医学界新聞

 

鼎談

誰がために記録はある
書きすぎない,チームで共有できる記録をめざして
阿部 俊子氏=司会
衆議院議員/前日本看護協会副会長
日野原 重明氏
聖路加国際病院理事長
児玉 安司氏
弁護士/東京大学大学院医学系研究科特任教授


 記録は増え続ける一方で,書くことに忙しくてベッドサイドにいけない。チームで情報が共有できていないため重複が多く,重要な情報もドクターに伝わっていない。記録を削減したくても,医療訴訟が怖い――。

 記録に関して,こうした悩みを抱えることはないだろうか。放っておけば,診療報酬改定のたびに記録は増え続ける。書く理由は言えても,書かなくてよい理由を言える人は少ない。

 本鼎談では,もう一度「患者中心の医療,そのための記録」という原点に立ち,書きすぎない,チームで共有できる記録のあり方を考えた。


阿部 この座談会の趣旨は,「記録は誰のための記録なのか? 書かないといけない記録と,書かなくてよい記録の整理をしたい」ということです。

 その前提として,「ナースは記録を書きすぎているのではないか」ということがあります。まじめに看護をしようと思うと記録用紙は増え続け,記録にかかる時間は増加する一方で,ナースの負担が重くなっています。

 特に近年は平均在院日数が短くなっていて,「患者さんの情報収集をしているうちに退院」となりかねない,非常に忙しい状態になっています。重複記録も多いので,記録をもう一度見直す時期にきているのではないかということです。

 医療記録の基本と重要なポイントを日野原先生から教えていただきたいと思います。また,記録を削減したい反面,医療訴訟が恐くて何でも記録に残そうとする病院もあります。その点は弁護士の児玉先生に,法的観点で記録をみた場合に何が重要なのかをお話しいただけたらと思います。

書きすぎないこと,情報のサマライズと共有が大切

日野原 記録に関しては,ナースだけでなくドクターも書きすぎです。

阿部 ドクターもそうですか?

日野原 電子化されてからは書きすぎていますね。というのも,検査結果をそのまま写してしまうのです。簡単だし,時間もかからないから,手書きの時には書かなかったことまで書く。全体をサマライズして,短くするという訓練がない。写しているだけです。聖路加でもいま,「サマリーは簡略に,要点を書くように」と言っています。

児玉 ただ単にコピー&ペーストで貼り付けるという作業が可能になってしまうんですね。

阿部 電子カルテで,迅速性や多様性の問題は解決できたけれど,使っているドクターのフィジカルアセスメント能力がついていかないのでしょうか?

日野原 ついていかない。データを並べるだけになっています。デイリーのレポートには,検査値などのデータをどう読むかということを書けばいいのです。特に退院時のサマリーが長くなった。サマライズしてないから。

児玉 読んでも,何がmajor issueで,何がminor issueなのかがわからないのですね。

日野原 退院した患者さんを外来で診る時に,きちんと要約したサマリーがなくて膨大なデータをコンピュータで見るとしたら大変ですね。アメリカでは,退院時にサマリーシートができないと退院させないところがあるくらいです。日本のひどいところは,ひと月とか3か月ぶんのサマリーを溜めておくでしょ?

 アメリカのアテンディング・フィジシャンのサマリーなんか素晴らしい文章ですよ。5行ぐらいに簡略化してあって,それを読むとレジデントとは違うなあと思います。経験を積むほど簡略化が上手になります。必要なことだけ書いてある。

児玉 的確なアセスメントで,必要な情報をサマライズしているのですね。

日野原 そう。アメリカのアテンディングも忙しいですが,インターンやレジデントの教育を受け持ち,その回診結果を証拠に残さないと政府がお金を出さないから,この頃はアテンディングがみんな書いています。そして,他のスタッフから集まった情報のエッセンスをまたアテンディングがまとめます。

児玉 情報は,1回アテンディングのところに集約されて,アテンディングの優れたアセスメントを経て,もう1回発信されている。アテンディングの記載で,情報の集約と発信の経過がカルテの中に残っていくのですね。

阿部 日本では,チームで情報が共有されていないという問題もあります。

日野原 そう。それぞれの職種が別々に同じことを書いている。

阿部 例えば,入院時の患者情報にしても,ドクター,ナース,PT……と別々に情報をとって,アセスメントも自己完結的で共有されていません。

児玉 実際に,ナースが患者の異常を把握して記録していたにもかかわらず,その情報がドクターに伝わらず,患者が最悪の事態に陥るといった例がたくさんありますね。

日野原 ナースはナースだけで,ドクターはドクターだけで記録を書いていたら,それはチーム医療とは呼べないですね。情報を共有して,不要なものは書かないようにしないといけない。

