医学界新聞

 

<インタビュー>

科学者コミュニティはどう変わらなければならないか?


●黒川 清日本学術会議新会長に聞く

 第19期(2003-2006年)日本学術会議会長に黒川清氏(東海大学総合医学研究所長)が就任した。周知のように日本学術会議は「科学に関する重要事項の審議」および「科学に関する研究の連絡(国内外)」を主な活動として,7部会より構成されている(詳細は左下欄参照)。さらに医学分野に関与する「第7部会」は,「生理科学」「病理科学」「診療科学」「社会医学」「歯科学」「薬科学」「看護学」の各専門分野から構成されている。
 第7部会からの会長就任は,第16期の伊藤正男氏(理化研・脳科学総合研究センター所長・東大名誉教授)に次いで3期振りになるが,「診療科学」(病態代謝学)の専門分野からの就任は黒川氏が初となる。
 今号は「科学者コミュニティはどう変わらなければならないか?」と題して,会長就任に際してその抱負を語っていただいた。


──日本学術会議(以下,学術会議)のあり方が問われています。その中での会長就任をどのようにお考えでしょうか。
黒川 実は,最初に学術会議の会員に選ばれた17期(1997-2000年)には,私自身も学術会議とは何をするところかよくわかりませんでした(笑)。
 ただ,機関誌『学術の動向』の編集委員を務め,「官尊民卑のメンタリティ」とか,「国をありがたがる風潮」「研究費がいかに無駄遣いされているか」などかなり厳しいことを書きました。それから,男女共同参画社会とはいうものの,自然科学系の国立大学の女性教授の数は少ないということも取り上げました。世界的にも女性の数は少ないのですが,科学アカデミーでも日本は女性は少ないです。女性の社会進出を妨げている最大の理由として,「自信のない男たちが作ってきた社会のせいだ」というようなことも書きました。
 そうこうしているうちに,18期(2000-2003年)には副会長に選ばれたわけですが,ちょうど日本社会の閉塞状況が深刻になってきたころでもあり,私の主張にある種の説得力があったのかもしれません。そしてその頃から,世界の科学者コミュニティの潮流が明らかに変化してきて,かなりそれらの流れの中にいましたので,今回,私に会長という役割が回ってきたように感じています。

冷戦が終わり,世の中の重要課題は変化した

──世界の科学者コミュニティの潮流の変化とは,どのようなことでしょうか?
黒川 学術会議は,その設置に際してさまざまないきさつはありますが,「これをつくれ」とか「あれが大事だ」とか政府に提言している「大型陳情機関」だった側面があります。
 しかし,16期(1994-1997)に伊藤正男先生が,17-18期に吉川弘之先生が会長をなさった頃から,世界も日本も状況が変わってきたのです。それは何かというと,伊藤先生の時には「脳科学の推進」ということが1つ大きな柱としてあったけれども,17-18期になると日本の景気が急速に悪くなってきたし,冷戦が終わり,グローバリゼーションの世の中になって,日本が自信を失いつつありました。橋本内閣の行政改革でずいぶん批判されて,どうあるべきかという議論が学術会議の内部でされるようになってきたわけです。
 一方,世界を見渡せば,冷戦構造が終わり,世界中が科学技術に投資をし始めた。それまでの国の投資は,軍事的目標のある研究にばかり費やされてきました。飛行機,宇宙開発,コンピュータ,インターネットもそうです。テレビのライブのBSも,軍事衛星を打ち上げる技術があったからこそ実現したわけでしょう。
 ところが冷戦構造が壊れて,東西の対立がなくなり,さらにインターネットなどの発達を通じ情報の交通が一気に加速すると,経済にいわゆるグローバリゼーションが起こりました。お金の決裁も簡単にできるようになり,実際に旅行をしなくても,瞬時にいろいろなものが見られるようになってきた時に,突然,皆さんが気づいたのは何かというと「環境問題」です。
 1992年にリオデジャネイロで環境サミットがあったでしょう? それ以前から,環境問題が悪化していることは,すでに皆さんが知っていたわけです。発展のためにエネルギーを使うし,人間は増えすぎて,これから持続可能な発展があるのかという話は,1987年ぐらいから出てはいたものの,冷戦構造の下では,最重要のポリティカル・アジェンダ(政策)にならなかった。
 しかし,冷戦構造が壊れると,環境問題は一気に人類にとっての最大の課題として浮上したわけです。地球の温暖化やCO2の問題の深刻さが指摘され,生物の生態系が壊れるとか,森林が砂漠化したらどうするのかなどということが重要課題となって,リオ会議が開かれたわけです。
 それを契機に,グローバル・ウォーミングや南極のオゾンホールとか,さまざまな問題が世界的に認識されるようになり,1997年の京都議定書まで漕ぎ着けたわけです。ところが,ブッシュが大統領になって,最後に「やめた」と言い出す。持つところのエゴが出たわけですが,持つ人と持たない人の差が広がり,南北の格差がひどくなると,またそのことからコンフリクトが起こっていく,それでまた地球環境の悪化にもつながります。
 では,「どうしたらいいの?」ということが世界共通の課題となり,「これは科学者の話を聞かなきゃ駄目だ」ということに世の中は変化しているわけです。

