第2529号 2003年3月31日


鼎談

もうひとつの動き方

桑田投手はいかにして武術の身体運用を取り入れたか


竹中弘行氏
(湯河原厚生年金病院・
理学療法士)
 
桑田真澄氏
(読売巨人軍・投手)
 
神谷成仁氏
(読売巨人軍・理学療法士)


 「桑田復活の陰に古武術あり」
 ――ここ数年の不振で引退まで取り沙汰されていた桑田投手が,昨シーズンは見事に復活。防御率2.22(12勝6敗)で最優秀防御率のタイトルまで手に入れるという大活躍だった。その陰に,武術家甲野善紀氏との出会いがあったという。
 一見畑違いの野球と古武術にどんな関係があるのだろう。古武術の特徴は「ねじらない・うねらない・ためない」だという。従来の運動理論とは対極にあるこの身体運用に,桑田投手はなぜ惹かれたのか。いかにしてそれを身に付け,投球フォームにつなげていったのか。そこに理学療法士はどのようにかかわっていったのか。

 開幕を前にトレーニングに励む桑田投手と,復活のプロセスを陰で支えた理学療法士・神谷成仁氏のおふたりに,同じく理学療法士の竹中弘行氏が聞いた。


古武術との出会い

竹中 一般的には「野球と古武術」はうまく結びつかないと思います。
 まずは桑田さんが古武術を取り入れようと思われたきっかけから教えてください。
桑田 3点ぐらいありますかね。
 1点は,僕は小さいころから武術系が好きで,ジャッキー・チェンとブルース・リーの映画をよく見ました。その中で,ちょっと考えられないような腹筋とか背筋とかをやるわけです。編集しているのでしょうが,それにしてもすごいと……。それと動きですよね,パンチのよけ方とか。そういうものが好きだったという点があります。
 もう1点は手術をしたことです。僕はそれまで,食事からトレーニングまですべてアメリカが進んでいると思っていたから,ずっと西洋的トレーニングをやってきました。しかし,怪我をして手術をしてから,「西洋的トレーニングだけでいいのかな」という不安があったんです。
 そしてやはり,甲野先生の動きを見たことですね。僕よりも明らかに年上で,身体を見てもあまり強そうじゃないけれど,身体が見事に使えている。それに魅力を感じたんですね。その力はいったいどこからきてるのかな,と。
 それと武術というのは,不思議なことに,歳をとればとるほど洗練されて強くなってくるんですね。それも魅力だった。
 僕は手術を受けた当時はもう30歳手前でしたから,下り坂です。17歳でプロ野球の世界に入って,25歳ぐらいで……
竹中 ピークを迎えて。
桑田 そうですね。その後は怪我をして下り坂だった。
 この3点があって,自分でもスムーズに古武術を取り入れられたのでしょうね。
竹中 その武術を桑田さんに紹介したのが神谷さんなんですが,どのような意図があったのですか。
神谷 彼はリハビリの過程でもそうですが,とにかく野球に対して常に前向きだし,真面目だし,真摯に取り組む男なのです。だから,何かしら力になりたいというのがありましたね。
 そんな時に,僕が以前勤めていた神奈川リハビリテーション病院の理学療法士の北村啓さんから,甲野先生の話を聞いたわけです。そこで,どんなものかを知るために,僕がまず松聲館に行ってみた。
竹中 実際に見てどうでしたか。
神谷 驚きました。「この力はどこから生まれるんだろう」って僕も思いましたね。
 ただ,誰でもこれを消化できるかというと,そういうものではないですね。誰がこういう動きに合って,野球の中で生かせるのかなと考えた時に,桑田が思い浮かんだんです。先ほど彼も言ったようにもともと武術に興味があったから,1回見せたいなと思っていました。
 しばらくして,神奈川リハビリテーション病院のPT,OTを対象とした動作分析の講習会に甲野先生が来てくれるというので,オブザーバーという形で参加するよう桑田に勧めてみたんです。いきなり道場を訪ねて1対1で対峙するよりも,あまり先入観を持たずに,まず他人がやっているところを客観的に見て,自分で判断してみてくれということで。
 講習の後,彼に「どう思う?」って聞いたら,「おもしろい」と。その1週間後に,今度は一緒に道場を訪ねたというわけです。
桑田 やっぱり,すごいなと思いましたよ。
 僕の好きな「足さばき」というのがあって……。
神谷 そうだね,最初にあれでびっくりしたよね。
桑田 氷の上を,こう,滑るような。そういう足さばきは,ブルース・リーとかジャッキー・チェンとかでしか見たことがなかったんです。小さい頃からやろうと思ってもできなかったんですよ。それを甲野先生がされた。初めて自分の目の前で見て,「何かあるな」と感じたんです。
 手術後,復帰してから10勝,16勝,次がストッパーもやっていたので8勝だったんです。この3年間は成績的に見れば普通ですけど,自分の中で何か違うんですね。ゴールに向かって投げているような感じ,尻すぼみにこのまま野球人生が終わっていくのだなあという感じ。そんな時に甲野先生のあの足さばきを見てピンときた。
 ……でも,そこからまた長かったですね。それをどうやって野球に生かせるかということが。
神谷 そうね……。すぐに結果が出なかったから。

