医学界新聞

 

〔鼎談〕「長寿科学研究」をめぐって

高齢社会を支える学際的ビッグプロジェクト


尾前照雄氏
国立循環器センター
名誉総長
久山町ヘルスC&Cセンター
 
祖父江逸郎氏 <司会>
名古屋大学・愛知医科大学
名誉教授
長寿科学振興財団理事
 
折茂 肇氏
健康科学大学学長
骨粗鬆症財団理事長


■「長寿科学研究」の現在

「不老長寿」と「健康寿命」

祖父江<司会> 「不老長寿」という現代の高齢社会には打ってつけの言葉がありますが,わが国の平均寿命は男性78歳,女性85歳です。またWHOがいう「健康寿命」は74歳で,平均寿命も健康寿命も世界一です。現在,わが国の高齢化率は18%を超え,65歳以上の方が2300万人近くおられ,9割の方は健康で活動をされています。
 しかし一方では,200万を超える寝たきり,痴呆,虚弱といった介護を要するグループがあります。まさに,長寿社会の光と影というべきの部分で,高齢社会へどのように対応するかが大きな課題になってきています。これは世界的傾向でもあります。
 そこで本日は,その対応の基盤として重要な「21世紀の長寿科学研究」をめぐって,長寿科学研究の現状,今後の動向などについて話し合ってみたいと思います。
尾前 ご指摘の通り先進国の寿命は伸びていますが,そのスピードはわが国はこれまで群を抜いていました。それに少子化が加わり,人口構成は大きく変化してきていますから,これまでの延長線上に立った考え方では対応が難しくなっていると思います。これは医学的な問題だけでなく,社会的,政治経済的な面でも大きな問題で,雇用,扶養,年金などさまざまな問題が論じられていると思います。
 いま言われた「不老長寿」という言葉はよい言葉ですが,いずれ人間はある時期になると100%死ななければなりません。寿命はまだ伸びつつありますが,いずれは頭打ちになるか,逆に短縮ということもあるかもしれません。沖縄の35-45歳の働き盛りの男性の平均余命は,いま日本各地の中で最も低いと「沖縄タイムス」に報道されていましたが,これはライフスタイルの関与が大きいと考えられています。国民生活の基本を見直す資料を与えてくれているような気がします。
折茂 わが国はわずか20数年で高齢化社会から高齢社会へ移り,社会がそのスピードに追いつけず,医療だけでなく,社会全体の問題としての総合的な対策が立てられていないという点に関してはまったく同感です。
 私は「お年寄りの知的参加」と言っていますが,人は年をとるとさまざまなことがわかってきますので,そういうお年寄りを社会が活用することが今後の日本の課題であり,それを政策にも生かすべく発想の転換をしなければいけないと思います。
 介護を必要とする高齢者は高齢者全体の13-14%で残りの方は健康です。これらの方がQOLの高い生活をおくることができるような社会を作ることが必要です。
 また,国民も健康は自分で守らなければいけないという自覚を持つことが大事です。その点でも,今後の課題は国民の意識改革にかかっていると思います。

