医学界新聞

 

おきざりにされた健康

第4回

紛争の被害者たち

神馬征峰
(東京大学大学院・医学系研究科 国際地域保健学教室 講師)


2560号よりつづく

歴史的証拠

 カンボジアの首都プノンペンにあるツールスレン博物館。1975年から1978年の4年間に,そこで,紛争のあげく2万人以上が虐殺されたと言われています。かつて有名になった頭骸骨によるカンボジア地図は,今では目にできません。しかし,高校の教室だったその博物館の部屋に,1人ひとり,殺される前の写真が残されています。死ぬ前に写された顔が,1つ,また1つ。その顔を,目に刻むように見ていきます。見なければいけない気にさせられます。まだあどけない子供の写真の前に立つと,思わず,強い感情がこみ上げてきます。2万人という数よりも,生きられたはずの1つの命が,紛争によって無残にも絶たれてしまった,そのことに心が動きます。
 科学的根拠(エビデンス)の重要性がこの頃よく医学の分野で主張されています。しかし,人の命に携わる医療従事者は,このような歴史的証拠(エビデンス)もまた忘れ去ってはいけません。そのことをツールスレン博物館は訴えています。
 ツールスレンからの訴えにもかかわらず,私たち人類は同じような過ちを繰り返してきました。ユーゴスラビア,ルワンダ,東ティモールと。大量虐殺とは言えないまでも,パレスチナ,アフガニスタン,イラクなどでは,今もなお,人と人が殺しあう紛争が続いています。

失われた安全と健康権

 いまだに激しい紛争が続いているイラクの様子をみてみましょう。
 2003年10月18日号のランセット誌によれば,イラクの保健制度は今年の戦争によって多大なダメージを受けています。約1割から2割の病院が被害を受けました。市街の安全確保が十分でないため,医療受診は困難を極めています。戦争は,医療を受けるためのいわゆる健康権を奪い去りました。戦争中,4000人のイラク兵と8000人のイラク市民が死んだと報告されていますが,戦争後,バグダッドだけでも毎月500人の死が報告されています。多くは銃弾によるものです。あるイラク人医師がこう言っています。「安全な時には自由がなかった。自由になると安全がなくなった。その両方が欲しいというのに」。
 イラクでは,イラン・イラク戦争,湾岸戦争,今年起こった戦争とは別に,過去25年間に,30万人が行方不明になったと推測されています。不当逮捕,投獄,死刑などによるものです。死体はイラクの各地に大量に埋められているという証拠があります。しかしその詳細はベールに覆われたままです。法医学的な探索をしようにも,安全が確保されていないため,いまだに身動きがとれないのです。

命奪われし人たちの痛苦

 生き残った人たちへの配慮はもちろん大切なことです。しかし,無残にも命を奪い取られた人たちの声や顔を,1つひとつ歴史的証拠として残すことも大事です。医学が向き合うのは生きた人だけではありません。時には死人も含みます。死体は語る,ということが刑事事件の真実解明の際によく言われます。そのような個々の事例とは別に,紛争により命を奪われた大量の死者の声を聞くこと,顔を見つめることによって,私たちは大きく心を揺さぶられます。
 本多勝一氏の「検証カンボジア大虐殺」(朝日文庫)の解説をしている井川一久氏がこんなことを言っています。「命あるものすべての痛苦に敏感であること,条件の許す限り大小の事実を深く,また幅広く追求すること,これによってあらゆる情報を,自己の見聞をすら吟味すること,そして事実の裏づけを持たない一切の定説ないし通説を疑うことが,ジャーナリストの最低ぎりぎりの職業的モラルでなければならない」。
 直接,人の生死にかかわる仕事につく医療従事者として私たちは,過去に命を奪われた人たちの痛苦に心を揺さぶられるだけでなく,今ある人権問題に少なくとも関心を持ちつづけ,そのために,今自分に何ができるのかを探ること。たとえ何もできなくとも,そこに心を向けること,それが私たちにとって最低ぎりぎりの職業的モラルであり,また使命でもありましょう。