二人三脚の試行錯誤

竹中 その試行錯誤の過程は,ひとりでずっとなさっていたのですか。
桑田 まあ,球場で理解してくれるのは神谷さんしかいないですから(笑)。
 神谷さんに,「今こうやっているんですが,どうですか」とか,「今度はこうしてるんです」とかね。
 僕はいつも神谷さんに,「見た目,どうですか?」って聞くんですよ。神谷さんは野球をされていなかったからかえってよかったんですね。
 僕が大事にしたいのは,普通の人がパッと見てどう感じるかということなんです。「すごく簡単そうだな」とか,「力抜いて投げてるな」とか,「あ,美しいな」とか。
 僕はよく「リキんでいませんか」と聞きましたね。
神谷 そうね。最初の目標は,とにかくリキみをなくそうということと,武術でいう「居付かない」身体の使い方をしようということに取り組みました。
 だけど,ほんとに評論家とかいろんな人に酷評されて。
桑田 なにしろ「ねじらない」「ためない」ですからね。
 足を軸にして身体をひねって腕を後ろから回して……という「正しいフォーム」ではなくて,(右腕を挙げボールを離す瞬間の仕草をしながら)ここ,ここだけなんですよ。
神谷 「力感がない」「球が行くはずがない」「ダイナミックさがない」と,ことごとく批判されました。
 ただ,「そう言われるということは,逆にいえば意図した身体の使い方になっているんじゃないか」って2人だけでわかって(笑)。1年目のキャンプは,そんな感じだったですね。
桑田 去年もすごかったよね。かなり言われて。
神谷 結果が出るまではね。こうして結果が出ちゃうと,今度は手のひらを返したように(笑)。
竹中 今は評論家はどうやって褒めるのですか。
神谷 「リキみのないフォーム」「コンパクトなフォーム」「打者のタイミングを外している」とか。
桑田 そうそう。
 西洋的な考え方では,「1+1=2」なんですよね。でも,武術的には答えは1つじゃない。たとえ答えが1つであっても,式は何通りもある。
 だけど野球界で「僕は“ねじって,ためて”は使いませんよ」と言ったら,「お前は何を考えてる?」と絶対に言われます。野球界では,力を出す方法は「ねじり,ため,うねり」しかないんですよ。
竹中 鞭のように……
桑田 しなって,うねってくる。バッティングでもそうじゃないですか。もう唯一の方法なんです。
 僕もそれを信じて,今までやってきたんですが。
竹中 武術とは正反対の動きですね。
桑田 まったく逆ですよね。実際にやってみても,最初はボールが行かないんですよ。
 毎日いろんな武術のトレーニングをして,それで身体が徐々に慣れてきたというんですか,感覚がよくなってきて,ピュッと行きだしたんです。