「還暦」と「限界寿命」と「生活習慣病」

尾前 日本には「敬老」という発想がありますが,高齢者が幸せに生きるための工夫が必要になってきます。高齢者の生産力をどう生かしていくかということが重要な問題になります。
祖父江 日野原重明先生が提唱される「新老人」という新しい考え方も出てきましたが,優れた能力のある人たちが高齢になっても活動していることも大きな特徴です。
 これは江戸時代にもあったようで,有名な『養生訓』を書いた時,貝原益軒は84歳だったと言われています。当時の84歳は,平均寿命のことなどを考えると,おそらく現在でいえば100歳を超えていることになりますね。100歳を超える百寿者(centenarian)については,中国の始皇帝の頃の人も憧れていたようで,「仙人」という言い方がありましたが,私は現代の仙人は百寿者だと思います(笑)。名古屋に「きんさん・ぎんさん」という双子の姉妹がおられましたが,まさしく平成の仙人ではないかと思います。
 さて2002年から「健康日本21」というプロジェクトが始まりましたが,健康増進の心がけは早くから始めるべきではないでしょうか。
尾前 60歳になると「還暦のお祝い」をしますが,60歳を越すと精神的,肉体的機能の個人差が大きくなります。還暦はその区切りのような年齢に当るので,「これからは,年齢よりも個人々々がものを言うようになる」という意味のお祝いと考えてもよいと私は思っています。
祖父江 ヒトが生きられる「限界寿命」は110-120歳と言われています。還暦はちょうど折り返し点ですから,「次の人生のお祝い」ということになりますね。
折茂 60歳はひとつの区切りかもしれませんが,生活習慣病の予防に大事なことは,子どもの頃から自分の健康は自分で守るという自覚を持つことでしょう。
尾前 久山町の健康づくりに非常に熱心だった2代目の町長は,28年間ほど町長をされていましたが,研究が始まって20年経った頃,「先生,40歳になってからでは遅すぎる。対策は子どもの時からしなければならん」と言われていました。昔の徴兵検査のように,20歳になったら体力テストと検査をして,成人式の祝いをすべきだということで,実際にそれをやったこともあります。
 小児の健診も九大に頼んでやりはじめました。自然にそうなるのですね。「健康日本21」でも,小児のライフスタイルが大事だと認識されています。厚労省の公衆衛生審議会で「生活習慣病」という言葉を使うかどうかで論議がありましたが,小児保健の先生がその言葉をぜひ採用されるようにとの強い要望がありました。子どもの時期によい生活習慣をつけることが大事だというわけです。「生活習慣病」という言葉は外国にもないし,医学用語としても適当でないとの反対意見もありましたが,小児科の先生方の強い要望がそれを決めるサポートになりました。子ども時代のライフスタイルが悪くなっているという認識が非常に強くあるのですね。

「エイジング・プロセス」について

祖父江 少子高齢化が進み,2050年頃に高齢化率が35%,3人に1人が高齢者になると予測されています。人口減少によって高齢化がより一層促進されるわけです。今のうちに準備をしておかなければ,そういう超高齢社会には耐えていけないのではないかと思います。
 そこで65歳を区切りとするのか,75歳にするかという論議があります。私は70歳か75歳以上とすることで,長寿社会についての考え方や対策などにゆとりが持てるのではないかと感じます。いかがですか。
折茂 私もそう思います。65歳というと,元気な人が多く若すぎると思います。75歳からの後期高齢者を,本当の高齢者としたほうがいいような気がします。
尾前 私も75歳がよいと思います。
祖父江 65-74歳までのエイジング・プロセス,いわゆる身体機能がどれぐらい落ちるのかということですが,私はこの10年間で諸機能はあまり落ちず,75歳を過ぎますと,かなり急速に進んでいくように思いますが,どう思われますか。
折茂 身体機能というものは,加齢に伴い段階的に徐々に減ってはいくようで,直線的に低下するのではないと思います。さまざまな縦断調査によると,加齢に伴いゆっくりと低下し,ある時期を境にガクッと下がっていくという成績が出ていますね。先生がおっしゃるように,私も75歳頃から急激に下がる傾向があると思います。
 この際,少し定義を変えるべきでしょう。それに従って社会の仕組みも変えないといけないと思います。アメリカではR. Butlerが「エイジズムageism=老人差別」という考え方を提案し,「年齢で人を差別してはいけない」と言っています。わが国では定年についてはストリクトで,活用できる人についても十把一からげに扱ってしまう発想はよくないですね。
祖父江 高齢社会を考えるうえでは,重要なポイントですね。

