医学界新聞

 

【シリーズ】

この先生に会いたい!!

廣瀬輝夫氏(日本医療経営学会理事長・秀明大学医療経営学教授)に聞く

<聞き手>今井必生さん
(北海道大学医学部6年)


なぜ廣瀬先生に会いたいのか?

 先生は,無血人工心肺開発,冠動脈バイパス,自家組織を用いた心臓弁の再建術など米国で最先端の医療を実践されてきました。そのような先生がなぜ,数年前から日米の医療制度や代替医療に関する書物を執筆されるようになったのか。私たちに伝えたいこと,現在の医療に必要なこと,医師の役割とは何なのか?ぜひ伺ってみたいです。

(今井必生)


■熟慮を重ね到達した結論を信じ
 35歳の重要な時期に向け己を磨く

講義は代返
実習に熱中した学生時代

今井 先生は,日本・米国でさまざまな技術を開発されましたが,医学生時代はどのように過ごされたのですか?

廣瀬 そうですねぇ。大学の講義は,講師が教科書ばっかり読んでつまらないでしょ(笑)。だから,私はあんまり講義に出てなかったんですよ。実習のほうが大事と考え,学生時代から手術を手伝わせてもらったり,フランス語等のレッスンに行ったりして,大学に顔を出したのは1か月に数回ぐらいかな。他は代返でしたよ,全部ね(笑)。

今井 それは羨ましいです(笑)。実習といえば,最初は産婦人科で実習をなさっていらっしゃいました。どのような経緯で,産婦人科から外科に転向しようと思われたのですか?

廣瀬 産婦人科病院で,臨月になるまで子宮外妊娠が診断できなかった,胎盤剥離で腹腔内出血した患者の手術の手伝いがきっかけですね。執刀医の自家輸血の臨機応変さに感心して,いろんなことを何でも知ってなくちゃいけないと思った。だから何でも勉強したし,実際に何でもやりましたよ。近くにあった耳鼻科や小児科でも手伝わせてもらいました。専門医をめざしているから専門のことだけすればよいのではなく,まずは一般医の知識を持っていることが必要だと思います。

患者の意思を尊重
無輸血手術開発へ

今井 一般医の知識は,世界初の無輸血開心術を行う時にも役立てられたのですね。その手術を行うまでに壁がいくつもあったと思うのですが,先生は医療に従事していて壁にぶつかった時,どのようにして乗り越えられてきたのですか?

廣瀬 熟慮を重ね到達した結論で「こうしたほうがいい」と思うことを信じて実行する。つまり,最後は自分を信じること。それ以外にないと思っています。最終的に「人間は身体内に異物を入れるべきじゃない」という考えに行き着きました。自然を保存する状態が一番いいに決まってますからね。それが心臓自己弁膜の修復術や輸血をしないなど,即ち自分以外のもの,異物を入れないということですよ。これは他の手術でも同じで,極度な貧血の人でも下手な手術で出血させなければ必ず治せるということです。

 そういう点で無輸血手術を行うきっかけとなった,エホバ教徒の方との出会いは大きいですね。エホバ教徒の方は手術を拒否するのではないんです。ただ,教義のため他人の血液を輸血されるぐらいなら死を選ぶ。ですから,当時の米国医師の大半は技術的には可能でも,患者が輸血を拒否するから手術を断っていたんですよ。私は自分の技術の未熟さからくる理由で手術をしないのは間違っていると思いました。「輸血できないのなら,輸血しなくてもいい術式を開発すればいい。それをしないのは医師の怠慢ではないか」と奮起したんです。

今井 先生は患者さんの意思を尊重すること,考え抜いた末に行き着いた,「一番自然な状態」に基づいてやってこられたのですね。

廣瀬 そうそう。患者さんの意思はできる限り尊重しなければいけないと周囲の人にも言ってきました。壁にぶつかった時には,もう一度考えに考え抜いて実行する。これの繰り返しです。そして35歳ぐらいの時に一生懸命やることが大事です。35歳前後がいちばん充実しているはずなんです。無輸血手術や冠動脈バイパス手術,自家組織を用いた心臓弁の再建術も35歳前後にやりました。先日,ニューヨークの新聞社のインタビューで,35歳の時にどうしたかが問われたのですが,今,人生を振り返ると確かに重要な時期だと思います。もちろんそれまでに自分を磨いていることが前提ですけどね(笑)。そのためにも絶えず目標を設定し,それに向かって努力する。成功するかしないは,まったくの別物。たとえ失敗だったとしても,必ず何かが身についてくるはずです。

医学を学ぶ前の人生勉強

今井 日本の代替医療や医療制度・医療経営についてもご執筆されていますが,外科医のパイオニアだった先生がなぜ「メスからペンへ」と思ってしまうのですが……。

廣瀬 結局,西洋医療というのは臓器医療で,全人的な医療ができないんですよ。これは100年の歴史しかない精神治療が遅れていることがいい例ですね。つまり患者さんを人間としてみていないから,精神科が遅れているんです。精神を含めて全体を,つまり全人的な治療をするのが東洋の代替医療で,これから必要な医療だと思ったんです。

 そして,日本のよい医療保険制度を変えようとしているので,医療制度についても声をあげていかないとマズイと思ったんです。医療というものは公的なものでしょう? 言い方が悪いけど,言わば社会主義的なものですよ。自由主義・資本主義の中に,無理矢理組み込もうとするからおかしなことになってしまうんです。アメリカの医療現場を直接見れば実感できますよ。「医療はビジネス」と捉えると,お金があれば高水準の医療を,なければ出せる範囲か慈善での医療を受けることになってしまっている。そういった根本的なことを知らなければ,正しい医療経営もできません。医師は医学知識だけではなく,いろいろなことを知らなければならないんですよ。