「よい記録」に不可欠の 「仮説・観察・行動」

児玉 「よい記録」というのは「よい医療」があってこそのものであって,「よい医療」ができていないのに記録だけよいものができるということはないだろうと思います。じゃあ,その「よい医療」「よい看護」というのはどういうものかと考えると,ファクターは3つあると思います。

 1つは,「よい仮説」があること。仮説なしでは観察できません。何が起こりそうかということの予測と仮説を,事前にきちんと持っていることが大切で,この部分は,看護なら看護計画の中に反映されるはずです。

 2つ目は,「よい観察」があること。仮説に基づいて,みるべきものをみて,不必要なものまでは拾わない的確な観察が必要だということです。観察の時点で気がついていなかったにもかかわらず,結果を知ってから遡って,観察したかのように装う記録の書き方は,医療としても無意味ですし,法的にもかえって病院側の過失を認定する根拠になってしまいます。

 それから3つ目は,「よい行動」です。仮説を立てて,観察をしたうえで,適切なアクションにつながっていなければいけない。記録を書くことだけが自己目的化してしまって,ひたすら長い記録を書き,たくさんの所見を書き込み,それであたかもよい記録ができたと思うのは錯覚で,よい仮説に基づいて,よい観察をしたら,よい行動につながっていなければいけない。

 この仮説・観察・行動の3つが三位一体になってはじめて,「よい記録」に基づく「よい医療」ができると思います。

看護の専門性は 「協働」が前提

日野原 僕はいまも緩和ケアの回診を続けているのですが,患者さんの食事のことをナースに尋ねると「口から食べています」と答える。それで看護記録をみてみると「半分食べた」とか,「3分の1食べた」としか書いてない。

 でも,半分といっても,おつゆは吸うけどご飯はそんなに食べないということもあるでしょ? ご飯1膳は何カロリーか,牛乳1本は何カロリーかというのを覚えていて,600カロリーぐらいしか食べていないことが観察できれば,「これでは少ないから輸液する必要がある」と気づきます。患者さんの状態をしっかりと観察して,ドクターが処方できるような内容を看護記録に書いてほしいのです。

阿部 そうですね。栄養に関しては,NSTによる栄養サポートも増えてきましたが,看護のかかわりがこれからさらに重要だと思います。

 児玉先生が「仮説・観察・行動」とあげられましたが,いま問題になっているのは,ナースが看護計画を作成してプロブレムリストをたくさんあげているにもかかわらず,肝心の観察が疎かになっていることです。

日野原 言葉だけになっていますね。例えば,「病気が重いから正確にバイタルサインを取りましょう」と書く。専門家が集まっているのだから,そんなことは書かなくてもいいんです。ホスピスで「痛みがないようにしましょう」なんていうのも必要ないでしょ?そんなことまで書いたらきりがない。

児玉 おっしゃるとおり,現場にはきりがないほど書くことがあって,それを逐一記録していたら,いっそう医療者の負担が増えて,医療の安全性が低下することになります。その時に,どういうアクションプランで動いているのか,患者に対してどういう仮説をもって接しているのかということが,観察の精度に影響するのだと思います。

阿部 プロブレムリストも,sign and symptom(兆候と症状)がまったくないのに,プロブレムリストとして全部あげつらっている傾向がありますね。

日野原 10ぐらいあげるんだ(笑)。それで,ナースは病気の診断には関係ないから,症状や心理状態だけを取るという。

 でもそれらは,例えば癌の患者さんなら,癌について起こっている症状や心理状態です。本源は癌で,そこからいろいろな症状が出てくるのだから,プロブレムリストには,「肺癌に伴う呼吸困難」,「胃癌に伴う食欲不振・嘔吐」というように書くべきです。それを,病名を書くのはドクターだからという理由で「むかつき,頭痛」とだけ書くから,何のことかわからなくなる。

阿部 ナースは,他の職種と違うことを単独で行うのが看護の専門性だと勘違いしている部分があると感じます。

児玉 ナースは本来,ドクターともに患者さんの病態を把握して,的確な記録に基づいた対応をするのが仕事ですよね?