竹中 その「ピュッとくる」というのは,ある日,ある時,ある瞬間に,急にガラッと変わるのですか。
桑田 初めはずーっと平行線。非常に長くて,つらいですよね。毎日「やめようかな」「やっぱり駄目だな」の連続ですものね。
 途中で嫌になって,「野球はやっぱり,“ねじり”と“ため”のスポーツだから絶対無理だな」とか思いながらも,またやってたりするのです。
 それが何年も続いて,ある日突然,パッとできる。それが1回きたら,また期待してしまうじゃないですか(笑)。
 だから,努力していても楽しいんですよね。神谷さんにも「これができるようになりましたよ!」とかね。
神谷 目を輝かせて,「今度はこれをやってるんですよ」とか,「こういう気づきがありました」って。発見の連続ですよね。
 だから,いまは本当に楽しそうに野球をやってますよ。ジャイアンツで一番楽しそうにやってますね。
竹中 その「ピュッとくる」までの毎日というのは,具体的にはどんな感じだったんですか。
桑田 そうですね。……例えば,暗い部屋に入ると,最初は真っ暗で何も見えないじゃないですか。それが目が慣れてきて,なんとなく物が置いてあるのがわかる。
 僕の場合は,真っ暗な時がずっと続いたんですけど,でも徐々に徐々にその暗さが薄くなってきて,「あ,ここに壁があるな」「電気があるな」とわかってきだしたんです。何となくですよ。真っ暗なんですけどわかってきた。それで,時々パッと電気が点くような時がある。
 一番最初にパッと点いたのは,守備なんですよね。守備というのは,ふつう年々落ちてくるんです。歳をとってくると動けなくなりますから。
神谷 反応が悪くなるよね。
桑田 でも僕は手術後,守備が逆によくなってきてたんですよ。
 最初は自分では気づかなかったんですけど,ある日ゴロを捕っている時に,パンッとイレギュラーしたのに,何気なくふわっと自分が反応してたんですよね。今までの自分じゃ絶対取れない打球です。その時に,「あ,俺は知らない間にうまくなってるな」と思った。つまり身体の使い方がすごくよくなってるなと。
 「それじゃあ,こんなこともできるかな」って,今までは考えてもなかったイメージがバーッと頭に浮んできたんです。
 実際にやっていくと,それが簡単にできる。「こんなのができるんだったら,ピッチングでもっと大胆にやってみても投げられるんじゃないかな」と思いましたね。
 そういうふうにやっていって,一昨年の8月ですかね,ピュッとボールが行きだした。電気が点いたから出口が見つかって,やっと次の部屋に行けたわけです。

