第2589号 2004年6月21日


〔連載〕続 アメリカ医療の光と影 第40回

シンデレラ・メディシン(2)
シンデレラ・ストーリー

李 啓充 医師/作家(在ボストン)


2587号よりつづく

 国民皆保険制の日本では想像もできないだろうが,アメリカでは,財力がなかったりとか,医療保険に加入できなかったとかいう理由で,医療にアクセスできずにいる人がいることを誰も不思議に思わない。医療へのアクセスに差別や制限があることが「当たり前」になっているからこそ,テレビ番組『Extreme Makeover』で,運良く「患者」に選ばれた人々の「シンデレラ・ストーリー」に視聴者は感動するのである。

 『Extreme Makeover』は「シンデレラ」に選ばれて喜ぶ患者側の感動が主テーマとなっているが,反対に,財力の豊かな篤志家が,博愛心を発揮して医療にアクセスできない人々を救う,「美談」としての「シンデレラ・ストーリー」も,しょっちゅうメディアに登場する。

スタインブレナーの美談

 野球の話になって恐縮だが,たとえば,5月10日号の『スポーツ・イラストレイテッド』誌に載った,ニューヨーク・ヤンキースのオーナー,ジョージ・スタインブレナーの記事がその好例だ。記事の趣旨は,ワンマン・オーナーとして「泣く子も黙る」存在として知られるスタインブレナーも,さすがに73歳になって人間が丸くなってきたようだ,というものだが,この中に,医療にアクセスできない「可哀想な」人にスタインブレナーが博愛の手を差し伸べたエピソードが2つも紹介されている。

 第一のエピソードは,キャンプ地タンパ市でのオープン戦で,スタインブレナーがファンにサインをしていた際に巡り会った,とりわけ「静かな」少年の話だ。サインをしたのに礼を言わない少年に立腹したのだろうか,スタインブレナーは「一体どうしたんだ。舌を猫にでも噛み切られたのか?」と少年を叱った。しかし,いっしょにいた少年の兄弟から「小さい時から耳が聞こえないので,ずっと話すことができないのです」と説明され,スタインブレナーは,すぐさま,少年がニューヨークで専門医の診察が受けられるように飛行機を手配した。さらに,スタインブレナーは,その後も言語療法士の治療費を払い続け,少年は,話せるようになったのだった……。

 第二のエピソードは,スタインブレナーが行きつけにしている,タンパ市のステーキ・レストラン「マリオ」のウェイトレスの話だ。甲状腺の病気になったのに無保険なので医者にかかれずにいるウェイトレスのことを知ったスタインブレナーが,タンパ市でも有数の医師達による診察を手配しただけでなく,治療費を全額負担,ウェイトレスは完治した。しかも,レストランのオーナーから礼を言われたスタインブレナーは「自分は何もしていない」と,白を切ったのだった……。

実らなかったボンズの善意

 スタインブレナーの場合は,「癇癪持ちの独裁者」という側面だけでなく,「人情深い篤志家」としての側面を持つことはよく知られているので,今さら彼が奇特な行いをしても誰も驚かないが,シーズン最多本塁打記録を持つバリー・ボンズ(サンフランシスコ・ジャイアンツ)の場合は,「傲慢で身勝手」というイメージが強いだけに,彼が友人のために医療費を援助していた事実を知って,野球ファンはびっくりした。

 ボンズが友人のために医療費を出していたとわかったのは,2001年9月28日,マグワイアのシーズン本塁打70本の記録を追走していたボンズが,対パドレス戦で第68号のホームランを放った時だった。ボンズは,ホームランを打ってホームインする時に両手で天を指さす仕草をすることで知られているが,その日のボンズはとりわけ長く天を指さした後,ベンチに戻ると泣き出したのだった。試合後の記者会見で,ボンズは,「今日のホームランを亡くなったばかりの友人フランクリン・ブラッドリーに捧げる」と宣言したが,亡くなったブラッドリー(37歳)は,10年来,ボンズのボディガードを務めた人物だった。前日の9月27日に,「ありきたり(routine)の」外科手術を受けた際に,合併症を起こして亡くなったというのだった。

 ボンズは「ありきたりの」手術と形容したが,ブラッドリーが受けた手術とは,肥満治療のための消化管手術だった(腹腔鏡下Roux en Y胃バイパス手術がもっとも一般的)。アメリカでは肥満の外科治療が大流行しているからこそ,ボンズは「ありきたりの」手術と形容したのだが,手術費用は2万5000-3万ドルと言われている。無保険者にとっては簡単に払える金額ではなく,ボンズは,体重400ポンド(約180キロ)と肥満に苦しむ友が治療を受けられるようにと,手術費用を援助したのだった。

 しかし,不幸にもブラッドリーは手術合併症で死亡,ボンズの善意は実らなかった。スタインブレナーが援助した2例とは対照的に,ボンズの「シンデレラ・ストーリー」は,ハッピー・エンディングとはならなかったのだった。