第2666号 2006年1月16日


教養としての
Arztliche Umgangssprache als die Allgemeinbildung
医  者  

ディレッタント・ゲンゴスキー

〔第1回〕 医者語とは


 この連載の表題は昔の外国語入門書のもじりだが,もとより「医者語」とは外国語ではない。この日本国で医者同士が使う仲間うちのコトバ,いわゆる社会的方言である。日本語を枠組みとしながら外来語を多量に含んでいるのが特徴だが,正統な学術用語はともかく,カタカナ表記されるような慣用表現の中には元の言語の発音や意味からずれたものも少なくない。隠語として機能することもある反面,世代や専門分野の違いにより,皆が同じ語彙を駆使できるとは限らず,医者の間でも通じない危険もはらんでいる。

【例題】

 ここで失礼ながら,医者語能力のテストをさせていただく。あなたは次の文中でカナ表記されている下線部分を,もとの外国語で正しく綴れるだろうか。

例文(1) 波動のある腫瘤を穿刺したらアイテルが流出した。
例文(2) 今回は3クール目の化学療法が目的で入院した。
例文(3) 「先生,あとで文句が出ないようにちゃんとムンテラしといてくださいよ!」

 初回なので,医者語の中でもっとも多いドイツ語系の単語ばかりを3つ選んである。答えは(1)がEiterで,意味は膿である。英語ならpusと言うだろう。(2)はKurで治療あるいは療養を意味し,日本の医療現場では化学療法の1回分の期間ないし,その治療行為を指すのに非常によく使われている。語源は英語のcureと同じのようだが,1回の治療期間の意味ならばcycle,session,courseなどの語に相当するだろう。(3)は意地悪問題で,実は正解がない。無理やり綴ればMundtherapieということになるが,これは日本で作られた,ドイツ人に通じない,いわゆる「和製独語」である。

ホーホケキョ

 筆者は画像診断医として,依頼科のカルテを見て臨床情報を把握するのが日常業務の大切な一部である。その「カルテ診察」の中で,上記例題(1),(2)に出てくる単語がそれぞれI tel,coolと綴られているのに出くわした。誤記したレジデントを嗤(わら)ってはいけない。2つとも先輩医師が発した耳慣れない音の塊を自分になじみのある別の語と「聞きなした」傑作表記で,本来の意味がわからない単語の由来を,手持ちの語彙の中で推測する「民間語源」の例といえる。信心深い人には鶯の啼く声が「法,法華経」と聞こえ,アメリカ英語の発音に慣れていない耳にはeconomicalが「烏賊(イカ),なめこ」と響くたぐいである。

German divide,
ドイツ語履修についての世代間較差

 I telやcoolは極端な例だが,クールをkur,kurrなどと表記する誤りはしばしば見かける(註:ドイツ語は普通名詞であっても語頭を大文字で綴るのが規則)。これら独創的な綴りを見てあきれてはいけない。新卒の医師がドイツ語系医者語に通じていることを期待するほうがおかしい。

 年輩の先生方は驚かれるかも知れないが,21世紀の医学生にとってドイツ語は必修ではない。現在,多くの総合大学医学部では英語以外の外国語として,例えばフランス語を選択してもよいことになっている。たとえドイツ語を選んでも,中身が一般的な文法と文芸作品の読解程度であれば,「咳」や「熱」ならまだしも,普通のドイツ人になじみのない医学用語はめったに出てこない。幸運にも医学ドイツ語の講義を受けられるのは一部の医科大学在校生のみである。

 専門課程の講義で使われる外来語は英語が圧倒的多数を占め,時にラテン語やギリシャ語が混じる程度。在学中に英語以外の外国語文献に当たる必要は皆無に近い。大学院の入学試験も第二外国語が必須ではなくなって久しい。つまり,学生時代に系統だってドイツ語系医学用語を学ぶ機会も動機づけもほとんどないのが実情なのだ。だからアイテルがドイツ語起源かどうかさえ知らない「ノイエヘレン(なりたての医師を意味する医者語)」がいても不思議はない。むしろ,学生や若い医者がドイツ語を知っていたら褒めてあげるべきだ。