「長寿科学研究」とは何か

折茂 「長寿科学」は英語では「longevity science」ですが,厚労省が作った日本独特のニュアンスを持った言葉ではないかと思います。おそらく,「老」という言葉のイメージがあまりよくないからなのでしょう。「長寿」のほうが言葉の響きもよいし,「健康で長生きを望んでいる」という願いが込められていると思います。
祖父江 「長寿」という文字に,華やかなイメージ,おめでたい感じがありますね。
尾前 私も「長寿科学」という言い方はよいと思います。アメリカの影響もあると思いますが,「老」という言葉には,今はあまりよい印象を持てません(笑)。「長寿」のほうがはるかに明るいですね。
祖父江 ところで,高齢社会に対応していくためには,学問的な研究成果をどう反映していくかということも重要と思います。それを担うのが「長寿科学研究」という学問で,これまでにない新しい総合的科学,学際的科学,ビッグサイエンスだと思います。この言葉は日本で生まれた言葉ですが,その内容が論議されたことがあります。
 まず1つは老化のメカニズムの研究です。そして2番目は高齢者特有の病気の原因の解明・予防・診断・治療という医学的研究です。そして3番目は高齢者の社会的・心理的な問題までを追究することで,それらを総合的・学際的に取り扱うプロジェクトと言われています。
 この「長寿科学研究」は,1987(昭和62)年に当時の厚生省により,「シルバーサイエンス研究」として発足しました。1990年までの継続事業で,私が総括班長を務めました。その後,「長寿科学推進10か年事業」が始まり,「長寿科学総合研究」に切り替えられました。これは,まったく新しい概念で構成された学際的プロジェクトで,国際的にも大きな関心が寄せられ,注目を集めました。
 この総合研究では「基礎」「老年病」「リハビリテーション,看護・介護」「支援機器開発」「社会科学」「漢方・東洋医学」の6分野について幅広い立場から多くの研究班を編成し,総合的に研究が推進されました。さらにプロジェクト研究として,「ヒトゲノム」「痴呆疾患」「骨粗鬆症」「長期縦断疫学」などが特別研究のプロジェクトとして入れられました。
 私は総合研究の企画委員長をしておりましたが,お2人はこれらの研究にかかわってこられたと記憶しております。まず尾前先生から,「長期縦断研究」という観点から久山町研究についてご説明願えますか。

「久山町研究」の場合

尾前 この研究は今年で43年目になりますが,脳卒中の実態調査から開始しました。
 当時は「脳卒中は動かしてはいけない」という時代で,多くの方が自宅で亡くなっていましたから,大学や専門病院の調査では実態がわからず,病理の剖検例を調べても駄目でした。地域の一般住民を対象に調査研究をして,脳卒中の実態をはっきりさせようというのが出発点でした。
 10年もすると結果が出て,死亡診断書に基づく統計の数字ほど出血は多くないことがわかりました。全死亡の4分の1が脳卒中で,これは日本の死因統計と非常によく一致していました。「くも膜下出血」もかなり見落としているのではないかということもわかりました。
 10年後に勝木司馬之助先生から私にバトンタッチされた時に,2代目の小早川町長が私の所に来られて,教授が代わるとやる仕事も変わることもあるが,私がこの仕事を続けるつもりかどうかを確認に来られましたので,私は「最初から関与していたので,やめません」と申し上げました。
 人口移動が少なく,町長が町を都市化せず,企業の誘致もせず,伝統的なライフスタイルを守り,よい自然を残すという考えをお持ちの方で,研究にはもってこいの状況を作ってくれました。大学の研究では得られない仕事がいろいろ経験でき,病気の自然歴を知ることもできたのです。大学の研究機関と,行政,開業医が一体となって今日まで続けてきた仕事です。死亡者の約80%に病理解剖が行なわれてきたのも大きな特徴です。
 こういう仕事は研究室の人たちが熱心で,誠意を持って当たることはもちろんのこと,これを支えてくれる人たちがたくさんいてくれなくてはなりません。久山町は町政の1つの柱として健康な町づくりを取り上げて,町役場に健康課を作ったのも日本では最初だったと思います。そこで保健師さんを雇い,健診の場所も提供してくれました。
 農村だからできたという点もあります。勝木教授の時代に,福岡市の熱心な勤務医と開業医さんと共同で「脳卒中予防協会」という組織を作って同じことをしようとしたのですが,都会は人口の入れ替わりが多く,一次健診はできても,追跡調査が困難でした。福岡市は40年間で人口が2倍以上になっていますが,久山町は6000人台から7000人台へと約1000人しか増えていません。しかし,高齢者は増えています。当初は40歳以上が1800人ほどでしたが,2倍以上になっており,高齢化が著明です。
折茂 自然経過だけをみているのですね。
尾前 治療研究もしたかったのですが,これはできませんでした。

「東京都老人研究所」のスタディ

祖父江 わが国でエイジング・プロセスの研究で有名なのは,東京都老人研究所のスタディですが,かなり多くのデータが出ているのではないでしょうか。
折茂 あのスタディは病気よりはむしろ健康についてのスタディで,その点で価値があると思います。20年近くの調査報告ですが,高齢者の自立機能に影響する要因について,「食生活」「運動」「日常生活や社会活動」などさまざまな面から検討しています。
 お年寄りの食生活は重要で,先ほど話に出た貝原益軒の『養生訓』では,年を取ったら肉を食べては駄目と書いてありますが,この報告ではむしろ肉を食べている人のほうが自立機能がよいそうで,ある程度は栄養を摂らないといけないということです。それから,30品目以上の食品を食べたり,定期的に運動をしている人は自立機能の低下が少ないということも報告されています。また社会活動も大事で,閉じこもらずに,お友だちと付き合ったり,ボランティア活動が自立機能を保持するためによいというデータが出ています。
 「老研式自立機能検査」というものがありますが,これは自立機能を「身体的自治る」「精神的自立」「社会的自立」と大きく3つに分けたもので,これが老化の総合的な指標として用いられています。

