医学界新聞

 

世界に通じる内科医を養成

米国内科学会(ACP)日本支部開設に寄せて


 米国内科学会(American College of Physicians:以下,ACP)は,世界80か国に11万5000人の会員を有する世界最大の内科学会である。その支部が南北アメリカ大陸以外でははじめてとなる日本に開設され,今春の日本内科学会講演会の折に,設立総会が行われた。

 本紙では,初代支部長に就任した黒川清氏と理事の木野昌也,上野文昭両氏にご寄稿いただき,ACP日本支部開設の背景,設立総会と学術集会の模様,米国で行われたACPの支部長会議と年次総会の様子を解説していただいた。


ACP日本支部開設,「小さな第1歩」

黒川 清 ACP日本支部支部長・日本学術会議会長・東海大学教授


 昨年,米国内科学会(American College of Physicians:以下,ACP)の日本支部が開設されることになり,秋には私が初代支部長Governorに選出された。責任を感じている。南北アメリカ大陸以外に支部が開設されるのはACPとしてはじめてのことである。これにはどんな背景があるのか,どんな目標かあるのか等,ご紹介したい。

ACP日本支部開設の背景

 私は15年の滞米生活を経て,1983年暮れに帰国した。米国では大学で研究から始まったものの,医師免許も取り,内科専門医,腎臓内科専門医(Board)の資格も得て,診療や教育にもかかわり,UCLAの内科教授も務めたが,帰国してみると,内科については専門志向が強いのはやむを得ないとしても,研究重視であり,体系だった内科の臨床教育や研修が行われているとは到底いえる状況ではなかった。しかし,当時の日本はいよいよバブル経済へ向かいつつある時であり,みんな理由のない妙な自信過剰状態で,私の意見はほとんど受け入れられなかったように思う。当時,私を招聘してくださった東大第4内科の尾形悦郎教授はこのような問題を十分に認識されており,臨床教育,研究,診療にすこぶる熱心で,米国式の臨床教育のお手本を見せようと孤軍奮闘しておられた。どうしたら米国式の優れた臨床研修を若い人たちに知ってもらえるかを考えておられた。当時の米国はちょうどDRGが導入されつつある時であった。

 その後,縁があって,私は東京大学第1内科教授に推挙され,また内科学会理事長にも推挙されたのを機会に,1990年頃からACPとの交流の可能性を探って交渉を始めた。ACPの組織は「College」であり,「Society」ではない。これは何が違うのか。「College」は一定のコースを終了し,「卒業」した資格者によって構成される組織という意味である。つまり,米国での内科専門医によって構成される組織,ということである。一方,「Society」はその会の趣旨に興味のある人は誰でも参加できる点で(どちらにしても会費等を通常支払うが),根本的に異なる社会的使命を持っている組織なのである。この点では,ACPと同じく英国では「Royal College of Physicians」となっており,「Society」となっていないところに注意してほしい。歴史的,社会的背景を反映しているのであろう。

米国の内科専門医

 米国の内科専門医とは基本的には米国の3年間の「内科レジデントプログラム」を終了し,内科専門医の試験に合格した人たち「Board Certified in Internal Medicine」が会員になる資格を有する。この人たちだけが「内科医」と称することができるのであり,したがって給与も,請求できる診療費もこれによって違ってくる。

 「内科レジデント研修プログラム」は別の独立した非政府組織によって定期的にチェックされ,プログラム内容等に問題があれば政府からの研修医への補助金(研修医1人あたり年間約10万ドルであり,研修医への年間約4万ドル弱の給与はこの財源から支給される。残りは教員の人件費等の病院の収入になる。今回導入された臨床研修必修化での日本と比べてなんという違いか考えてほしい)は支給されなくなる。American Board of Internal Medicineという試験も「American Board of Medical Specialties」という別の組織によって提供される試験であり,この組織はACPとの独立性を担保している。つまり「Conflict of Interest」を避けるのである。自律した職業人団体と社会と政府の関係を象徴してはいまいか。小さな政府と「自律した,社会に責任ある,独立した」それぞれの職業人団体を,という米国の歴史的背景から,医学関係諸団体は医科大学協会をはじめとして紆余曲折を経てほとんどすべてが,1950年頃に米国医師会傘下に集結し,医療制度,教育,研修制度等に政府ともかかわりながら,広く医師の社会的責任を担っているのである。

