医学界新聞

 

連載
メディカルスクールで
学ぶ

   第8回
   物質依存と医学生

  高垣 堅太郎
ジョージタウン大学スクール・オブ・メディスン MD/PhD課程2年

前回2551号

 「私はメアリー,アル中患者です」  全米で推定100万人を超える草の根運動であるAlcoholics Anonymous(無名のアルコール依存症者たち)の分かち合いは,この決まり文句ではじまります。ゆるい全国組織のもと,各地の小規模なグループではお互いのアルコール体験について話し合い,お互いに支えあいながら,多くのアルコール中毒者が禁酒を維持しています。
 米国では,人口の1割近くが進行中のアルコール中毒者といわれ,生涯を通しては13.5-23.5%が罹患すると推定されています。そして,喫煙と肥満とともに,アルコール(交通事故なども含む)は三大死亡要因の1つに挙げられています。こういった全国的な状況から,ジョージタウンでも,医師としてのアルコール中毒への対応と,個人としてのアルコール中毒予防の教育がなされています。その一環として,Alcoholics Anonymousの会合への参加も義務づけられているのです。

物質教育

 米国における三大死亡要因は,タバコ,偏食・運動不足による肥満,アルコール,といわれます。ジョージタウンの臨床前カリキュラムでは,「Introduction to Healthcare」という授業の中でそれぞれカバーされています。例えば,どのように患者の喫煙状態を正確に聞きだし,禁煙を補助していくか(動機づけの方法,禁煙計画の立てさせ方,パッチなどの補助処方についてなど),あるいは同様にアルコール中毒の患者と接していく方法なども講義されています。
 その一環として,全員が冒頭にご紹介したAlcoholics Anonymousの会合を見学し,その後学校で,実際のアルコール中毒・薬物中毒経験者を交えたスモール・グループの場での話し合いも行ないます。実際の経験者との話し合いは講義などとは違った意味で現実を知らされました。例えば,筆者のグループが指導してもらったアル中経験者の上品な婦人は,医師をだますためにどんぶりのようなコップでウオッカを飲み,診察の際には『毎晩1-2杯』と報告していた,などといった経験を話してくれ,とても衝撃的でした。
 物質依存症が社会的な問題になっている中で,医学生・医師の物質乱用率の高さもよく話題になります。『先生,健康によい酒量はどのくらいですか』『まあ,よくわからないが,私の酒量以下だろう』と,ジョークのネタにされるほどです(大規模な疫学調査の裏づけは得られていないようですが,常識的なアネクドートとされています)。
 同級生を見ていると,そういったアネクドートがどこから生じているのかも,わかる気はします。試験の打ち上げや飲み会での飲みっぷりはたいしたものです。筆者も日本では部活動に参加し,学生寮に住み,そして大学では醗酵・酒造関連の学科に所属して,日本の学生のいろいろな酒のみを見てきたつもりでしたが,日本人の目で傍から見て『これはまずい』と思う酒量を平然と超えていく様子には,最初は唖然としたものです。
 これは医学生に限ったことではないのかもしれませんが,肝臓の病理や疫学的な傾向を学んだ医学生がこんなことをしていてよいのか,と呆れることもありました。
 平均的にいうと,こちらの医学生の意識が高いことは間違いないように思いますが,一方で,そういった意識が成績競争をはじめとした外的な要因によっている部分も否めず,この「pressure-cooker(圧力釜)」とも形容される環境下で,大変なプレッシャーが掛かっていることも原因の一端なのでしょう。喫煙する同級生が意外に少なくはないことをみても(米国の中上層階級では,喫煙はもはや精神力の欠如とすら見られることも多い),メディカルスクールという環境について,考えさせられる部分があります。

子ども・若者の覚醒剤使用

 アルコールの暴飲,タバコの使用が社会的にははっきりと侮蔑される一方で,処方薬リタリンの正規使用・不正使用は,一般に是認されやすい物質依存症として,中産階級以上に蔓延しています。
 米国では,リタリンと類似の刺激薬(覚醒剤)は「ADHD(注意欠陥多動性障害)」に対して広く処方されています。この処方は学齢前の幼児にはじまり,学童の7-10%は何らかの覚醒薬を正規に服用しているといわれます。コカイン,モルヒネとともに,乱用の危険が最も高い処方等級に指定されていることもあり,子どもの発育などに対する悪影響を危惧する声も一部では高まっています。
 しかし,1990年の連邦法でADHDが障碍として正式に認定されてからは,テストにおける時間延長,学校での個人教授措置などの配慮が義務づけられたこともあり,その後ADHDの診断とリタリンおよび類似薬の処方が急増しました。(これはもちろん,センター試験に当たるSATや,メディカルスクール入学の共通試験MCATにも適用され,正式にADHDの診断書を受けると,テスト時間や試験室などについて,特別待遇を請求できます)1991年からの10年で,リタリンに限っても処方量は6倍に増え,現在では年間2000万通以上処方されるにいたっています。
 「正規」使用とは別に,高校や大学での譲渡・売買といった違法取引も広まっています。不正使用はリタリン等の処方が急増した1990年代に東部の名門進学高校に端を発し,そこから全国の大学に飛び火して,現在では,大学生の1-2割がリタリン等の不正使用の経験があるといわれます。この不正使用については,錠剤を擦り潰して吸引したり,水に溶かして静注することも行なわれるようです。成績競争の激しい名門大学ほどテスト前などにその覚醒作用が重宝されているといわれ,目的が学業であるだけに,社会的にはそれほどは問題視されていないようです。

日本とは異なる競争社会,アメリカ

 メディカルスクールの受験戦争については以前も書きましたが,それに対していただいたコメントなどからは,たとえ問題があるにせよ,日本の受験戦争よりはよほど公平で,「実力」を重視したものだ,という印象が日本の中には多いようです。しかし,アメリカはアメリカで競争の悪影響はぬぐえず,ただ,ひずみが社会の別の部分に生じているだけなのではないでしょうか。
 オリンピック競技のドーピングを思わせるような学童・生徒・学生の覚醒剤使用は,まさにそのひずみの1つと捉えられます。はじめに述べたアルコール・物質依存症や,あるいは,精神安定剤の普及と社会的認知(テレビなどで盛んにコマーシャルを見かけるほどである)なども,関連した現象なのかもしれません。「実力」をもとにした選別基準はとかく日本で理想と掲げられますが,少なくともアメリカでの実践例の現状についていうと,学校生活の全期間を通して,普段のテストの成績・授業「態度」・課外活動・習い事などすべてが「評価」の対象となっていることで,競争の場が日常すべてを包含するものになり,個々の人生が全面的に巻き込まれ,場合によっては翻弄されます。そして,「人生」全体が秤に掛かってるため,日本の受験戦争とは違い,ある意味でやり直しは難しいのです。
 それを考えると,今までの受験を中心とした日本の選抜制度の反動としてアメリカ式の制度に飛びつくことには,多大な危険が付随します。社会に選抜制度が存在する以上,大なり小なりその選抜制度に踊らされることは致し方ないことであり,また,選抜が存在する以上,完全にegalitarian(平等主義的)な制度もありえません。そういう前提に立って,社会として是認でき,副作用のより少ない制度を,日本でも,アメリカでもそれぞれ模索していかなければならないのではないでしょうか。