第2577号 2004年3月22日


〔座談会〕
なぜ医師は患者の話を聞かないのか?

患者本位の医学教育を考える

<司会>後藤英司氏(横浜市立大学医学部教授・医学教育学)
 まつばらけい氏(フリーライター,子宮・卵巣がんのサポートグループあいあい主宰)
 佐伯晴子氏(東京SP研究会代表)
 大塚亮平氏(聖マリアンナ医科大学6年生)


 日本の医療の場における患者満足度はきわめて低いといわれている。そして,その最大の原因は,医師-患者間のコミュニケーション不足にあるという。なぜ,医師は患者の話を聞かないのだろうか? 本紙では,この問題を市民・患者の立場から捉えなおし,そこに医学教育がどうアプローチできるか,検討すべく座談会を企画してみた。


■患者は何が問題だと感じているか

後藤 患者と医師の関係というのは,本来最も大切なもののはずですが,それがうまくいっていないという話が,世の中では多く聞かれるわけです。そこで本日は,患者の立場から佐伯さんとまつばらさんに,何が問題なのかという点をお話しいただき,それをどう解決できるか,その1つの手段としての医学教育について,医学生の大塚さんと一緒に議論したいと思います。

感じ方の「距離」

佐伯 私は最近,『あなたの患者になりたい』という本を出版しました。「週刊医学界新聞」に連載したコラムをまとめたものですが,ここで私がめざしたのは,医療者と医療の受け手との対話です。医療者と患者の感じ方には,かなり大きな距離があります。患者はそれを医療のさまざまな場面で感じています。この距離を少しでもつめたいという想いがありました。
後藤 その距離は,例えばどのようなところに感じるのですか?
佐伯 例えばプライバシーについての感覚が異なります。病院に行きますと,自分の話が筒抜けで誰かの耳に入ってしまうということがありますね。また,診療場面で羞恥心への配慮が乏しいなど,普通に生活している時の感覚との落差を感じることが少なくありません。このようなことは今までは,「これは医療の場なのだから」「あなたは病気なのだから」ということで,変に納得させられて,我慢しなければならないものとされてきたわけです。
 また,医療者とのコミュニケーションも大きな問題です。こちらの話も伝わりにくいし,むこうの説明もわかりにくい。コミュニケーションをしたいと思っても,伝わらない,理解しづらいということがあります。
後藤 双方向とも具合が悪いわけですね。
佐伯 医療を受けた時の満足感が非常に低いのです。

患者満足度はコミュニケーションの充実度と相関

まつばら 私たちは,NHKの「ETV2001」という番組に協力してアンケート調査をしたことがあります。主に婦人科がん患者・体験者約600名を対象に行なった結果,「がん医療に満足している」と回答した人は,7%しかいませんでした。また治療に満足している人は49%,不満が残っている人は39%。医師と対話が十分にできた人の満足度が高く,逆に対話ができなかった人は,治療に効果があっても不満と回答した人が多かったんです。医療の満足度において,医師とのコミュニケーションがいかに重要かが,わかります。また,患者の抱える悩みの中では「医師と話ができない」ことが大きな要素として出てきています。いつも忙しそうで質問ができない,というようなことです。
後藤 プライバシーについてはどうですか。
まつばら 婦人科の場合,「内診があるから,受診したがらない」とよく言われます。確かに,内診は1つの大きな要素であることは間違いありません。しかし,「普段だったら隠している性器を人目にさらす」だけでなく,たいがい生殖器やセックスにまつわるトラブルが受診動機で,不安や恥ずかしさ,やましさなどが心に立ちこめている状況で,会話が外に漏れてしまうとか,無断で複数の研修医やスタッフが内診の場に入ってきたりすることへの抵抗感も強いのです。
 「研修医は医師だから,内診に立ち会うことに患者の同意を得る必要性はない」と言う医師がいらっしゃいますが,患者からは,不条理な見学をされて傷ついたという電話相談が数多くありました。例えば利用者からすれば,内診台のカーテンの向こう側で,担当医が他のスタッフに「ほらほら,ここにこんなふうに腫瘍がある。これはもうでかいから,子宮全摘しなきゃ駄目だよ」なんていう説明をしているのが聞こえたら,ひどく傷つきます。そこには大きな受け取り方の「違い」があります。患部だけを非人間的に取り扱われているように感じてしまいます。
佐伯 体の不調を覚えたその人が「主語」になって,さまざまな医療技術を取り入れて元気になっていくという流れにはならずに,医療者が「主語」となり医療機関に流れてきたある人の部分を診て,検査や治療を行なっているという感じですね。
後藤 患者が主体ではないということですね。それが根本にあるから,プライバシーも保たれないし,コミュニケーションもとれない。