日野原 そうです。ナースの病態把握はとても大切です。

児玉 それなのに,日本のナースは保助看法の「診療の補助」という言葉にあまりにも縛られていて,病態を把握せずに,枝葉のところを記録し,枝葉の対応をするようになっている。そういう認識は違うんじゃないかという違和感が私にはあるんです。

日野原 まったく枝葉のことになっていますね。

阿部 チームでプロブレムリストを作成する方法が,チーム医療の点でも,患者中心の医療という点でもいちばんいい方法だと思います。

日野原 だから,記録をいっしょにして,例えば肺癌に伴う所見で,不眠や痛みを記して,ナースはその症状緩和のために何をする,というふうにすればいいと思いますね。プロブレムリストは同じだけど,各プロブレムに「with…」と続けて所見を記して,ナースはそこに注意して観察・行動するようにするといいんですよ。

阿部 「情報の共有化」は記録の重要な役割ですね。チーム全体で患者計画を立案し,治療と看護ケアを協働で進めることが大切だと思います。

■誰がために記録はある

「患者管理」のはずが 「文書管理」に

児玉 本来は病態把握をもとにした「患者管理」の記録でなくてはいけないものが,「文書管理」になってしまっている。そういう部分があると,日野原先生がおっしゃるような問題が出てくるんじゃないでしょうか。

日野原 まったくそのとおり。文書管理になっていますね。

阿部 看護に関しては,「記録が看護の質」というはき違えがあって,児玉先生のおっしゃるように,記録をしっかり書くという文書管理はしているのですが,そのためにベッドサイドへ行けなくなっている現状があります。

日野原 ドクターもまたベッドサイドへ行かないで,コンピュータ入力ばかり。電子化して悪いことは,ドクターがベッドサイドへ行かなくなったことです。

児玉 やはり,患者さんからのヒアリングとフィジカルアセスメントは医療の原点です。そこを抜きにして,電子化される中で長大な記録が作れるようになっている。結果として,「患者のための医療」ではなくて,「文書のための医療」になっている側面がありますね。

阿部 日野原先生が推進されているPOS(problem oriented system:問題志向型システム)にしても,本来は,観察の基本であるフィジカルアセスメント能力を前提としたものではないでしょうか?

日野原 そうです。フィジカルアセスメントはドクターも弱い。ナースは「それはドクターの仕事」と言うしね。ナースはみんな聴診器を持ってるけど,血圧を測る時以外に何も使っていないでしょう。ドクターも,まるで聴診器を使わなくなった。

 聴診器でわかることがたくさんあるのに,レントゲンやエコーを撮らないとわからない。フィジカルアセスメント能力が非常に落ちています。これは日本の医学校の特徴です。だから,医療機器の少ない国へ救援に行ったりすると,日本のドクターはぜんぜん診断できない。アメリカもエコーやMRIに頼る傾向になっていますが,それでもまだ,日本よりはるかに聴診器を使っていますね。

阿部 記録の書き方は米国から導入されてもフィジカルアセスメント能力がついてこないのが,「文書管理」になってしまう原因かもしれませんね。

児玉 入院患者さんの病態把握の最前線にいるのは,ナースですから,そのナースのフィジカルアセスメント能力と,その的確な記載に基づいた全職種への情報発信というのは,非常に重要だと思います。

阿部 ナースはもっと自信を持って,情報発信の役割を強調していくべきですね。

日野原 僕は,いまの訪問看護で危険だと思っていることがあります。というのは,病院のドクターが退院時に処方箋を書いて,ナースが訪問看護をするのですが,ドクターがその患者を往診しない。開業医の中には往診する人がありますが,病院のドクターではまずない。そうすると,退院時の処方が延々と続くんです。

 例えば,糖尿病の患者さんは痛みが少なくて,心筋梗塞でも痛みが出ないことがあります。冷や汗が出る,あるいは血圧がちょっと下がるぐらい。訪問看護の際に,そういう人が「どうも具合が悪い」と漠然と言うと,「血圧がちょっと低いけれども,熱もないし……」とナースは見逃してしまう。でも心電図を撮れば,心筋梗塞が起こっていることがあります。無痛性の心筋梗塞は,老人に多いんです。

児玉 そうなると,病棟で発生している問題が,極端な形で訪問看護の場で出てくるかもしれません。現場のナースに,フィジカルアセスメントのトータルなトレーニングが必要ですね。

阿部 それはドクターと同様,重要な課題ですね。

Paper-Oriented System からの脱却

阿部 看護記録に関しては,「記録は看護の質そのもの」と思い込みすぎて,「患者中心の医療・看護とは何か」という視点が抜けてしまっているのではないでしょうか。記録は患者さんとのコミュニケーションツールのはずなのに,記録を書くのに忙しくてベッドサイドに行けないのでは,看護の質の低下になると思うんです。

日野原 まったく見当違いのことをやってるんですね。

阿部 見当違いをしないようにするには,何が大切ですか?