「ライフスタイル」と医学

尾前 私は日本人の寿命が伸びたのは,医学の進歩より食生活や社会生活を含め,ライフスタイルがもたらした影響が大きいと思います。脳卒中の減少も,高血圧薬治療の進歩よりもライフスタイルの関わり方が大きいと思います。わが国が特別に血圧のコントロールがよい国ではないのに,脳卒中死亡は世界で最も著明に減少しています。これは,この方面の欧米の研究者たちも興味を持っています。昔は低栄養などのために脳卒中が多かったことも考えられます。
 久山町も血中コレステロールは今は都会並に上がっていますが,心筋梗塞は増えていません。おそらく,リスクの増加と病気の発症との間にはタイムラグがあるのでしょうが,脳卒中が減り心臓病があまり増えていないのが日本人の長寿の要因の1つだと考えています。
 それから,感染症にも罹りにくくなっています。医学や医療も大事ですが,環境とライフスタイルが寿命や病気の発症には大きく影響すると考えられます。
 また,折茂先生もご指摘のように,ゲートボールをしたり,健康クラブを作り老人が集まって「元気に生きましょう」という運動も大きな要因で,社会生活のおくり方も大事だと思います。さらに,行政がそれをサポートしていくことも重要です。
 医学的な面で私が強く感じているのは,現在の専門分化の問題です。専門分化は研究の推進には必要ですが,臨床,特に高齢者対象の医療には,医師養成の過程とそれに取り組む体制のうえで,工夫が必要と考えています。「これだけはわかるが,あとは知らん」というのでは,危なくて仕方がありませんからね。

「骨粗鬆症」について

祖父江 次に「骨粗鬆症」についてですが,折茂先生,ご専門の立場からご説明いただけますか。
折茂 まず,骨粗鬆症が病気であることを認識してほしいと思います。
 骨粗鬆症を単に骨の老化だと考えている医師さえいます。特に整形外科領域の医師で,骨が折れなければ骨粗鬆症でないと言う方がいます。
 現在,骨粗鬆症は「骨が減って微細構造が変化し,脆くなって骨折しやすくなった状態」と定義されていますが,骨量検診で低骨量が認められ,専門の医師に紹介されても,「骨量が減っているだけでは病気ではない」と言われて診てもらえないケースさえ時々あります。わが国では骨粗鬆症の患者は,現在約1000万人と言われていますが,治療を受けている人はその15%ほどです。ですから,これが病気であり,そのために骨折するということを啓発することが大事だと思います。
 以前は一度罹ったら治らないと考えられていましたが,最近は有効な薬が出てきました。世界的にその効果についてコンセンサスが得られているものはビスフォスフォネート製剤です。これは骨の破壊を防ぐ非常に強力な作用を持っています。
 特にアレンドローネについては,海外で10年間におよぶデータがあり,10年間の治療で腰椎の骨密度が14%も増加したという長期的効果も証明されています。また,骨折の予防効果も明白で,その間に脊椎の圧迫骨折および大腿骨頸部骨折がそれぞれ約50%減ったとのことです。アレンドロネートと同様,日本でも認可されているリセドロネートにも同様の効果があります。この製剤についても欧米では数千から1万例のエビデンスが集まっています。
 骨粗鬆症の発症機序については,わからない点もありますが,やはり閉経期を境に女性ホルモンが欠乏することと深く関係があります。私は女性ホルモンは「抗老化ホルモン」だと思います。女性では閉経時から急激に血中の女性ホルモンは減り始め,ほとんどゼロに近づいて,これを契機に骨の老化が急速に進みます。
尾前 閉経の前後では高血圧の発症頻度も歴然と違います。心筋梗塞なども閉経期前には非常に頻度が低いですね。
祖父江 エイジングと女性ホルモンは密接な関係がありますね。身体機能にしても精神力にしても,女性ホルモンは男女差を決める独自のものではないでしょうか。
折茂 脳に関してもそうですね。ホルモン補充療法をしている人はアルツハイマーになりにくいというスタディもあります。治療効果はないようですが,脳細胞にエストロゲンリセプターがたくさんあって予防効果があるようです。