科学者コミュニティに求められる役割の変化

──世の中の変化にともなって,科学者に求められることも変化してきたということでしょうか?
黒川 各国にナショナル・アカデミーというのがありますが,歴史的にこれらはほとんどが栄誉機関です。つまり,ある分野で著明な業績をあげた人を会員にするという,顕彰,名誉のサロンです。しかし,それはそれでいいのです。学術会議ももともとはそのようなものです。初めにお話したように「学術会議とは何をするところかわからなかった」というのはそういう意味で,もともと,ある意味では何もしなくていい機関だったわけです。ところが日本の学術会議は政府の機関で,いろいろな勧告や助言ができたので,例えば「こういうものを作れ」と提言をまとめれば,省庁は受け取らなければならなかったわけです。しかし,受け取るだけ受け取って何もしなかった。例えば,科研費が200億円程度しかない時に,400億円もするようなものを作れという提言を出しても,相手にされない。だから,文部省はじめ各省庁は学術会議を相手にしないで,審議会を作り出してきた。一方学者たちは,自分の学問だけ「大事だ」と言ってれば済んでいた。そういう時代が長く続いていたわけです。
 しかし冷戦終了後,イギリス,アメリカをはじめ,各先進国は科学投資の重要性に気がつき始めました。しかも,先ほども言ったように,特に環境問題には科学者の助言が大事だということに気がつき始めたのです。
 各国の科学アカデミーの連合体である「IAP(Inter Academy Panel)」が20世紀の最後の頃に自然発生的にできて,第1回の実質的な総会が,2000年に東京で開かれました。その当時,学術会議の会長だった吉川先生が,たまたま「ICSU(国際科学会議,International Council for Science)」という,各国のアカデミーの上部団体にあたるような機関の会長に選ばれたのです。日本人で初めてでしたし,ましてや工学系としても初でしたが,吉川先生はそこで,世界の学術連合が明らかに変わりつつあることを身をもって体験されました。
 もともと国際科学会議も,冷戦の時代には何をしていたかというと,東と西の科学者を自由に交流させろということを主に言っていただけです。しかし,冷戦構造が終焉すると,やはりやることは地球の環境問題です。連合体として各国政府に提言しなくてはならず,機能を強化しようということになってきたわけです。
 そして,国際機関への助言などの役割を果たすために,もう1つ,IAC(Inter Academy Council)がつくられました。私は3年前からそれに出席していて,国連などと協力しながら,レポートを作っています。例えばアフリカの食糧問題とか,世界の教育問題などについてレポートを出す予定です。
 そういうふうに各国アカデミーの連合体が動き始めています。各国ごとですと,アカデミーが弱ければ国に負けてしまうので,連合体で環境問題に取り組むから変化を生むことができるわけです。そして去年,リオから10年目の環境サミットというのが,ヨハネスブルグでありました。その時には,政治的な決着はほとんどできませんでした。ブッシュ大統領も出席しませんでした。しかし,政治的な決着は見られなかったものの,ヨハネスブルグではICSUをはじめ,科学者コミュニティの代表の意見が多く出され,注目を集めました。
 この点で,世の中は明らかに変わってきています。つまり,地球規模の温暖化や汚染の問題,砂漠化とか,水の問題といった環境問題は,政治と企業だけでは駄目だし,NGOだけでも駄目だ。科学者コミュニティが非常に大事だという認識に変わってきたわけです。

社会への責任を果たさなければ

黒川 20世紀の終わりまでは,科学者はそれぞれの分野のフロンティアを走っていればよかったんです。そういう人が顕彰され,ノーベル賞をもらい,アカデミーの会員になるということでよかったのです。しかし,今「それだけでは済まないのではないですか?」という世の中になってきたことを私たちは認識しなければなりません。科学者のコミュニティがもっと社会に対して発言し,責任を果すことが求められているのです。
 特に,先進国であればあるほど,アカデミーの機能をより充実させて,科学技術政策にどんどん提言し,反映してもらわなくては,という話になっています。ところが,国内では行政改革に際して学術会議をさしあたり総務省の管轄におかれるなど,まったく世界の趨勢と逆の方向を向いてしまっています。総務省に属している学術会議が何か提言を出したとしても文部省は聞く必要がないですから。日本はこれだけ科学技術に投資をしている国なんだから,アカデミーの連合体である学術会議をどういうポジションに置くかというのは,日本の「国のかたち」の問題です。国際的な信用の問題なのです。

日本学術会議はどう変わっていくのか?