日本の内科専門医

 このように国の文化と歴史的背景が違うにせよ,とくに将来の内科医の中心となって活動していかなくてはならない内科専門医を考えながらACPとの交流を考えていた。日本と日本内科学会の内部事情を考えれば,まず,内科学会の理事長,会頭経験者をACPのFellowに推薦できる制度を取り入れ,ACPの理解者を増やそうとした。一方では,若い世代の人たちから新しい「認定内科専門医」が増えつつあることを踏まえて,これらの人たちがACPの会員になれるように交渉を始めた。

 会員になれば「Annals of Internal Medicine」や「ACP Journal Club」が会誌として送られてくる。その頃から「EBM」という言葉が聞かれるようになり,ACP会員になる人が増えることによって,これらの雑誌を読む人たちも増えるであろうと期待したのである。Fellowになる人たちも増えてくるだろう。また,ACP年次総会に出席する人もでてくるであろうし,内科全体のレベルが少しでも向上すれば,と考えていた。このような経過で,10年を経て日本人のACPメンバーは300人ぐらいになった。

ACP日本支部の役割

 この間に,冷戦構造が終結し,インターネット等による情報国際化の時代を迎え(wwwは1992年,Netscapeは1994年であることに注意されたい。時の経つのはなんと早いものか,世界の変化もことほど左様に早いのである),日本の医学教育での臨床教育の不十分さが広く指摘され始め,「クリニカルクラークシップ」という言葉が広まりつつあった。このような背景とともに,社会の要求が「国際標準」を求めるようになり,本年度から臨床研修の必修化が導入されることになった時に,ACP日本支部が開設されたことは本当にうれしい。より多くの内科医が参加し,多くの情報を共有して,内科臨床教育や,診療に日常的にACP Journal Clubを使うような指導医が一人でも増えることは,研修の質の向上にもきっと役に立つであろうし,将来の内科医のお手本にもなるであろうと信じている。これは,よりよい医療提供へのわれわれ内科医の社会的責任のひとつの方策と考えている。

ACP日本支部開設と今後

 2002年には京都で国際内科学会議を主催させていただき,皆さんのご協力で大変にすばらしい会を開催することができた(http://www.icim2002.org/)。この学会の内容と運営をみて,ACPのJoseph Johnson元会長は国際内科学会議の理事長でもあったこともあり,日本支部開設への大きな支援をしていただけたと思う。

 そして本年4月9日,日本内科学会年次講演会の会期中に,ACP日本支部の第1回総会が開催された。ACPからはWheby会長,Addington元会長(現ACP財団理事),Gibbons先生(松村理司先生のいう「大リーガー医」のお一人である)をお招きし,ACPの歴史,課題,プログラムの紹介等があり,参加した会員一同,思いをひとつにしたのではないか。また,米国で研修を済ませACP会員になっているのに日本内科学会では何の資格のない方も何人かおられるし,また米国人のメンバーで日本に滞在しておられる方も少なからずおられるわけで,この方たち何人かの参加が得られたこともうれしかったし,喜んでもらった。私は「ACP日本支部の会員はまだ少ないけれども,10年前に野茂がただ一人でメジャーに行って10年後の今年,NY Yankeesの開幕試合が東京で開催されたことを考えてほしい。この少ない会員から始まったACP日本支部会員が,将来の日本の内科教育,研修,診療の中心になる日が来ることを確信している」と申し上げた。何事も小さな第1歩から始まるのである。そして10年もすれば大きな流れができているかもしれない。そうなる日が早く来ることを祈念している。

 東京での第1回総会の2週後の4月21日から,ACP総会・講演会がNew Orleansで開催され,22日には30名近くの新しくFellow(FACP)になった日本支部の方たちがConvocationに参加し,感動的なセレモニーとWheby会長の講演を聴くことができた。翌日には日本支部主催の夕食会を持ち,Gibbons先生夫妻,Annalsの編集長のDr.Soxをはじめとしたお客様を迎えて,楽しい交歓の時を持つことができた。学会のプログラムは専門学会では聞けないような多くの興味あるセッション,「悪い知らせをどう伝えるか」,「Professionalismとは何か」等が特におもしろく,「医学の歴史」での「黄熱病」の話では野口英世のことも出てきておもしろかった。