*居付き
武術用語で,すぐに反応できずに動けない状態,パニックに陥って判断停止になっている状態を指す。

「普段のインタビューなんて,せいぜい10分くらいですよ」と言いながらも,身振り手振りを交えて長時間語ってくれた。

正解はひとつじゃない

竹中 神谷さんは外から見ていて,桑田さんには武術のような異質な刺激が必要だと思ったんですか。
神谷 そうですね。今までスポーツの世界で言われてきたようなことは,彼はことごとく経験してきてますからね。
 高校時代からずっとエリートとしてやってきて,いわゆる西洋的トレーニングをやりだしたのも,ピッチャーでは彼がはしりです。そして故障も経験して,肘の手術でも一番大変な靭帯の再建術を経験した。そういう意味では,これまでとは違った方法も必要かなと思いました。
 年齢的な問題もあります。彼も言いましたが,武術というのは歳をとればとるほど技が磨かれて,身体の感性が研ぎ澄まされていく。そのことに僕はすごく興味を持ちました。
 あとは身体への負担の問題です。今までの西洋的な身体の使い方というのは,パーツを鍛えてパワーを生み出そうという考え方ですね。でも古武術とか,昔の日本人の身体の使い方というのは,身体全体をどう効率よく,自分が思ったように使えるかというものです。局所に負担をかけないので,怪我をしないという意味でもすごくいいんですよね。
桑田 僕がプロ野球に入った18年前は,アイシングなんてやって肩を冷やすと「ばかやろう!」と怒鳴られた時代です。
 キャンプでは毎日ピッチングですよ。ウェイトトレーニングをすれば「重いもの持ちやがって」,水泳なんかしたら「身体,冷やしやがって」と怒られる時代ですよ。
 ランニングをしてても,水なんか飲もうものならすごく怒られましたよ。
竹中 確かにそうでしたね。
桑田 そういう時代でしょう? それがいまは全部反対なんですよ。ウェイトをやりなさい。終わったら肩と肘を冷やしなさい。水泳トレーニングをしなさい。練習中は水分をとりなさい。毎日投げちゃいけません……。全部逆じゃないですか。18年前は駄目だと言われたことが,今は「すばらしい」と言われる。
 それだけを考えても,「本当は何が正解なのかわからない」ということです。ねじって,ためて,力を出す方法がすべてではない。「ねじらない,ためない,うねらない」も,もしかして正解かもしれないと思ったんですね。
神谷 今はこうやって結果が出てるから言えるけど,最初の1-2年はどのように取り入れればよいのか戸惑いました……前例がないわけです。武術の動きを野球に取り入れた人なんていないわけですから。
桑田 ただ1つ言えることは,例えば今,たまに昔のフォームで投げると,1球投げただけで身体が嫌がるんです。もう,筋肉や関節が引き裂かれるようなイメージです。1球投げただけで「やめてくれえ!」という感じです。
竹中 評論家が褒めるようなフォームはやめたほうがよい(笑)。
桑田 ほんとに,膝の関節から,足首から股関節,肩,肘と,すべてがねじることを嫌がるんですよ。「昔はこれでキャンプで200球,試合でも200球投げてたんだ。よくやってたなあ」と思います。
 僕が考えているのは無駄のない,効率のいい,そして身体に負担がない投げ方です。それで同じくらいの力が出せれば,一番いいわけじゃないですか。
 古武術,中国武術にはそれがあると思う。それをうまく野球に取り入れられないかということで,今もまだ研究中なんです。もっと上があることがわかるので,キャンプ中でも,朝晩ずっと武術のトレーニングをやるわけです。
竹中 今は走ったりはしないのですか。桑田さんは昔,すごく走ったということで有名でしたが。
桑田 ランニングもしますけども,その走り方も「腕を振って!」というのではありません。今まではそれが正しいと思っていたんですけど……。今は,なるべく腕を振らないとか,すべて逆をやってますね。
 ただ,僕が声を大にして言いたいのは,「ねじり系も力を出す1つの方法であって,間違いではない」ということです。答えは1つではないのですから。
 しかし,僕が両方やってわかるのは,こちらのほうが身体に負担がなく,エネルギーも使わないで効率がよいとは思う。
神谷 甲野先生に出会った人なら誰でも古武術の動きを取り入れて成功するとは限らないですね。身体能力の高さとともに,桑田選手のような「感じる能力の強さ」というのが必要ではないかと思います。
 僕がふだん気をつけているのは,「これだ」って押しつけをしないことです。その選手が吸収してくれるようなスタイルでやる。
 だから桑田と清原では対応の仕方,仕掛け方が全然違います。患者さんによってバリエーションを持つのと同じですね。
 それこそお年寄りと若い人への対応は違いますよね。患者さんに合わせていく。それと同じです。


