医学界新聞

 

【特別寄稿】

新潟県中越地震直後の災害医療支援報告

二宮宣文
(日本医科大学救急医学教室助教授・同附属多摩永山病院救命救急センター長)


 2004年10月23日17時40分,土曜日の仕事を終え,1週間の疲れた身体と頭を引きずりながら車で帰宅の途についた。10分ぐらい運転した頃だろうか,ちょうど多摩川を渡る関戸橋の上にさしかかった時,車体が上下に揺れるのを感じた。「地震だ」と直感した。この揺れは大きい。すぐにカーナビをテレビモードに変える。新潟県地方が震源地であること,地震の大きさがマグニチュード6以上であることがわかった。

 相当の被害が出るだろう。頭には倒れた家の下敷きで動けなくなった被災者の姿がよぎった。救出救助期医療のはじまりである。

発災3時間後に出発

 携帯電話で上司に連絡し,地震の情報と緊急医療支援の必要性を伝え,文京区千駄木の日医大附属病院高度救命救急センターを集合場所とした。続いて,日医大附属多摩永山病院救命救急センターに連絡し,ドクターアンビュランス(ドクターカー)の出動指示を行う。災害モードに地震対応医療セットを追加し,医師,看護師を乗せ,高度救命救急センターで私をピックアップして新潟に向かってほしいと伝えた。ドクターアンビュランスは3分以内に出動できる。

 携帯救急医療セットとインターネット通信可能なコンピュータを持って高度救命救急センターに入る。20時過ぎに上司が到着し,これまでの情報を伝えるとともに出動許可を得た。

 ドクターアンビュランススタッフはセンター長である私と医局長の加地,研修医の小野寺,看護師の山本の4名で,最初の揺れから約3時間後である21時前には千駄木を出発することができた。

激震地・小千谷に向かう

 それまでに得た情報から,カーナビの目的地を小千谷とした上で,移動中の車内で交通情報と被害情報を収集した。関越自動車道が月夜野から先で通行止めとなっており,また17号線も六日町より先が不通と判明した一方で,被害情報では小千谷,長岡で多くの被災者が出て病院に運び込まれているほか,十日町でも被災者が増えていることがわかった。

 月夜野インターを降りる前に車内でもう一度目標地点を検討した。長岡は負傷者数が一番多いようだったが,大きな基幹病院があり医療スタッフ数も多いと推測された。一方,目標とした小千谷については,道路の寸断によってたどり着けないことが懸念されたが,やはり外部からの救急医療支援の必要性が一番高いと考え,17号線を迂回して六日町から十日町,小千谷へと向かうルートを選択した。

 六日町に到着すると,停電のため町は真っ暗で,まるでゴーストタウンであった。六日町から十日町に抜ける道は4本。カーナビに従って,まずは幹線道路を使ってみたが,道路崩壊で通行止めになっていた。17号線を数キロ戻り,その次に大きな道を選んだ。数か所陥没個所や崖崩れがあったが無事峠を越え十日町に入ることができた。大きな幹線道路を優先的に選んだのは,余震による二次災害を避けるためである。

 十日町についたのは真夜中の1時過ぎであったが,数百人の被災者が道路脇を歩いていた。小千谷に入るルート情報を得るため,災害対策本部がおかれている十日町市役所を訪れた。

 ドクターアンビュランスを駐車場の隅にとめ,災害対策本部に行く。対策本部スタッフに東京から駆けつけた医療救援チームであること,小千谷を目指していることを告げ,十日町の被害と救急医療状況の情報収集を行った。災害対策本部からは,(1)筆者のチームが外部から訪れた最初の医療支援チームであり,(2)小千谷に抜ける道は10個所以上あるが道路は寸断されており,今のところ車で入ることは不可能であること,さらには(3)十日町もかなり被害を受けており,県立十日町病院に患者があふれていることが伝えられ,「できれば県立十日町病院の支援をお願いしたい」旨の要請があった。

 チーム内で相談した結果,われわれは当初の予定を変更し,県立十日町病院で救急医療支援を行うこと,状況を見計らって小千谷に移動することを決め,十日町病院に入った。

十日町病院での支援活動

 十日町病院はすでに患者であふれかえり(写真),救急車や,自家用車で来る外傷患者や,パニック症候群などの患者がひっきりなしに訪れていた。常勤医はすでに精魂尽き果てており,私たちのチームで朝まで救急医療を行った。24日午前中までに130人以上を診療し,患者と家族には病院のソファーで寝ていただいた。

 10月24日21時,われわれのチームは東京に引き上げた。「そんなに早く引き上げるのか」と疑問を持つ方もいるだろう。しかし,今回の地震は地方型災害であり,都市型災害であった阪神・淡路大震災とは明確な違いがあった。十日町では極端に重症な患者は多くはおらず,ほとんどは落ちてきた家具による外傷などであった。24日の午前中は,周囲の病院が被害を受けたため,重症患者の転院が多く来たほか,消防隊員の捻挫なども多くあった。しかし,14時を過ぎるとそうした患者もほとんど訪れなくなった。

 こうした状況から,われわれは今回の地震では,24時間が救出救助期医療の勝負だと判断した。けがをした人のほとんどは発生後20時間以内で病院を受診できたと思われる。今後は避難所の公衆衛生,慢性病の急性増悪などの仕事がメインになるだろう。避難所に関してはすでに活動を開始していた赤十字や地元の開業医の先生方に,救急医療に関しては,体力を回復し,精神的にも余裕が出てきた常勤の先生方で対応可能と判断した。

 今後現地に行かれる救援スタッフの方には,避難所はとても寒いので,風邪薬や慢性疾患の薬,カイロなどを多く持って行き,被災者の健康管理をお願いします。