医学界新聞

 

〔連載〕続 アメリカ医療の光と影 第35回

神の委員会(16)
「HMOによる医療配給」

李 啓充 医師/作家(在ボストン)


2574号よりつづく

 シンシア・ハードリッチ(35歳,女性)が,腹痛でHMO()の医師ロリ・ペグラムを受診したのは,1990年のことだった。初めの診察では何ともないということだったが,その後も腹痛が続くので,ハードリッチは,6日後に,再度,ペグラムのオフィスを訪れた。はたして,2回目の診察で腹部に「腫れ」が見つかり,ペグラムは,「8日後に,HMOが指定する検査施設で腹部超音波の検査を受けように」と指示したが,HMOが指定する検査施設は,80キロも離れた街にあったのだった。ハードリッチは,医師の指示に従って自宅で様子をみていたが,その後も症状は悪化,やがて救急外来を受診せざるを得なくなった。救急外来での診断は「虫垂炎破裂による腹膜炎」,ハードリッチは,緊急手術を受け,かろうじて一命をとりとめた。

コスト削減した医師にボーナス

 回復したハードリッチは,なぜ,ペグラム医師が緊急の検査をせず,「8日後に80キロメートル離れた施設」での検査を指示したのか,不思議でならなかった。やがて,ハードリッチは,自分が加入していたHMOでは,検査や治療のコストを減らすことに成功した医師には,給与とは別にボーナスが支給されることを知った。
 「8日間待っている間に症状が回復すれば,患者は検査を受けないかもしれない」,「80キロも離れた場所での検査を指示すれば,患者は『遠すぎる』と面倒くさがって行かないかもしれない」,「患者が検査を受けなければ自分のボーナスの額も増える」という理由で,「8日後に80キロメートル離れた施設での検査」という指示が出されたと思えてならなかった。

HMO商法の違法性を問う訴訟

 コストを減らした医師にボーナスを出すという,HMOの「あこぎな」商法の犠牲になるところだったと思うと,ハードリッチは許せなかった。92年になって,ハードリッチは,ペグラム医師を医療過誤で訴えるとともに,「コストを減らした医師にボーナスを出すというHMOの商売の仕方は,必要な検査や治療を制限することにつながり,被保険者の信頼を裏切る違法行為だ。自分はその違法行為のせいで危うく死にかけた」と,同医師が所属するHMOを相手取って損害賠償を求める訴訟を起こしたのだった。
 以上が,その後,8年続いた「ペグラム対ハードリッチ」訴訟のはじまりであるが,医師に医療サービスの量と連動した経済的リスクを負わせるという,マネジドケアの根本ともいうべき運営手法の違法性が問われた訴訟であっただけに,全米の注目を集めることとなった。一審は患者敗訴,二審は勝訴と下級審の判断が分かれたのち,2000年6月,連邦最高裁は裁判官全員一致で,「HMOに非はなし」とする判決を下した。
 最高裁判決が,「医療コストを抑えるための一連のHMOの経営手法はまったく違法ではないどころか,1973年に制定されたHMO法の精神に見事に沿うものである」として,原告の主張を全面的に退けた理由は次のようなものだった。
 「保険とはそもそもリスクを負うビジネスであり,コストを減らした医師にボーナスを与えるなど,保険業者がリスクを減らすために種々の工夫をこらすことは当然である。いろいろなリスク減らしの工夫をして利益をあげるということをしなければ,営利のHMOという企業形態は成り立ちようがないからである。さらに,もし,原告が言うように,HMOが上げた利益を患者のベネフィットのために還元していたら,世の中から営利のHMOは消滅する他ない。原告が主張するように,HMOのコスト減らしの手法によって,患者が必要な医療にアクセスできなくなるという危険が生じることはもっともであるが,もし,HMO式の医療に国民が納得できないというのであれば,法律を改正するなど議会が措置を取るべき問題である。個々のHMOの経営手法を検討して『良いHMOと悪いHMO』を弁別するようなことは法廷の責務になじまない」と,最高裁判決は述べたのだった。

HMOがしていることは医療の「配給」だという最高裁判断

 さらに,単に,HMO商法に違法性はないとしただけでなく,最高裁判決は,「どんな経営手法を取ろうとも,HMO式の医療保険の眼目は,医療を『配給』することにあるのだし,『配給』を実現するためには,さまざまな動機付けを医師に与えるのは当然だ」と踏み込み,HMOがしていることは医療の配給に他ならないと断じた。
 前回も述べたように,それまでの米国では,医療政策を議論する場で医療における配給制を語ることは禁忌とされていたのだが,最高裁判決はそのタブーを破り,米国の医療には配給制が隅々まで浸透しているという否定しようのない現実を,明瞭につきつけたのだった。

(註)Health Maintainance Organizationの略で,マネジドケアと総称される医療保険のプロトタイプとなった。被保険者は保険会社が形成する医師・病院のネットワークの中でしか保険給付が受けられず,ネットワーク外での医療はすべて自己負担となる。詳しくは,拙著『市場原理に揺れるアメリカの医療』,『アメリカ医療の光と影』(ともに医学書院刊)を参照されたい。