桑田投手(中央)のキャッチボール。投球ごとにタイミングが変わる。
この時は足を上げたまま数秒間停止。右から4人目が神谷氏。

大きく振りかぶって投げる他の投手たちとは明らかにフォームが違う。


ランニング後,スタート地点に戻る。自分の身体と対話をしているようにも見える。

感覚の力

竹中 テクニカルな技術だけじゃなくて,「この人に合わせて」というところが大事なんですね。
神谷 合わせていくのは,経験や勘だと思いますね。
 さまざまな試行錯誤によって,病院なら患者さん,チームなら怪我した選手を復帰させたりの積み重ねの中でそれはできてくるわけです。マニュアルがあって「ここはこうやって対応しなさい」ではないんですよ。先ほどの話ではありませんが,「感じる」のです。
 この世界でPTをやる中で一番大切なことは,「いかに復帰までのプログラムを立ててあげられるか」です。それなしに選手任せにすると,焦って少しでも早くとなって,必ず問題が起こる。
 でもプログラムを立てる過程というのは,それこそ感性というか,感じるものでしかない。「最初はこういうプログラムを組んだけれども,今日はここまで落とした方がいいんじゃないか」と感じるんです。それは経験を積むごとに当たってくるし,冴えてきます。
 最初のうちはそれこそ杓子定規に,「サイベックスで筋力が幾つまで戻らないと,こういうことはできません」とやってきましたが,うまくいかないんですよ。
竹中 データじゃない。
神谷 そう。いろんなことを感じながら,「その場で考えていく」ということです。
竹中 そういう感覚を研ぎ澄ますために,特別にやることは何かあるのですか。
神谷 基本的には選手と一緒に動きます。
 同じ強度ではできませんが,選手と一緒に動きながら,自分の身体でそれを感じながら,選手がどう感じているかを必ず聞きながら。
 でも,表現の仕方は選手によってまちまちです。この選手がこのくらいのことを言った時はこんなにひどいけれども,逆にこの選手がこんなに言っても実は大したことないとか(笑)。
 それもやっぱり選手とつきあっていればわかることです。そうやって「選手がどう感じているのか」というのを,常に自分の身体の中でイメージすることがすごく大事ですね。
竹中 なるほど。感覚の問題ですね。
桑田 身体全体を敏感にすることが大切なんですよ。人間の細胞は約60兆個でしたか? その細胞1つ1つを敏感にさせてあげるというイメージで,僕はトレーニングをします。それだけですね。
神谷 彼を見ていると,具体的な「動きのイメージ」を持つことがいかに大切かと思います。そのイメージのヒントを与えてくれるのが,甲野先生の動きなんです。あの動きをイメージすることで,桑田は自分の動きをいろいろ開発していったんです。
 人間って,いくら机上で,いわゆるバイオメカニクス的に「こう動きなさい」と言われてもなかなかできません。でも自分の中でイメージできた時は,「このくらいあげて,このくらいひねって」などと考えずに,身体のほうがうまく表現してくれる。イメージができてくると,身体って自然とそういうふうに動いてくれるのですね。
竹中 甲野先生はよく「小魚が一気に動く」というような表現をされますが,それが直観できるような言語的な能力も必要でしょうね。
桑田 僕の中での「小魚の群」というのは,例えば1万匹の群がいても,「バッ,バッ」って瞬時に動くような速さなんです。
 群れているところに石を投げると,小魚が一斉にバッと逃げるようなイメージです。その時にリキんでいたり,ねじっていたりすると,絶対にできないですよ。
竹中 じゃあトレーニングって頭を使うのですね,って失礼な言い方ですが(笑)。
桑田 武術のトレーニングは畳1畳もいらない。その中で2時間,3時間,多い時には4時間ぐらい1人でやっているわけですから。
竹中 新しいイメージができてからも,トレーニングは続けないと感覚が鈍ってくるものですか?
桑田 いや,例えば今急に「自転車に乗ってくれ」と言われれば,すぐに乗れるじゃないですか。それと同じだと,甲野先生によく言われました。
 「そんな馬鹿な」と思っていたのですが,実際にそうですね。無駄のない動きができるように,身体がなっている。
 普通は1-2か月投げてないと,またピッチングができるまで2-3週間は絶対にかかります。それが去年や今年は,1か月ぶりにキャッチボールをやっても,その日にピッチングができちゃうのです。
 もちろん自分の中では「こんなことして,身体が壊れちゃうのじゃないかなあ」とすごく不安なのですが,身体のほうが「OKだよ。できるよ」って言うんですよ。それでちょっとキャッチャーの人に座ってもらって実際に投げると,ある程度いく。


