医学界新聞

 

〔連載〕続 アメリカ医療の光と影 第23回

神の委員会(4)
生命倫理の夜明け

李 啓充 医師/作家(在ボストン)


2546号よりつづく

 人工腎臓の実用化に成功したスクリブナーにとって,1人でも多くの患者に腎臓透析を提供できる体制を整えることが緊急の課題となった。スクリブナーは,自らが勤めるスウェーディッシュ・ホスピタルに「人工腎臓センター」を設立したのを皮切りに,シアトル市内外に人工腎臓センターを設立するための運動をはじめた。スクリブナーは,医学研究は私利私欲のために行なわれるべきではないという信念のもと,人工腎臓センターは非営利の組織とすることに専念した(註1)。
 それだけでなく,1人でも多くの腎不全患者に腎透析を提供するためには社会による資金援助が不可欠(註2)と,スクリブナーはメディアの協力を仰いだ。しかし,資金援助に役立てたいと願っていたスクリブナーの思惑とは裏腹に,マスコミの関心を集めたのは「人工腎臓センター管理政策委員会」で行なわれていた,「生きることを許される患者と許されない患者の選別」だった。

「神の委員会」に委託された問題

 前回(2546号)も紹介したように,「人工腎臓センター管理政策委員会」の活動を詳細に報じたのは,1962年11月のライフ誌の特集記事が最初だった。この特集記事を執筆したシャナ・アレクサンダー記者(ライフ誌最初の女性記者)は,「人工腎臓センター管理政策委員会」を「生と死の委員会」と呼んだが,いつしか,この委員会は「神の委員会」の名で知られるようになった。どの患者が生き,どの患者が死ぬべきかの選別は,神のみに許されるべき選別と思われたからだった。
 「神の委員会」が設立された61年当時は,「生命倫理(bioethics)」という言葉はおろか,類似の概念さえも存在しない時代だった。そんな時代に,「限られた医療資源をどの患者に配分すべきか」,換言すれば,「ごく一部の患者しか救えない時に,どの患者を救うべきか」という,医療倫理上の難問題を解決することが「神の委員会」に委託されたのだった。
 ちなみに,「神の委員会」が解決を委託された「限られた医療資源の配分」という問題は,現在の「臓器移植における絶対的なドナー不足」だけでなく,将来的に検討課題となるであろう「高額医療の配給制」と,本質的には同じ問題である。

「患者の社会的価値」による選別

 ライフ誌の記事でも明らかなように,「限られた医療資源の配布」という難問題を解決するために「神の委員会」が基準としたのは,個々の患者の「(人間としての)社会的価値」だった(social worth standardsと呼ばれる)。
 しかし,例えば,「3人の子どもの母親と,子どものいない偉大な芸術家と,どちらの社会的価値が高いか」などという問題に社会が合意できる客観的な解答を与えることなど不可能であり,「社会的価値」に基づいた医療資源の配分を容認することは,種々の社会的差別を容認することと同義になりかねない。
 だからこそ,現在,臓器移植レシピエントの優先順位を決める際には,「患者が受ける医学的メリット」が最大の基準とされ,「患者の社会的価値」は一切考慮されていないのだが,「神の委員会」の例を見るまでもなく,「患者の社会的価値」を基準とする選別は,往々にして人々の感情に訴えやすいという特質を持っている。例えば,昨年,カリフォルニア州の刑務所に服役する囚人が心臓移植を受けた際に,「心臓移植を待っている患者は五万といるのに,わざわざ州民の税金を百万ドルも使って囚人に心臓移植をする必要があったのか」という非常に感情的な反応が巻き起こったのも,「囚人の社会的価値は低い」という人々の先入観がその原因となったのである。

社会の合意に基づく公正な解決

 「患者の社会的価値」を基準とする医療資源の配分をめざしたことは「間違い」であったかもしれないが,「神の委員会」の最大の功績は,限られた医療資源の配分という難問題に医療者が恣意的に対処することを許さず,社会の合意に基づく公正な解決を求めたことにある。例えば,医師たちが内輪で患者の選別をすることになれば,どの医師も自分の受け持ち患者を優先しようとすることは目に見えているし,極端な話,スクリブナーは,「透析の研究にはお金がかかる。今後の研究を推進するためにも,一番たくさんお金を出した人に透析を提供する」と言うこともできたのである。
 しかし,スクリブナーは,社会の合意に基づく公正な解決をめざして「神の委員会」を設立し,医師たちによる恣意的な患者選別を許さなかっただけでなく,医師たちを「生きることを許される患者と許されない患者を選別する」という,困難な作業からも解放したのであった。

(註1)スクリブナー以来の伝統で,シアトル市および同市周辺の透析センターは,いまだに,非営利の施設がほとんどであるという。ちなみに,営利と非営利の透析センターを比較した場合,営利のほうが患者の死亡率が高く,腎移植リストに載せられる率も低いことが知られている(ニュー・イングランド・ジャーナル・オブ・メディスン341巻1653頁,1999年)
(註2)1973年,米政府は,高齢者医療保険メディケアによる,腎透析の保険給付を決定した。保険給付の対象には若年者も含められ,適応のある患者すべてに腎透析が提供される体制が整備された。「神の委員会」が結成されてからわずか12年後のことだった。現在,「混合診療の解禁」が日本で議論となっているが,「お金のある人だけが必要な医療を受けられる」ことをめざすよりも,「本当に必要な医療は保険診療に含める」のが筋であろう。