今井 これからの医師は,医療以外のことも学ぶことが必要なのですね。

廣瀬 そうです。だから幅広いことに興味を持ち続けてほしい。「医学部に入り,勉強して医師免許取得して,はいできあがり」みたいな教育はダメですね。やはりアメリカのように医学部に入る前に,4年間きちっと人生勉強をして,倫理も覚えるし,哲学も学び,宗教も少しかじったりしてもいいと思いますよ。自分を見つめ,大学生活を送る中でいろんなことを考え,卒業していかなきゃいけないと思います。その後に,医学を学ぶ。日本は,それができていないところが問題だと思いますよ。

米国で臨床をやるなら 逆に教えるぐらいの気概で

今井 アメリカで臨床をやりたいという医学生が多いのですが,アメリカでずっと臨床をなさってこられた先生はどう思われますか?

廣瀬 いま,アメリカは医師が不足しているから,願書を10ぐらい出せば1つはOKがでるんじゃないかな。ただし,アメリカへ行っても,自分は日本人だということを忘れないことです。そしてアメリカへ行く前に,日本の医学をきっちり勉強し,アメリカに行っても自信を持ってやらなきゃいけないでしょうね。

 そして,日本の医学をバカにしないこと。医学部を卒業してすぐアメリカに行き,帰ってきた時,アメリカのよいところだけを言う人が多いのはどうかと思いますね(笑)。あと,日本の医局はなんでもかんでも悪いように言われていますが,いいところもちゃんとあります。現在,アメリカは教授の権威がないし,指導力もないわけです。だから,日本でいい教授に師事し,その教授が正しい方向を示すことは,若い人にとってよいことなんです。

今井 日本の医学をきちんと吸収できる人でなければ,アメリカへ行っても何もできないということでしょうか。

廣瀬 そうです。さらに付け加えるなら,負けず嫌いでなければアメリカへ行っても役に立ちません。「アメリカへ行って教えてやる!」という気持ちが大事ですね。実際,何も教わることはないですよ。勉強するなら日本で十分じゃないですか。今じゃアメリカで研修しても,箔がつくこともないですしね(笑)。

 例えば消化器外科は,アメリカはだいぶ遅れています。胃癌の早期発見なんかあまりしてないし,局所粘膜切除手術なんてほとんどできないですよ。アメリカはそういう意味では遅れているし,いまだに末期の胃癌にレントゲン照射なんかする人もいるし……。心臓外科医だって,ずいぶん偉そうなこと言っているけど,それほどたいしたことはないですよ。日本人で上手な手術をする人のほうが多いと思います。たぶん手術をする際,最初から頭の中で手術の手順を組み立てて手術しないからじゃないのかな。だから「アメリカで教えてやる」ぐらいの精神・心構えがいちばん大事じゃないですかね。

命に対する尊敬の念を

今井 最後に私たち医学生や研修医に向けて,期待すること,アドバイスなどをお願いします。

廣瀬 やはり臨床をしっかりやってもらいたい。患者を治し,患者を尊敬し,患者の心を,自分が患者になったらどのように感じるかを考えることです。「患者様」なんて言う必要は全然ないんです。「患者さん」でいいんですよ。そのかわり常に尊敬の念を忘れてはいけない。それは命に対する尊敬ということにも通じますね。

 そういう精神を持って患者を診る。即ち,人間の体というものを尊敬する。恩師のベーリィ教授はいい言葉を言ってました。「これは心臓だよ。そのことを忘れないで丁寧に扱いなさい」と。よい手術は臓器を丁寧に扱うことでできるのであって,ぞんざいな手術をしてはいけない。ぞんざいに扱う外科医は,すぐにやめるべきだと思います。

今井 患者を,命を尊敬するということですね。

廣瀬 それが大事です。命を尊敬していれば,手術にしても患者さんへの説明にしても,ぞんざいな扱いをすることはできませんよ。「患者の権利」というものは,命を尊敬していれば自然に満たされるはずですからね。

今井 本日は大変お忙しい中,貴重なお話をありがとうございました。


チャールス. P. ベーリィ氏:フィラデルフィアの心臓外科創始者。当時,国際外科学会副会長。廣瀬氏は,フィラデルフィア・ハーネマン病院で,ベーリィ氏のもとで心臓外科の研修をしていた。

廣瀬輝夫氏
1948年千葉大医学部卒。54年に渡米。74年にニューヨーク医大臨床外科教授。世界初無輸血開心手術のための無血人工心肺の開発,冠動脈バイパス手術,自家組織を用いた心臓弁の再建術など,さまざまな新術式を開発。現在,日本代替・相補・伝統医療連合会議理事などを兼任。日本語著書には『生と死にかかわる医療』『生活習慣病の先端医療』(ともにメディカルトリビューン),『医療経営の実際―基礎から実践まで』(篠原出版新社),『在米日本医師の独白』(学生社)など三十数冊の書物を執筆。

聞き手= 今井必生さん
北大6年。京大総合人間学部卒業,同大学院情報学研究科中退。京大時代に学生ベンチャー奨励賞受賞。ソニーやゴールドマンサックスといった企業でのインターンシップの他,インドネシアでのマラリア調査補助員などを経験。その中で「すべての価値は命から生まれる」という考えに至り,北大医学部3年次に学士編入1期生として入学。世界禁煙デーにたばこ―コンドーム交換イベントを実施するなど,幅広く活動している。