医学界新聞

 

〔連載〕続 アメリカ医療の光と影 第42回

シンデレラ・メディシン(4)
シンデレラになれなかった患者たち:
負担の逆進性(1)

李 啓充 医師/作家(在ボストン)


2591号よりつづく

 前回は肥満外科の話を紹介したが,市場原理の下で医療が運営されている米国で,財力の乏しい患者がアクセスや質の差別を受ける現象は,肥満外科という限定された領域に限ったことではなく,医療全般の問題となっている。さらに,アクセスや質の差別も問題だが,市場原理の下で医療が運営された時に,「負担の逆進性」という大きな問題が生じることも忘れてはならない。

保険料負担の逆進性

 「負担の逆進性」とは「条件の悪い人ほど重い負担を負わされる」という意味だが,たとえば,保険料自己負担分の例で日米の違いを見てみよう。日本の場合,保険料の本人負担は収入の多寡によってスライドし,収入の多い人ほど保険料を多く払うということが当たり前となっている。しかし,米国の場合は,企業による医療保険提供が「優秀な人材をスカウトするための求人用給与外ベネフィット」として成立した歴史もあり,企業内の地位が高くなるほど(すなわち収入が上がるほど)保険料が安くなるという,日本とは正反対の現象が当たり前となっている。

 私の場合も,マサチューセッツ・ジェネラル・ホスピタルに勤めていた時代,平の研究員からハーバードの教官に昇進した途端に保険料の自己負担分が大幅に下がってビックリした経験があるが,大企業の「重役」クラスになると,保険料の自己負担が一切ないのが普通なのである。

医療費負担の逆進性

 保険料負担の逆進性よりも深刻なのが,医療費負担の逆進性である。財力のない人ほど(無保険の人ほど),ひとたび病気になった場合に,医師や病院から高い医療費を請求されるのである。というのも,市場原理の下では大口顧客ほど価格交渉力が強いのが当たり前で,保険会社が医師や病院と交渉して大幅な値引きを迫ることができるのに対し,無保険患者の場合は「誰も交渉してくれる人がいない」ので,「定価」で医療費を請求されるからである。しかも,病院が決める「定価」がリーズナブルなものであればまだましなのだが,医師や病院が,どこかの国の悪徳酒場と変わらないような「法外」な料金をふっかけることが常態となっているから,無保険者にとってはたまったものではない。

無保険患者の「残酷物語」

 以下,2003年3月のウォール・ストリート・ジャーナル紙から,虫垂炎の手術を受けた25歳の女性無保険患者,ミズ・ニックスの「残酷物語」を紹介しよう。

 ニックスが腹痛でニューヨーク・メソディスト病院の救急外来を訪れたのは,02年4月,25歳の誕生日の翌日だった。2度のCT検査の後虫垂炎と診断され,腹腔鏡下虫垂切除術を受けた翌日に退院となった。ニックスは,勤めていた雑誌社を解雇された後,職探しをしながら失業保険で暮らしていたが,月々の乏しい失業保険収入では医療保険料を払う余裕がなく註1,「いずれ職が見つかれば保険も持てるし,自分は若くて健康だから少しの間無保険でいても大丈夫だろう」と決めた矢先の急病だった。

 やがて,病院からは1万4000ドル,医師たちからは手術料2500ドルを含め総額5000ドルの請求書が送られてきた註2が,失業中の身では払えるはずもなかった。病院の勧めで低所得者用公的医療保険メディケイドへの加入を申請したが,「(失業保険の給付で受けている)収入が多すぎる」とメディケイド加入はあっさり拒否されてしまった。病院や医師たちに「とても払えない」と泣きついたところ,病院は20%,手術した医師は1000ドルの値引きに応じてくれたが,やはり,払えないことに変わりはなかった。

 病院や医師が値引きに応じるなど「何と心優しいことよ」と読者は思われるかもしれないが,実は,ニックスはもともと法外な料金をふっかけられていたのであり,病院や医師の「心優しさ」はただの「ポーズ」にしか過ぎなかった。メソディスト病院はニックスに「定価」で1万4000ドルを請求したが,もし相手が保険会社だったら,認められる請求額は2500ドル(メディケイドだったら5000ドル,高齢者医療保険メディケアだったら7800ドル)にしか過ぎなかったのであり,2割の減額に応じて「優しさ」を示したとは言っても,やはり,「法外」な料金をふっかけていることに変わりはなかった註3。また,執刀医も請求額を2500ドルから1000ドル減額したが,もともと請求先が保険会社だったら600ドル(メディケイドだったら160ドル註4,メディケアだったら589ドル)しか認められなかったのであり,無保険者を「食い物」にしていることは病院と変わらなかった。

 虫垂炎になったがために莫大な借財を抱えることになったニックスは,ニューヨークでの生活を諦め,02年11月,故郷のテキサスに戻った。母親が経営する小さな企業で時給7ドルの職を得たが,こつこつと働いて4か月後,ようやく念願の医療保険を購入するだけの財政的余裕ができた。

 米国の無保険者にとっては,医療保険を持つこと自体が,「シンデレラ」への変身を意味するのである。

註1:失業者は保険料の雇用主負担分がなくなるので,全額自己負担しなければならない。これも「負担の逆進性」の典型である。

註2:米国では,病院を受診した場合,患者は,「ホスピタル・フィー(病院料金)」と「フィジシャン・フィー(医師料金)」の両方を別個に請求される。

註3:メソディスト病院は,ウォール・ストリート・ジャーナル紙の取材を受けた後,ニックスに対する請求額を「5000ドル」と,メディケイド並みに減額した。

註4:メディケイドの支払いが医師に対して渋いのは有名で,「メディケイドの患者は診ない」という医師も多い。メディケイド患者がアクセスの差別を受ける原因となっている。