佐伯氏とまつばら氏の著書,医療者-患者(市民)間のコミュニケーションを強調する
『あなたの患者になりたい』(佐伯晴子著 医学書院)
『話せる医療者』(佐伯晴子,日下隼人著 医学書院)
『なぜ婦人科にかかりにくいの?』(まつばらけい,わたなべゆうこ著 築地書館)
『子宮・卵巣がんと告げられたとき』(まつばらけい,大島寿美子著 岩波書店)

■共有すべき医療の不確実性

ネガティブな情報が少ない

まつばら コミュニケーションの点で言えば,検査や治療には「限界がある」ということが患者にはあまり知らされていないことが多く,これも問題です。例えば,医療者の方は「がん検診に行きましょう。早期発見が大切」とよく言われます。しかし,患者支援に携わり,さまざまなクレームの窓口となっている立場から言えば,「健診には被害も見落としもある。医師や医療機関によって診断や治療法にもばらつきがあるし,医師や医療機関を吟味し,予備知識を持っていかないと後悔するようなことに結びつくこともある」と思います。患者に提供されるネガティブな情報が少ないということも,医師-患者間のコミュニケーションには特徴的だと思います。
後藤 ネガティブな情報が非常に少ないということは,私もよく考えます。よく言われることですが,医療というのはきわめて不確実なものです。もっとも,そればかりを考えてしまうと,恐くて何もできないということになりかねないので,難しい問題だと思います。
佐伯 その不確実性をいかに共有できるかということだと思うんです。
後藤 単に「こうやったら治る」というだけでなく,医療がいかに不確実性を伴ったものであるかを医師は伝える必要があるし,患者さんもそのことを理解する必要がありますよね。その前提のもとで医師-患者関係が生まれないと,いつまでも誤解,すれ違いのままでいってしまうということですね。

■医療の側に欠けているものとは何か

時間の問題ばかりではない

後藤 さて,患者から見た医療現場の問題点が明確になってきましたが,これをどう解決できるかという話に移っていきたいと思います。特に,コミュニケーションの問題がクローズアップされたと思いますので,そこに焦点をしぼって,お話しいただきたいと思います。
佐伯 医療現場が忙しく,時間がないことがコミュニケーション不足の原因のように言われていますが,では,時間が取れる仕組みになった時に,お互いに納得のいくコミュニケーションがとれるのだろうかというと実は疑問です。
 なぜかというと,今の診療の手順には,患者さんからじっくり話を聴いて,その人の身体的問題を含めたすべてを問題として理解し,「こういうふうにやっていきましょう」と協議して治療をはじめ,時々「これでいいですか」と確認をして,軌道修正をしながら進めていくという,「対話」のスタイルがそもそもないからです。
後藤 患者から話を聴くということが,そもそも抜け落ちてしまっていると。
佐伯 疾患の情報を聴くという部分はあると思うのですが,その人が今この症状を持って,それをどう感じていて,どうしたいのかというような,その人にしか語れない部分を聴きとってはもらえません。

検査偏重が医療をゆがめる

まつばら 私は,患者の抱えている病状さえも,十分に聴けていない場合があると思います。自分の経験を例にあげて申し訳ないのですが,腹痛があると訴えたら,エコーをかけられて,「卵巣が2倍に腫れているけど,この程度で痛いわけがない」と言われましたし,「めまいがする」と訴えたら,「血液検査では貧血になっていないから,気のせいだ」と,検査結果のほうを重視されました。それで,不正出血が2年間続いていたのですが,大出血するまで子宮体部の細胞診という必要な検査が行なわれず,複数の医師に子宮体がんを見落されてしまいました。
 がん体験者の人たちからは,同様に病状を訴えていたのに,必要な鑑別診断が行なわれず,発見が遅れたという声を多数聞きます。今の医療のあり方では,人としてどころか,病気そのものを見落してしまう可能性があるのではないでしょうか。
後藤 確かに,今の日本の医療は検査結果を重視するということがあります。医師は非常にたくさんの検査を自分でできるし,検査の精度も高まっています。すると,自分が患者さんから情報を集めていろいろと思いをめぐらせるよりも,検査の結果,つまり客観的なデータで確実な診断に持っていったほうが間違いないと考える傾向があるわけです。
まつばら でも,鑑別診断が甘いですよね。
後藤 確かに,あまり自分で考えないかもしれません。患者側は,患者から多くの情報を得ることが,正確な診断につながると考えているかもしれないけれども,医師側は,むしろ,患者さんから自覚症状などいろいろ言われると情報が混乱してわからなくなる,と考えているかもしれない。
佐伯 そうおっしゃる先生は非常に多いですね。
後藤 しかし,それでは困るというわけですよね。
佐伯 そうです。主観で「痛い」と言っているのに,「データでは痛いはずがない」というのはまったくおかしな話です。患者の言葉を信頼してほしいですね。医療現場では,患者の言葉よりも数字のほうが信頼されることがしばしばあります。

