医学界新聞

 

シネマ・グラフティ

第3回
「ガン・ホー」


2629号よりつづく

■突撃!ニッポン株式会社

 長期の不況で,すっかり自信を失ってしまった日本。しかし,1980年代後半には「ジャパン・アズ・ナンバー・ワン」などと言われ,21世紀は日本の世紀になると浮かれていた。

 当時,私は地方大学に勤務していた。そんなところにも,拝金主義の風潮が押し寄せていた。研修医が研究室からこっそりと電話をかけて(携帯電話はまだ普及していなかった)株の取引をしている姿を見つけて,苦々しい思いをしたことがあった。BMWだベンツだと話している若い連中に「そんなに外車に乗りたければ,留学したらどうだ」と私は皮肉を言った。すると,「外国に行ったら,外車ではなくなってしまう」と言い返されて,「それもそうだ」と妙に納得した。こんな話も今は昔だ。

誘致した日本企業に 米の自動車工場従業員が反発

 そこで,今回は「ガン・ホー」。自動車生産が唯一の産業だったアメリカの田舎町。不況のために工場は閉鎖されていた。ハント・スティーブンスン(マイケル・キートン)がひょんなことから圧惨自動車(当然「アッサン」は「ニッサン」のパロディ)に援助を求めるために,来日。その甲斐あって,本社から高原(ゲディ・ワタナベ)をはじめとする日本人社員が送り込まれ,工場の再開が決定された。町の空港に着くと,高原たちは赤絨毯で出迎えられ,思わず靴を脱いでしまう。

 一時は何とか危機を脱したかに見えた。しかし,始業前の体操,根性主義の研修,欠陥品ゼロをめざす完璧主義,家庭よりも仕事を優先といった日本式のやり方が,ことごとくアメリカ人従業員の反感を買う。こうして,小さな町全体が文化摩擦の嵐の中に巻きこまれていく。工場の存続か再閉鎖かをかけて両者のあいだに戦いが始まった。そして,いよいよ事態解決のために,日本から高原の上司の坂本(山村聡)がやって来て……。

「ガン・ホー」だった 日本人の働きぶり

 あまりにもステレオタイプな日本人の描写を観て,読者の怒りをかってしまうのでないかと,紹介するのが少々心配になる映画である。しかし,たまにはこんな典型的なコメディを観て,(腹を立てるのではなく)腹の底から笑ってみるのもよいだろう。暗いニュースばかりの昨今だが,日本が世界からこのように見られていた時代もついこの間まで現実だった。

 さて,主演のマイケル・キートンはその後「バットマン」(1989)で大ブレイク。そして,「アメリカン・グラフィティ」(1973)で恋人を思い,故郷を離れることを断念した青年を見事に演じたロン・ハワードが,監督というのも驚く。最近では,彼はすっかり名監督の仲間入りを果たし,「ビューティフル・マインド」(2001)では,アカデミー賞も獲得した。

 なお,「ガン・ホー」(gung ho)は,もともとは中国語「工和」から来ている。第二次世界大戦中の米海兵隊のモットー“Work together!”から転じて,「がむしゃらに」「馬鹿みたいにやたら熱心に」「一所懸命に働く」といった意味で使われるようになった。20年前の日本人の働きぶりはまさに「ガン・ホー」だったのだ。

題名:ガン・ホー(Gung Ho)
監督:ロン・ハワード
脚本:ローウェル・ガンツ,ババルー・マンデル
製作国:アメリカ
製作年:1986年
出演:マイケル・キートン,ゲディ・ワタナベ,ミミ・ロジャーズ,山村聡

次回につづく


高橋祥友
防衛医科大学校防衛医学研究センター・教授。精神科医。映画鑑賞が最高のメンタルヘルス対策で,近著『シネマ処方箋』(梧桐書院)ではこころを癒す映画を紹介。専門は自殺予防。『医療者が知っておきたい自殺のリスクマネジメント』(医学書院)など著書多数。