医学界新聞

 

連載(17)

    新医学教育学入門

教育者中心から  
学習者中心へ
  

評価にまつわるさまざまな問題

  
大西弘高 国際医学大学(マレーシア)・医学教育研究室上級講師


2550号よりつづく

 今回は,山陰医科大学の学生と教員の対話を通じて,評価にまつわるさまざまな問題についてとり上げてみたいと思います。

相対評価と絶対評価

佐藤 日岡先生,初めまして。学生の佐藤といいます。医学教育研究部というところができたと聞き,かねてから興味を持っていた評価のことを尋ねにきました。
日岡 評価についての質問ですね。できる限りお答えしましょう。
佐藤 では,まず最近話題になっている「絶対評価」について,どのようなものか教えていただけませんか?
日岡 絶対評価ですね。佐藤さんは小学校の時,通知簿をもらいましたか?
佐藤 はい。「4」が多くて,時々「5」が付くという感じでした。
日岡 「5」が付く人はクラスで何人と決まっていたか,それともあるクライテリアを満たせば「5」なのか,どちらだと思いますか?
佐藤 クライテリアで決まっていたと思っていました。
日岡 いえ,きっとクラスで何人という方法だったと思います。そういう方針の学校が多かったんです。
佐藤 でも,それって,生徒に順位付けをして,例えば上から3人が「5」だったということですか。
日岡 そうです。この方法を「相対評価(norm-referenced assessment)」と呼びます。でも,それが生徒に伝わると「上位3人に入るために,みんなを蹴落としてやる」という気持ちが働く可能性はありますよね。だから,最近相対評価をやめ,絶対評価(criterion-referenced assessment)をとり入れようという動きが盛んになったのです。
佐藤 うちの大学は60点を超えたら合格ということになっていて,ある年は5人落第,ある年は1人も落第しないという違いがあったと聞きました。これは絶対評価なんでしょうか。
日岡 絶対評価とは,教育個別目標を満たしたかどうかにより評価を下す方法です。そのためにはクライテリアを明確にしなければならず,相対評価よりは面倒と言えます。落第するかどうかは合否判定基準の設定(standard setting)の問題ですが,試験前に合否判定基準を設けることは医師国家試験のような手間暇をかけないと不可能に近いため,実際にはさまざまな制約があると考えたほうがよいでしょう。6割未満が不合格というのは通常慣習的なもので,6割以上なら個別目標を一定以上満たせているという明確な根拠があるとは思えませんが……。

評価と動機づけ

佐藤 少し話題を変えて,評価そのものの意味というようなことについて考えてみたいんですが。評価って誰のためのものなのかなって悩むことがあります。何となく,評価によって勉強させられているような気がしてきて。
日岡 「勉強させられている」というのは健全でない雰囲気ですね。本来,評価は学ぶ側が「どの程度きちんと学べたのだろう」と確認し,足りない部分を補うような役割を果たすべきですが,教える側が「もっと学習させるために評価しよう」と考えたり,学ぶ側が「いい評価を得るために学習しよう」と考えはじめたりすると,本来の評価の意味をはき違えることになりかねません。
佐藤 そういわれてみると,私も評価に関心を持っているのは「いい評価を得たい」という気持ちからだったのかなという気もしてきました。
日岡 例えば,クラスでトップのテスト成績をとれば,「他の誰よりも優秀」ということが客観的に示せます。しかし,他のテストでも同じようにトップかどうかはわかりません。また,そのテストが教育目標に沿ったものだったか,そもそも教育目標はあるべき姿で設定されていたか……などさまざまな要因が関係する問題です。
佐藤 時にテストでいい成績を取るということが,「性格的に偏っているかもしれない」という見方をされることもありますね。
日岡 はい。いい成績を収めようとしすぎる傾向がある人は,逆にテストで測定できないような側面に関心を抱かず,社会性がないというようなこともあるかもしれません。このような問題が起こるのは知識を問うようなテストに重点が置かれすぎたという歴史的背景も影響しているのでしょう。

あいまいさを含む評価

佐藤 日常的な会話では,「実習を一緒にやってみて,○○さんって,どう?」などという非公式な評価も「評価」ですよね。こういうあいまいさの多い評価って役立たないのでしょうか。
日岡 それって,実習態度の評価という意味を持っていそうですね。実習への取り組みはどうか,他のメンバーと協力し合えるかというような側面って,ある程度信頼できる評価だと感じますか。
佐藤 はい,友人たちの意見が一致することは多いと思います。もし,今までに一緒に実習したことのない人と実習する時には,この情報によって心づもりが変わりますので,役立つと思います。
日岡 でも,例えば,先生たちからは評判がいいのに,学生同士では評判が悪い学生とかもいますよね。逆もいるでしょうけど。
佐藤 はい,先生たちって,何を見て評価してるんだろうって悲しくなる時もあります。
日岡 例えば,人間的に尊敬されている教授の息子さんがクラスにいて,教員の間でも評判がよかったとします。その時,特に熱意を持って実習に取り組んでいるわけではなかったとしても,熱心な態度でがんばっているという評価をしてしまうといった間違いは起こり得るでしょう。これはハロー効果(halo effect)と言われる現象で,一般的評判によってある特性に関する判断を誤ることといえます。このように,ステレオタイプによって判断を誤ることは教育者として大きな問題です。
 特に,「やっぱり,○○先生の息子さんはちょっと違うねぇ」などというような形で,非公式評価が教育者同士でさらに固定したイメージを形成していく場合,非公式評価であってもその評価が揺るぎないものになっていくことは十分あり得るでしょう。
佐藤 でも,それって,学生が先生方の授業を評価するときにも気をつけないといけないのかもしれませんね。「△△先生って,いろんな本を書いていて有名だよね」などと評判がよければ,学生も講義を一生懸命に聴くし,評価も高くなるような気がします。
日岡 教員評価のことをそこまで考えてもらえるのは嬉しいですね。確かに,この例もステレオタイプによる判断の誤りと言えそうです。口頭試問や面接などで評価を行なう時にも十分注意しなければなりません。でも,だからといって,客観性の高いマルチョイ(multiple choice question)でばかり評価していればいい,ということにはならないのが評価の難しいところであり,おもしろいところです。

自己評価の意義

佐藤 最後に,自己評価ってこれからとても重視されていくかなって思っているんですが,どうでしょうか。
日岡 そうですね。自己主導型学習(self-directed learning)がPBLテュートリアルでは重視されますし,生涯教育(life-long learning)の視点を育てるためには自らが学習ニーズ,学習目標を明確化し,学習方略を決定し,自己評価するという習慣が身に付いていかなければなりません。佐藤さん自身は自己評価が自分なりにできていると感じていますか。
佐藤 いえ...まだまだ勉強不足なところばかりだと思っています。
日岡 でも,それって自己評価はできていて,その評価が低いという意味ですよね。自己評価は自らの判断基準が高ければ低くなりますし,基準が低ければ高くなりますので,その結果を云々するよりは,自己評価によって自分の学習度を自己判断できるかどうかのほうが,ずっと重要なポイントですよ。とにかく,自らの学習における強み,弱みを理解し,いかに向上させればいいのかが理解できているのなら,その評価をぜひ続けていってもらいたいと思います。

 このように,新しい時代の医学教育においては,評価をうまく利用することにより,教育を向上させ,学生を動機づけることが望まれるようになってきています。次回は,プログラム評価について探ってみたいと思います。

*今回の記事中に登場する人物,施設は架空のものです。