 これからもっと多くの内科医の参加を得つつ,みんなで育てるACP日本支部になっていきたいものである。これがアジアへ向けて多くの内科医の活動を広げる拠点にもなる可能性もある。アジアにはACP会員は結構いるのである。ACPについては(http://www.acponline.org/)を,また日本支部(http://www.icim2002.org/acp/html/index02.html)について問いあわせは(acp@naika.or.jp)へメールをお願いしたい。この長い間,多くの支援を惜しみなく提供してくださった日本内科学会,認定内科専門医会,ACPの幹部,会員,また事務局の方たちに心から感謝する。このACP日本支部結成がこれからの内科医と内科教育と臨床研修,そして日本内科学会の向上に少しでもお役に立てば望外の幸せである。

ACP Convocation Ceremony
壇上には新Masterや世界中からの来賓が並び,会場中央には新Fellowが整列している


ACP日本支部総会と学術集会

木野昌也 ACP日本支部理事・認定内科専門医会会長・北摂総合病院院長


世界に通じる内科医の養成

 2004年4月9日,第101回日本内科学会講演会の第2日目,東京国際フォーラムにて,認定内科専門医会の歴史に新しい1ページが書き加えられた。ACPの日本支部が設立され,その設立総会が開催されたのである。黒川清支部長と各理事ほか約100名の会員の出席に加え,米国内科学会よりWheby ACP会長,Addington ACP財団理事長,日本の医師にはすでにお馴染みのACP評議員Gibbons先生が遠路はるばる来日され,総会と学術集会に参加された。

 “世界に通じる内科医を養成する”,内科専門医制度は,冲中重雄先生,日野原重明先生,鷹津正先生はじめ,当時の日本内科学会を指導された方々の,将来を見通された先駆的なご尽力により,1968年10月に創設され,1973年に第1回資格試験が行われた。認定内科専門医会は現在,会員数8000名に迫る大組織になり,今回,認定内科専門医会が核となりACP日本支部が結成された。内科専門医制度発足当初の夢が36年の歳月を経て実現したことになる。その意義はまことに大きい。

成功裡に終了した学術集会

 まず黒川清支部長から,ACP日本支部の現状は丁度,野茂が周囲の無理解の中で,一人で大リーグをめざしたようなものだ。現在のメジャーリーグの隆盛と日本人選手の活躍は,野茂の孤独な闘いと地道な努力があってのことである。先駆者とはそういうものである。日本のACP支部メンバーも将来の発展を信じて,地道な努力をしてほしいと力強い励ましの言葉があった。

 Wheby会長は,日本支部の設立に歓迎の意と謝意を述べられた。その後,ACPの歴史と現在の活動状況に簡単に触れられた。1915年に創設されたACPは全米最大の内科の組織であり,会員数は11万5000名。そのうち,認定内科専門医は7万6000名である。日本の認定内科専門医会がACPに果たす役割について大きな期待を寄せていると挨拶された。

 ついで小林祥泰理事,上野征夫氏の司会のもと,日米の卒後教育についてのパネルディスカッションが開催された。Gibbons先生によれば,全米で126の医科大学より毎年1万6500名の医師が誕生している。現在,420の教育病院で2万1000名の内科レジデントが研修中であり,米国政府から研修医の教育費として,これらの教育病院に総額88億ドル(日本円で8800億円以上)支払われているとのこと。市場主義の米国でさえ,医師の卒後教育に国家がこれだけの投資をしていることは驚きであるとともに,医療に対する国家のあり方について考えさせられた。

 私はACP本部で開催された『患者安全についての指導者講習会』の報告を行った。最後にAddington先生から,1999年にACPの活動を支える目的でACP財団が組織されたこと,財団の現在の活動状況と経営状況についての説明があった。午後5時半,学術集会は成功裡に終了した。

 引き続き,午後5時45分から会場を東京フォーラムHall D5に移し,日本支部主催のレセプションが開催された。日本内科学会の藤田敏郎理事長の日本支部にかける期待と歓迎の挨拶の後,予想を上回る多数の会員の出席のもと,日米の会員が親善を深める大変有意義な会となった。名残を惜しみながらも,来年の再会を約束して解散した。


