第2654号 2005年10月17日


〔連載〕続 アメリカ医療の光と影 第 70回

ピル(医療と性と政治)(2)
反中絶テロ

李 啓充 医師/作家(在ボストン)


2652号よりつづく

 前回は,米国で,避妊や中絶に関連する論争が容易に政治問題化する事情を,緊急経口避妊薬「プランB」の店頭販売認可問題を例として説明した。プランBの店頭販売については,米国医師会も,米国産婦人科学会も承認すべしという立場だが,医師や医学者の科学的判断よりも,政治的判断が優先された結果,承認が遅らされているのである。

 しかし,プランBの店頭販売承認を巡る論争が政治問題化,政府高官が辞任したからといって驚くには当たらない。米国における中絶容認派と反対派の対立は,日本からは想像もできないほど激しいものがあり,中絶に携わる医療者が,「反中絶テロ」の被害に遭うことも稀ではないからである。

中絶医とその施設がテロの標的に

 「中絶は殺人」=「中絶手術を実施する医師は殺人者」というのが,反中絶テロリストの論理であるが,「胎児は,何の罪も犯していない無垢な存在」であるうえ,「中絶医を1人殺せば何万もの胎児を救うことができる」という「大義名分」のもと,中絶医や中絶を実施する医療施設をテロの標的として攻撃しているのである。

 例えば,FDAがプランBの店頭販売承認についての決定延期を決めた4日前の8月22日,1996年のアトランタ五輪爆破テロ事件(1人が死亡,100人以上が負傷)の犯人,エリック・ルドルフ(38歳)に終身刑の判決が下されたが,ルドルフも典型的な「反中絶テロリスト」である。

 ルドルフによると,アトランタ五輪爆破テロの動機は,中絶を容認している連邦政府を「懲らしめる」ためだったが,彼は,五輪での爆破事件後,ジョージア州(97年,50人以上が負傷),アラバマ州(98年,警官1人が死亡,看護師1人が重傷)で,中絶クリニックを直接のターゲットとして爆破テロを敢行しただけでなく,97年にはアトランタのゲイ・ナイトクラブも爆破(5人が負傷),同性愛者をもテロのターゲットとした。今回,死刑を免れ終身刑となったのは,爆薬の秘匿場所を捜査当局に明かす条件で司法取引を結んだからだと言われている。

 また,医療施設を対象とした爆破テロだけでなく,中絶に携わる医療関係者個人を標的とする狙撃テロも多い。例えば,98年10月にニューヨーク州バファロー市で起きた「中絶医狙撃事件」は,被害者のバーネット・スレピアン医師(52歳)が,自宅で家族とくつろいでいた際に戸外から狙撃されるという凶悪な事件だっただけに,全米に衝撃を与えた。

 スレピアンは,93年以降,反中絶テロで命を奪われた7人目の犠牲者となったが,当時,バファロー近辺の米加国境地帯では,同一犯によると見られる中絶医狙撃事件が4年連続で発生していた。

予想外の展開で反中絶テロは下火に

 狙撃犯がどうやって中絶医の名や住所などの具体的な情報を知り得たかだが,実は,中絶医の個人情報は,反中絶団体のホームページで一般公開され,情報の入手は著しく容易だった。「中絶は人類に対する犯罪」とばかりに,件の反中絶団体のホームページには,第二次大戦の戦争犯罪人裁判にちなんで「ニュレンベルグ・ファイル」という名がつけられていたが,同サイトでは,中絶医をテロの標的とすることを奨励するかのように,各医師の顔写真に加えて,住所・車のナンバー・家族の氏名などの情報を公開していたのである。スレピアンが射殺された直後,同サイトのスレピアンの顔写真には,「処刑済み」とでもいうかのように罰印が上書きされた(註)。

 同サイトが,テロを奨励するかのように顔写真や個人情報を公開している行為は,中絶に携わる医療者に対する「実質的脅迫」と,NPO「家族計画連盟(Planned Parenthood)」や中絶に携わる医療者たちが原告となって,95年,同サイト主宰者に対し,損害賠償を求める訴えが起こされた。99年2月,ポートランド連邦裁判所は原告側の訴えを認め,反中絶団体側に1億700万ドルの賠償金を支払えと命令したが,01年3月,連邦控訴審は,「同サイトの内容は言論の自由で保障された範囲内で脅迫には当たらない」と,逆転判決を下したのだった。

 同訴訟の逆転判決によって,反中絶テロが一層高まることが懸念されたが,まったく予想外の展開によって,反中絶テロは下火となった。01年9月11日,アルカイダによる同時多発テロが発生,「テロリズムは許せない」とする認識が米社会に定着,反中絶テロに対する支持も激減したからだった。「中絶医を殺せば,何の罪も犯していない胎児を何万人も救うことができる」という「大義名分」が,実は,「大義」でも「名分」でもないことが明瞭に認識されたのだった。

この項つづく


註:スレピアン狙撃犯のジェイムズ・チャールズ・コップは,01年3月,潜伏先のフランスで逮捕された。裁判では「胎児の命を守るため」と殺人の正当性を主張したが,03年3月,第2級殺人で有罪判決を受けた。海外逃亡の手配など,反中絶団体の組織的関わりが疑われたが,コップは,一貫して「単独犯」との立場を貫いた。