日野原 いま,回診時に必ずしもナースがつきません。昔は,教授回診の時には婦長さんがついて,聴診器を渡したりなんかしながらドクターの話を聞いたでしょ? ところがいまは,ドクターはドクターだけ,ナースはナースだけでベッドサイドへ行きます。

 だから,情報が共有されていない。病歴をつくるのに,担当医が作って,ナースが作って,回診の教授がまた病歴を聞き直すから,患者さんは「面倒だからいい加減に答えておきました」って言いますよ(笑)。

児玉 記録は患者さんとのコミュニケーションツールであると同時に,チームのコミュニケーションツールとしての側面がなくてはいけないですね。

阿部 すると,医療者の教育の中で,チーム医療をさらに組み込んでいく必要がありますね。

日野原 チーム医療のためには,単に文書だけではなく,いっしょに患者さんを診て,そこでお互いの立場から意見を交換し,記録も利用しながらシェアすることが大切です。それがどうもされていないんですね。

 POSというのは,ドクターのためのチャートじゃなく,患者の問題をいっしょに書くものです。聖路加の知的な興味を持っているナースは,プロブレムリストの中に主治医が書いてないような病理所見を写して書きますよ。

児玉 必要なものであれば,そうあってほしいですね。

日野原 それで僕の回診の時には,「もっと簡単に」「こんなことは書かなくていい」と説明するんです。この病院,この病棟では,スタンダードでここまで理解できるんだから必要ない,ということです。そうやって全体をサマライズして,必要な時にいつでもサマリーが出せるようにしておく。

児玉 先生が書かれた『POS』(医学書院,1973年)を,私は学生時代に読んでたいへん感激しました。ちょっとキャッチフレーズ的にいえば,“Problem-Oriented System”の本来の趣旨は“Patient-Oriented System”だったはずですね。

日野原 そうです。

児玉 それが形だけになってくると,“Paper-Oriented System”になってしまう。そして,私はそうあってほしくないと願っているんです。

日野原 もう一度,患者中心の医療を念頭に,記録を見直さないといけないですね。

阿部 患者中心の記録においては,チーム医療による情報の共有が重要であること。さらに看護は,ベットサイドで情報発信していく役割が重要であることがよくわかりました。

 記録記載の方法論だけではなく,基本となるフィジカルアセスメント能力がドクターもナースも課題にあがりました。記録は患者と医療者間のコミュニケーションツールでもあるのですが,よい記録を書くためにも,患者さんとのコミュニケーションがいちばん重要であることも確認できました。

 医療訴訟を恐れてすべて記載するのではなくて,「仮説」に基づいた「観察」をしたものを記録していく。そうすれば,記録の削減ができて,ドクターもナースも,もっとベットサイドに行くことができるのではないかと思いました。本日は,ありがとうございました。


ナースはナースだけで,ドクターはドクターだけで記録を書いていたら,それは「チーム医療」とは呼べない。情報を共有して,不要なものは書かないようにしないといけない。
日野原重明氏(聖路加国際病院理事長)
1937年京都帝国大医学部卒,42年同大学院修了。51年米国エモリー大に1年間留学。その後,聖路加国際病院内科医長,同院長,聖路加看護大学長などを歴任し,現職。73年発刊の『POS――医療と医学教育の革新のための新しいシステム』(医学書院)で「患者中心の診療録」を早くから提唱。バイタルサイン技法など臨床看護の充実にも率先して取り組んできた。

「よい記録」というのは「よい医療」があってこそのもの。「よい医療」ができていないのに,記録だけよいものができるということはない。
児玉安司氏(弁護士/東大大学院医学系研究科特任教授)
1983年東大法学部卒。91年新潟大医学部卒。その後,在日米海軍横須賀病院などを経て,95年シカゴ大学ロースクール修士課程修了。96年米国ニューヨーク州司法試験合格。共著『ヘルスケアリスクマネジメント――医療事故防止から診療記録開示まで』(医学書院)では,弁護士の視点から診療録の記載方法を提示している。

記録の書き方は米国から導入されてもフィジカルアセスメント能力がついてこないのが,「文書管理」になってしまう原因かもしれない。

阿部俊子氏(衆議院議員/前日本看護協会副会長)
三井記念病院高等看護学院卒後,1997年米国イリノイ大シカゴ校博士課程修了(看護管理学)。東医歯大助教授,日本看護協会副会長などを経て,2005年9月に衆議院議員に当選。近年は看護業務の標準化に取り組み,著書に『クリニカルパスがかなえる! 医療の標準化・質の向上――記録のあり方から経営改善まで』(医学書院,編著)など。