第2593号 2004年7月19日


名郷直樹の研修センター長日記

12R

いい医療といい研修

名郷直樹   地域医療振興協会 地域医療研修センター長
横須賀市立うわまち病院
伊東市立伊東市民病院 臨床研修センター長


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□月△日

 研修医にとっての最初の関門のひとつは,採血と静脈ルートとり。自分自身も今日は何人採血して何人失敗,何人ルートとって何人成功,そんなことに一喜一憂していた時期を思い出す。

 「やっベー。採血5回も失敗しちゃったよー」

 そう言っていすに座るなり,しばらく動かない研修医。確かに採血で5回はきついな。私が患者なら怒る,多分。

 「先生,医者に向いてないんじゃないの」

 下手をするとそんなことを言ってしまうかもしれない。それくらいならまだいいか。はなから研修医を拒否するかもしれない。

 「採血は経験のある看護師さんか医師にお願いします」

 研修は厳しい。採血だって多くの患者さんの協力なしに研修できない。さらに侵襲的な検査や手術となると,患者さんの大部分は研修医がやることを拒否したいというのが正直な気持ちだろう。ひとつ間違えば研修医のせいで患者さんが死んだりする。死ななくとも重大な後遺症で患者さんを苦しめることだってある。でもそうしたトレーニングなしに一人前の医師になることはできない。

 一番いい医療を受けたい患者さんと,一番いい研修を受けたい研修医。どっちも自分勝手と思うが,そのとおりのことといえばそのとおりだ。自分だって,自分が患者のときは研修医に手術してほしいとは思わない。自分が研修医のときは自分が手術をしたいと思っていたし,実際そうしていた。間違いなく私自身も自分勝手。私は自分勝手でない,という人がいれば,どこまでも反対する自信がある。ただそんな自信があったところでなんの役にも立たないが。自分勝手な人たちばかり集まってどうするのか。何かうまい方法はあるのか。重要なことはそっちのほうだ。

 いい医療とは何か。いい研修とは何か。最も端的な答えは,自分自身が最善の医療を受けることができる医療,自分自身がいい研修を受けることができる研修,そんなことだ。いい医療というのはまだわかりやすい。しかしいい研修というのは一体なんだろう。自分自身の研修のことばかり考える状況に,ばかばかしくなるかならないか。自分自身がどうかなんてことが一番なら,どうして医師なんかになろうと思ったのだろう。わけがわからなくなる。ばかばかしくなる人は,たぶん医師として研修を続けることが困難だ。でもそんな人のほうが医師に向いている気もする。そう考えてはたと思いつく。患者さんだって研修医と同じじゃないか。たとえば移植を待つ患者さん。一刻も早く自分が移植を受けたいと思う気持ちと,自分よりもっと重症な患者さんがいればその人に早く移植を譲りたいという気持ち。そんな2つの気持ちの葛藤があるに違いない。自分自身が真っ先に助かりたい,それは下劣な考えではないかと。そう考えるといい医療もいい研修も同じだ。患者さんだって自分の自分勝手さを嘆き,研修医は自分の自分勝手さにあきれはてる。それも普通のことだ。自分勝手であると同じように,自分勝手を反省するのも当たりまえのこと。

 いい研修とは何か? もう一度考えたい。理想の患者と理想の研修医で,理想的な医療と研修を提供する。そんな理想的な世界を思い描く人に,いい医療も,いい研修も実現できるはずがない,と思う。だって,理想的な患者,理想的な研修医といった人たちがいったいどこにいるというのか。何度採血失敗されてもにっこり微笑む患者さん,一度も採血を失敗しない研修医。それなら研修そのものがいらないし,そんな患者さんばかりであれば医療そのものが不要になるのかもしれない。手術が失敗してもニコニコ笑っている患者さんなら,そもそも手術を受けなくてもにっこり笑っていられるのではないか。

 しかし現実は,誰しも少しは自分勝手で,誰しも少しはその自分勝手を下劣に感じたりする。患者さんの自分勝手と研修医の自分勝手のぶつかり合い,患者さんが研修医を思いやってくれる気持ちと,研修医が患者さんに最高の医療を受けてもらいたいと考える気持ちとの交流。そんなことが現実の医療と研修を動かしている。ただそれがぶつかり合わない,交流しない,そういうことが問題なのだ。なぜぶつからないのか。自分の研修こそが第一だという自分勝手な考えに振れてしまったり,逆に自分は患者さんに迷惑ばかりかけてばかりという反対の極端にいってしまったり,バランスに配慮した思考がとても困難だからじゃないか。

 バランスを考える。そんな当たり前のこと。患者さんの自分勝手と研修医の自分勝手のどこでバランスを取るか。バランスを取るためにはバランスが取れる位置を示すことができればいい。しかしどこでバランスが取れるのか,やってみなけりゃわからない。バランスを取れる位置がわからなければ,せめてその両端だけでもはっきりさせておきたい。その両極端を行きつ戻りつする中で,自然とバランスが取れてくる気がする。

 両端が見えなければ,バランスを取る位置はわからない

 研修医を2つの視点で評価する。ひとつは「研修がんばってやる度」,別名,自分勝手度,もうひとつは「研修ゆずりあい度」,別名は,自分勝手自覚度。最も自分勝手な研修と,すべて他人に譲ってしまう研修と,その両極端をしっかり認識しつつ,「いい研修」を提供する。そんな仕事を私はやりたい。


名郷直樹
1986年自治医大卒。88年愛知県作手村で僻地診療所医療に従事。92年母校に戻り疫学研究。
95年作手村に復帰し診療所長。僻地でのEBM実践で知られ著書多数。2003年より現職。

本連載はフィクションであり,実在する人物,団体,施設とは関係がありません。