医療者の側に基本的に欠けているもの

後藤 そこでの問題は何かというと,患者さんの言うことをじっくり聴くことは大事だという考え方が,医療者の側にあまりないということだと思います。これを変えていかなければならないのですが……。
佐伯 かたちとしては,「患者さんの話を聴く」という姿勢が出てきてほしいのですが,その前に,「医療をする喜びは患者さんの満足である」ということを痛感するような経験が必要な気がします。患者さんの笑顔が自分の喜びだと感じられれば,話を聴きたいとも思うでしょう。
 今の医学教育にあるように,「聴かねばならないこと」ばかり教えるのでは,それを喜びと感じることはできないと思うのです。
まつばら 佐伯さんがおっしゃるように,「患者を信頼する」ということがすごく大切だと思います。何か訴えている患者に対して,「うるさいなぁ。主訴の多い患者だな」「うっとうしいな」とか,口ではおっしゃらなくても顔に出る医師はけっこういらっしゃる。
後藤 よく話を聴いてくれるという,単なる1つのプロセスの話ではなくて,人として重んじてくれなければいけないということですね。
まつばら それが百万遍も言われていることだけれども,実行されてないわけです。

■医学教育が果たすべき役割

患者本人の言葉から学ぶ

後藤 そこで,医学教育が応えなければならない役割があると思うのですが,大塚さんは現在,医学教育を実際に受けていて,考えるところはありますか。
大塚 この座談会の前に,佐伯さんと,まつばらさんの著書を読ませていただいたのですが,気づくことが多く,臨床実習の中での,自分の医療行為について反省したり,考えさせられました。患者さんの話や書かれた本から学ぶ機会が,医学教育には少ないのではないかと思いました。
後藤 患者さんが書いた本を,医学生はよく読みますか。
大塚 医学生だけでなく,医師も病気についての専門書は読みますが,どうしたらよいコミュニケーションができるかとか,患者さんはどう感じているかについて書かれている本を読む機会は少ないのではないかと思います。患者さんにもっと医学教育にかかわっていただきたいと思います。
後藤 患者さんから直接話を聴く機会というのはありますか。
大塚 はい。臨床医学序論の授業で実際の患者さんの話を聴きましたし,家庭医療学会の学生の夏期セミナーでも,患者さんが来てくださり闘病体験をお聴きしました。そういう時には,医師を志す学生として「こういう医者になりたい」とか,「こういうところには気をつけて患者さんに接したい」と感じることがあるので,そのような機会を増やす必要があると思います。
後藤 患者側の話を聴く前と,聴いた後ではだいぶ変わったと思いますか。
大塚 患者さんへの接し方を意識するようになりました。僕はそれまで患者さんとお話をする時に,わかりにくい言葉を使っていたと反省しました。例えば「一過性」や「進行性」というのは医学用語ではないのですが,患者さんにはわかりにくかったのではないかと思います。また病棟実習の時に,ベットサイドで30分なり1時間なり,椅子に座ってじっくり患者さんの話を聴く機会を持つようにしました。すると,指導医の先生には話せなくても学生の私に話してくださることもあり,医師と患者さんの間には壁があるのだと感じました。
後藤 患者さんから直接話を聴くことは,医学教育の中で,非常に大事なことだと私も思っています。これは私の個人的な考えですが,病気になった人たちの体験をまとめて一般化したことや,きれいにまとめたかたちの心理像などをいくら教員から聴いても,それは実際の診療の場では,それほど助けにはならない。やはり,患者さんの言葉で,病気になった時にどのくらい目の前が真っ暗になったか,落ち込んだか,つらかったかといった体験をじかに聴くことが大切なのです。
大塚 患者さんの言葉と,教員の言葉では受けるインパクトがまったく違います。患者さんの言葉はやはり重い,真実だと思います。
後藤 私も,そのような機会を大切にしたいと思い,授業に患者さんに来ていただいています。すると,学生が思い描いていたのとはだいぶ違う世界があるわけです。「ああ,そうだったのか」という驚きもあります。そのような体験は本当に大切だと思います。

