医学界新聞

 

Dream Bookshelf

夢の本棚 6冊目

渡辺尚子


前回よりつづく

The Sense of Wonder

著:レイチェル・カーソン
訳:上遠恵子
新潮社
1996年
四六判・60ページ
1,470円(税5%込)

 もうすぐ一足遅い夏休みをとる。友達の中には,オーストラリアなど海外旅行に行った人もいるし,北海道や沖縄に行って来た人もいる。私は……どうしよう。この際外国にでも行って,ぱーっと遊んで来ようかな。とにかくナースコールの音が響く場所から離れたい。そんな気持ちで眠りについた。エステに行こうか,ショッピングに行こうか考えながら……。

 「また来たね,あなたの書斎に」。また,あの人の声がした。いつもはその時の自分の気持ちに合う本が音を立てて本棚から出てくるのに,今日は何の音もしない。ただシーンとした書斎に,私が一人。いつもの椅子に座って,少し目を閉じた。

 うとうとしかけた時,遠くからかすかな波の音が聞こえてきた。とても静かで落ち着く,昔どこかで聞いたような懐かしい音。その音に酔っていると今度は森の匂いがする。緑の深い,静かな森に土の匂いと静寂。と,いつの間にか私の膝の上に,1冊の本が載っていた。

 レイチェル・カーソンの「The Sense of Wonder」。レイチェル・カーソンといえば,環境問題で世界に警鐘を鳴らした「沈黙の春」を書いた人だわ。すぐに読み終わりそうな小さなその本のページを開いた。

 これは,実際にレイチェルが自分の別荘で過ごす甥のロジャーとのやりとりを記録したものだった。ロジャーとの森の散歩や,夜の海の様子が,言葉少なに語られている。その言葉の想像をふくらませるように,シダの生い茂る森の写真や,湾の向こうの月が照らす静かな海の水面,流れる雲や,今にもさえずりが聞こえそうな小鳥の写真などが載せられている。

 作家であると共に海洋生物学者であったレイチェルは,小さいロジャーに,自然の中の出来事を細かく説明しようとはしない。そして,寝る時間が遅くなるとか,洋服が汚れるとか,そんなことはいっさい言わない。ただロジャーとともに感動し,発見の喜びを分かち合うだけ。そんな中,小さい頃から,レイチェルの別荘に遊びに来て,自然に触れていたロジャーは,4歳になった時に言ったという。「ここにきてよかった」。

 雨の日だからこそと,森を歩き回る2人。レイチェルはこう書いている「自然は,ふさぎ込んでいるように見える日でも,とっておきの贈り物を子どもたちのために用意しておいてくれます」と。それが「雨が降るととりわけ生き生きして鮮やかに美しくなる森」という表現にも表されている。

 今まで忘れていた匂い,音,感覚を感じながら本を読み進めた。

 様々な自然とのふれあいの中で,レイチェルは五感の大切さと,そして現代の人がそれを十分に活用していないのではないか,と疑問を投げかけてくる。

 いつの間にか覚えてしまった言葉「時間がない」「急がなきゃ」「面倒だな」。ナースコールというより,この言葉から離れなくちゃ。

 この書名の日本語訳として「不思議さに驚嘆する感性」と書いてある。この言葉に私もこの感性を失いたくないと,強く思った。色々なことに不思議と思い,すごいと感激し,なるほどと納得する,感性。

 そうだ,原点に戻ろう! この夏は田舎に帰って,鈍くなった五感と心にたくさんの栄養を与えてこようと思った。

次回につづく


渡辺尚子
最近,患者さんと手作り万華鏡を作った。レンズの中をのぞいていると,向こうに別世界があった。「このまま万華鏡の中に吸い込まれてしまいたい」と思ってしまった私は……かなり疲れている。