医学界新聞

 

〔連載〕続 アメリカ医療の光と影 第 63回

米国医療保険制度改革に向けた「呉越同舟」

李 啓充 医師/作家(在ボストン)


2638号よりつづく

「無保険」ゆえに 毎年1万8000人が落命

 米国の医療保険制度が今のままでいいと思っている米国人など一人もいないと言ってよい。GDPの15%にも相当する,世界一高い医療費を払いながら,無保険者が4500万人(2003年,米国国勢調査庁調べ)と,国民の7人に1人にも達する現行制度を容認するなど,それこそ正気の沙汰ではないからだ。全米科学アカデミーによると,医療へのアクセスが遅れるなどで,「無保険」であるがゆえに,毎年1万8000人の国民が命を落としているとされ,事態の深刻さは尋常ではない。

 米国の無保険社会は,今に始まったことではない。国勢調査庁が無保険者のデータを取り始めたのは1987年が最初だったが,その時点ですでに無保険者は3000万人を数えた。対人口比で見ると,87年の12.6%が03年には15.6%と増加,多少の波はあるものの,無保険社会の状況は長期的には悪化の一途を辿っていると言ってよい。

クリントン改革の敵と味方

 65年に,メディケア(高齢者対象),メディケイド(低所得者対象)の二大公的医療保険制度を創設したことでもわかるように,米国は,無保険社会の状況に対し,決して手をこまねいてきたわけではない。90年代にも,クリントン政権が皆保険制実現をめざしたが,同政権の試みは,94年,あえなく頓挫してしまった。

 クリントン政権が皆保険制実現を試みた際,反対の急先鋒に立ったのは,保険会社の業界団体,「米国医療保険協会」だった。特に,同協会が1500万ドルを投じて全米放映したCMキャンペーン「ハリーとルイス」(註1)が世論に与えた影響は大きく,同CMが,クリントン医療改革の芽を摘んだと言っても言い過ぎではない。

 一方,クリントン改革を先頭に立って支持したのは,リベラルな患者擁護団体として知られる「ファミリーズUSA」だった。ファミリーズUSAは,クリントン改革が頓挫した後も,「マネジドケアは患者の権利を侵している」と,医療「消費者」の立場を代弁して,保険会社との「闘い」を展開した。たとえば,00年には,「保険会社はコスト削減を理由に患者サービスをカットすることで巨利を上げたくせに,得た利益を患者に還元しないで重役たちの給料やストックオプションに回している」と,高禄を食む重役たちを,実名をあげて非難したが,その際,非難の矢面に立たされたのが,2000年度の給与(5400万ドル),ストック・オプション(3億5800万ドル)ともダントツの1位だった,ユナイテッドヘルス社CEO,ウィリアム・マグワイアだった。

皆保険制実現のために 「静かに」共闘する2人

 クリントンの改革の失敗から11年,いま,米国で,新たな皆保険制実現の動きが静かに進んでいる。この新たな動きを先頭に立って主導しているのは,クリントン改革の時代には敵同士だった2人,「ファミリーズUSA」理事長ロン・ポラックと,ユナイテッドヘルス社CEOマグワイアの2人である。いったい,なぜ,敵同士だった2人が共闘するようになったのだろうか?

 最大の理由は,無保険者の数がクリントン改革の時代の4000万人から4500万人に増加するなど,米国の無保険社会の状況が,敵同士が手を結ばねばならないほど深刻度を強めてきたことにある。特に,保険会社側には,「このまま手をこまねいていると,現行の医療保険制度そのものが崩壊しかねない」という危機感が強い。ブッシュ政権が「年金改革」を政策の目玉にしようと躍起の努力をしていることもあって,現在,米政界では「年金問題」が注目を集めているが,「いま,危機的状況にあるのは年金ではなく医療」という認識では,ポラックもマグワイアも一致しているのである。

 さらに,クリントン改革の二の舞を避けるという点でも,2人は,一致している。クリントンは,皆保険制を「一気呵成」に実現しようとしたが,「段階的に少しずつ無保険者を減らす努力を積み重ねる方が現実的」という方針が,2人の基本戦略となっている。また,「クリントンのように鳴り物入りの改革をめざすと,保守とリベラルの政治対決の形になって失敗する」と,2人は,「静かな」改革を潜行させることでも一致している。昨年10月,全米各界を代表する指導者24人を糾合した会議を「ひっそり」と組織,「無保険社会解消」の方策についての「国民的合意形成」をめざしているのである(註2)。

 日本では,「社会保障給付は限界」と「医療保険も『公』を減らして『民』を増やせ」(註3)と,現行の米国型制度の模倣をめざす主張が声を強めているが,これは,「日本を,米国のような無保険社会にしたい」と言っているのと変わらない。ひとたび,無保険社会が出現した後,その解消がどれだけ困難であるか,「民」主流の米国医療保険制度から学ぶべき点があるとすれば,その一点しかないのだが……。

次回につづく


註1:ハリーとルイスの夫婦に「クリントン改革が実現した暁には,医療保険の不自由さと不便さが増す」と会話させることで,「政府がコントロールする医療保険」に対する国民の恐怖感を煽る内容だった。
註2:5月29日付のニューヨーク・タイムズによると,全米商工会議所,全米製造者協会,米国労働総同盟・産別会議,米国退職者協会(高齢者の権益擁護団体),米国病院協会,米国医師会,米国医療保険協会,ブルークロス・ブルーシールド連合,ジョンソン&ジョンソン,ファイザー,全米知事協会,全米州議会議員連盟,ヘリテージ財団(保守派のシンクタンク)等が,この会議に参加している。
註3:医療費の1人当たり負担額(括弧内は税による負担額)は,米国の5021ドル(2306ドル)に対し,日本は2131ドル(690ドル)にしかすぎない(米保健省調べ,2001年)。