医学生に求めたいもの

佐伯 私は,特に医学生の方には,患者さんだけでなく,別の分野の人と交流を持ってほしいと思っています。つまり,社会をもっと知ってほしいのです。
 今,ある大学の1年生の授業にずっと付き合っているのですが,医療・医学以外のものに触れる場面が非常に少ない。患者さんとは,病気という接点で接触するわけですが,その人の,病気を除いたほとんどの部分は,医療以外のところにあるわけです。そこにはいろいろな価値観があり,さまざまな人生があるということに想像力を広げてもらいたいと思います。
後藤 つまり,医学生あるいは医者は,皆が自分と同じような考え方をしていると思っては困る,ということでもあるかもしれませんね。
佐伯 そういうことでもあります。1人ひとり違うのだと。
まつばら 私は,医学生の方にはぜひ,「自分はこうなりたい」という理想のロール(役割)モデルを見つけていただきたいと思います。学内に限らず,他の大学,海外,本の中など外に求めてもいいと思います。
 そして,学生の間でも,研修医になってからでも,自分自身が「人として重んじられる」経験,よく話を聴いてもらう経験をできるだけ求めて,味わっていただきたいのです。自分自身で経験して,それを今度は患者に応用してほしいと思うのです。自分自身が,人として扱われなかったり,ちゃんと話を聴いてもらったことがないと,頭で患者に対してそうしなければと考えてもできないと思います。
後藤 なるほど。ただ,ロールモデルというのはなかなか周りに見つけるのは難しいようですね。
大塚 今はインターネットが普及していますし,メールやメーリングリストを利用することで以前よりロールモデルを見つける方法が多くなったと思います。ロールモデルになるような先生に会うと,自分の理想像がより明確に見えてくるので,良い医師になりたいというモチベーションが高まります。

医療面接教育の課題

大塚 患者さんとのコミュニケーションについて言えば,現在,医療面接のトレーニングは学生だけに行なわれていると思うのですが,これは医師が生涯ずっと必要とするスキルだと思うので,認定医や専門医制度とともに生涯学習の中で継続的に行なわれるべきだと思います。臨床能力というのは,「知識と情報収集能力,総合的判断力,技能,態度」と言われていますが,今は知識と技能に重きが置かれていて偏っているのではないでしょうか。
後藤 確かに,現在医学教育では,医療面接のOSCE(基本的臨床能力試験)が広く用いられるようになりました。「たいへんですね」「それは,おつらいでしょうね」と,患者さんに共感的な言葉を言わないと減点になるということで,まだ何も話を聴いていないのに「たいへんですね」と言ってしまう学生がいる,というエピソードが佐伯さんの著書の中でも紹介されていますが,一方で,そのようなマニュアル化が起こるという弊害もありますね。
佐伯 まさにOSCEなどの試験では,項目だけが暗記されている現状だと思います。いわば,鉄道の駅だけが置かれていてレールがない。例えば,なぜ患者さんに共感したいか,する必要があるのか,なぜここで,今まで聴いた話を要約して「まだお聴きしていない話はありませんか」と患者さんに聴くのかという,その必然性が問われない。教える側も,学ぶ側も,「なるほど。だからこれをやるんだ!」という納得がないままに,ポツン,ポツンとある駅だけを押さえているというのが,いまのOSCEの医療面接なのかなという気がします。
 患者さんとコミュニケーションをとることが,医療をするうえで欠かせないということを,まず十分に納得する必要があるのではないでしょうか。そうなれば,テクニックとして「まとめ」をすることも自然とできるようになるはずです。

患者に説明をするトレーニング

大塚 臨床実習では,学生という立場もあり限界もあります。例えば,自分で診断や治療をする責任がないですし,実習で学生は患者さんに説明をしてはいけないのです。しかし,病状の説明などは非常に重要な技能ですし,かなりの練習と経験が必要だと思います。医学教育の中にそのようなトレーニングがあってもいいのではないかと思っています。
佐伯 そのような練習の機会はないのですか?
大塚 まったくありません。指導医の説明を聴く機会はあるのですが,自分が説明してみるということはないです。せめて学生どうしで説明の練習を行なう機会があってもよいと思います。
後藤 私は,学生どうしのロールプレイで,患者さんの質問に対してどう答えるかという訓練を試験的にはじめています。このような訓練機会は必要でしょう。
まつばら 患者は,重大な病気で,体への負担の大きい治療を示された時には,精神的にショックを受け,普通の状態なら聞いて理解できる説明でも,理解できないことがあります。そのような患者の特殊な状況への配慮も必要で,学生どうしのトレーニングだけでは十分ではないと思います。
後藤 そこで今考えているのは,実際には難しいかもしれませんが,病気を体験された方にご協力をいただき,学生がその方に病気や治療の説明をするというものです。その方から,配慮が適切だったかどうか評価していただくのです。
まつばら 現役の医師の方にもぜひやっていただきたいことです。
大塚 そういう機会があると,学生も試験のための知識ではなくて,患者さんにうまく説明するためにも知識が必要だから勉強しよう,と思うはずです。
佐伯 がん告知のようなものがマニュアル化するのを危惧しますが,1人ひとり,その時その時で違うのだということを忘れずに,個別性を十分に感じながら学んでもらえるのであれば,そのような機会もよいかもしれません。

