第2605号 2004年10月18日


〔連載〕続 アメリカ医療の光と影 第47回

医学的無益(medical futility)をめぐって(2)
安楽死との混同

李 啓充 医師/作家(在ボストン)


2603号よりつづく

 前回は,71歳女性の延命治療の停止をめぐって,「家族が医学的に無益な治療を望んだ場合に,医師・病院は拒否できるか」ということが争点になった医療過誤訴訟の事例を紹介した。事件の舞台となったのが,超一流病院として世界に名を馳せているマサチューセッツ・ジェネラル・ホスピタル(MGH)であっただけに,この訴訟は全米医学界の注目を集めた。裁判の結果は,「医師・病院は,医学的に無益と判断される治療については,家族の希望を拒否できる」とするものであった(註1)が,読者には,このMGHの症例を念頭に置きながら,以下の症例をお読みいただきたい。

 症例:食事を喉に詰まらせた90歳男性が,心肺停止状態で病院に搬送された。蘇生処置により心臓は動き出したが,自発呼吸は戻らず,意識不明のまま人工呼吸器が装着された。医師は,回復の望みはなく延命治療の継続に意味がないことを家族に説明,家族の同意の下に翌日呼吸器を外し,15分後,患者は死亡した。

 患者が死亡してから3か月後,「本人の同意を得ないままに患者を『安楽死』させた」と,呼吸器を外した医師が「殺人罪」の疑いで,警察の事情聴取を受けていることが大きく報じられた。さらに,この医師は,前任の病院でも2患者の呼吸器を外していたと報道され(註2),あたかも「常習的に安楽死を実施してきた連続殺人犯」であるかのような扱いを受けたのだった。

 多くの読者もご記憶の通り,以上は,今年5月に北海道道立羽幌病院で起きた「呼吸器外し事件」である。回復の望みがない患者の延命治療を停止したことは,羽幌病院の医師も,MGHの医師も共通である。しかし,MGHの医師たちが「家族の同意を得ずに呼吸器を外したことに非はない」と陪審から「免罪」されたのとはまったく対照的に,羽幌病院の医師は,きちんと家族の同意を得ていたにもかかわらず「殺人犯扱い」を受けた。一体,彼我のこの違いは,どこから生じたのだろうか?

 羽幌病院の事件については,当初の大騒ぎとは対照的にその後報道がぷつりと途絶えてしまったので,警察が今でも「殺人罪」として立件する方針であるかどうかはまったく不明だが,仮に,「回復の見込みのない患者の呼吸器を外すことは殺人」となったら,米国の医師のほとんどは「殺人犯」ということになってしまうだろう。なぜなら,米国では,「回復の望みのない患者に,医学的に無益な延命治療をずるずると続けることは非倫理的」という認識が定着し,ルーティンに「呼吸器外し」が行われているからである。

「延命治療の差し控え・中止」と「安楽死」はまったく別の概念

 結論から先に言うと,MGHの事例も羽幌病院の事例も,「医学的に無益な治療の差し控え・中止」の事例に相当し,これを「安楽死」の事例とするのはまったくの筋違いと言わなければならない。「医学的に無益な治療の差し控え・中止」と「安楽死」とは,医療倫理学的には明瞭に別個の概念なのであるが,羽幌病院の事例が「大事件」と騒がれた原因は,日本の警察もメディアも,この2つの概念の違いがわかっていなかったことにあるようである。しかも,ただ,この2つの概念の違いがわかっていなかっただけでなく,「医師が患者の死という結果を想定した行為を行えばそれは安楽死」と,そもそも「安楽死」そのものの概念をも大きく誤解していたように思えてならない(註3)。

 英国上院医療倫理委員会報告書(1994年)によると,安楽死は「癒しようのない苦痛から患者を救うために,命を絶つという明瞭な目的を持って行われる意図的な行為」と定義される。一方,「無益な治療の差し控え・中止」は,「死の過程を人工的に引き延ばすことを避け,自然経過による死を許容することを目的とする」(国際ホスピス・緩和治療学会,1999年)ものである。「安楽死」が,たとえば,高濃度塩化カリウムを急速静注したり筋弛緩剤を投与したりするなどの手段で「命を絶つ」ことを目的とするのと異なり,「無益な治療の差し控え・中止」は「人工的な手段でいたずらに死の過程を引き延ばすことをしない」ことを目的とするのであり,この2つは水と油ほどに違うのである。

 ちなみに,古い医療倫理学の教科書は,延命治療の中止・差し控えを「消極的安楽死」と分類していたが,現在は,「消極的安楽死の概念は無用な誤解を招くだけ」(例:英国上院医療倫理委員会報告書,1994年)と,概念そのものの有用性が否定されている。羽幌病院の事件に関連して,ある国立大学の医療倫理学「専門家」が,「本件は消極的安楽死の事例であるのに積極的安楽死の事例として論じられていることは非常に遺憾」と某紙に寄稿していたが,日本の場合,「専門家」までもが「医学的に無益な治療の差し控え・中止」と「安楽死」を混同しているのだから,警察やメディアがとんでもない勘違いをするのも無理はないのだろうか。

この項つづく

註1:この結果は「陪審の評決」にしか過ぎず,判例として確立されたものではないことに注意されたい。

註2:その後該当事例は存在しなかったことが判明した。

註3:延命治療の「差し控え」と「中止」は医療倫理学的には同列に扱われるが,「中止」は目に見える行為が伴うだけに,情緒的な反応を引き起こす傾向が強いようである。例えば,羽幌病院の事件にしても,蘇生の段階で「手遅れ」と呼吸器装着を差し控えていれば,「安楽死・殺人」と騒がれることはなかったのではないだろうか。