■「長寿科学研究」の今後

「縦断研究」と「遺伝子研究」:「オーダーメード医療」として

祖父江 次に,長寿科学研究が今後,進むべき方向について話し合いたいと思います。今後の縦断調査の必須事項として,遺伝子の問題があります。遺伝と環境の面から,エイジングを捉えることが大きな話題で,これはこれからの課題ですが,いかがでしょうか。
尾前 われわれはこれまで,生命に対する影響としては医療環境を含めた環境を主たる対象としてきました。ところが,近年は遺伝子の研究が進んできて,それが医学と医療に結びつこうとしています。
 寿命もそうですが,高齢者の疾病はインディビジュアル(individual)な色彩を濃く持っています。80歳になっても脳動脈硬化のほとんどない人もいます。血圧は年齢とともに上がりやすいというのが常識ですが,その上がり方にも個人差が大きく,高齢になっても上がらない人もいます。
 現在は高血圧の基準は厳しくなっていますが,高齢者でも高血圧の頻度は70%位です。これまでは集団で得られた知識を個人に当てはめようとする医学でしたが,21世紀は集団の医学から個人対象の医学への転換が求められていると思います。ゲノム研究はその役割を担っており,いわゆる「オーダーメード医療」に向かうと思います。まさにエイジングの研究も一層魅力的になってくるのではないでしょうか。
祖父江 先日,名古屋で開かれた学会で,「ぎんさん」の解剖が発表されましたが,ぎんさんの脳には脳底動脈硬化はまったくないのです。やはり個人差は非常に大きいと思います。
 それから先日ある研究会で,イギリスの方が痴呆の人の介護の方法を説明してくれましたが,痴呆も1人ひとりその状態が違い,「Person is special」と強調していました。これは介護の基本原理だと思います。そこが今後の大きな課題かもしれません。
尾前 痴呆もエイジングもindividualで,まさに人間は1人ひとり違っているわけですから,今後はその真の姿が従来よりはるかによく理解でき,それが応用もできる時代に向かって進むと思います。

「医学」と「医療」を分けて考える

折茂 私は少し視点を変えて,「医学」と「医療」を分けて考えたほうがよいと思います。「医療」は病気になった人を対象にするものです。しかし,「医学」はその前の段階の人を対象とするもので,これからの最大の課題は予防医学だと思います。
 予防を振興することが医療費節減にもなりますから,もう少し生活習慣・食習慣・運動などを見直すべきでしょう。運動と健康に関する研究は,わが国ではほとんど行なわれておりませんね。運動が健康にどのような影響を及ぼすかということを,医師がきちんと研究すべきでしょう。
 それから食生活も栄養学者とともに学際研究を進めることが大切です。さらには,社会生活と健康という観点からも研究すべきで,予防というものを広く捉えることが大事だと思います。
 先ほど遺伝子の話が出ましたが,アメリカのマッカーサー財団が行なった「マッカーサー財団成功加齢研究」によりますと,加齢とともに遺伝子の影響は少なくなるとのことです。この研究では,スウェーデンで生まれた同性の双生児2万5千組について,高血圧,肥満,血中脂質,知的機能などに関連する遺伝子および環境因子の影響について調べています。その結果,遺伝子の影響は約50%で,加齢とともにその影響力は小さくなることが明らかにされています。
 ですから,もちろん遺伝子の要因も大事ですが,食事や運動,社会生活などの環境因子も大事だと思います。運動をしたらどの程度自立機能が保てるかということについては,わが国にはほとんどエビデンスがありません。東京都老人研や久山町の調査のようなコホート研究を行ない,エビデンスを集めることが必要ですね。
 また,現代はさまざまサプリメントや健康食品が出ており,ほとんど根拠のないものに対して無駄な投資をしていると思います。こういうものについても,長寿科学としてきちんとしたエビデンスを集積することが必要だと思います。
 それから,先ほどの尾前先生のお話にもありました「オーダーメード医療」です。高齢者は個人差が大きいですから,オーダーメード医療を確立する必要があります。どの程度応用できるかは今後の課題ですが,最近ではSNIPsなどの研究が進んで,薬のリスポンダー/ノン・リスポンダーがどう鑑別できるかというようなことは大きな問題になると思います。
 それから,再生医学の問題があります。例えばパーキンソン病やアルツハイマー病,血管の閉塞性疾患などにどの程度応用されるのか,ということも新しい領域だろうと思います。