■患者の個別性を大切にするには

後藤 最後は,患者さんの「個」の問題がありますね。結局,その人の問題,普遍化できないような問題があるので……。
まつばら 医療の現場で,患者の多様性ほど見えていないものはないという気がします。特に婦人科では治療法の提示の際に,しばしば,医師の価値観・人生観が投影されることがあります。「もう,この年なら子どもを産まないだろう」とか,「子どもはもう1人いるんだから要らないだろう」とか,「離婚しているんだから子宮は要らないだろう」とか……。
後藤 よく聞く話ではありますが,患者さんは傷つきますね。
まつばら 医師の価値観を押しつけないで,どうやって患者の多様性に対応していくかということも,医学教育の中でぜひ取り上げてほしいことです。
後藤 自分がいいと思っていることは,他人にとってもよいことだと思い込んでしまうのです。それに気づいてもらえるような教育が必要ですね。
まつばら そうです。医師が伝えたいことだけを伝えていて,医師の側は「こんなに時間をかけて説明しているのに,患者に伝わらない」と消耗し,患者は,「ほとんど何も説明してもらえなかった」と失望や悲しみを溜め込むことがあります。肝心の患者が聞きたいことに答えていなかったり,わかるように説明していなかったり……。「何かご質問がありますか」「わかりましたか」という問いかけを時々はさみながら,患者に選択肢とその各々のメリット・デメリットを説明して,そのうえで「あなたはどうしたいですか」と本人の意向を確認することが必要です。

社会から支持される医学教育を

佐伯 私が最近考えるのは,今,医学教育は社会に「どうですか? これでいいですか? どう思われますか?」という問いかけをすべき時ではないかということです。
まつばら 医療そのものはもちろんですが,医学教育の透明性も高めていただきたいです。もっと情報を開示してほしいという思いがあります。
後藤 実は,われわれも,他の大学でどんな教育をしているのか詳細はわからないのです。ほかの先生がこのような問題をどう教えているかよくわからないのです。ましてや,患者さんにはもっとわからないと思います。
佐伯 患者からは,期待をしているからこそ批判の声も出るのです。これから何をしてほしいのか,何をしたらいいのかということを,医学教育のひとり相撲じゃなくて,社会との対話でつくり上げていくべきだと思います。そして,社会から支持されているという誇りを持って,医師を育てていただきたい。そう感じています。
後藤 私たちにとって重要な課題だと思います。本日は,貴重なお話をうかがい,ありがとうございました。



大塚亮平氏
 聖マリアンナ医大6年。大学内で勉強会やワークショップなど学生の学びの場をつくる他,家庭医療学会学生・研修医部会,IFMSA(国際医学生連盟)Japanなどで活動。欧米での病院実習を通して医学教育の重要性に気づき,学生の立場でどうしたら医学教育をよくすることができるかを模索中。モットーは“Think globally, Act locally"。



まつばらけい氏
 日本女子大卒。2000年に子宮がんの手術を受け,同年「子宮・卵巣がんのサポートグループあいあい」「リンパ浮腫にとりくむ会りんりん」を発足し,活動する。共著に『子宮・卵巣がんと告げられたとき』(岩波書店),『なぜ婦人科にかかりにくいの?』(築地書館),などがある。



後藤英司氏
 75年横浜市立大卒。同大研修医,助手を経て,84年よりカリフォルニア大サンフランシスコ校(UCSF)にて研究に従事。帰国後91年に横浜市立大第2内科講師。96年同大医学教育情報部門助教授,02年より現職。患者医師関係について患者自身から学ぶことを重視するなど医学教育に新しい試みを取り入れている。



佐伯晴子氏
 大阪外語大ロシア語科卒。英語・イタリア語講師などを経て,1995年設立の東京SP(模擬患者)研究会で模擬患者およびコーディネーターとして医療者教育にかかわり,現在同研究会代表。主な著書に『話せる医療者』,『あなたの患者になりたい』(医学書院)などがある。慈恵医大総合教育で「日本語表現法」を担当。