医学界新聞

 

連載
メディカルスクールで
学ぶ

   第3回
   メディカルスクールの入学審査(後編)

  高垣 堅太郎
ジョージタウン大学スクール・オブ・メディスン MD/PhD課程1年

 今回は前回(2523号)にひき続き,メディカルスクールへの入学審査の課程についてです。前回は出願のプロセスを追いましたが,今回は入学者の多様性を中心にご報告したあとに,この制度の影の部分にも触れたいと思います。

入試委員会(admissions committee)と入試課(admissions office)

 前回述べたような入試制度には,事務などの手続きを総括する入試課をはじめ,面接者・入試委員,校内案内を行なう学生など,膨大な人的資源が投入されています。例えばジョージタウンの場合だと,入学審査担当副学長(Assistant Dean of Admissions)の教授を筆頭に6人の専任スタッフが年間を通して働き,事務的な総括や一次選抜(面接者の決定),来校した面接者の応対などにあたります。面接も終わり,選考資料がすべてそろうと,ファイルは選考委員会に送られ,16名の選考委員(うち4年次の学生代表5名を含む)が合議で最終的な入学者を決めます。この委員会は,毎年度15回程度開催されるそうです。

入学者の大学時の専攻

 前回ご報告したとおり,各メディカルスクールの入学要綱に指定された主要科目(一般に生物学,数学・統計,化学,英語)の必要単位数さえ満たしていれば,大学時代の専攻に関係なくメディカルスクールに出願できます。芸術を専攻しようが哲学を専攻しようがまったく自由なわけで,要は面接の時に首尾一貫したストーリーを提示できればよいのです。
 とはいうものの,もっともポピュラーなのはやはり生物学関係の専攻で,入学者の7割がこれに該当します。この一部,入学者の1割強は,従来の学部・学科ではなく,メディカルスクール進学専門学科の出身です。このような学科はすべての大学で設けられているわけではありません。系統だって調査したわけではありませんが,全体的な傾向としては面倒見のよい教育重視の私立大学に多い気がします。内容としてはMCATに沿った授業が行なわれ,余計な授業を受けずになるべく高成績で卒業でき,履歴書に必要な課外活動にも時間が割きやすいという仕組みになっているそうです。この学科がない大学でも,たいていの大学ではpre-med事務局が設けられ,履修科目の案内や成績表,推薦状のとりまとめなどを行なっています。

社会人入学者

 米国のメディカルスクールは社会人入学者がとても多く,入学者の半分近くが,大学卒業後何らかの学生以外の活動を経てから入学してきます。理由の1つとしては学費を自分でまかなうという社会常識があげられますし,また,医師になる動機づけが重要な選考基準となることから,国際協力やコメディカルといった医療関連の仕事をして,志を固める人も少なくありません。
 もっとも一般的なルートとしては大学の研究室でテクニシャンとして働きながら2-3年かけて貯金し,同時に推薦状を獲得するといったものがあげられますが,その他にもさまざまなキャリアの人が入学します。私の同級生でも救急救命士,家具職人,宣教師,エアロビクスの指導員,CDC(米国疾病管理・予防センター)の研究員,看護師など,実に多様です。特に看護師出身の同級生たちは臨床経験も豊富で,診断実習時や授業中のちょっとした質問に頼りにされています。

Post-baccalaureate Program

 入学審査にもれた場合,post-baccalaureate programと呼ばれる1-2年の卒後大学教育を受けることが一般的です。そこでは大学の成績表で弱かった科目を再履修したり,MCATを再受験したり,研究室に出入りして研究経験を積み,推薦状を獲得することが行なわれます。社会人入学で過去の単位が失効している場合や,文科系の専攻を卒業して理系の単位が要件に満たない場合,さらには米国・カナダの大学での単位がまったくない場合も通常,post baccalaureate programを受けることになります。
 ジョージタウン大学のpost-baccalaureate programは全国的にも有名なので例にとると,1年間かけて発生学・組織学・生理学など一部の授業を医学生と一緒に受けます。それとは別に特別授業を受け,修士論文を書き,最終的には修士号を授与されます。毎年全国のメディカルスクールに卒業生を送り出すほか,ジョージタウン大学スクール・オブ・メディスンの入学者の1割以上がこのプログラム出身です。彼らは1年次の授業の半分近くをすでに履修しているため,委員会活動やクラス活動の核となっています。
 Post-baccalaureate programを経ても入学が困難な場合には,グラナダなどの国外にあるアメリカ人対象のメディカルスクールに進んで米国人FMG(米国外のメディカルスクール出身の研修医)となるか,通常のallopathic medicine(MD課程)からosteopathic medicine(DO課程)*に転向するといった選択肢が残ります。

メディカルスクールの入学審査を経験して

 日本でも米国のように,成績証明・推薦状・履歴書・志望動機・面接に基づいた委員会式の大学入学審査を導入したほうがよいという考え方があります。しかし実際に両国の入学審査を経験してみると,米国のやり方には日本の受験とは異なった欠点・問題点があると思うにいたりました。
 第1に,大学生活はたいへん束縛されます。例えば,ほとんど「優」ばかりを並べて出願することが常識となっているため,おもしろいけれども評価の厳しい授業で「可」をとることは許されなくなります。皮肉なことに,これは生物,化学,などといった重要科目ほど顕著です。大学の内情など,入試委員会は知りようもないので,評価の甘い教官の授業ばかりを選んで「優」を並べるほうがよほど有利なのです。また,たとえ4年間デカンショ(編集部註:哲学者のデカルト,カント,ショーペンハウエルのこと)を読みあさっても,成績表に哲学の「優」が並んでいないとほぼ意味を成さない,といった具合です。課外活動でも同様,成績や肩書き,あるいははっきりとしたストーリーにつながらないものは断念されることが多いのではないでしょうか。
 第2に,選抜基準の公平性が確保できない,という問題があります。この点に限っていうと,「所定内容の一斉試験で学生の将来性を評価する」というはっきりとしたルールのもとで行なわれている日本の入試制度はとても公平だといえます。ところが,米国のメディカルスクールでは面接・大学の成績などといった,より主観的な尺度を多用し,さらに委員会という主観が錯綜する場で選考するわけですから,一律の基準が適用できるはずもありません。最終的には面接者・選考委員に気に入られるかどうか,委員会の場で強く推してくれる人がいるかどうか,といったことに集約されかねないのです。そのうえ,他の合格者との人種・性別・出身大学・出身州・性格の兼ね合いなどといったことによっても合否が大きく分かれます。

「より平等」な人
「ただの平等」な人

 社会の共通認識としての「公平」という概念自体が,日本とは大きく異なるということもあります。米国でいう「公平」とは,富める者はより富むことを前提とした累進的な「公平」なのです。有名大学(高校,家系……)の出身者はオーウェルよろしく「より平等」であり,面接者の配当や大学の成績の評価などで,公然と,恣意的に優遇されます。逆に外国大学の出身者を含めたその他の者は「ただの平等」で,より厳しい選抜を潜り抜けなければなりません。
 こういったことはメディカルスクールの入学審査にしろ,FMG受験にしろ,大学受験にしろ,アメリカ社会全体に浸透している半ば公然の共通認識ですが,日本社会が慣れ親しんできた「公平」の概念とはかなり異なる気がします。

*Osteopathic medicine
整骨療法。19世紀後半の米国に端を発する一種の民間療法で,全人医療やプライマリケアを重視し,整体のような要素を組み込んでいる。卒業後は全米各州でMDと同じ研修に進み,研修終了後は同じ資格で臨床にあたれる