「キミ,ドイツ語通だね。ハーベー(Hb,ヘモグロビンの略)なんて言い方どこで覚えたの?」
「ワタシ,実は外科医の娘なんです!」

和製独語「ムンテラ」

 さて例題(3)の語は,わが国の臨床現場で病状説明の意味で日常茶飯的に使われる慣用表現である。医者のみならず,例文で発言者と想定した師長を始めとして,古参のコメディカル職員も使うことが稀ではない。上に述べたようにドイツ本国では使われない語法で,Mund(口)とTherapie(治療)を合成して「言葉で説明することで治す」という意味を作り上げたらしい。元の(?)ムントテラピーという形ではめったに使われないくせに,略してMTと頭文字で記されることは多々ある。さらには,たまたま語末がラ行で終わっているのでそれを活用語尾として利用し,動詞化した用法まで存在する。例題の文章ならば「ちゃんとムンテってくださいよ!」などとなるわけだ。

 ちなみに似たようなことがsterben(死ぬ)というドイツ語の動詞に起こり,シュ(ないしス)テルベンするというカナ書き外来語になった後にステるという縮約形ができて「ステる:ステらない,ステる時,ステったら,ステっても……」などと「活用」されたりしている。ここまで日本語化したのなら,ムンテラを慣用表現として許容してもよいではないか,という意見もあるだろう。しかし……

態度の問題

 筆者は個人的に,ムンテラという単語は相手が何を言っているか,あるいはカルテに何と書いてあるかを理解するには知っているべき語彙だろうが,自分からは使わない方がよいとつねづね思っている。かすかにだが「文句を言わせず医療従事者の判断や選択を納得させる」という封建的な響きが感じられ(例題(3)の文章自体がそのサンプルになっていることにお気づきだろうか),このごろ臨床の場で実際に行われている説明と同意(informed consent)の趣旨を正確には反映していない気がする。患者さんと向き合う姿勢を疑われないためにも,若い皆さんはなるべく使用しないよう勧めたい。

 そうかと言って英語を略したICはまだ一般に通じるほど熟してはおらず,一部の人以外には何のことだかわからないだろう。では何と呼ぶか。とりあえずは日本語の「病状説明」あるいはカタカナ語「インフォームドコンセント」でよいではないか。何でも略したがる日本人のことだから,病状説明という語がムンテラに代わって頻繁に使われるようになれば,そのうち誰かが「ビョーセツ」と言い始めてそれが広まるかも知れない(ちなみに「インコン」は語呂が悪すぎると思う)。

奥ゆかしい受動語彙(passive vocabulary)

 本連載を「教養」と銘打った裏の意味は,不正確な,あるいは誤った使い方の外来語は,他人が使っている時に意味がわかるのはよいが,自分からは使わないようにしたい,ということでもある。また,若い先生方には耳から入った医者語で綴りがわからないものは無理に「創作」せず,カタカナで表記することを勧めたい。

 なお,俗用らしい単語の綴りを知りたい時は原則的に正統な用語を載せる医学大辞典の類よりも,医学用語・略語ミニ辞典,カルテ用語集など小ぶりでも実用性を主眼としている本に当たってみるとよい。インターネットで検索するという手もある。救急関連の用語ならば,「カタカナ医学俗語集(救急医療編)」(URL=http://plaza.umin.ac.jp/~GHDNet/98/g821zoku.html)も使える(日本医科大学多摩永山病院救命救急センター[当時]の冨岡譲二先生の力作)。ただしご存知の通りネット上の検索結果には不正確な情報も混じっている。そして,冨岡先生の前書きにもあるとおり,コンピュータでは変音記号付き母音に文字化けのおそれがあるので正確な綴りは辞書で確認すべきである。

つづく

次回予告
 今後はこの怪しくも興味のつきない医者語について,毎回テーマを決めて文脈の中で代表的な語を取り上げ,ゲンゴスキー流の解説を加えていく。今週は誤記やドイツ語もどきを扱ったので,次回は正統派ドイツ語がちりばめられた紹介状をもとに病歴用語について語りたい。例えば「H.K.がHustenのV.a.LungenkrebsのKranke」の意味することがわかるだろうか。

脚注:念のため申し添えるが例題の文章は筆者の創作で,特定の個人や事例をモデルにしたものではない(ゲンゴスキー)。


D・ゲンゴスキー
本名 御前 隆(みさき たかし)。1979年京都大学医学部卒業。同大学放射線核医学科勤務などを経て現職は天理よろづ相談所病院RIセンター部長。京都大学医学部臨床教授。専門は核医学。以前から言語現象全般に興味を持っていたが,最近は医療業界の社会的方言が特に気になっている。