第2591号 2004年7月5日


〔連載〕続 アメリカ医療の光と影 第41回

シンデレラ・メディシン(3)
肥満外科

李 啓充 医師/作家(在ボストン)


2589号よりつづく

「疫病化」する肥満

 財力の乏しい人々の医療へのアクセス差別が当たり前となっている米国医療の現実が日本では想像できないものであるのと同様に,米国における「肥満」問題の深刻さも日本の方には想像を絶するものがあろう。

 Center for Disease Controlのデータによると,現在,肥満(BMI>30)註1は,アメリカ成人の3人に1人に達し,年々その数が増加しているという。さらに,ただ肥満者の数が増加しているだけでなく,肥満の程度も重くなっていることが米国の事態をますます深刻なものとしている。例えば,病的肥満(BMI>40)に分類される患者は400万人(成人50人に1人)とされるが,1986年には成人200人に1人だったことを考えると,20年足らずの間に4倍に増えた勘定になる。さらに,超肥満(BMI>50)は2000人に1人だったものが400人に1人と同じ期間で5倍に増え,肥満の度合いは着実に重くなっているのである。現在,肥満は喫煙に次いで予防可能な死因の第2位とされているが,このまま肥満の増加と深刻化が続けば,喫煙を抜いて第1位となるのも時間の問題と恐れられている。

 このように,米国においては,肥満は「疫病化」していると言われるほど蔓延しているが,肥満の蔓延はまた,肥満外科の蔓延をももたらした。92年には年間1万6千件だった手術件数が,2003年には10万3千件と6倍以上に増加しているのである。肥満手術の急速な増加の原因として,(1)病的肥満の増加,(2)食餌・運動・薬物など内科療法の効果の乏しさ,(3)腹腔鏡下外科手術の技術の進歩などがあげられようが,肥満の内科療法の進歩が遅れている最大の原因は,肥満を「疾病」として認知してこなかったことにあると言ってよい。「太るのは本人の生活習慣のせい」と患者の「意思の問題」にしてきただけでなく,「美容上の問題」とみなして,糖尿病や心肺疾患の合併など生命にかかわる深刻な病態とはとらえてこなかったことが,肥満の病態生理の理解を著しく遅れさせてきたのである。

「急成長」する肥満外科「市場」

 内科的に有効な治療法が乏しいことに比較して,肥満の外科手術の効果は「劇的」と言ってよい。もっとも一般的な術式とされる腹腔鏡下Roux en Y胃バイパス手術の場合,80-90%の患者が過重分の体重(標準体重との差)を50%以上減らすことに成功すると言われている。さらに,手術を受けた有名人が,「人生が変わった」と手術の劇的効果をテレビで喧伝する事例が相次ぎ,肥満外科の施行件数が急増する一因となった。

 「急成長」する肥満外科「市場」に新規参入する医師・病院も急増,例えば,米国肥満外科学会の会員数で見ると,98年の258人から03年は1070人と,5年の間に4倍に増えた。中には,十分なトレーニングを受けずに肥満手術を施行する外科医や,術前・術後のサポート体制が不備なままに市場に参入する病院もあり,市場の急成長とは裏腹に手術の安全性に問題が生じている。肥満外科に取り組んできた歴史が長く十分なサポート体制が取られている施設での死亡率は0.5-1%,合併症発生率は10%程度と言われているが,これらの施設でも,例数が重なった後に初めて死亡率・合併症率が減少したといい,新規参入医師・施設のもとでの死亡率・合併症率は,少なく見積もっても「老舗」施設の2倍ほどになるのではないかと推測されている。

安全性の差別

 一方,肥満外科コストの患者負担であるが,民間保険は保険給付を認めているところが多い註2とは言っても,連邦政府が管轄する高齢者医療保険メディケアは保険給付に厳しい制約を設けている上に,低所得者用の公的医療保険メディケイドは原則として保険給付を認めていない。医療を市場原理に委ねた場合の常であるが,財力の乏しい人が必要な医療にアクセスできないことは,肥満外科の場合も例外ではない註3

 財力のない人々にとっては,肥満手術を受けて「シンデレラ」のような変身を遂げたいと思っても,まず,手術費用を捻出することが先決となる。なけなしの金をはたいて手術を受けようと思えば,少しでも料金の安い医師・病院を選びたいと思うのは人情で,経験の乏しい医師・病院を値段の安さで選んだ場合に,安全性が著しく損なわれる結果になっても不思議はない。市場原理の下で運営される医療では,財力の乏しい人々は,アクセスだけでなく,質(安全性)の差別も受けることになるのである。(この項つづく)

(註1)BMI:body mass indexの略

(註2)肥満手術のコスト急増は保険会社にとって悩みの種となっているが,フロリダ州のブルー・クロス・ブルー・シールド社は,「肥満手術は『安全性』と『有効性』に問題がある」として,05年からの保険給付打ち切りを決めた。また,ルイジアナ州の州職員保険では現在肥満手術の保険給付を認めていないが,保険給付をした場合の対コスト効果を調べるために,試験的に州職員40人に手術を施行することを決めた。手術の希望者を募ったところ,応募した州職員は1000人に上ったという。

(註3)日本の医療制度改革論議の中で,「医療保険の『公』の部分を減らして『民』の部分を増やす」とする主張があるが,所得格差によるアクセス差別を制度化せよとする主張に他ならない。