「こうやって虎を押えるんです」
 


「腕から肩,首に龍を巻きつけて」

動かないトレーニング

竹中 「ねじれてないな」とか,「ねじらなくても力が出てるな」とか,他の身体の部位に負担がきてるとか,「これはやばいな」とか……,そういう感覚は武術のトレーニングをすれば研ぎ澄まされていくものでしょうか。
桑田 そうですね。いま僕は古武術が半分,中国武術が半分ですが,中国武術ではほとんど動かないで,ずーっと止まってるだけです。
神谷 おそらくそれは,イメージの世界に入っているんじゃないかと思いますね。動きを出さなくて,自分の身体の隅々まで神経を行き届かせて,自分の身体を感じる。
桑田 立禅と言うのですが,本当に禅の世界みたいな感じがします。
 最初は本を読んだり,ビデオを見ても,「イメージでこんなことやって,何になるのかなあ」と結構疑問がありましたけどね。
 トレーニングというのは,重い物を持つとか,速く動くようにするということだと僕も思っていました。ところが,その逆をやることによって動きが速くなったり,強くなったりするんですね。
竹中 人間は,意外に自分の身体のことをよくわかっていないんですね。
桑田 僕のテーマはずっと「目に見えないものを見る努力をする」ということなんです。人間は,いかに見えているものにごまかされているか。
 武術の動きでパーンとやられると「速いなあ」と思うけれども,ちょっと角度を変えて見ればすごく遅く見える。正面にいるから「よけられない」と思ってしまいますが,ちょっと見方や考え方の角度を変えてあげることによって,すごい発想ができますね。
 中国武術の「動かないトレーニング」をお見せしましょうか。
竹中 ぜひ。
桑田 写真に撮るほどのものじゃないですけど(笑)。
 例えば虎を押さえるにもいろんな押さえ方がありますけど,首を持って背中を持って,視線を45度のところに置いて。で,虎がちょっとでも動こうものなら,この指で内臓をえぐるぐらいのイメージをもちながら,ずーっとこのままにしておく。動かない。
 そして自分の顎の下とか脇の下とか,肘,手の中,股の間などあらゆる部分に,少しでも力を入れるとパチンと割れてしまう風船があるとイメージする。しかも少しでも離すとポロッと落ちちゃう。割らないように,落とさないようにしながら,ずーっと動かない。
 あと,龍を身体に巻きつけるという構えもあるんです。このままずっと動かない。とにかく「動かない」んですよ。
竹中 感覚が駆けめぐるわけですか?
桑田 そう。例えば龍を巻き付けていても,腰などがつってくるような状態にどうしてもなるんですよ。
 比喩で言うなら,渋滞している道路です。その渋滞を身体の中で流して取ってあげるわけです。それで,また10分なり,20分たつと,どこかがまた渋滞してくるんですよね。
竹中 10分も20分も止まってるのですか。
桑田 最低でも20分から30分はやりますから。でも,最初は2分もできなかったです。でもまあ,やっても1時間ぐらいですね。
神谷 動きではないんですね。そこで対話をしていることが大事。
桑田 1000発打つよりも,ずっとこうやっているほうが感覚が研ぎ澄まされてくるんです。
竹中 それを感じるのは楽しいでしょうね。
桑田 楽しいです。けれども,やはり厳しいですよ。走ったりするのもしんどいなと思いますけど,こっちのほうがずっとしんどいです。だから,たまにランニングがキツい時でも,「動かないより楽かな」と(笑)。
竹中 いわゆる運動というイメージからは,かなりかけ離れていますね。
桑田 ですよね。全身の感覚を敏感にするということですから。
竹中 自分のことを探っている世界ですね。病院の中でも,自分のことがわからないで動いている人ほど危なっかしいことはないですから。何があっても勝手に動いてしまうような人は,あっちこっちで転んじゃうんですね。
 でも,自分の感覚を手がかりにして動いている人は,失敗と成功がはっきりわかるし,動き出す前にまず「やれそう」とか,「やれなさそう」というのを,その人なりに感じられるんです。
 先ほど桑田さんもおっしゃっていたように,その日のうちに動けてしまう。桑田さんも「やれそう」という感覚がパッと立ち登るから,おそらく何の恐さもなく,1か月振りでも投げられるのだと思うんです。もしそれが立ち登らなかったら,おそらく「そんな危ないことはできない」とおっしゃるでしょうね。