ACP支部長会議とAnnual Session

上野文昭 ACP日本支部副支部長・大船中央病院特別顧問


 ようやく昨年ACPに日本支部が発足した。米国内各州とアメリカ大陸に限られていた支部が遠い極東の地に設けられたのはきわめて異例であり,ACPが日本の内科医に寄せる期待の大きさが推測できる。4月にNew Orleansで開催されたAnnual Sessionにはこれまで以上に多くの日本の内科医が参加した。

ACP支部長会議

 Annual Sessionに先立つ2日間,Board of Governors Meeting(支部長会議)が行われた。毎年2回開催されるこの会議はACPの運営方針や細則を討議し決定する重要な役割を担っている。日本支部としては2度目の会議であり,筆者は黒川支部長の代理として出席した。

 初日の午前7時よりグループに分かれて翌日の決議案採択に向けて細部の意見交換をした後,午前8時半から全員が一堂に会し出席者の点呼が始まった。筆者の番が来て返事をすると会場が一瞬どよめき,日本支部に対する注目度の高さを熱いほど感じ取ることができた。

 初日は教育に関する発表がほとんどである。内科専門医再認定に関する委員会報告,会員医師や患者に対する教育システムの統合化計画,日本でもよく知られているMKSAP(Medical Knowlege Self-Assessment Program),ガイドライン,医師の能力評価などの話題である。教育はACPの最重点課題と考えられる。

 翌日午前8時半からBusiness Meetingが開かれた。事前に各支部に配布され,前日も予備討議されてきた決議案の採否を決める重要な場である。議案ごとに準備委員会の推奨勧告文案とその理由が整然と記載された文書が配布され,会場からの質疑応答を経て採否が決定された。きわめて明快で公正な手順であることに感銘を受けた。

 準備委員会の試案に従い採否決定が円滑に行わる中で,内科専門医再認定に関する方針決定が紛糾した。初回と同様に試験により専門医の再認定を受けるのが現在の制度であるが,再認定に関するACPの解釈は医師の継続的な臨床能力の維持が骨子であり,試験とは異なる手順が必要であるとの見解を示している。多くの質疑応答を経て決議案の文言は何回も修正を受けた。

 残りの時間は内科の活性化というテーマで,ACP,ABIM(American Board of Internal Medicine)および関連学会からの代表者による発表と討議が行われた。最近,米国では内科志望者が減少傾向にありACPは危機感を抱いている。内科を魅力溢れる診療分野にするための熱心な討論が交わされた。最後に優秀な実績を残した支部の支部長が表彰を受け2日間の会議の幕を閉じた。

ACP Annual Session

 翌日から3日間にわたりAnnual Sessionが開催された。日本の学会との最大の相違点は,学術発表の場ではなく主として生涯学習のための場ということである。明確なエビデンスに基づき確立した内科各領域の診療指標のみを会員に提供する場である。この3日間を有効に使えば内科診療に必要な最新の知識を整理できるわけである。

 しかし日本からの参加者にとっては問題がないわけではない。大学教員や勤務医は自ら発表しない限り出張許可を得られないことも多い。受講するだけなら休暇を取る必要性も生じる。この点に関してはACPも理解を示し,より魅力溢れる学術集会にするため,現在研修医のみに与えられている学術発表の場を拡大する決定がなされている。日本からも世界に通ずる発表を期待したい。

 学習により疲れた頭と体を癒すための企画も豊富である。会期中いたるところでレセプションやイベントが行われ,はしごも可能であった。初日の夕刻行われたConvocation Ceremonyもその1つである。ACPではMemberになることも決してたやすくはないが,一定の業績を残すことによりFellowという上級会員の資格が与えられ,さらに傑出した会員はMasterに昇格する。新しいFellowやMasterの功績を称え,皆で祝うのがこのCeremonyである。日本からも新たに昇格した十数名のFellowが栄誉を称えられた。揃いのガウンを纏い黒川支部長を先頭にマーチングバンドの演奏に送られて会場内へと行進してゆく姿は,側から見ても感動的であった。ACP Fellowは日本においてももちろん有能な人材である。この日の感動を胸に抱きながら,国という枠組みを超えた世界に通用する内科医が多数輩出することを願ってやまない。