「総合医療」への期待

折茂 また医療全般について言えば,これからの課題は「総合医療」です。われわれはこれまで,あまりにも西洋医学・医療一辺倒でしたが,先ほどもお話がありましたように,臓器別の専門化が進んで,特定の臓器のことしかわからない医師が老人を診ているのでさまざまな問題が生じています。もっと全人的に診ることのできる医師を育てることが大事ですし,西洋医療のよい点と東洋医療のよい点を統合させた,新しい総合医療体系を作ることが大事だと思います。現在の医学教育のカリキュラムはほとんど臓器別になっています。あれでは高齢者を診ることのできる医師は育成できません。
祖父江 そういう意味では,長寿科学研究に「漢方・東洋医学」を入れたのは,先見の明があると思います。
折茂 他の国にはありませんね。この分野で科研費の申請を出しても通りませんし,ネグレクトされてきた分野です。
 アメリカでもようやく最近,カム(CAM),すなわち代替医療が盛んになっています。医療費の節減が主目的ですが,NIHも膨大な研究費を出しています。近代西洋医療に対する批判があり,人間をトータルに捉えなければいけないという発想が根底にあると思います。

幅広い視野,心の問題など,医療関係者の意識改革が必要

祖父江 長寿科学研究を中心にして,医学教育にまで問題が波及してきましたが…。
 最近は,スペシャリスト養成中心になってきたことから,境界領域については教育されていません。スペシャリストは自分の専門領域以外のことに関心を持たなくなっています。したがって,境界領域の病気が見逃される傾向が強くなってきています。
尾前 お年寄りになると,「どこもここも悪い」と言う方が多いです。1つだけということはまずないですから,総合的に診ることが医療の本質です。
折茂 根治できない場合が多いですから,医療関係者の意識改革が大事です。
尾前 「病気を診て,病人を診ない」ということでは,長寿科学の中では役に立たないばかりか,危険なこともあるわけですね。
祖父江 長寿科学では医学・医療だけでなく,日常生活にかかわる衣食住の問題が入ってきますので,工学なども大事な問題になると思います。それから,社会生活の面から,人文科学的な問題として心とか哲学という問題も,今後は研究課題になるでしょう。
折茂 医師や医療従事者が心理学をもう少し勉強して,お年寄りの心理を知ることは大事なことですが,大変遅れていると思います。長寿科学研究でもぜひそういう側面を推進してほしいですね。

「国立長寿医療センター」への期待

祖父江 私が国立療養所中部病院院長をしていた1985(昭和60)年10月に,当時の厚生省に国立老人総合医療センター構想を提案してから20年近く経ったのですが,幸いにも2004(平成16)年4月に国立長寿医療センターが愛知県に設置され,発足することになりました。いまここでお話しいただいた問題なども含めて,世界に向けた長寿科学の発信基地になるような成果が上がることを望みたいと思います。
 このセンターに対する希望についてお話しいただけますか。
尾前 私は高齢者が幸せに生きられる社会が,理想の社会であると考えています。
 高齢者が不幸であれば,他の面がどれほどよくてもその国はよい国,よい社会とは言えないでしょう。これは人間社会そのものの問題でして,高齢者がどうあるかということは,国の文化度を測る1つの尺度になると思います。
 ですから,高齢者をきちんと診ることのできる医師が最も価値が高いことを強調しなければなりません。また,先ほどのお話のように西洋医学だけでなく,東洋医学を取り入れることが21世紀に求められていると思います。祖父江先生がおっしゃったように,東洋から発信する研究を作らなければいけない。その意味でも期待が大きいと思います。日本の高齢化は著明ですから,国も力を入れてくれるでしょう。
折茂 私は日本独自のものを作っていただきたいと思います。医療はカルチャーですから,アメリカのものをそのままもってくれば済むものではありません。日本特有の東洋思想が古来からあったわけですが,明治時代にそれを捨ててしまいました。その発想を取り戻すことは大事だと思います。
 さらにまた,アジアでの老化研究の中心的存在となるよう,国際的活動も盛んなセンターになってほしいと思います。
祖父江 今日は,長時間どうもありがとうございました。
(おわり)