発見は楽しい

竹中 最近はバッターに向かった時の感じは変わってきましたか。
桑田 手術後は,実はストレートのサインが出ると恐かったんですよ。
 昔みたいな勢いがなくて,スピードが出ないわけですから。「ストレートはボールでいいかな」とか(笑)。
 いまはもう135 kmぐらいでも,相手のタイミングがわかれば,ど真ん中でも打ち取れるという自信がある。「135 km,ど真ん中,いくよ!」というような感じですね。
竹中 相手のタイミングもわかりやすくなっていますか。
桑田 昔より見えますね。見た目の「150 km,すごいな!」というのじゃなくて,タイミングなんです。
 タイミングがちょっと外れれば打てないというのが,ようやくわかってきましたね。
竹中 そういうように勝負していて,最も楽しい打者って誰ですか。
桑田 いや,打者はぜんぜん関係ないんですよ。誰でもいい。カーンと打たれたら,「今のタイミングが,こいつに合うのか」と。「同じようなタイミングで,もうワンテンポおいて投げたらどうなるかな」と。次に来た時が楽しみなんですよ。
 これまでは「頼むわ,今度は打つなよ,お前」みたいな感じだったのですが(笑)。
竹中 やりとりの中での,情報の取り合いということですね。
 私たちのように病院で働いている者としては,ピッチングとは逆に,その情報を患者さんと共有して,「ああ,こんな感じでいるんだな」というような方向に使うわけです。しかし,たくさんの患者さんに対応するためには,こちらのバリエーションが豊富にないと駄目ですね。
 桑田さんも今まで以上に“多い自分”を持ったということですね。
桑田 ええ。先ほども言いましたが,答えは1つではないのですね。僕もこれでまったく満足しているわけでなくて,もっとよくなりたいと思っています。……成績をよくしたいというのはもちろんですが,そんなことよりも,もっと身体が使えるようになりたいんです。
 今日,ノックを受けていて,すごくイレギュラーしたんです。目の前にコーンときて,気がついたら捕って投げてましたね。
 鼻血が出るか,前歯が折れてるかというようなイレギュラーですよ。右足を前にして左向きで入ったのに,ボールが跳ねた瞬間に,身体全体が一気に右側を向いていたんですね。
神谷 身体全体で反応できるんだろうね。部分じゃなくてね。
桑田 今までだったら,「来た。危ない。よけよう」と,足で地面を蹴ってる間に当たるわけですよ。
 毎日こういう発見がひとつあると,「身体,さばけたな」っていうのがあって,すごくうれしいですね。
竹中 「さばけた」ですか。実感ですね。
桑田 ほんの0.0何秒ですからね。瞬間です。でも,僕なんかまだまだ小学生レベルですよ。
神谷 それが武術のすごいところですね。どんどん進化していくと言うか,磨かれていくと言うか。
 彼はどんどん変わるのですよ。1つのことに満足しない。人間の潜在的な能力というか,「人間にはこんな力があるのだな」ということを,自分の身体を通して開発しているという感じです。その発見をすごく楽しんでいる。
 プロスポーツなんて歳をとればとるほどしぼんでいくというのが定説ですけれども,それを覆していくようなことを彼がやっていってくれたらおもしろい。それを僕は期待しているんです。
竹中 充実した桑田さんの姿を見ていたら,こちらもすっかり楽しくなりました。ありがとうございました。
(2003年2月14日:宮崎市青島にて)


●桑田真澄(くわた・ますみ)
 1968年生まれ。PL学園のエースとして甲子園に5回出場(2回優勝)。
 1986年に読売巨人軍へ入団。1994年7月に100勝をマークし,通算164勝125敗(昨シーズン末)。
 1995年6月試合中に右肘の内側側副靱帯を損傷し,同年に米国でF・ジョーブ博士の執刀により再建術を受ける。1997年に復帰を遂げたが,1999年以降は先発を外れた。
 2000年に甲野氏との出会いをきっかけにフォームを変え,2002年に原新監督のもと先発に復帰。この年の日本シリーズでも活躍した。
 右投・右打/身長174cm体重80kg。

●神谷成仁(こうや・なるひと)
 1961年生まれ。理学療法士。神奈川リハビリテーション病院を経て,1990年より読売ジャイアンツ専属となる。

●竹中弘行(たけなか・ひろゆき)
 1958年生まれ。理学療法士。神奈川県総合リハビリテーション事業団,神奈川リハビリテーション病院を経て,1989年より湯河原厚生年金病院に勤務。


●甲野善紀(こうの・よしのり)
 1949年東京に生まれる。1978年に武術稽古研究会「松聲館(しょうせいかん)」を開き,他流派や異分野と交流しながら古伝の術理を探求している。近代スポーツの常識を覆すような身体運用が注目集め,現在では陸上競技,バスケットボール,野球,アメリカンフットボール,卓球,射撃,サッカー,ラグビーなどさまざまな分野のスポーツ選手が稽古会に参加している。
 著書として,『武術の新・人間学』(PHP研究所),『剣の思想』(共著,青土社),『古武術に学ぶ身体操法』(岩波書店)など多数。甲野氏の世界を描いたものに『不安定だから強い』(田中聡・晶文社)などがある。
 なお弊社『看護学雑誌』4月号「招待席」にて,甲野氏のインタビューを掲載。