の負担増は避けられないだろう。長年社会に貢献してきた高齢者にさらなる負担をお願いすることは心苦しいが,老いてなお健康で経済的にも自立できる高齢者の割合を増やしていくことこそ,公衆衛生や医療の目標であろう。

 なお,少子化による人口減少は医療制度とは別問題であり,将来そのしわ寄せが医療に押し付けられることがないよう,しっかりとした対策を国として実行する必要があることは強調しておきたい。

大醫は國を醫す

 「小醫は病を醫し,中醫は人を醫す。而して,大醫は國を醫す」と言われるが,そのためにわれわれ医療者は,医療者側や患者側の利害を超え,現代経済学・経営学の原則もある程度は理解したうえで意見を述べるべきと考える。また,シグナリングなどの方策をいかに取ろうとも,それだけでは医療への信頼は取り戻せないのであり,すべての医療人がプロとして患者・社会の信頼を得るためのあらゆる努力をする必要がある。これこそが医療人のプロフェッショナリズムであり,誰かから押し付けられるのではなく,医療者側が自分自身や同僚に働きかけていかなければならないものなのである。

参考文献
1)政府・与党医療改革協議会.医療制度改革大綱.2005年12月1日.(自民党ウェブサイトより入手可)
2)Nomura H, Nakayama T. Japanese healthcare system. The issue is to solve the “tragedy of the commons" without making another. BMJ 2005;331:648-649.