──今後,学術会議はどうあるべきだとお考えでしょうか?
黒川 まずは,「総合科学技術会議」が内閣府にあるのですから,それと車の両輪として存在すべきです。そして,学術会議は中・長期的な提言を出して,総合科学技術会議が決めればよいと思います。科学者コミュニティの総体としてこっちからどしどし提言することが大事なのです。
 もちろん,提言は総合科学技術会議に対して出すのではなくて,社会に対して出すわけですが,「それを実行に移すかどうかは政府の責任だ」ということです。
 このような明確な位置付けがないと,健全な国になっていかないと私たちは考えています。
──期待されている役割を果たすために,会員の選出方法などについてはどう変えていくのでしょうか?
黒川 これまでの会員は,自分の属している学・協会などから推薦され,投票されて会員になっているので,学・協会との関係を大変気にしています。しかし,私は総会で会員の先生方に,「皆さんは,それぞれそれなりの学術の業績があるわけです。しかし,例えば先生たちがアメリカのナショナル・アカデミーやイギリスのロイヤル・ソサエティの外国人メンバーに選ばれたとしたらどう思いますか? 大変誇りに思うのではないでしょうか? なぜ誇りに思うのでしょうか? それは,その会員であるような人たちに,『あなたもそのメンバーだ』と認められたからでしょう? 学術会議の会員も,そういう団体になるべきです」と言ったのです。
 そのためには,選出のあり方をどう変えればよいかを考えればいいわけです。「学会のボスだからなった」などというのは,実にみっともない話なのです。
──組織も変えることになりますか。
黒川 もっと機能的にすべきだと思っています。アメリカやイギリスのあり方は非常に参考になります。
 私自身も考えているし,他の会員もそれなりに考えてると思うのですが,これから,特別時限立法で,新しい会員をどうやって選ぶかということの法律改革を行ないます。そこで選ばれる新しい210人の会員たちが,今後どういう組織を作っていくかを決めることになります。だから,今からあまり多くを言ってもはじまりません。しかし準備はする必要があります。
──当面,学術会議が取り組むべき課題は何でしょうか?
黒川 まず,総合科学技術会議との連携を密にすべきだと思います。そして,さらにはどういう社会的な課題があるかということについて,こちらから問題提起していかなくてはならないと思っています。18期には『日本の計画』という冊子も作成しましたので,ぜひ多くの方にご覧いただきたいと思います。
 例えば学術会議は,数年前から,安全学についての取り組みを行なっています。また,「子どもを育てる」という問題,「都市化」の問題,さらに循環型社会をつくろうという問題にも取り組んでいます。それを学術の面から言っていかなければなりません。これは何も学術会議に限ったことではなく,わが国の全般にわたって言えることですが,日本人は発信する方法が稚拙です。広報の戦略をあまり考えません。レポートや提言も重要ですが,実はその後の広報がさらに重要なのです。
 現在,世界は人口が増えすぎて「行き詰まり」状態です。これをどうするのか? そこで,科学者コミュニティの役割は大切です。研究のフロンティアだけを走っていればいいわけではありません。世の中の状況やさまざまな価値観を俯瞰的に見つつ,学術に支えられた情報をどんどん社会に還流し,政策への提言につなげていくことが大切です。それでこそ社会に対して責任のあるアカデミーたり得るのです。
 つまり,科学にドライブされた事実と情報の循環が大切です。そうでなければ日本は変わらないし,世界も変わらないでしょう。情報を発信してよりよい社会になる。情報循環による社会の形成を進めていかなくてはなりません。そして,それはお上に頼んではいけないことなのです。いま,科学者コミュニティが世間に何ができるかということを考えなければならない時代が,確実にやってきているのです。
──ありがとうございました。



●日本学術会議とは
 日本学術会議は1949年に内閣総理大臣の所轄のもとに「特別の機関」として設置され,中央省庁再編に伴い,総務省に置かれている。日本の人文・社会科学,自然科学分野の科学者の意見をまとめ,国内外に発信する日本の代表機関であり,全国約73万人の科学者の代表として選出された210名の会員により組織されている。その活動は,主に,科学に関する重要事項の審議,科学に関する国内外の研究の連絡。
 会員は学術研究団体から日本学術会議会員推薦管理会に登録申請し,審査・登録され,登録学術研究団体が会員として推薦すべき210人を推薦,日本学術会議を経由して内閣総理大臣から任命されている。




 黒川 清氏

1962年東大医学部卒,67年同大学院修了。69年渡米。その後,ペンシルバニア大学助手,南カリフォルニア大医学部内科準教授,UCLA医学部内科教授などを経て,83年東大第4内科助教授,89年同大第1内科教授。96年東海大医学部長。2003年より東海大学総合医学研究所長。2000年より日本学術会議副会長,03年7月同会長に就任。著書に『医を語る』(共著,西村書店),『医学生のお勉強』(芳賀書店)など多数。黒川氏のホームページは以下の通り。
http://www.KiyoshiKurokawa.com